ジャニーズ事務所 歴代グループ
当項目では、ジャニーズ事務所において、“ジュニア (旧名:ジャニーズJr.)の枠組に属さない歴代のグループ” を取り上げる。
※ ジャニーズ事務所の公式サイト「Johnny's net」が出来てからは、ジュニア内のグループが通常グループに昇格したかどうかの判断は、Johnny's netにそのグループの単独ページが開設されるか、メジャーデビューを事務所が告知した場合に、「ジュニア内ユニットを正式に卒業」と当サイトでは見なしております。
また、単独ユニットの内部にデビュー時から存在した「内部ユニット (グループ分け)」は、特に単独ユニットとしての項目は設けず。
但し単独ユニットの解散後も、その「内部ユニット (グループ分け)」が存続した場合は、単独ユニットに移行したと判断し、新たに項目を設ける (例:V6解散後の20th Century)。
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なお、現在ジャニーズ事務所に所属するタレントやグループについては「ジャニーズ事務所 現所属者」、
ジュニア内の現役グループについては「ジュニア 現役グループ」、
ジュニア内の解散したグループについては「ジュニア 解散グループ」、
ジュニアの個人名の五十音検索は「ジュニア 一覧」、
バックバンドグループは「ジャニーズ関連バックバンド」、
その他関連グループは「ジャニーズ関連企画ユニット」 ・ 「ジャニーズ関連プライベートユニット」 ・ 「各ファミリー、総称、構想、俗称ユニット」 ・ 「ジャニーズ関連OBユニット」、
ソロタレントなどの一覧は「ジャニーズ事務所 歴代所属者」の項目をそれぞれ参照。
※ 結成順 (前身ユニットでの活動期間は除く)
ジャニーズ
1962年4月結成。 詳細はジャニーズを参照。
ハイ・ソサエティー
1966年初夏に結成。 前身バンド:ザ・ソニア。 詳細はハイ・ソサエティーを参照。
フォーリーブス
1967年1月結成 (4月説は誤り)。 詳細はフォーリーブスを参照。
ジューク・ボックス
1969年末結成。 「ジューク・ボックス」の名前は元々、同年の初頭頃からジュニア全体に対する別称として使われていたが、同年末に選抜メンバーによって正式にグループ化された。 詳細はジューク・ボックスを参照。
スーパーエイジス
1973年結成。 基本的にはバックバンドとして活動したグループだったが、持ち歌もあり、たまにスーパーエイジスだけでステージで曲を披露することもあった。 詳細はスーパーエイジスを参照。
JOHNNYS' ジュニア・スペシャル
1974年夏に「ジュニア・スペシャル」として結成。 詳細はJOHNNYS' ジュニア・スペシャルを参照。
リトル・ギャング
1974年10月に「ヒデキ&ヤッチン」として結成。 1975年初夏にリトル・ギャングに改名。 前身ユニット:リトル・リーブス。 詳細はリトル・ギャングを参照。
デビー&ルーベン
1975年8月27日の「第54回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」に登場した兄弟バンド。 スーパーエイジスの内部ユニット。 詳細はデビー&ルーベンを参照。
クエッション

(クエスション時代)
1975年結成のバンド。 村田、デビッド、ルーベン、星の4名で「クエスション」の表記で結成。 その後、星の親友だったことから実川が加入して5人組となり、表記も「クエッション」に変更された。 ネーミングの由来は、1966年に全米1位のヒット曲を出したアメリカのガレージ・ロックバンド「クエスチョン・マーク・アンド・ザ・ミステリアンズ」、および『クエスチョンズ67/68』(シカゴの1969年のシングル。ハイ・ソサエティーが1971年のアルバムでカバー)。
フォーリーブスなどのバックバンドとして活躍していた「スーパーエイジス」が、この「クエッション」に名を改めて、1976年3月21日にポリドールからシングル『雨がふってきた c/w SO FOR SO GOOD』でレコードデビューすることが決まっていた。 実際、テレビ朝日『せんみつのJOYJOYスタジオ』にも5人でレギュラー出演しており、同年春からはTBS『ぎんざNOW!』へのレギュラー出演も決まっていた。
しかし、レコーディングも済ませた段階でまず星が脱退。 ここで新たにキーボードを加えて再び5人編成に戻す計画を立てていたが、1976年2月にデビッドとルーベンが諸事情によりジャニーズ事務所を退所してしまったため、レコードデビューは急遽中止。 クエッションは崩壊し、発売されるはずだったシングルは幻となった。 非売品のプロモ用EPさえも存在しない。
『雨がふってきた』はその後、スーパーエイジスの持ち歌としてコンサートで歌われた。 1980年には田原俊彦にもコンサートでカバーされ、たのきんトリオの写真集付きカセットテープ『たのきんライブ ’81』(1981年7月3日、集英社)にて音源を聴くことが出来る。
メンバー
- 村田勝美 (リーダー。ギター → ベース)
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他のバンドではいつもドラムを担当していた村田だったが、当バンドでは違う楽器を担当。 村田は様々な楽器をこなせるマルチプレイヤーだった。
- デビッド辻野 (ギター)
- ルーベン辻野
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(ドラム。後にCharのバックドラマーを経て、「リューベン」に改名してソロデビュー)
- 実川茂
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(じつかわ しげる。リードギター。愛称:じっちゃん。後に「実川しげる」に改名)
脱退メンバー
- 星克己 (ベース)
ジャPAニーズ
1978年1月結成。 詳細はジャPAニーズを参照。
VIP
1978年7月21日にレコードデビュー。 前身ユニット:JOHNNYS' ジュニア・スペシャル。 詳細はVIPを参照。
スリー・ヤンキース
「ニューヤンキース」から選抜されて1978年7月25日にレコードデビュー。 詳細はスリー・ヤンキースを参照。
ANKH
1980年結成。 前身ユニット:ギャングス。 詳細はANKHを参照。
シブがき隊
1981年4月結成。 翌1982年の春にグループ名が「シブがき隊」に確定。 詳細はシブがき隊を参照。
オレンジ・シスターズ
1982年結成。 詳細はオレンジシ・スターズを参照。
THE GOOD-BYE
1983年5月4日結成。 正式な所属会社はジャニーズ事務所ではなく、系列子会社の「ジャニーズ出版」。 詳細はTHE GOOD-BYEを参照。
少年隊
1984年5月21日から正式に「少年隊」名義で活動。 前身ユニット:ジャニーズ少年隊。 詳細は少年隊を参照。
男闘呼組
1985年3月結成。 前身バンド:東京男組 (旧名:東京)。 前々身バンド:でたらめロックバンド。 詳細は男闘呼組を参照。
光GENJI / 光GENJI SUPER 5
1987年2月結成のジュニア内グループ「GENJI」に、同年5月結成の「光」を合体させ、同5月に「光GENJI」を結成。
詳細は光GENJI / 光GENJI SUPER 5を参照。
B・D 104
ビー・ディー いちまるよん。
グループ名の意味は「104 (トシ、田原俊彦) のB・D (バックダンサー)」で、ジャニー喜多川が命名。
「BD.104」と表記される場合もあった。
田原俊彦のシングル『抱きしめてTONIGHT』の時から、田原の専属バックダンサーとして1988年3月に乃生、木野の2名で結成された。
バックに付いたシングルは『抱きしめてTONIGHT』と『かっこつかないね』の2曲だけだが、1988年〜1989年のコンサートツアーにも帯同した。
また、1989年6月8日放送のTBS『ザ・ベストテン』でのみ、田原のシングル『ごめんよ 涙』のバックにも付いた (金沢の北陸放送の庭園からの中継)。
B・D 104の一番最初の衣装は、全身真っ黒なものだった。上着のブランドは「DOMON」。
しかし、全身真っ黒なのはちょっと酷いと、乃生が衣装担当のコセガワ・マニにクレームを出したことにより、急遽胸元に赤いテープがVの字に貼られた。
1989年のコンサートツアーからは、「平家派」より選抜された3名のジュニアがサポートに付いた。
当初は乃生、木野、ジュニアの5名全員に、茶色の衣装が用意されていたが、それを見たジャニー喜多川が、「ダメだよ。2人(乃生、木野)は衣装の色を変えてあげなきゃ」と指示し、乃生と木野の衣装だけ、田原と同じ白色に変えられた。
なお、B・D104としての仕事がある際は、笹塚に住んでいた乃生が、近所の「ライオンズマンション東北沢」に住んでいた木野のことを毎回車で送迎してあげていた。
メンバー
候補メンバー
- 橋本久良生
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当初は木野と橋本の2人で結成する予定だったが、橋本のダンスの技量に田原が納得しなかった。
そこで木野が、当時はまだジュニアだった木村拓哉の名を挙げ、「木村はどうか?」とジャニー喜多川に推薦したが、ジャニーは元「ジャPAニーズ」の乃生を呼び寄せようとひらめく。
そして乃生に電話をかけたが、乃生はその依頼を断った。 数日後、今度はボビー吉野が乃生に電話をかけ、田原が乃生の参加を強く希望してる旨を伝えたことで、了承となった。
なお、1988年春に『ミュージックステーション』(4月8日放送)と『ザ・ベストテン』で各1回ずつ、大量のジュニアが「B・D 104」とのジョイントで『抱きしめてTONIGHT』のバックを務めた際には、橋本もジュニアの一員として一緒に踊った。
サポートメンバー
- 黒人女性ダンサー
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ジャニーズ事務所の所属ではない。 1989年6月7日にフジテレビ『夜のヒットスタジオ』で放送された田原のマンスリーライブにのみ参加し、乃生、木野と共に『抱きしめてTONIGHT 〜スペシャル・ヴァージョン〜』と『かっこつかないね』を踊った。
この女性の参加は、ジャニー喜多川が「外人を付けよう」と提案したことがきっかけで、当初は2人の外人ダンサー(夫婦)が参加する予定だったが、夫の方があまりにもダンスの出来が悪かったため、最終リハーサルで夫だけクビとなり、妻のみでの出演となった。 そしてこの黒人女性ダンサーも、この一回だけで終了となった。
以下の3名は、1989年の田原俊彦の芸能生活10周年記念コンサートツアーと、同年6月21日に『夜のヒットスタジオ』で放送された田原の「スペシャルヒットメドレー」にてサポートを務めたメンバー。
- 桑名兼司
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ダンスが一番上手かったため、サポートするパートの量も一番多かった。
また、木野が「CHA-CHA」の活動が忙しくて欠席した際には、木野の代役も務めた。
- 松元治郎
- 小池通誉
SMAP
1988年4月結成。 前身ユニット:スケートボーイズ。 詳細はSMAPを参照。
CHA-CHA
注 : 当グループの管理はジャニーズ事務所ではなく、バップ音楽事業部と浅井企画が預かりで行った。
1988年初夏に結成。 前身ユニット:茶々隊。 詳細はCHA-CHAを参照。
忍者
1990年春から「忍者」名義で活動。 別名義:Ninja、四銃士。 前身ユニット:シゲダン → 少年忍者。 詳細は忍者を参照。
TOKIO
1990年4月結成。 前身ユニット:TOKIO BAND (旧名:城島茂バンド)、SMAP学園。 1994年9月21日にCDデビュー。 略称:トッキー (語尾が上がる発音)。 ファンネーム:ウォーカー。
2018年5月6日にメンバーの山口が脱退・退所したことで、バンドとしての活動が出来なくなる。
そして長瀬も2021年3月31日をもって脱退・退所することが決まった際、残りの3名が、「バンドとしては最早活動できないが、ただ解散してしまうのではなく、「TOKIO」の屋号を残したい」と考え、2020年7月22日にジャニーズ事務所の子会社として「株式会社 TOKIO」を設立することでバンドを会社化。
これにより、長瀬が脱退・退所する2021年3月31日をもってグループとしての活動は終了し、残る3名で翌4月1日にジャニーズ事務所から移籍(社内独立、暖簾分け)する形となった。

(株式会社 TOKIOのロゴ)
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「今 チーム(Team)として、
ひとつになろう(Oneness)、
強く結んだ(Knot)絆を胸に、
アイデア(Idea)を巡らせて、
この時代を 未来を ぼくらのもの(Ours)に」
なお、「グループとしての活動を終了」とはいえ、公式ホームページでの文言「バンドから会社へ」、「グループからチームへ」にもあるように、バンドグループを会社化・改組しただけであり、一つのチーム・団体という形は継続。 ファンクラブにしても、3人それぞれの個別ファンクラブが設けられる訳ではなく、TOKIOのファンクラブがそのままジャニーズファミリークラブで継続。 有料モバイルサイト「Johnny's web」での3人の各連載も同じくそのまま継続となった。 ジャニーズショップでも、引き続き「TOKIO」名義で3人が一緒に写っている生写真を販売。
2021年4月5日、株式会社TOKIOの関連会社として、新たに「株式会社
- 公式ホームページのURL - https://www.tokio.inc/
- X (旧Twitter)
- 公式LINE
メンバー
脱退メンバー
候補メンバー
- 坂本昌行 (TOKIOのCDデビューが決定した際、長瀬とのツインボーカル候補にされていた)
サポートメンバー
SAY'S
1992年8月結成。 一時「SAY・S」表記。 詳細はSAY'Sを参照。
KinKi Kids
1992年12月結成。 1997年7月21日にCDデビュー。 略称:キンキ、KK。
結成前のファンによる構想名:ZIPANG。
結成時のユニット名:
結成当初の旧表記:KINKI KIDS → KINKI KIDS。
1996年まで雑誌やテレビ、コンサートタイトルなどでよく見られた誤表記:Kinki Kids、Kinki-Kids、KinKi-Kids。
中国語表記:近畿小子。 ファンネーム:図書委員。
その他の詳細はWikipediaのKinKi Kidsを参照。
[1]、
[2]
メンバー
候補メンバー
- 星英徳
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1992年11月14日公開の映画『200X年 翔』の撮影期間中にメンバー候補にされていた。
また、ジャニー喜多川がグループ名をKANZAI BOYAから変更するかどうか迷っていた際、人の意見を参考にするため、星に「KANZAI BOYAとKINKI KIDS、どっちがいいと思う?」と訊いており、星は「KINKI KIDSがいい」と答えている。
- 神原和夫 (元・子役俳優)
パロディ
- GENKI KIDS
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1995年に日本テレビのバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ ! !』内で結成された企画ユニット。
メンバーは川岡大次郎と、川岡の友人の2名。
ジャニーズ事務所とは無関係。
- NinKi Kids
V6
1995年8月結成。 光GENJI SUPER 5が解散した翌日の同年9月4日にデビュー会見。 同年11月1日にCDデビュー。 略称:ブイ。 結成当初の旧表記:Vsix → V-6。 中国語表記:勝利六人組。 前身ユニット:ジャニーズSr. (第2期)。
6人のグループLINEの名前は、三宅が考案した「ぶい」。
グループの活動が停滞していた2010年一杯で解散する予定だったが、まだ公式発表をしていない段階で『週刊文春』(同年2月18日号)に解散情報をすっぱ抜かれてしまい、メリー喜多川が、「どうして書いてはいけないことを書くの! 文春に書かれた通りにはやらない!」と激怒。
『日刊サイゾー』(同年3月12日付、4月19日付)、『東京スポーツ』(同年3月17日付)でも、V6の解散やメリーについての新たな追加記事が次々と出されたが、勝気なメリーの思惑通り、最初の文春のスクープを打ち崩して無効化するべく、解散は急遽中止となった。
その後、10年以上の時を経て、2021年11月1日をもって正式に解散した。
但し年上チームの「20th Century」だけはその後も存続し、“V6の内部ユニット”から“単独ユニット”に移行した。
その他の詳細はWikipediaのV6を参照。
メンバー
- 20th Century (トゥエンティース・センチュリー。略称:トニセン。旧俗称:アダルトチーム) [1]
- Coming Century (略称:カミセン。旧俗称:ヤングチーム)
脱退メンバー
- 原知宏
-
V6の結成メンバーに抜擢されたことが、雑誌『Myojo』(1995年10月号、集英社)にて正式に発表される。
更にデビューシングルのカップリング曲『Theme of Coming Century』の仮歌レコーディングにも参加していたが、ジャニー喜多川の判断によってデビュー前にグループから外された。
候補メンバー
20th Century
トゥエンティース・センチュリー。 略称:トニセン。 旧俗称:アダルトチーム。 1995年8月結成。 前身ユニット:ジャニーズSr. (第2期)。
“20th Century名義のCD作品”としては、1997年9月10日発売のアルバム『ROAD』が初。
当初は上記「V6」の内部ユニットだったが、2021年11月1日にV6が解散したため、翌11月2日から単独ユニットとなった。
[1]
その他の詳細はWikipediaのV6を参照。
メンバー
嵐
1999年9月15日結成。 同年11月3日にCDデビュー。 別名義:ARASHI。
当初のグループ候補名:
ファンネーム:アラシック、アラシアンズ。
詳細はWikipediaの嵐を参照。
[1]、
[2]、
[3]、
[4]、
[5]、
[6]
メンバー
- 大野智 (リーダー。2016年に友人であるプロデューサーを代表にして不動産投資会社設立)
- 櫻井翔 (本名:同じ。2002年春までの旧芸名表記:桜井翔)
- 相葉雅紀
- 二宮和也 [1]、[2]
- 松本潤 (2019年8月にジャニーズ事務所と同じ住所にて個人事務所設立)[1]
候補メンバー
- 福田悠太
-
中学1年生だった1999年にジャニー喜多川からアメリカのネバダ州でのロケ仕事に行かないかと誘われたが、「海外行ったこと無いので、恐いから行きたくない」と断った。
アメリカでは、ビデオ『素顔 2』、およびアイドル雑誌のグラビア撮影が行われ、参加者は滝沢秀明、櫻井、相葉、二宮、松本の5名という、まさに「嵐」の原型となるメンバーだった。
そして実際にこのロケの直後に「嵐」が結成されており、福田がもしアメリカロケに参加していれば、福田は確実に嵐の最年少メンバーになっていただろうと言われている。
サポートメンバー
- 中丸雄一
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嵐のデビュー当時、櫻井が学校の都合などで歌番組のリハーサルに参加できない時は、中丸が櫻井の衣装を着てリハーサルをこなす役目に抜擢され、嵐のデビュー曲『A・RA・SHI』を歌っていた。
KAT-TUN
2001年3月結成。 2006年3月22日にCDデビュー。 略称:カツン。 ファンネーム:hyphen (ハイフン)。 詳細はWikipediaのKAT-TUNを参照。
メンバー
脱退メンバー
サポートメンバー
- 小山慶一郎 (結成初期にリハーサル期間も含めて約2ヶ月間参加)
関連項目
タッキー&翼
2002年8月1日結成。 詳細はタッキー&翼を参照。
関ジャニ∞
かんジャニエイト。
2002年12月結成。 2004年8月25日にCDデビュー。
略称:エイト、関ジャニ。 結成当初の旧表記:KANJANI8 → 関ジャニ8。
漢字表記:漢邪仁榮斗。
ファンネーム:eighter (エイター)。
関ジャニ∞の公式内部ユニットについてはこちらを参照。
その他の詳細はWikipediaの関ジャニ∞を参照。
[1]
メンバー
脱退メンバー
J★STARS
ジェイ・スターズ。
別表記:J-STARS。
正確にはユニットではない。
2003年5月14日にジャニーズ事務所公式モバイルサイト「Johnny's web」の開設に際し、8名の “年長タレント” に対して設けられたカテゴリー名。
この名称は5年ほどで使われなくなっていったが、ジャニーズファミリークラブの会員限定サービスサイトでのみ、2014年3月一杯まで使用されていた。
また、近藤、岡本、赤坂、佐藤の4名に対しては、情報局サービス「ジャニーズアーティストサークル (JAC)」が2005年から2015年10月まで設けられていた (近藤のみ2007年から)。
メンバー
NEWS
2003年9月15日結成。 同年11月7日にCDデビュー。 ファンネーム:チームNEWS、パーナ (当初はNEWSパーナ)、KAGUYA、姫、NEWS嬢、NEWSガール、NEWSボーイ。
詳細はWikipediaのNEWSを参照。
メンバー
脱退メンバー
候補メンバー
関連項目
Kis-My-Ft2
キスマイフットツー。
2005年7月26日結成。 2011年8月10日にCDデビュー。 略称:キスマイ。 結成当初の旧表記:Kis-My-FtU。
前身ユニット:Kis-My-Ft.、A.B.C.Jr.。
CDデビュー前は、ファンの間で「兄組」(北山、横尾、藤ヶ谷、飯田)、「弟組」(宮田、玉森、二階堂、千賀)の俗称で2組に分けられており、ミュージカル『KAT-TUN vs KANJANI∞ DREAM BOYS』(2006年1月3日 - 29日、帝国劇場)の公演パンフレットでも、兄組が「Kis-My-Ft (表記の最後にピリオドは無し)」、弟組が「Kis-My-Ft2」の表記で分けて掲載されていた。[1]
ファンネーム:
その他の詳細はWikipediaのKis-My-Ft2を参照。
[2]
メンバー
- 横尾渉 (2021年9月に個人事務所設立)
- 藤ヶ谷太輔
- 宮田俊哉 (2021年9月に個人事務所設立。[1])
- 玉森裕太 (2021年に個人事務所設立。[1])
- 二階堂高嗣 (2023年2月に個人事務所設立)
- 千賀健永 (2022年に個人事務所設立)
脱退メンバー
- 北山宏光 (中学の途中までの旧本名:佐藤宏光。 2022年に個人事務所設立。2023年9月17日に滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1])
- 飯田恭平 (メンバーカラー:青。グループがまだジュニア扱いだった段階の2006年1月一杯で脱退)
テゴマス
2006年結成。 詳細はテゴマスを参照。
Hey! Say! JUMP
2007年9月24日結成。 同年11月14日にCDデビュー。 略称:JUMP、ヘイジャン。
グループ名の「JUMP」は「Johnny's Ultra Music Power」の略 [1]。
別名義:Honey Bee、
ファンネーム:とびっ子、JUMPer、Juliet。
公式マスコットキャラクター:ウルぷぅ (2019年10月10日〜。CV:堂本光一)。
Hey! Say! JUMPの内部企画ユニットについてはこちらを参照。
その他の詳細はWikipediaのHey! Say! JUMPを参照。
[2]、
[3]、
[4]
メンバー
- Hey! Say! BEST
- Hey! Say! 7
脱退メンバー
パロディ
- 九乙女影
A.B.C-Z
エービーシーズィー。
2008年8月29日結成。 2012年2月1日にシングルDVDでデビュー。 略称:エビ、エビズィ。 前身ユニット:A.B.C. (第2期)。
ファンネーム:えびえび。
その他の詳細はWikipediaのA.B.C-Zを参照。
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[2]、
[3]
メンバー
- 五関晃一
- 戸塚祥太
- 塚田僚一
- 河合郁人 (2023年12月21日脱退予定)
- 橋本良亮
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バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開ジュニアオーディション出身。番組内では落ちたが2004年9月8日にジャニー喜多川から電話を貰って入所。
ふぉ〜ゆ〜
2011年3月結成。 結成前の俗称:ゆうちゃんず。
結成前に自ら事務所に直談判で提示した候補名:UFO。
結成当初の旧表記:
別名義:
内部企画ユニット:つ〜ゆ〜、おつゆ。
その他の詳細はWikipediaのふぉ〜ゆ〜を参照。
[1]、
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メンバー
Sexy Zone
2011年9月29日結成。 同年11月16日にCDデビュー。 略称:セクゾ、セクゾン、SZ。 中国語表記:性感帯。
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[3]、
[4]、
[5]
ファンネーム:セクラバ (Sexy Loversの略)、セクガル (Sexy Girlの略)、セクメン (Sexy Menの略)。
公式マスコットキャラクター:セクベア。
その他の詳細はWikipediaのSexy Zoneを参照。
メンバー
脱退メンバー
- マリウス葉 (父がドイツ人、母は台湾と日本のハーフ)
パロディ
- PHONEORI ZONE
Travis Japan
2012年4月結成。 その後、公式結成日は「2012年7月9日」にされた。 略称:トラ、トラジャ、トラヴィス、TJ。
結成当初は、川島、七五三掛、仲田、森田が「兄組」、吉澤、中村、宮近、阿部、梶山が「弟組」に分けられていた。
寅年である2022年にアメリカの「キャピトル・レコード」と契約し、同年10月28日に配信シングルで世界デビュー。
その他の詳細はWikipediaのTravis Japanを参照。
[1]、
[2]、
[3]
メンバー