木野正人
木野 正人(きの まさと、1968年12月2日 - )は、静岡県藤枝市平島出身のダンサー、振付師、ダンス講師、歌手。 元「CHA-CHA」のメンバー。
愛称:キノちゃん。 ジャニーズ入所当初の事務所内での愛称:Mr.マイク。
身長:173cm、体重:50kg、体脂肪率:5%。 血液型:AB型。 既婚。 兄弟は姉が一人。
改名歴
- 木野正人
- 木野正人.
- 木野正人
所属事務所
- ジャニーズ事務所 (1986年夏〜1990年5月。「CHA-CHA」としてバップ音楽事業部と浅井企画にも業務提携で所属)
- (フリー)
ジャニーズ時代の参加ユニット
- Mr.ミュージック
- トリプル正人 (俗称)
- (GENJI) (1987年2月時の候補メンバー)
- ジャニーズ・シニア
- アイワントリオ (俗称)
- (ジャPAニーズ・ジュニア) (1987年6月時の候補メンバー)
- 少年忍者 (サポートメンバー)
-
1987年10月1日に『500回記念 ザ・ベストテン in 仙台』(TBS)が、仙台の勾当台公園から中継された際、少年忍者のサポートメンバーとして光GENJIの『STAR LIGHT』のバックダンサーを務めた。
- (平家蛍)
- B・D 104
- CHA-CHA
学歴
- 藤枝市立
西益津 幼稚園 - 藤枝市立西益津小学校
- 藤枝市立西益津中学校
- 静岡県立島田商業高等学校
来歴
- 田原俊彦に憧れ、高校時代にジャニーズ事務所に履歴書を5回送るも、返事が来ず。
そして1986年(高校3年、17歳)の夏、「これでダメなら諦めよう」と、父親の友人から借りて来たビデオカメラを使い、自宅でマイクを持って踊っている姿を撮影。 選んだ楽曲は、田原俊彦の『It's BAD』、当時発売されたばかりの少年隊の新曲『ダイアモンド・アイズ』、そしてマイケル・ジャクソンなど。 しかも、ただの振り真似だけでなく、木野のオリジナルの技も入れて踊った。
このビデオテープをジャニーズ事務所に送った所、木野の華麗な身のこなしが、ジャニーズの合宿所内で大評判を得る。 事務所専属振付師のボビー吉野は、夜中の2時にジャニー喜多川から電話で起こされ、「スゴい奴が居るから観に来い」と呼び出されたほどだった。 手に持ったマイクさばきが印象的だったことから、「Mr.マイク」という愛称まで入所前から付けられていた。
ビデオを送ってから一週間後 (夏休みに入ってすぐの時期)、ジャニー喜多川からの電話が静岡の自宅にかかってきたが、木野はたまたま家に居らず、この時は親が電話を取った。 翌日、改めてジャニーから電話があり、「すぐに来なさい」と言われて、原宿の合宿所に招かれる。 しかし直近の木野には予定が色々と詰まっていたため、数週間を経てから上京。 そして合宿所を訪ねると、中からまず岡本健一が登場。次に成田昭次が登場し、「静岡から来たんでしょ?」と2人からいきなり声をかけられた。
その後、なかなかオーディションが始まる気配が無いので、木野がジャニーに「オーディションはいつやるんですか?」と訊くと、「そんなのいいから映画行こうよ」と言われ、ジャニー、成田、岡本、木野の4名で、自動車電話付きのジャニーの車、通称「ジャニカー」に乗り込み、ジェニファー・コネリーとデヴィッド・ボウイ主演の映画『ラビリンス 魔王の迷宮』を観に行った。 こうして、オーディション無しの特待生としてジャニーズ事務所に入所し、ジャニーズJr.となる。 なお、田原俊彦との初対面は、田原が映画『瀬戸内少年野球団 〔青春篇〕 最後の楽園』のロケに出発する際に、合宿所でお見送りをした時だった。
- ジャニーズJr.のレッスン初日は、遠慮して前から3列目に入ったが、2回目のレッスンで、同じ静岡県出身の諸星和己が呼んでくれたおかげで1列目に移動。
そして3回目には1列目のセンターになっていた。
毎週東京まで通う新幹線代は、運送屋でアルバイトして稼いだ。
- 最初に木野に用意された仕事は、田原俊彦のディナーショーの影武者役だったが、これは結局実現しなかった。
次に、コカ・コーラのCMや、テレビドラマ『3年B組金八先生スペシャル5』(1986年12月26日放送)のオーディションに行くように事務所から指示されたが、「自分はバックダンサーになりたくて事務所に入ったので、タレントになってしまったら好きなダンスが出来なくなる」との理由で、オーディションへの参加を辞退した。
その後、「Mr.ミュージック」、「ジャニーズ・シニア」、「アイワントリオ」などのグループに参加。
- 1987年3月に高校を卒業。 親が芸能界入りを反対していたこともあり、地元の静岡でサラリーマンになる。
そしてジャニーズ事務所も退所しようと考え、少年隊が愛知厚生年金会館でコンサートを行った際、ジャニー喜多川も一緒に名古屋のホテルに滞在していることを知った木野は、静岡からジャニーの部屋を訪ねて辞意を伝えたが、
「東京の子は80点でも呼べるけど、地方の子は遠くて100点でも呼べない、Youは120点だから呼んだんだ」と言われたことで気持ちが変わり、「どうしても芸能界でやっていきたい」と親を説得して、サラリーマンを退職した。
- 1987年6月、少年隊のミュージカル『PLAYZONE』への出演が決まる。
そのミュージカルの稽古期間中、木野の元に突如、ミュージカル出演を止めて田原俊彦の夏のコンサートツアー「Young Communication ’87 SUMMER CONCERT」のバックダンスグループ「ジャPAニーズ・ジュニア」に参加して欲しいという依頼も来るが、最終的にそのまま『PLAYZONE』の方に出演することとなった (但しパンフには非掲載)。
また、木野はわずか18歳にして、ボビー吉野がジャニーズJr.のダンスレッスンに来れない時などに、代わりにダンス講師を務めるようにまでなっていた。
- 1987年末〜1988年初頭頃、ジャニー喜多川からプロデュースの才能を見込まれ、「自身の活動の他に、光GENJIについての企画・演出を行うプレイングマネージャーにならないか?」と打診されるが、「まだパフォーマー1本でやっていきたい」と言って断った。
- 1988年3月、19歳の時に、田原俊彦のバックダンスグループ「B・D 104」に抜擢される。
そしてフジテレビのスタジオを借りて『夜のヒットスタジオ』に向けたリハーサルを行っていた所、内線でジャニーズ事務所のスタッフ・飯島三智から連絡が入り、
「ジャニーさんが『今から欽ちゃん(萩本欽一)のオーディションに行くように』って」と伝えられる。
オーディション会場である日本テレビの別館に着くと、新番組内で電話番号を紹介する際に使われる「電話番号ダンス」のダンサーを決める審査が行われた。 「電話番号ダンス」にはスローバージョンと早いバージョンがあり、どちらのバージョンでも木野はアドリブでダンスを踊ってみせ、その場で萩本から合格を言い渡された。 後で分かったことだが、萩本は事前に木野がダンスをしているビデオ映像をジャニー喜多川から見せられていた。
(※ 木野がジャニーズ事務所に入所したきっかけは、自分が踊っているビデオテープを送ったことだったが、入所してからも木野は自分のダンスやアイデアを伝えるため、度々ビデオに撮ってはジャニー喜多川に渡し続けていた)
- 1988年4月4日、萩本の新番組『欽きらリン530 ! !』がスタート。
初日のオンエアが終わると、ジャニー喜多川から電話がかかってきて、「You良かったよ!」と褒められた。
また、木野は当初、顔を見せないように後ろ向きで「電話番号ダンス」を踊っていた。
これは視聴者からの反響が増えてきたら顔を出させるという萩本の案だった。
しかし当初から反響は大きく、木野の顔は早々に明かされた。
なお、木野は「電話番号ダンス」を渋谷の東急ハンズの屋上や、電話ボックスの上、原宿の竹下通りのど真ん中など、あらゆる場所で中継で踊らされた。
- やがて、番組から誕生したアイドルグループ「CHA-CHA」のメンバーに選ばれ、1988年9月7日にレコードデビュー。
以降、音楽番組、バラエティ番組を中心に活動し、人気を博した。
木野はCHA-CHAと並行してB・D 104としても活動していたため、CHA-CHAがヒットチャートに名を連ねていた1988年〜1989年には、歌番組でCHA-CHAとしてパフォーマンスを披露した後、衣装を着替えて田原のバックダンサーを務める「掛け持ち」が多く見られた。 なお、CHA-CHAとB・D 104のスケジュールがバッティングしてしまう時は、基本的にはB・D 104の方を優先するように決められていた。
- ダンスを極めたいという自分の考えと、バラエティ色の強い仕事が多いCHA-CHAでの活動に温度差を感じて苦悩し、1990年5月にCHA-CHAを脱退。
マイケル・ジャクソンのバックダンサーを目指し、ダンス留学のためにロサンゼルスへ渡った。
木野の脱退は、1990年春にアイドル雑誌『Best One』で最初に発表された。 そして同年5月27日に、よみうりランドEASTで開催されたコンサートの直前に、バンの中でマスコミから引退についての囲み取材を受けた。
CHA-CHAへの参加は、7thシングル『キスしたい』、2ndオリジナルアルバム『空色の気持ち』までとなった。
- 渡米してからは、トラヴィス・ペイン(木野の3歳年下)が住むロサンゼルスの高級アパートに部屋を借り、トラヴィスを始め、ラヴェル・スミス、ジェフリー・ダニエルなど、マイケル・ジャクソンを支えてきた様々なダンサーたちと交流を持つ。
中でもマイケルにアニメーションダンスを教えた重要ダンサー、ポッピン・タコとは、マイケルのコンサートツアー「HIStory World Tour」の時期(1996年〜1997年)まで深い交流があり、よくナイトクラブにも連れてって貰った。
トラヴィスには、デビー・ギブソンのワールドツアーのオーディションや、NAACP(全米黒人地位向上協会)イメージ・アワードのオーディションに連れて行って貰った。
- 1991年、ロサンゼルス最大のエージェントである「BBA」の新人オーディションに合格。
合格者は500人中5人で、アジア人は木野だけだった。
オーディションを見に来ていたブレイクダンサーのカリスマにして、マイケル・ジャクソンの指導者の1人でもあるマイケル“ブーガルー・シュリンプ”チェインバースからは、木野が一番だったと絶賛された。
- 同年、日本向けにダンス教則ビデオシリーズ『LA STEP』を3本リリース。
このビデオにはジャニーズJr. (Mr.ミュージック) 時代の友人・中本雅俊も共演。
- 1993年、「NAACP(全米黒人地位向上協会)イメージ・アワード」の年間エンターテイナー部門でマイケル・ジャクソンが受賞した際、知人を通じ、マイケルの功績をたたえるコーナーでマイケルのダンスをオマージュしたソロのシルエットダンス『MJ History』を録画映像にて披露。
授賞式当日に木野の踊る映像が50秒間オンエアされ、マイケル・ジャクソン本人にも観て貰えた。
- 1995年、マイケルジャクソンの楽曲『Money』のミュージックビデオを撮る話が持ち上がり、仲介人から「正人にも出て欲しい」と言われていたが、結局撮影は中止となってしまったため、出演は叶わなかった。
- 400以上のダンスクラスを受けてトレーニングを積んだ後、1995年に日本に帰国し、田原俊彦のステージに復帰。
振り付け、ステージング、バックダンサーを担当し、ダンスナンバーの選曲も提案していた。
更に、「JAL CUP」でチアリーディングチームにも振り付けをし、その後もチームのコーチとして指導にあたる。 その他、杉並区阿佐ヶ谷にダンス教室を開校したり (後に下北沢に移転)、瀬戸朝香、中西圭三、グレートチキンパワーズ、KinKi Kidsなどへの振り付けも行う。
- 2000年、オリジナル理論「スポーツダンスディレクションズ 〜 フォームメカニズム」を、プロ野球選手、Jリーガー、プロゴルファーなどにディレクターとして指導開始。
- 2001年、ユニバーサル・ミュージック主催のビージーズ記念イベント「ビージーズ・ナイト・フィーバー」にてメインパフォーマンス。
- 2000年代半ばに一時、名前の後に小さな点「.」を付けて「木野正人.」に改名。
- 2007年3月8日、新木場・STUDIO COASTにて開催されたマイケル・ジャクソンのファン感謝パーティー「Premium V.I.P Party with Michael Jackson」に、数多くのゲストパフォーマーの中の一人として出演。
木野は、独自のマイケル・リミックス・ダンスを6分50秒間に渡って披露。その姿は、マイケル本人もVIPフロアの最前列で鑑賞した。
翌3月9日、同会場で行われた2日目のイベント「FAN Appreciation Day with Michael Jackson」でも木野は同じパフォーマンスを披露 (但しこの時はマイケルはアートコンテストの優秀作品選考のためにステージ鑑賞はせず)。 そしてイベント終了後に木野がマイケルの楽屋に通されると、マイケルの方から木野の姿を見つけて近寄り、前日のパフォーマンスに対して興奮した様子で「You are very creative!」と言って称賛。 更に木野は「最後の部分のムーブを教えてくれないか?」と言われ、マイケルに振り付けも教えた。
そして木野は、「私はあなたの様々な企画でダンスやアイデアを提供し、あなたをネクストレベルにする自信があります。だから私を使って下さい」と売り込んだ結果、「連絡先を置いていって欲しい」と言われた。
- 2007年、個人ファンクラブ「MJK KINGS」を開設。
- 2000年代後半から静岡県藤枝市の実家に戻り、藤枝・焼津を拠点に活動するようになる。
その一方で、臨時のダンス教室も各地で時折開催している。
- 2010年、田原俊彦のバックダンサーから離脱。
(但しその後も、田原のコンサートのアンコール終了後にステージに現われたり、田原のテレビ出演時にバックダンサーを務めたりしている。 2013年9月28日に中野サンプラザホールで行なわれた田原のコンサートにもゲスト出演し、『抱きしめてTONIGHT』と『かっこつかないね』のバックを務めた)
- 2013年、三浦知良が出演した、スーパークーリングタオル「COOL CORE」の宣伝映像の振り付けを担当。
- 2018年5月4日、49歳の時に、一般女性(当時46歳、バツ1で2人の子持ち)と入籍。
- 同年、「NPO法人 静岡ベースボールクラブ」のアドバイザーに就任。
人物、エピソード
- ハリウッド女優のルーシー・リューと生年月日が全く同じ。
- 平均体重50kg、体脂肪率5%を常に維持している。(2018年当時)
- 食生活は2003年から玄米菜食。 肉、魚、卵といった動物性タンパク質はなるべく摂らないようにしている。
- 中学時代は野球部に所属し、3番セカンド。 静岡新聞社・静岡放送主催の県中学選抜野球にも出場した。
高校も野球の強豪校である島田商業高校に進学したが、1年生大会で川根高校のエースピッチャーに三振を取られ、上には上がいるなと感じて1年生の終わり頃に退部した。
- 中学時代は松田聖子の大ファンで、ファンクラブにも入っていた。
そして松田のコンサートに行った帰り、財布を落としてしまい、中に入っていた松田のファンクラブの会員証も一緒に紛失してしまった。
なお、物持ちが非常に良く、「松田聖子鉛筆」などのグッズを、大人になってからもずっと持っている。
- 哲学的なことを考えるのが好き。
- 信条は、「人は“何をしたか”ではなく、どう在り続けたかがもっと大事。勝敗よりも、戦いそのものを楽しめるかどうかが鍵。自分の中に理想を抱き続けることが出来れば、おのずとぶれない生き方になる」。
- 「B・D104」としての仕事がある際は、笹塚に住んでいた乃生佳之が、近所の「ライオンズマンション東北沢」に住んでいた木野のことを毎回車で送迎してあげていた。
- CHA-CHAの活動が忙しくなり、ジャニーズ事務所の合宿所に泊まる機会が増えてきたある日、田原俊彦から「俺の部屋使えよ」と言われ、だだっ広い田原の個人部屋を特別待遇で使わせて貰っていた。
- 1988年8月31日放送のフジテレビ『夜のヒットスタジオ』で「B・D 104」として田原俊彦のバックを務めた際、木野は出番の直前まで裏で取材を受けていたため、曲の出だしに遅れるというハプニングが起こった。
- CHA-CHAとしてテレビによく出るようになった頃、ジャニー喜多川から「意外とテレビ映りいいんだね」という、微妙に喜びづらい言葉を貰ったことがある。
- 少年隊の『じれったいね』が振り付けされる際、仕事の都合で植草克秀が欠席していたため、木野が植草の代わりに参加して振りを覚え、木野から植草に振り移しをした。
なお、木野が植草の代わりに少年隊として振りを覚えている様子を見ていたジャニー喜多川は、植草よりも木野の方が遥かにダンスのクオリティが高いため、木野に向かって「You少年隊! 植草CHA-CHA!」と発言したもあった。
但しジャニーからは無茶ぶりも多く、少年隊のコンサートに開演時間まで間もない段階で急遽出ろと言われ、たったの30分間でジャクソンズメドレーの振りを覚えさせられたこともあった。 しかしこれはさすがに木野でも覚えきれず、本番では雰囲気で誤魔化しながら踊った。
- 少年隊の曲『バラードのように眠れ』で、足の下からマイクを投げてターンしてキャッチする技は木野が提供したアイデア。
田原俊彦の『抱きしめてTONIGHT』でマイクを投げる振り付けも、木野によるアイデア。
- SMAPのCDデビュー前の楽曲『SMAP』(1989年)の振り付けを最初に行ったのはボビー吉野だったが、その後、木野がジャニー喜多川から依頼されて、別のBパターンの振り付けを行った。
- 「ジャニーズ事務所で一番ダンスが上手いのは錦織一清だったが、マイクを持った上でパフォーマンスする姿 “マイク立ち” の綺麗さ、華麗さでは、田原俊彦がナンバーワン。両者は全くの別物で、それぞれに良さがある」と語っている。
- 田原俊彦の曲やダンス、コンセプトの中で一番好きな期間は、1985年から1987年の3年間。
- 様々な人からダンスを習ったが、木野にとっての一番の師匠は、やはり最初に教わったボビー吉野だと述べている。
- 初めて生のマイケル・ジャクソンを観たのは、1987年9月13日に後楽園球場で行われた「バッド・ワールド・ツアー」の2日目の公演 (マイケルのソロ初来日公演)。
当日にジャニー喜多川から、「今日最高にいい席があるから」と電話があり、藤枝の実家から後楽園球場に直行。
ジャニーズ事務所が取ってくれた、前から2列目という席でステージを鑑賞した。
更に1990年2月には、東京ドームで行われたローリング・ストーンズの初来日公演のチケットをやはりジャニーズ事務所が取ってくれ、今度は最前列で鑑賞した。
- CHA-CHA時代は、木野の顔が『セサミストリート』のアーニーに似てるとして、ファンたちからアーニーのぬいぐるみを沢山プレゼントされた。
- CHA-CHA時代、木野がコンサートのソロコーナーで着ていた衣装は、田原俊彦がかつてシングル『ベルエポックによろしく 〜WHAT'S 55〜』で着ていた衣装だった。
これは、木野自身がジャニーズ事務所の衣装倉庫の中から選び出した物だった。
- CHA-CHA時代は、芸能界の友人を通じて知り合った年下の某女性アイドル(当時高校生)と密かに交際していた。
- CHA-CHAを脱退して渡米していた当時、曾我泰久が木野の部屋に遊びに来たことがある。
まずカリフォルニアのディズニーランドまで曾我を迎えに行き、木野が当時住んでいたロサンゼルスの高級アパートに連れてきてからは、アパートに付いているジャグジープールも堪能していった。
- クリス松村の2010年12月13日付けのブログに、クリスと木野のツーショット写真が掲載されている。
- 2018年8月31日、中野サンプラザホールで行われたTHE GOOD-BYEのコンサート「THE GOOD-BYE ANNIVERSARY CONCERT 〜35周年はじめちゃいます〜」に、柳沢超、遠藤直人と共に観に行ったが、予想以上に公演時間が長く、静岡へ帰る新幹線の時間が来てしまったため、木野だけ終演後にグッバイのメンバーに挨拶することが出来なかった。
主な出演作品
※ CHA-CHAとしての出演作は除く。
バラエティ番組
- オールスター夢の球宴・後楽園球場ファイナル (1987年11月24日、フジテレビ・火曜ワイドスペシャル)
-
安田哲、中居正広、渡辺一久との4名で「ジャニーズJr.」として出場。
ポジションはキャッチャーで、田原俊彦と近藤真彦の球を受けた。
収録日は同年11月1日。
- ABCヤングアイドル野球大会 (1988年、ABCテレビ)
-
ポジションは少年隊チームのショート。 但し木野は3回までのイニングしか出場していない。
理由は、野球大会が行われた日の夜に神戸で田原俊彦のコンサートがあったため。
木野は当初、田原から「コンサートまでに疲れて欲しくないから、野球大会には出るな」と言われていたが、ジャニー喜多川は、「野球が得意なYouが居なきゃ話にならないから出ろ」と主張。
そして協議の結果、間を取って「3回まで木野を出そう」という結論になった。
そのため木野は、途中で試合を抜けて一人でハイヤーでコンサート会場に向かう羽目になり、試合後に甲子園の土を記念に持って帰れなかったことを悔やんでいる。 ジャニーからも後日、「Youが居なくなったから盛り上がりに欠けたよ」と言われた。
舞台
- PLAYZONE ’87 TIME・19 (1987年7月3日 - 26日、青山劇場) パンフには非掲載
ラジオ
- ジュン山田の癒しのひと時 〜Heaven Dream〜 (2011年5月14日、6月4日、10月15日、FM八ヶ岳)
- g-sky ふるさとイブニング (2012年11月6日、FM島田)
- WONDER ’69 (2018年9月8日、静岡エフエム) 『田原俊彦論』の著者・岡野誠と共にゲスト出演
CM
- 大井建設株式会社 「健康住宅 0宣言の家」 (2020年4月 - )
-
テレビCMではなく、静岡県島田市の「創作居酒屋ダイニング ZERO」に設置されているデジタルサイネージ画面用の無音CM。
同月28日からは大井建設のYouTubeチャンネルでも公開。
ライブ
- 単独ライブ (2009年10月11日、西焼津・パブ ダンヒル)
- Private Performance Party 「MJK night」
-
(2009年12月12日より定期的に開催。焼津市のクラブ「Club House BIRTH」やスナック「サンゴ礁」など)
- OMOIYARI for フクシマ (2011年6月5日、藤枝蓮華寺池公園内野外音楽堂)
- Disco & Live in Hangar Hall (2011年6月11日、山梨県北巨摩郡昭和町・Hangar Hall)
- 木野正人 クリスタル・リサイタル (2012年1月12日、藤枝・クリスタル)
- Masato Kino solo performance Live 「MJK LEGEND」 (2012年7月より年3回ほどの割合で開催)
- MJK 木野正人 芸能生活30周年記念 30名限定LIVE 「MJK's On Beat On Cristal」
-
(2016年10月16日、11月20日、12月18日、藤枝・クリスタル)
- 木野正人 SUPER LEGEND Side 02 〜今までの30年、これからの30年〜 (2018年4月14日、六本木・morph-tokyo)
- 木野正人 Special Live (2018年9月8日、渋谷・JZ Brat。ファン主催のライブ)
- MJK Solo Performance Live 50 -fifty- (2018年12月16日、藤枝・クリスタル)
- Masato Kino LIVE 『Area 51』 (2019年7月21日、焼津・スナック「サンゴ礁」)
- 2019 平島第一町内会 延命地蔵尊 納涼大会 「木野正人 スペシャルLIVE」 (2019年8月17日、平島ふれあい広場)
- Area 51 Birthday LIVE (2019年12月1日、藤枝・beer hall
GOV ) - 創作居酒屋ダイニング ZERO 2nd Anniversary ダンスディナーショー (2020年2月17日、島田市「創作居酒屋ダイニング ZERO」)
- (Area 51 Live Spring Summer 2020)
-
(2020年6月20日→8月29日に変更、藤枝・beer hall
GOV )
コロナウイルスの感染拡大により8月に変更するも開催中止。 - ライブ (2023年9月30日、静岡・リバティーリゾート久能山)
イベント
- NAACP(全米黒人地位向上協会)イメージ・アワード (1993年)
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マイケル・ジャクソンのダンスをオマージュしたソロのシルエットダンス『MJ History』を録画映像にて披露。
- ビージーズ・ナイト・フィーバー (2001年、主催:ユニバーサル・ミュージック) メインパフォーマンス
- 木野正人. 芸能生活20周年記念パーティー (2006年9月18日、東京・青山)
- Premium V.I.P Party with Michael Jackson (2007年3月8日、新木場・STUDIO COAST) ゲストパフォーマンス
- FAN Appreciation Day with Michael Jackson (2007年3月9日、新木場・STUDIO COAST) ゲストパフォーマンス
- 07 JAPAN EXPO 「ソロパフォーマンス in L.A.」 (2007年12月1日、ロサンゼルス・コンベンション・センター)
- ファンの集い 「木野正人 グリーティングパーティー」 (通称:グリパ。2011年11月 - )
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開催地は、静岡、都内各所、西尾拓美の広尾の韓国家庭料理店「韓屋」、名古屋、鎌倉など。
- Birthday Party & お月見イベント (2012年12月2日)
- THANK YOU MICHAEL JACKSON WE ALL LOVE YOU (2012年12月30日、渋谷・duo music exchange)
- 静岡県警察『110番の日』広報キャンペーンイベント (2015年1月14日)
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CHA-CHAの元メンバー・勝俣州和と共に「一日通信司令官」を務め、静岡市葵区呉服町をパレード。
- MJK 木野正人 芸能生活30周年記念パーティー
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(2016年7月24日、西焼津・ゲストハウス リッチモンド ウェルカムリビング クリストファー)
- 岡野誠とのトークショー
- 1988年のジャニーズ事務所 (2018年7月14日、下北沢「本屋B&B」)
- 1988年〜89年のジャニーズ事務所とテレビ界の変動 (2018年9月16日、下北沢「本屋B&B」)
- MJK木野正人のライブ論 (2018年12月1日、下北沢「本屋B&B」)
- 昭和と平成のジャニーズアイドルは何が違うのか? (2019年4月13日、BOOKSえみたす焼津店)
- ジャニー喜多川氏を語ろう 〜『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018』(青弓社)3刷記念〜 (2019年9月28日、下北沢「本屋B&B」)
- “職業:男性アイドル”の考察とジャニー喜多川氏の果たした役割 〜『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018』(青弓社)3刷記念〜 (2020年2月8日、大阪・Loft PlusOne West)
- 木野正人 岡野誠 トークライブ (2020年3月22日、藤枝の居酒屋「&シュガー+南瓜」)
- (1980年代 ジャニーズ名曲ヒストリー 少年隊・東山紀之から貰ったシャケ・イクラ弁当 〜『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018』(青弓社)発売2周年記念〜) (2020年4月30日、下北沢「本屋B&B」)
-
第8回はコロナウイルス感染拡大の影響により、下北沢でのイベント開催は中止となり、WEBでの有料生配信(4月30日、Zoom)に変更となった。
以上、木野もインタビュー協力した岡野誠の著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018』(青弓社)の刊行記念として、岡野と2人で開催。 7回とも、追加料金を支払った希望者に対してのみ、トークショー後にチェキ撮影会(1枚 1,000円)も開催。 また、3回目の2018年12月1日は、トークショーとチェキ撮影会の後に、追加料金(6,000円)を支払った希望者のみ参加の懇親会が原宿に移動して行われた。
- CHA-CHAを語ろう30年☆彡 (2018年9月8日、渋谷・JZ Brat。ファン主催によるファンの集い)
- ベリーレア企画 VOCAL&DANCEトレーニング公開イベント (2020年2月 - 、藤枝市内)
セミナー、講座
- 運動ゼロでも美しく!体幹の作り方セミナー (2016年9月 - 、SBS学苑 静岡校)
-
長年追究してきたオリジナル理論に基づく、究極の正しい姿勢、歩き方についてのセミナー。
2017年3月からは、ハンディキャップを持つ人たち専用のクラスも設けた。
- 木野流コンディショニング 「真実を探る勉強会 〜Infinitive Real Movements〜」 (2017年1月 - 、藤枝市内)
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理想的な体の使い方、コンディショニングを目指すセミナー。
- 正しい体幹の作り方 ワークショップ (2018年9月24日、2019年3月21日、6月1日、2020年2月23日、池尻大橋CIビル)
-
マクロビオティック日本CI協会主催の特別講座。
- アスリートフォームの実技講習会 (2018年12月22日、静岡市立清水第二中学校)
-
木野がアドバイザーを務める「NPO法人 静岡ベースボールクラブ」の主催。
- 内側から体を動かすレッスン (池尻大橋CIビル。マクロビオティック日本CI協会主催の特別講座)
- 2019年9月16日 - 「美しく立つ・座る」
- 2019年10月14日 - 「健康的に歩く・走る」
- 2019年11月4日 - 「日常の動作を楽にする」
WEB
- 日本ポピュラー音楽協会 (JPMA) オフィシャル・ブログ (2012年10月26日、Amebaブログ) インタビュー掲載
- 静岡新聞NEWS 「私と五輪」コメント (2019年6月4日、YouTube)
- THRILLED BY THE KING vol.1 (予告編:2019年9月15日、本編:9月22日、YouTube)
-
「早稲田マイケル・ジャクソン研究会」所属の大学生・TEMPA MICHAELが制作したダンス&トークムービー。
同年6月の終わりに、足立区五反野の倉庫で撮影された。
- ZEROチャン (2019年12月 - 、YouTube)
- デビュー35周年、「ジャニーズ最強」と評された少年隊の実力 (文:岡野誠、2020年4月26日、NEWSポストセブン) コメント掲載
- 1980年代 ジャニーズ名曲ヒストリー 少年隊・東山紀之から貰ったシャケ・イクラ弁当
〜『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018』(青弓社)発売2周年記念〜 (2020年4月30日、Zoom)
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岡野誠とのトークショー。 有料生配信。 本来は同日に下北沢「本屋B&B」で開催される予定だったが、コロナウイルス感染拡大の影響でWEB配信に変更となった。
- 『ザ・ベストテン』と昭和ポップスの世界 (2020年6月7日、ツイキャス)
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岡野誠とのトークショー。 有料生配信。
- インタビュー記事 「手越会見にジャニーズの先輩「CHA−CHA」元メンバーも疑問 「何を伝えたかったのか」」 (2020年6月24日、AERA dot.)
- インタビュー記事 「長瀬退所にジャニーズの先輩「CHA−CHA」元メンバー「5人の再結成に期待したい」」 (2020年7月23日、AERA dot.)
- 木野正人チャンネル 「食べ放題」
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(2020年10月25日 - 。月額税込み5,100円で視聴できる録画配信。録画は月に4〜5回更新)
ダンス教則ビデオ
- LA STEP Vol.1 〜 MASTER of RHYTHM (1991年、学習研究社、30分)
- LA STEP Vol.2 〜 MASTER of COMBINATION (1991年、学習研究社、30分)
- LA STEP Vol.3 〜 MASTER of CREATION (1991年、学習研究社、30分)
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このビデオシリーズには、ジャニーズJr. (Mr.ミュージック) 時代の友人・中本雅俊も共演。
また、3本とも1992年3月1日にジャケットデザインを大幅に変えて千早書房より『L.A.ステップ』のタイトルで再発売された。
書籍、新聞
書籍
- 田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018 (岡野誠 著、2018年6月25日、青弓社) インタビュー協力
ムック
- 木野正人の着るプレゼントニット 1991秋冬 (1991年、学習研究社)
雑誌
- FLASH (2016年2月9日号、16日号、光文社) インタビュー協力
- 週刊文春 (2016年9月8日号、文藝春秋)
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SMAPの解散に関する記事にインタビュー協力。この記事では他に、柴谷英樹 (東真司)、古川栄司、尾身和樹もインタビュー協力している。
- 女性自身 (2017年9月19日号、光文社)
- 月刊マクロビオティック (2018年8月号、日本CI協会) インタビュー掲載
- ユリイカ (2019年11月臨時増刊号 総特集=日本の男性アイドル、青土社)
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岡野誠が木野についての記事「マイケル・ジャクソンに認められた男」を寄稿
新聞
- 静岡新聞 夕刊コラム 「窓辺」 (2014年7月2日〜9月24日に週一で連載。全13回)
- 産経新聞 コラム 「静岡人語り」 (2015年2月20日、27日、3月6日。全3回)
- 静岡新聞 (2017年3月27日朝刊) SBS学苑でのハンディキャップクラスについての記事
- 静岡新聞 (2018年12月23日朝刊) アスリートフォームの実技講習会の記事
- 静岡新聞 「私と五輪」 (2019年)
- 静岡新聞 (2019年7月10日夕刊) ジャニー喜多川との思い出についてコメント
- 静岡新聞 「賛否万論」 (2021年4月16日朝刊、5月21日朝刊、7月9日朝刊、9月24日朝刊)
外部リンク
- 木野正人 オフィシャルサイト
- 木野正人 Staff - X (旧Twitter)
- きのなおこ - X (旧Twitter) (木野夫人によるツイート)
- 木野正人 Staff - Facebook
- YouTube - [1]、 [2]、 [3]
- vimeo
作成日:2018年7月15日
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