ジャニーズ関連バックバンド
当項目では、過去現在を問わずジャニーズ事務所内に存在したバックバンド、および業務提携での専属バックバンドを取り上げる。
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各個人名の一覧表は「ジャニーズ事務所 バンド関係者一覧」の項目を参照。
通常のグループは「ジャニーズ事務所 歴代グループ」、
ジュニア (旧名:ジャニーズJr.)内の現役グループについては「ジュニア 現役グループ」、
ジュニア内の解散したグループは「ジュニア 解散グループ」、
その他関連グループは「ジャニーズ関連企画ユニット」 ・ 「各ファミリー、総称、構想、俗称ユニット」 ・ 「ジャニーズ関連プライベートユニット」 ・ 「ジャニーズ関連OBユニット」、
ソロタレントなどの一覧は「ジャニーズ事務所 歴代所属者」の項目をそれぞれ参照。
※ グループ結成順
ジャニーズ・ジュニア
「ジャニーズ」のバックバンドとして活動した、最初期のジュニア (旧名:ジャニーズJr.)。
1963年に高校生たちで結成。
メンバーの内、嶺だけは既にジャズ喫茶でプロ活動の経験があり、その際に知り合ったジャニー喜多川に、
「こういうバンドがあるんですけど」と自分のバンドを売り込んだところ、ジャニーがバンドの音を聴きに来てくれた。
当時、ジャニーズは「スマイリー小原とスカイライナーズ」などのフルバンドや、「ブルー・コメッツ」をバックに歌っていたが、ジャニーとしては「同世代のバンドでやりたい」という思いがあったため、「じゃあうちでやらない?」と言われてジャニーズのバックバンドとして採用され、「ジャニーズ・ジュニア」のバンド名を与えられた。
以降は、高校に通いながら、放課後にテレビの歌番組に出たり、ジャズ喫茶などでもライブ活動を行った。
日劇ウエスタン・カーニバルや、テレビ番組『ジャニーズ・ナイン・ショウ』&『ジャニーズ・セブン・ショウ』(日本テレビ)で演奏したり、ジャズ喫茶でライブ活動をしていた。
1966年4月27日公開の日活映画『青春大統領』にも、ライブ演奏のシーンで5名のメンバーがジャニーズと共に出演した。
1966年中に解散。


(上で踊っているのはジャニーズの4名)

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(上の写真はよく見ると4人ともギターを持ってしまっているが、実際は上段左端の人物はベース担当。
また、下段左側のギタリストは、1966年に脱退)

メンバー
- 嶺のぼる (ギター。後の若杉一夫、関山和雄)
- 田中清司 (ドラム)
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後に渡辺プロダクションに所属し、数多くのバンドでプレイした後、スタジオ・ミュージシャンに。
- 西原高泰 (後に「アニメーション」に参加)
- 井上肇
- 清瀬ジュン
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上記の、井上、清瀬のどちらかが1966年に脱退。
- 穂口雄右 (オルガン)
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友人だった田中清司を通じて1963年に一時参加。
後に渡辺プロダクションに所属。「アウト・キャスト」、「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」といったバンドで活動後、作曲家・編曲家に。
サポートメンバー
- 名前不明 (初代タンバリン)
- 松下公次 (後の北公次。 二代目タンバリン)
ハイ・ソサエティー
1966年結成。 詳細はハイ・ソサエティーを参照。
スーパーエイジス
1973年結成。 詳細はスーパーエイジスを参照。
アニメーション
(1974年時)
「ジャニーズ・ジュニア」や「ハイ・ソサエティー」出身のメンバーなど6名で、1973年に結成。
1970年代後半まで、フォーリーブス、 郷ひろみ、 葵テルヨシ、 豊川誕、 JOHNNYS' ジュニア・スペシャルのバックバンドとして活動した。
ドラムの長沢悟が最初に脱退。 その後も脱退やメンバーチェンジが相次ぎ、流動的なグループであった。
メンバー
- 小野義広 (ギター)
- 石川三樹夫 (ベース。後に「石川三樹夫とアウトリガーズ」を結成)
- 小池つとむ (ベース)
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「アポロン」 → 「ロッドサークル」(ボーカル担当)を経てアニメーションに加入。
- 村田勝美 (四代目ドラム)
- 阿部吉剛 (オルガン、ピアノ)
- 脇山剛 (わきやま ごう。オルガン、ピアノ)
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2月12日生まれ。B型。 堀越高等学校、早稲田大学商学部出身。
- 田原謙一 (オルガン、ピアノ)
- 他数名…
脱退メンバー
- 西原高泰 (上記「ジャニーズ・ジュニア」の元メンバー)
- 長沢悟 (初代ドラム)
- 徳永じゅん (二代目ドラム)
- 佐山真市 (三代目ドラム)
サウンド・リーブス
フォーリーブスのバックバンド。
1975年11月30日から1976年1月11日まで行われたコンサートツアー「フォーリーブスとジュニアたち」の第2部「ショウ・アップ・フォーリーブス “嫌い 好き ! !” 〜恋と仕事と友情と〜」にて、上記のバンド「アニメーション」と共に演奏をしたバンド。
メンバー不明
ジョーズ
豊川誕のステージ用バックバンド。 5人編成。 バンド名は、豊川誕の「誕 (じょう)」と、1975年6月20日に公開されたヒット映画『ジョーズ』を掛け合わせて名付けられた。
メンバー
- 村田勝美(ドラム)、小野義広(ギター)、石川三樹夫(ベース)、阿部吉剛(オルガン、ピアノ)、脇山剛(オルガン、ピアノ)
ジョー・ガールズ
豊川誕のステージ用ガールズコーラスグループ。
メンバー不明
ギャングス
1976年結成。 詳細はギャングスを参照。
村田勝美 & ハイクエッチョンズ
1976年3月にレコードデビューするはずだった幻のバンド「クエッション」の名前を使い、田原俊彦の専属バックバンドとして、1979年に「村田勝美 & クエスチョンズ」の名で結成(「クエスチョンズ」だけで表記されることも有り)。
1982年春より松原・曽我が加入。
その後、「村田勝美 & クエスションズ」、「村田勝美 & クエッチョンズ」、更に「村田勝美 & ハイクエッチョンズ」へと改名していった。
メンバー数は6人構成が基本だったが、コンサートの時には十数名のメンバーになった。
なお、1983年4月1日に放送されたバラエティ番組『桜中学大音楽会 〜 金八新八仙八貫八と138名の卒業生達』(TBS)にも、ダブルスと共にバック演奏で出演している (「クエスチョンズ」名義)。
メンバー
- 村田勝美 (リーダー。 ドラム)
- 実川しげる (リードギター)
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じつかわ しげる。 元・実川茂。 愛称:じっちゃん。
- 山本雅史 (キーボード)
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やまもと まさし。愛称:エイトマン。元・バーニングプロダクション所属で、郷ひろみのバックバンド「スーパーJETS」のメンバーだった。
- 脇山剛 (オルガン、ピアノ)
- 松原秀樹 (ベース)(1982年3月のANKH解散時からの加入)
- 曽我泰久 (リズムギター)(1982年3月のANKH解散時からの加入)
- 他多数…
ザ・グレート
フォーリーブスの最後の専属バックバンド。
1977年に行われたコンサートツアー「フォーリーブス Show upコンサート ’77」にて参加。
メンバー不明
APPLE
フォーリーブスのステージ用ガールズコーラスグループ。
1977年に行われたコンサートツアー「フォーリーブス Show upコンサート ’77」にて参加。
メンバー不明
ライターズ
近藤真彦の第1期専属バックバンドとして1980年代前半に活動。
前身は、1979年3月21日にアルバム『HERO'S GIFT』でレコードデビューした本格的なロックバンド「長沢ヒロ&HERO」で、「長沢ヒロ&HERO」のマネージャーが近藤のレコード会社にヘッドハンティングされた関係で、近藤のバックバンドへと招聘された。
バンド名は、当時人気だった沖田浩之のあだ名が“ヒロ”だったため、「ヒロ」と「HERO」で被ってしまうということで、社長のジャニー喜多川が「“マッチ”だから、“ライター”にしちゃいなよ!」の一言で「ライターズ」となった。
なお、『たのきん後楽園コンサート −5万人大集合!真夏の祭典−』(1981年、日本テレビ)に出演時は、「ライダーズ」と誤植された。
メンバー
- 牧野哲人 (バンドリーダー。 リードギター)
- 長沢ヒロ (ベース)
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本名:長沢博行。1950年7月31日・新潟市生まれ。 「あんぜんBAND (安全バンド)」→「森園勝敏 with BIRD'S EYE VIEW」→「長沢ヒロ&HERO」出身。 東洋大学卒業。
1985年には近藤の曲『ヨイショッ!』、1986年には少年隊の『ダイヤモンド・アイズ』を作曲した。
- 吉田建 (リズムギター)
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愛称:ケンちゃん。1949年11月21日生まれ。吉田は普段はベーシストだが、このバンドではリズムギターを担当した。
- 伊藤真視 (ドラム)
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いとう まさみ。
旧芸名:伊藤まさみ。
1960年5月8日生まれ。足立区出身。A型。愛称:マサミ。「長沢ヒロ&HERO」出身。
- ホッピー神山 (キーボード)
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本名:神山暁雄。 1960年2月22日生まれ。 「長沢ヒロ&HERO」出身。
ライターズを脱退後、爆風スランプの母体となるファンクバンド「爆風銃 (バップガン)」に参加。 1983年初頭からは近田春夫率いるヒップホップビッグバンド「ビブラトーンズ」にも並行して加入 (1984年1月解散)。 更に同年後半にはロックバンド「おPINK兄弟」も並行して結成したが、同年中にバンド名を「PINK」に改名し、翌1984年6月21日にシングル『砂の雫 c/w HINEMOSU』でレコードデビューした。
ダブルス
近藤真彦の第2期専属バックバンドとして1984年まで活動し、日本武道館コンサート(1984年)などを盛り上げた。 バンドの解散時には、「解散しないで欲しい」というファンたちの署名が1万人分も集まった程の人気があった。
なお、1983年4月1日に放送されたバラエティ番組『桜中学大音楽会 〜 金八新八仙八貫八と138名の卒業生達』(TBS)にも、クエスチョンズと共にバック演奏で出演している。
第1期メンバー
- 牧野哲人 (バンドリーダー。 リズムギター)
- 甲斐完司 (リードギター)
- 津野剛司 (ベース。 後のつの ごうじ)
- 柿崎洋一郎 (キーボード)
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愛称:カキちゃん、カキやん。 1959年3月7日生まれ。東京都出身。B型。
[1]
- 伊藤真視 (ドラム)
第2期メンバー
- 牧野哲人(バンドリーダー。 リズムギター)、甲斐完司(リードギター)、伊藤真視(ドラム)
- 寺坂英人 (ベース)
- 田口智治 (キーボード)
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たぐち ともはる。愛称:チューさん。1960年10月27日生まれ。東京都足立区出身。B型。
二人兄弟の次男。 1984年から「C-C-B」のメンバーに。 C-C-Bの解散後は、「THE C-C-BYE」や「ヨネタワタル」などに参加した。
第3期メンバー (1984年)
- 牧野哲人 (バンドリーダー。 リズムギター)
- 瀬戸谷芳治 (キーボード)
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せとや よしはる。愛称:セットン。1959年生まれ。大阪市東住吉区出身。大阪市立中野中学校、大阪府立東住吉高校卒業。
中学時代はバレーボール部の部長だった。
- 甲斐完司(リードギター)、寺坂英人(ベース)、伊藤真視(ドラム)
シブ楽器隊
1983年8月にリリースされたシブがき隊のシングル『Hey!Bep-pin』以降、シブがき隊の専属バックバンドとして活動。 当初のバンド名は、リーダーの龍野茂が設立していた会社名と同じで「ララバイ」という名前だった。
「シブ楽器隊」という新しいバンド名は、一部ではジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川が命名したものだと言われていたが、実際は1984年の夏に、飲み会の席で布川敏和が思いつきで言った一言で決まったものだった。そして翌日のコンサートですぐに発表され、改名となった。
結成時のバンドメンバーは6名だったが、入れ替えや補強などかなり流動的で、最終的には15名近くのメンバーが参加した。 2人居た女性コーラスは、ファンの間で「コーラス姉ちゃん」と呼ばれていた。
なお、シブがき隊の解隊コンサートにて、感極まった布川敏和から楽器隊のメンバー紹介を忘れられてしまったという悲しいエピソードを持つ。
シブがき隊の専属バックバンドでありながらも、途中で芳本美代子、後期には光GENJIのバックバンドとしても活動していた。
また、2007年3月29日放送のフジテレビ『とんねるずのみなさんのおかげでした』内の企画「第10回 博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」にて、いとうあさこが、「張り切りすぎて、シブがき隊より目立ってしまうバックバンドのシブ楽器隊」のタイトルで、シブ楽器隊のものまねをしている。
メンバー
- 龍野茂 (リーダー。 リードギター)
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愛称:タッチン、タッチン社長。 『月刊平凡』(1983年10月号)にて、シブがき隊のページに龍野も掲載。 後に父親の会社を継ぎ、一時は焼鳥店も経営していた。
- 甲斐完司 (リードギター)
- 吉沢賢一
- 黒河孝弘 (二代目リズムギター)
- 葛口雅行 (ベース)
- 原田幸盛 (キーボード)
- 村田〇〇 (キーボード、サックス。 愛称:ちゃいちー。由来は小柄だったから)
- 近藤裕信 (前崎とのWキーボード。 愛称:コンちゃん。後に南野陽子などをサポート)
- 前崎史郎 (近藤とのWキーボード)
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まえざき しろう。愛称:ゴローちゃん。由来は野口五郎に似ていたため。
1987年からはバンド「remote」のメンバーに。
更にその後は、元「LINDBERG」の川添智久らとバンド「Zen-4」を結成。
また、川上シゲとチャッピー武田の「Tacker's」のサポートも行っている。
[1]
- ?? (初代ドラム)
- 近沢〇〇 (二代目ドラム。 愛称:タイガー)
- 小森啓資 (三代目ドラム)
-
こもり けいすけ。愛称:マンちゃん。1964年7月5日生まれ。
後に大江千里のバックや、「クライズラー&カンパニー」の後期のサポートドラマー、更には是方博邦率いる「野獣王国」や、プログレッシブ・ロックバンドの「KENSO」などで活動。 - 山本雄一 (四代目ドラム)
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1987年の『反逆のアジテイション』から参加。 愛称:山ちゃん。 後に葛城ユキのバックや、ドラムの講師になった。
- BON新村 (パーカッション)
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愛称:ボンちゃん。シブがき隊のシングル曲『喝!』の時から加入。
- 倉富義隆 (サックス)
-
1962年生まれ、福岡県出身。 後に、小比類巻かほるや矢沢永吉のアレンジ、サポートなどで活動。
また、堂本剛のバックバンド「SC△LE」にも参加した。
- 波田野直彦 (トランペット。1960年生。東京音楽大学 音楽学部音楽学科 器楽専攻卒業)
- 遠藤由美 (コーラス。 愛称:ユミ姉。リーダーの龍野の恋人)
- 市川ゆかり (コーラス)
- 他数名
D.W.B.2
ディー・ダブリュ・ビー・ツー。 田原俊彦の第2期専属バックバンド。 D.W.B.2とは「Dancing With Big Boys」の略で、1984年5月から1988年まで田原のバックに付いた。
メンバー不明
YAMATO
近藤真彦の第3期専属バックバンドとして1984年後半から活動開始。
また、1994年3月〜4月に行われた諸星和己の初ソロツアーにも付いた。
バンド名の由来は、近藤が神奈川県大和市出身だったことと、近藤の好きだった矢沢永吉が、横浜で最初に作ったバンドの名前が「YAMATO」だったから。
バンド自体の所属は、ジャニーズ事務所ではない。 メンバーは非常に流動的で、少なくとも6期以上に渡る。
メンバー
- 中西哲郎 (初代リードギター)
-
なかにし てつお。 1961年2月25日生まれ。埼玉県浦和市出身。 1985年にYAMATOメンバーオーディションに合格して加入。
[1]
- 古屋雅之 (初代リズムギター)
- 小林涼 (二代目バンドリーダー。二代目ギター。1985年10月リリースの『大将』より参加)
- 甲斐完司 (リードギター)
- 牧野哲人 (リズムギター)
- 村岡ふみのり (漢字不明。ギター)
- 宮崎禎男 (ギター)
- 宮田耕希 (ギター)
- 佐藤誠 (ギター)
- 加賀谷文靖 (初代ベース。 後に浅香唯や南野陽子などをサポート)
- 依知川伸一 (二代目ベース。 1985年10月リリースの『大将』より参加)
- 瀬戸谷芳治 (初代キーボード。1988年頃まで度々YAMATOに参加)
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後に種市 弦(1994年から)、佐藤アツヒロ、加山雄三、谷村新司などをサポート。
2010年代には宇都美慶子のバックを務める(ドラムは長沢悟)。
- 石川龍太郎 (キーボード。 1985年10月リリースの『大将』より参加)
-
いしかわ うたろう。 後のUTARO(うたろう)。 1960年4月27日生まれ。
横浜市出身。 元「L♂♀VE(ラヴ)」のメンバー。
石川ひとみのバックバンドを経てYAMATOに参加。 YAMATOの後は、元「キャロル」の内海利勝らと「SOUL5」を結成。 - 吉田明彦 (トランペット、キーボード、パーカッション)
- 野崎洋一 (愛称:ヨウイチ。 キーボード)
- 那須仁 (キーボード)
- 鎌田雅人
- 伊藤真視 (初代バンドリーダー。初代ドラム)
- 平石正樹 (二代目ドラム。 1985年10月リリースの『大将』より参加)
- 石井大作 (サックス)
- 金山徹 (キーボード、サックス。1991年からの参加)
- 望月誠人 (トロンボーン。1988年から1992年まで参加)
- 直井秀樹 (コーラス)
BOYZ

旧名:BOYS。 別名:金山徹とBOYZ。 少年隊の専属バンドで、少年隊がレコードデビューする前から付いていた。 バンド名はジャニー喜多川が命名。 1988年春にメンバーを3名増加させた際に、BOYSからBOYZに改名。 メンバーは流動的で、30名以上ものメンバーが参加している。 アイドル雑誌『Duet』の1988年5月号では、8名のメンバーが紹介されている。
なお、2022年10月1日&2日には、錦織一清&植草克秀のコラボディナーショーにてBOYZの面々が久々に集結し、バックバンドを担当。
参加メンバー
- 金山徹 (2代目リーダー。サックス、パーカッション、キーボード。愛称:かなぴー)
- ギター
- 甲斐完司
-
リードギター。 後に尾崎豊のバンクバンドを経て、「KANJO」を結成。
また、依知川伸一もメンバーの「The Boso Rockers」に参加したり、「D-51」のサポートも担当。
なお、尾崎豊が亡くなる前日に一緒に酒を飲んでいた人物でもある。
- 古川望 (ふるかわ のぞみ。1959年5月14日生まれ。大阪府出身。大阪市立工芸高校卒業)
- 牧野哲人 すなちゃん 清水一雄(87年、88年、90年のツアーに参加。[1]) 入江宏冶 宮越智也 佐藤誠
- 甲斐完司
- ベース
- 寺坂英人(初代リーダー)、岩城望、早川司
- ドラム
- キーボード
- 工藤健(後のPenny-K。[1])、直井美輝彦(なおい みきひこ)、北村仁志、丹野義昭、鈴木正将(すずき ただすけ)、水野久興、醍醐ひろみ(本名:醍醐弘美)
- パーカッション
- 船越敬司 (パーカッション。 愛称:KG。ジャニーズタレントの作詞・作曲をはじめ、洋楽の訳詩なども行う)
- Ken Keng (1959年生まれ。神戸市出身。B型。[1])
- 石川雅康
- コーラス
- トロンボーン
- 望月誠人 (1990年の少年隊のコンサートツアーに参加)
(光GENJIのバックバンド)
光GENJIのコンサート用に、ジュニアのメンバーによって臨時で組まれた即席バックバンド。 いずれも実際に演奏はしておらず、あくまで楽器を持って当て振りをするだけだった。 そのため、バンド名も特に無かった。
1988年夏のコンサートツアー時のメンバー
3名ともSMAPの前身グループ「スケートボーイズ」の出身者。- 東昌孝(ベース)、岩佐克次(ギター)、岡田賢一郎(キーボード)
1992年5月の横浜アリーナ時のメンバー
- 佐野瑞樹(サイドギター。光GENJIのバックバンドに参加するのはこれが2度目)、前村友和(ベース)、星英徳(キーボード)
THE NICE
田原俊彦の第3期専属バックバンド。 1988年後半から田原のバックに付いた。
メンバー不明
JURIA
下記「TOKIO BAND」の前身となるバンド。
「平家派」の中から、1988年12月26日〜28日の大阪城ホールでの光GENJIのウィンターコンサート用に臨時で組まれた即席バックバンド。
実際には演奏しておらず、あくまで楽器を持って当て振りをするだけのバンドだった。
当初はバンド名が無かったが、翌1989年より城島が自分でバンド名を命名した。
城島の「J」、山口の顔が「瓜っぽい」とのことで「URI」、そして朝倉の「A」というのが由来。
メンバー
TOKIO BAND
1989年4月より、テレビ朝日『アイドル共和国』にて「城島茂バンド」(通称:ジョーバンド)の名前で結成。光GENJIやSMAPのバックを務める。
前身バンドは上記の「JURIA」。
やがてジャニー喜多川から、「海外でもすぐに日本のバンドだと分かってもらえるように」とのことで、正式に「TOKIO BAND」と命名される。
そして、光GENJIのコンサートや、少年隊ミュージカル『PLAYZONE ’89 Again』にも演奏で参加した。
一方で、1990年4月に城島をリーダーとするアイドルグループ「TOKIO」が結成される。
しばらくの間は「TOKIO BAND」と「TOKIO」、2つのユニットが同時に存在していたが、翌1991年に城島がジャニーに交渉したことで、山口も晴れて「TOKIO」のメンバーとなり、「TOKIO BAND」の方は消滅。
これにより、それまでただのアイドルユニットだった「TOKIO」はバンドグループとなり、1994年9月21日にCDデビューを果たした。
メンバー
- 城島茂 (リーダー。 リードギター)
- 山口達也 (ベースギター)
- 渡辺一久 (リズムギター)
- 大嶌忍、ほか (当て振りドラム。メンバーは流動的)
候補メンバー
- 関裕通 (ドラム候補)
LiVeral
リベラル。 田原俊彦の第4期専属バックバンド。 1989年から田原のバックに付いた。
メンバー不明
Shima-Uma-Horns
少年隊専属のブラスセクションで、1989年〜1991年に付いていた。 バンド名は、上記「BOYZ」のリーダー・金山徹が命名。メンバーは流動的。
参加メンバー
- 有沢健夫(トランペット)、木村葵(トランペット)、五反田靖(トランペット)、望月誠人(トロンボーン)、野村裕幸(トロンボーン)
DOUBLE‘T’& THE THRILL HORNS
ダブル・ティー・アンド・ザ・スリル・ホーンズ。 田原俊彦の第5期専属バックバンド。
メンバー不明
NEWS
ニュース。 SAY・Sの1993年夏のコンサートツアー用に、4名のジュニアで結成されたバックダンサー 兼 バックバンド。
(ちなみに同年春のSAY・Sコンサートのバックダンサー 兼 バックバンドはTOKIO。バンド演奏時には十倉太一もサポート参加)
NEWSは、実際には演奏しておらず、あくまで楽器を持って当て振りをするだけのバンドだったが、コンサートの中では1曲だけ、NEWSの持ち歌コーナー(少年隊の曲のカバー)もあった。
バンド名の命名者は社長のジャニー喜多川。
大嶌忍がアルファベットの「E」の役を担えたのは、「嶌」の字の上の部首が、「E」を寝かせたように見えることから。
メンバー
- N - 長野博 (ベース、キーボード)
- E - 大嶌忍 (ドラム)
- W - 渡辺一久 (ギター)
- S - 坂本昌行 (ギター)
Yoshio Band
1996年2月21日に、近藤真彦がシングル『ミッドナイト・シャッフル』を発表した際、野村義男がリーダーを務めたバックバンド。 近藤の1996年冬、夏のツアー、各歌番組、年末のNHK紅白歌合戦にてバックを務めた。 ただし、番組によっては、当バンドではなく下記の「ORANGE VOX」がバックを務める場合もあった。
メンバー
- 野村義男(ギター、バンドリーダー)、渡辺英樹(ベース)、平石正樹(ドラム)、田口智治(キーボード)
ORANGE VOX
近藤真彦の1996年夏のコンサートツアーにて、上記の「Yoshio Band」と共にバックを務めたバンド。 また、同年に近藤が出演したテレビの歌番組では、当バンドが単独でバックを務めたこともあった。
メンバー
- 宮原学(ギター)、森泉アリ(ベース)、Eric Zay(ドラム)
スマ楽器隊
SMAPの専属バックバンド。 1997年夏のSMAPのコンサートツアー「ス」より活動を開始。
メンバー
- 中井正剛 (ドラム)
- 渡辺こうすけ (ギター&ベース)
- 鈴木正将 (キーボード。後のただすけ)
- 船越敬司 (サックス&パーカッション)
- 宮田耕希 (ギター。2002年には堂本剛、2006年2月14日からは近藤真彦のバックも担当)
- 金山徹 (テナーサックス、ブルースハープ、ブラスアレンジ。1999年7月〜9月と、2000年10月〜11月に参加)
センチュリー・ロックンロール・オーケストラ・バンド
2000年前後に年末のディナーショーを中心に活動していたバンド。特に明確なバンド名は無く、その時々で適当な名前を冗談半分に名乗っていた。「センチュリー・ロックンロール・オーケストラ・バンド」という名前もその中の一つに過ぎない。 メンバーも毎回流動的であり、その全てを把握する事は不可能な、非常にグレーゾーンのバンド。
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当時のディナーショー
- 赤坂晃 (1998年 - 2002年の各12月)
- 佐藤アツヒロ & 山本淳一 (1998年 - 2000年の各12月)
- 佐藤アツヒロ (2001年12月)
- 20th Century (2001年12月21日 - 2002年1月6日)
参加メンバー
- 望月誠人、渡辺尚仁、山崎文一朗、金山徹、他多数・・・
Red Pit Viper
バンド名の和訳は「赤マムシみたいな」。 略称は「RPV」。
堂本剛が2002年から開始したソロ活動に併せて結成。
2002年の堂本のファーストLIVEツアー『LIVE ROSSO E AZZURRO』にて、
「FiXe」と共にバックを務めた。
メンバー
- 牧野哲人 (バンドリーダー。 ギター&コーラス)
- 宮田耕希 (ギター)
- 寺坂英人 (ベース)
- 山崎文一朗 (キーボード。愛称:文ちゃん)
- 宮崎裕介 (キーボード)
- 関慶和 (ドラム)
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「FULTA Band」(1998年結成)や「BE- BROTHERS」のメンバー。
RPVの後は、宮崎裕介らと「FUNKY STUFF」を結成。
- 浅野房子 (コーラス)
- Tee (コーラス)
Fuke-Cen Band
フケセン・バンド。 V6、および20th Centuryの専属バックバンド。 旧バンド名「フケセン商会」。
第1期メンバー (2003年)
- 牧野哲人(バンドリーダー。 ギター、コーラス)、船越敬司(パーカッション、コーラス)、
中井正剛(ドラム)、本杉光司(ベース。愛称:こうちゃん)、山崎文一朗(キーボード)
第2期メンバー (2005年11月 - 12月)
- 入江宏治(ギター)、宍倉聖悟(ギター、「rockwell」のメンバー)、山崎文一朗(キーボード)、
土屋英範(キーボード)、本杉光司(ベース)、中井正剛(ドラム)、
柳田謙二 (パーカッション。2006年2月14日の1日のみ近藤真彦のバックも担当)
Zuckey Horns
望月誠人(愛称:づっきー)がリーダーを務める“サポートホーンセクション”で、担当アーティストによっては若干のメンバーチェンジがある。
V6、および20th Centuryのバックに付く時は上記「Fuke-Cen Band」、
そしてTOKIOのコンサートに付く時は下記「SPA Strings」と共に活動。
また、ジャニーズ以外にも松浦亜弥のコンサートツアーをサポートした。
20th Centuryのコンサートツアー
2003年4月 - 6月
- 望月誠人 (リーダー。 トロンボーン、コーラス)
- 渡辺尚仁 (トランペット、コーラス)
- 大堰邦郎 (おおぜき くにお。愛称:クニオ。サックス、コーラス)
2008年3月 - 5月
- 望月誠人、渡辺尚仁、大堰邦郎
2009年2月 - 5月
- 望月誠人、渡辺尚仁、大堰邦郎
V6のコンサートツアー
2005年11月 - 12月
- 望月誠人、渡辺尚仁、大堰邦郎
TOKIOのコンサートツアー
2004年9月
- 望月誠人、渡辺尚仁、田中基博(トランペット)、小林哲雄(サックス)
2005年2月 - 3月
- 望月誠人、渡辺尚仁、大堰邦郎
(この他、「Zuckey Horns」のメンバーではないが、中井正剛もパーカッションでツアーに参加)
2006年2月 - 3月
- 望月誠人、渡辺尚仁、田中基博、大堰邦郎
(この他、「Zuckey Horns」のメンバーではないが、福田敬司〔ふくだ ひろし。1970年9月4日生。岡山県出身〕もマニピュレーター〔シンセサイザー〕でツアーに参加)
2008年3月&8月
- 望月誠人、渡辺尚仁、遠山拓志(トランペット)、村瀬和広(サックス)
2009年9月 - 10月
- 望月誠人、渡辺尚仁、阿久澤一哉(トランペット。[1])、大堰邦郎
近藤真彦のコンサート
2006年2月
- 望月誠人、佐久間勲(トランペット)、小林哲雄
2007年2月
- 望月誠人、佐久間勲、村瀬和広
2008年2月
- 望月誠人、佐久間勲、渡辺尚仁、村瀬和広
2010年2月
- 望月誠人(トロンボーンだけでなく指揮も担当)、佐久間勲、渡辺尚仁、牧原正洋(トランペット)
- 宮内岳太郎、霜田裕司、朝里勝久の3名はトロンボーン
- 向井志門、副田整歩(そえだ なおむ)、村瀬和広、長島一樹の4名はサックス
嵐の国立競技場コンサート
2008年9月
- 望月誠人、渡辺尚仁、小出儀嗣(トランペット)、横山知子(サックス)
(この他、「Zuckey Horns」のメンバーではないが、福田敬司〔ふくだ ひろし〕もマニピュレーター〔シンセサイザー〕で参加)
(松浦亜弥のコンサートツアー)
2006年9月 - 11月
- 望月誠人、渡辺尚仁、森宣之(サックス)
Chocolate Dandy's
上記「Fuke-Cen Band」の第1期メンバーと、「Zuckey Horns」とが合体し、2003年に結成。
愛称:チョコダン。
オリジナル楽曲とカバー曲、更にはギャグも織り交ぜた、センスあるライブを行っていた。
2008年にはこのメンバーで、20th Centuryのコンサートツアーに5年振りに参加した。
翌2009年、若干のメンバーチェンジを経て、「ハニーボーイズ」に改名。
しかし、2011年11月18日に行われた望月誠人の追悼ライブにて、再び「Chocolate Dandy's」としてステージに立った。
メンバー
- 牧野哲人 (バンドリーダー。 ギター、ボーカル)
- 船越敬司 (パーカッション、ボーカル)
- 本杉光司 (ベース)
- 山崎文一朗 (キーボード)
- 中井正剛 (ドラム)
- 望月誠人 (トロンボーン、コーラス)
- 渡辺尚仁 (トランペット、コーラス)
- 大堰邦郎 (サックス、コーラス)
サポートメンバー
- 竹原智明 (ボーカル)
SPA Strings
TOKIOのコンサートにおける弦楽四重奏団。 上記の「Zuckey Horns」と共に活動。 メンバーは全員女性。
メンバー
- 2005年2月 - 3月
- 中村備生(なかむら そのう)、鈴木順子、桑原晴子 (以上、バイオリン。3人で交替制)
- 高山裕子、津森奈保子 (以上、チェロ。2人で交替制)
- 諏訪有香(バイオリン)、田中詩織(ビオラ)
- 2006年2月 - 3月
- 中村備生(バイオリン)、諏訪有香(バイオリン)、田中詩織(ビオラ)、高山裕子(チェロ)
- 2008年3月
- 浅井眞理 (バイオリン)
-
浅井はTOKIOの他にも、近藤真彦、KinKi Kids、嵐、山下智久のライブにも参加している。
また、バイオリニストの渡邉麻衣と共に「MuM」というユニットも組んでいる。
[1]
- 羽純(はすみ。本名:関野羽純。バイオリン)、田中詩織(ビオラ)、友納真緒(とものう まお。チェロ)
- 浅井眞理 (バイオリン)
- 2008年8月
- 浅井眞理(バイオリン)、納富彩歌(のうとみ あやか。バイオリン)、田中詩織(ビオラ)、友納真緒(チェロ)
SC△LE
スケール。 堂本剛のソロファンクプロジェクト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」、「244ENDLI-x」の専属バックバンド。 2006年結成。
参加ライブ日程は、2006年3月19日 - 5月21日、7月5日 - 8月20日、9月20日 - 10月29日 (以上、横浜公演)。
2007年2月23日 - 3月4日 (仙台公演)。
同年3月16日 - 6月25日 (お台場公演)。
2008年3月29日 - 5月26日 (全国ツアー)。
堂本が率いる2018年春結成のファンクバンド「.ENDRECHERI. (旧表記:ENDRECHERI)」とは別。
メンバー
- ギター
- 西川進 (2006年3月19日 - 2008年5月25日)
- 名越由貴夫 (「轟音」のメンバー。2006年4月5日 - 2008年5月26日)
- 竹内朋康 (「マボロシ」のメンバー。2006年7月19日 - 2008年5月26日)
- ベース
- ドラム
- キーボード&バンドマスター
- 十川知司 (そがわ ともじ。2006年3月19日 - 2008年5月26日)[1]
- サックス
- 竹野昌邦 (2006年3月20日 - 2008年5月26日)
- 倉富義隆 (元「シブ楽器隊」のメンバー。2008年3月29日、30日)
- トランペット
- YOKAN (本名:水江洋一郎。2008年3月29日 - 5月26日)
- トロンボーン
- 小坂“サスケ”武巳 (2006年3月19日 - 2008年5月26日)
- 佐藤洋樹 (2007年3月18日 - 2008年3月30日)
- パーカッション
- Steve Eto (2006年3月19日 - 2008年5月26日)
- 山口とも (2008年4月11日、29日)
- レナード衛藤 (2008年4月19日、20日)
- コーラス
- TAMA (2006年3月19日 - 2008年5月26日)
- 浦嶋りんこ (2006年4月12日 - 2008年5月8日)
- CHAKA (元「PSY・S」のメンバー。2006年3月19日 - 2008年5月26日)
- ダンサー
- SARO (サーロ。本名:横山禎大。タップダンサー。2008年3月29日)
- 白河直子 (「H.ART CHAOS(読み方はH・アール・カオス)」のメンバー。2008年4月7日、8日)
- TADAKO、TOMOMI、AJU (以上3名は2008年3月29日 - 5月26日)
- YOCK、KIN、MAYUMI、SAYU、SAORI、RISA、AKEY (以上7名は2008年3月29日 - 5月8日)
脱退メンバー
- ギター
- 知野芳彦 (ちの よしひこ。2006年3月19日 - 20日) 中村修司(2006年3月22日 - 5月15日)
浜口高知 (はまぐち たかとも。愛称:はまげ。2006年7月26日 - 2007年3月31日)
會田茂一 (あいだ しげかず。2006年8月7日 - 19日)
- 知野芳彦 (ちの よしひこ。2006年3月19日 - 20日) 中村修司(2006年3月22日 - 5月15日)
- ベース
- 種子田健 (たねだ たけし。2006年4月5日 - 5月1日)
- ドラム
- 大久保敦夫 (2006年3月19日 - 10月15日) 吉田太郎(2006年4月8日 - 12日)
- 江口信夫 (愛称:エロリン。元「男闘呼組」のサポートドラマー。2007年6月25日の特別ゲスト)
- サックス
- 庵原良司 (いはら りょうじ。2006年3月19日 - 2007年5月19日)
- トランペット
- 下神竜哉 (愛称:しもちゃん。2006年3月19日 - 2007年6月25日)
- トロンボーン
- 鹿討奏 (しかうち かなで。本名:同じ。男性。2006年7月6日 - 30日)
- パーカッション
- 坂井秀影 (2006年4月5日 - 25日)
- 柳田謙二 (「Fuke-Cen Band」出身。2006年4月27日 - 10月21日)
- コーラス
- 伊藤サチコ(2006年3月19日 - 5月18日) 小田原友洋(2006年3月19日 - 8月20日)
正井千尋(2006年3月19日 - 5月21日) TOKO(本名:吉川智子。2006年3月25日 - 4月23日)
松本優香(2006年4月12日 - 2007年6月25日) 坪倉唯子(2006年7月6日 - 22日)
- 伊藤サチコ(2006年3月19日 - 5月18日) 小田原友洋(2006年3月19日 - 8月20日)
- マニピュレーター (シンセサイザー)
- 鹿島邦裕 (2006年3月19日 - 2007年6月25日)
マッキーズ
2006年の堂本光一のソロコンサート
『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006“mirror” 〜The Music Mirrors My Feeling〜』
でのバックバンドとして結成。
前回の堂本のソロコンサート(2004年)は、生演奏ではなく、ジュニアがカラオケに合わせて当て振りするだけの状態だったため、このコンサートでは演奏力のあるメンバーが集められた。
リハーサルの段階ではまだバンド名が無く、堂本からは“バンドさん”と呼ばれていたが、
初日の本番前になって「そう言えばバンド紹介の時の名前が無い!」ということになり、
音楽監督の牧野哲人(愛称:マッキー)がメンバーを集めたバンドだったため、急遽「マッキーズ」と命名された。
2007年4月11日には、大浦たすくを除く3名に新たにボーカルとギターを加入して、5人組バンド「Cinderella Knight」に生まれ変わり、
同年6月17日に原宿アストロ・ホールにてステージデビュー。
更に2008年1月1日には「Venomstrip (ベノムストライプ)」へと改名し、同年にCDアルバム『Venomstrip』にてインディーズデビューした。
[1]、
[2]
マッキーズのメンバー
- 大浦たすく (TSK。本名:大浦佑。ギター。「Cinderella Knight」へは参加せず)[1]
- 村山☆潤 (Jun。キーボード)
- 小松崎健太 (Kenta。ベース)
- 山崎慶 (Kei。ドラム)
Cinderella Knight以降の追加メンバー
- 清水祥 (Shou。ボーカル、ギター)
- 粂絢哉 (くめ じゅんや、Junya。ギター)
ハニーボーイズ
2009年結成。 20th Centuryのバックバンド。
2009年の20th Centuryのコンサートツアータイトル「HONEY HONEY HONEY」を元に付けられた。
バンドの呼び名は、遠征地方によって「東京ハニーボーイズ」や「大阪ハニーボーイズ」、「名古屋〜」、「東北〜」など、その都度変更される。
「Chocolate Dandy's」を前身とする、精鋭揃いのバックバンド。
メンバー
- 望月誠人 (バンドリーダー、トロンボーン、シンセ、コーラス)
- 船越敬司 (パーカッション、コーラス)
- 本杉光司 (ベース)
- 宍倉聖悟 (ギター、コーラス)
- 北沢さとる (ギター、コーラス)
- 山崎文一朗 (キーボード)
- 中井正剛 (ドラム)
- 渡辺尚仁 (トランペット、コーラス)
- 大堰邦郎 (サックス、フルート、コーラス)
バンドーズ
2012年に行われたKAT-TUNのコンサートツアー「LIVE TOUR 2012 Chain」のバックバンド。 後に大内と岸田は、KAT-TUNを脱退した田中聖と共にロックバンド「INKT (インク)」を結成した。
メンバー
- 大内慶 (ギター)
- 土屋浩一 (ギター)
- 岸田勇気 (キーボード)
- KENTA (本名:小松崎健太。ベース。「Venomstrip」、「LAST MAY JAGUAR」のメンバー)
- 青山英樹 (ドラム)
参加バンド不明者
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