ジュニア 解散グループ
当項目では、ジャニーズ事務所に所属するジュニア (旧名:ジャニーズJr.)の中に存在した過去のグループを取り上げる。 「コンサート用、舞台用に結成された期間限定ユニット」も、当項目に記載。(但し『ジャニーズカウントダウンコンサート』内での1日限定の企画ユニットは「ジャニーズ関連企画ユニット」に記載)
-
なお、ジュニアの個人名の五十音検索は「ジュニア 一覧」、
Jr.内の現役グループについては「ジュニア 現役グループ」、
Jr.以外の通常グループは「ジャニーズ事務所 歴代グループ」、
ソロタレントなどの一覧は「ジャニーズ事務所 歴代所属者」、
バックバンドグループは「ジャニーズ関連バックバンド」、
期間限定もの、テレビ番組内、雑誌内で組まれた企画ものは「ジャニーズ関連企画ユニット」、
その他関連グループは「ジャニーズ関連プライベートユニット」 ・ 「各ファミリー、総称、構想、俗称ユニット」 ・ 「ジャニーズ関連OBユニット」の項目をそれぞれ参照。
※ グループ結成順。
目次の★印は、関西ジュニアのメンバー“のみ”で結成されたユニット。
ジューク・ボックス
正確にはユニットではなく、1969年初頭頃からジュニア全体に対して使われていた別称。
しかし同年後半に、ファンに対して行われたJr.の人気投票で上位6名が選抜され、同じ「ジューク・ボックス」名義で正式にグループ化され、翌1970年10月10日にレコードデビューした。
ジューク・ボックス・ジュニア
正確にはユニットではなく、1969年末から1973年5月4まで、ジュニア全体に対して使われていた別称。
「ジャニーズ・ジュニア (第1期生)」、
「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル」、
「メッツ」の前身に当たる。
この「ジューク・ボックス・ジュニア」名義では、以下の作品などに出演した。
- 1971年8月のミュージカル 『少年たちシリーズ第5作 ~ フォーリーブス・ミュージカル 明日なき友情』
- 1971年12月~1972年3月のミュージカル 『少年たちシリーズ第6作 ~ フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ!』 (1971年10月の初演と、1972年4月以降の「ロッテであいまショー」公演には不参加)
- 1972年12月のミュージカル 『フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』 (出演したのは小坂まさる、板野俊雄、山縣孝良、鳥越晃の4名)
- 郷ひろみの看板バラエティ番組『ひろみと共に』(テレビ東京。毎週金曜正午からの30分番組。1972年12月より郷のアシスタントとしてレギュラー出演開始)
ジャニーズ・ジュニア (第1期生)
1973年結成。 俗称:9人ジュニア。 詳細は「ジャニーズ・ジュニア (第1期生)」の項目を参照。
リトル・リーブス
1974年4月1日結成。 詳細は「リトル・リーブス」の項目を参照。
ジュニア・スペシャル
1974年夏結成。 詳細は後身ユニット「JOHNNYS' ジュニア・スペシャル (JJS)」の項目を参照。
ジャニーズ・ジュニア・エース
別表記 「ジャニーズ・ジュニアA」 (読み方は同じ)。 1974年10月結成。 翌11月に崩壊。 「メッツ」の前身。 詳細は「ジャニーズ・ジュニア・エース」の項目を参照。
ザ・ニュース
1974年秋に、「ジャニーズ・ジュニア 第3期生」の中の4名で結成。
結成時のグループ名は「ジャニーズ・ジュニア 中2コース (別名:花の中2カルテット、中学2年生ジュニア)」だった。
1975年3月28日~31日には「第53回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと」にも出演したが、同年に自然消滅。
なお、当時のあらゆる文献では、グループ名が「ザ・ニュース」ではなく、「ニューズ」、「ザ・ニューズ」と表記されている場合も多い。
[1]、
[2]
メンバー
- 小川浩、池田洋、宮崎勝、田淵英人
ヒデキ&ヤッチン
1974年10月に結成。 別表記:ヒデキ・ヤッチン。 「リトル・リーブス」の内部ユニットであり、「リトル・ギャング」の前身ユニット。 詳細はそれぞれの項目を参照。
白虎隊
びゃっこたい。 1975年、ジャニーズ事務所が雑誌『月刊平凡』の誌上でJr.の募集を行った。
その際の合格者は「ジャニーズ・ジュニア 第4期生」と呼ばれ、その中から更に選ばれた3名によって結成されたバンドグループ。
1976年3月15日に日本劇場で行われた「ロックン・ロール・カーニバル」にて、フォー・シーズンズの楽曲『Bye Bye Baby』を歌って初お披露目。
その後、同年3月24日~28日の日本劇場「第55回 日劇ウエスタン・カーニバル」で改めて本格的にデビューした (『Bye Bye Baby』と、ジョーイ・ディー&ザ・スターライターズの『Peppermint Twist』の2曲を披露)。
更に同年8月24日~28日の「第56回 日劇ウエスタン・カーニバル」にも登場し、『Johnny B. Goode』を披露した。
「ギャングス」の前身グループ。
メンバー
- 大野祥孝 (サイドギター担当。愛称:おーちゃん。結成当時中学2年生)
- 長谷部徹 (ドラム担当。結成当時小学6年生)
- 岩崎富美雄 (ベース担当。愛称:とんちゃん。結成当時小学6年生)
ギャングス
1976年結成。 詳細は「ギャングス」の項目を参照。
キングコング
1976年から1977年にかけて活動。 資生堂「バスボン」のイメージガール・松本ちえこのシングル『ハイ!授業中』(1977年2月25日発売)にてバックダンス&コーラスを務めたり、テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』内のコントコーナー「ねのねのなんでも修行中」などに出演した。
メンバー
脱退メンバー
松本ちえこのバックダンス時のサポートメンバー
ピラミッド
川﨑麻世のバックコーラス&ダンスグループ。 「ジャパニーズ (後のジャPAニーズ)」にサポート参加する形で活動していた。 また、1979年4月15日~6月24日に、毎週日曜夜7時から30分間放送していた日本テレビのダンス番組『ミュージック・ボンボン』にも、ジャパニーズと共に出演していた。
メンバー
- 長谷部徹、曽我泰久、田原俊彦
ジャニーズ少年隊
1981年9月23日結成。 「少年隊」の前身。 詳細は「ジャニーズ少年隊」の項目を参照。
ジャPAニーズ・ジュニア
「ジャPAニーズ」が1982年5月18日に解散した後の田原俊彦のコンサートツアーで、「ジャクソンズメドレー」などを踊る専属バックダンスグループとして、「ジャニーズ少年隊」のサポートメンバー出身の鈴木則行を中心に同年夏に結成。
1987年7月~9月の田原のコンサートツアー「Young Communication ’87 SUMMER CONCERT」までの5年間存在した。
初期の頃はグループ名が特に無く、事務所内では「鈴木チーム」、鈴木よりも年下の後輩たちからは「鈴木君チーム」と呼ばれていた。
基本はジャPAニーズと同じで4人体制のグループ。後に何度か入れ替えがあり、延べ十数名が参加した。
歴代参加メンバー
- 鈴木則行、中村成幸(後の中村繁之)、宇治正高、内海裕一、
内海光司、大沢樹生(1982年夏の熊本コンサートにて参加)、
平本淳也(初期のみ参加)、吉田一寿、牧村稔、河村直人、
前田直樹、田中寛規、中本雅俊(中本は最後まで在籍)、塩入訓、
五十嵐〇〇
候補メンバー
ジャニーズ幼年隊 → ジャニーズ少年隊ジュニア → 少年隊ジュニア
「ジャニーズ少年隊」の弟分グループとして、1982年夏に中村、宇治、内海、大沢、五十嵐の5名で結成 (五十嵐はすぐに脱退)。
当初のグループ名は「ジャニーズ幼年隊」。 その後「ジャニーズ少年隊ジュニア」を経て、同年10月までに「少年隊ジュニア」に改名された。
テレビ東京の『ザ・ヤングベストテン』と『レッツGOアイドル』に出演。
続いて、石川博文を加えた5人で『月刊平凡』(1983年3月号)に「少年隊ジュニア」名義で登場後、グループ名を「イーグルス」に改名して、1983年3月25日にレコードデビューを果たした。
なお、「少年隊ジュニア」という名称はその後、1985年にフジテレビ『火曜ワイドスペシャル』のアイドル水泳大会で2度に渡って使用されているが、これはあくまで番組用の企画ユニット名であり、「少年隊のバックを務めるJr.」という訳ではなかった。
詳細は「少年隊ジュニア (1985年の企画ユニット版)」を参照。
メンバー (後のイーグルス)
- 中村成幸(後の中村繁之)、宇治正高、内海光司、大沢樹生、石川博文(石川のみ遅れて参加)
- 脱退メンバー
- 五十嵐〇〇 (結成初期に短期間だけ参加)
- サポートメンバー
- 鈴木則行 (『レッツGOアイドル』で中村成幸が高校受験のために数週間欠席した際に代役として参加)
イーグルス
上記のように1982年夏に「ジャニーズ幼年隊」として結成。 イーグルスはレコードデビューはしているものの、扱いはJr.内ユニットだった。 詳細は「イーグルス」の項目を参照。
田原ダンサーズ
田原俊彦の専属バックダンス&コーラスグループ。 1983年初頭から1984年まで活動した。
1983年1月29日&30日に東京宝塚劇場で行われた田原のコンサート「ヤング・コミュニケーション ’83 Toshi in 宝塚」に向け、上記の田原の専属バックダンスグループ「ジャPAニーズ・ジュニア」の中から鈴木と吉田の2名で結成。
乃生佳之、ジャニーズ少年隊と共に、計6名で田原のバックダンスを務めた。
その模様は1983年8月4日公開の映画『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever』で観ることができ、リハーサルのシーンにも鈴木と吉田が映っている。
1983年6月7日に田原が赤坂プリンスホテルの大宴会場「クリスタルパレス」で『ジャクソンズメドレー (Don't Stop 'Til You Get Enough / Lovely One / Heartbreak Hotel / Things I Do For You)』を披露した際は、3名になった田原ダンサーズが、ジャニーズ少年隊の3名と共に、計6名で田原のバックダンスとコーラスを務めた。(同日にテレビ朝日『ザ・ベストヒット ’83』にて生放送)
その後メンバーの入れ替えがあり、再び2名体制に。
田原のバックを2名だけで務めるスタイルは、後に「B・D 104」へと踏襲された。
初代メンバー
二代目メンバー
- 鈴木則行、吉田一寿、前田直樹
三代目メンバー
- 鈴木則行、田中寛規
四代目メンバー
- 田中寛規、塩入訓
東京男組 (旧名:東京)
1984年12月結成。 「男闘呼組」の前身バンド。 「でたらめロックバンド」の後身。 詳細は「東京男組」の項目を参照。
少年忍者
1985年7月に「シゲダン」の俗称で結成 (忍者のメンバーがラジオ番組『忍者、ナン者、モン者 ! !』にて言及)。
同年9月に正式に「少年忍者」と命名。 「忍者」の前身。
詳細は「少年忍者」の項目を参照。
踊り子
(男闘呼組、ジュニアと共に写る「踊り子」のメンバー)
1986年4月に結成された男闘呼組のバックダンスグループ。 男闘呼組のコンサートにて活動した。
同年8月のコンサートツアー「男闘呼組 夏祭」を最後に消滅。
消滅の原因は、大阪でのコンサートを終えて宿泊先のホテルに戻った際、ホテルの外を多数のファンが埋め尽くしていたため、ジャニー喜多川が「絶対に部屋から出てはいけない!」ときつく忠告していたにもかかわらず、踊り子のメンバーたちはこっそりと裏口から抜け出し、たこ焼きを食べに大阪の街へと繰り出してしまった。
この行動にジャニーが激怒し、夏のツアーをもって踊り子は無くされた。
メンバー
- 佐藤寛之、鹿内和博、桑名兼司、川上康明、大沼雄一郎、鈴木幸夫
ジャニーズ・シニア (ジャニーズSr.)
1987年2月15日放送の日本テレビ『スーパーJOCKEY』から、同年4月13日の日本テレビ『歌のトップテン』まで、少年隊の『STRIPE BLUE』のバックを務めたグループ。
4人体制。
結成時は、「(左側から)郁世、大沢、内海、遠藤」の構成でスタート。
間もなくして「郁己、志賀、内海、木野」が基本構成となったが、時々「郁己、郁世、志賀、遠藤」や、「郁己、郁世、内海、遠藤」の構成になることもあった。
なお、大沢は1987年3月23日放送の『歌のトップテン』でのバックにも参加している。
そして8年後の1995年、NHK BS2『アイドルオンステージ』にて、再び「ジャニーズSr.」という名前のグループが登場する。
この時はバックダンスグループとしてではなく、自らマイクを握って歌い踊るグループとして結成された。
ジュニアの年長組だった坂本と長野をメインボーカルに置き、サポートメンバーとして佐野、井ノ原、喜多見、原といった、Jr.内でも長身な6人で組まれた。
このユニットでの振り付けやフォーメーションを考えていたのは、全て坂本だった。
その後、徐々に代理メンバーが混ざるようになったり、新たな3代目Sr.も誕生した。
また、これらの他に企画ユニットとして2022年に結成された「ジャニーズシニア」も存在する。
初代メンバー (表記は「ジャニーズ・シニア」)
- 内海光司、大沢樹生、江端郁己、江端郁世、遠藤直人、志賀泰伸、木野正人
2代目メンバー (表記は「ジャニーズSr.」。前身ユニットは「サカモト & ナガノーズ」。後身ユニットは「V6」)
- 坂本昌行 (リーダー)、長野博
- 井ノ原快彦、佐野瑞樹、原知宏、喜多見英明
- 森田剛、国分博、小原裕貴、儘田修司
サポートメンバー
サポートメンバーの代理メンバー
3代目メンバー (表記は「ジャニーズSr.」)
- 桜井翔、屋良朝幸、米花剛史、町田慎吾、松本淳一、髙橋譲
スケートボーイズ
1987年秋結成。 詳細は「スケートボーイズ」の項目を参照。
敦啓PEOPLE
あつひろピープル。 1988年6月21日発売の光GENJIの4thシングル『Diamondハリケーン』にて、当時、光GENJIの赤坂晃と佐藤敦啓が義務教育中の中学3年生で20時以降の生放送番組に出演できなかったため、その穴埋めとして光GENJIに付いたサポートユニット。
バックダンスだけでなくマイクを握って歌唱もした。
同年6月10日放送のテレビ朝日『ミュージックステーション』にて初登場。 木村と佐藤敬の2名がマイクを握って歌唱もした。
更に別の日の『ミュージックステーション』にも、やはり出演できなかた赤坂と敦啓の穴埋めとして、5名の「敦啓PEOPLE」(岩佐は欠席)でバックダンサーとして登場。 この時も木村と佐藤敬だけはマイクを握って歌った。
また、同年6月15日放送の『夜のヒットスタジオ』では、欠席した木村の代役として、古株ジュニアの桑名がサポート参加。 この時は6名全員でマイクを握った。
光GENJIの最年少メンバー・佐藤敦啓の配下という位置付けのユニットだったが、活動は広がらず、『Diamondハリケーン』のサポートを数回したのみで終了となった。
メンバー
- SMAPからの選抜メンバー
- 中居正広、木村拓哉
- スケートボーイズからの選抜メンバー
- 岩佐克次、佐藤敬、渡辺一久 (アクロバット班)、米山武志 (アクロバット班)
サポートメンバー
- 桑名兼司 (1988年6月15日放送のフジテレビ『夜のヒットスタジオ』にて、欠席した木村の代役として参加)
平家派
愛称:平家。 前身に当たる構想ユニットは「平家蛍」。
1988年9月、光GENJIのシングル『剣の舞』のバックダンスグループとして、「スケートボーイズ」出身のメンバーを中心に結成。
剣を持ってのバックダンスを務めた。
更に次の曲『地球をさがして』でもバックを担当し、小旗を振るダンスを担当。
また、松元、桑名、関の3名は、1988年10月21日放送のテレビ朝日『ミュージックステーション』と、同年放送の日本テレビ『スーパーJOCKEY』にて、鞆田紀世彦がゲストリードボーカルを務めた少年忍者の曲『愁列車』のバックも担当した (関は和太鼓担当)。
雑誌用、テレビ用、コンサート用など、それぞれのメンバー編成があり、40名近くが参加。 1990年の初頭に消滅した。
なお、このグループでは「リーダー」のことを「隊長」と呼び、松元治郎がその役目を務めていたが、実際には「松原一平派」と「小池通誉派」の2つの派閥に分かれていた。
ただし最年長の東昌孝と、常に一匹狼で行動していた坂本昌行はどちらの派閥にも入っていなかった。
メンバーの中には、原宿の歩行者天国で先輩のコピーをして、レッスンの成果を発表していた者も居た。
また、「ホタル」というガールズグループも作って、光GENJI、平家派、ホタルの3グループ合同で何かをやろうという企画、構想をジャニー喜多川が発案。
他の芸能事務所に所属する女性タレントの卵たちを集めてオーディションもしたが、結局「ホタル」の実現には至らなかった。(この男女合同構想は2014年に「Sexy Family」という形で具現化)
2008年3月16日、元メンバーの国分太一がMCを務めるNHK BS-2の音楽番組『ザ少年倶楽部プレミアム』に、事務所に在籍中の6名(城島、山口、国分、坂本、長野、井ノ原)が出演。
「平家派大同窓会」と銘打ったトークや、Musical Academyの3人(屋良、米花、町田)とM.A.D.の4人(越岡、松崎、福田、辰巳)が光GENJI役として歌った「剣の舞 2008」にて、山口達也を除く5名でバックダンスを披露した。
2009年12月20日、『ザ少年倶楽部プレミアム クリスマス・スペシャル』に「平家派」名義で6人(城島、山口、国分、坂本、長野、井ノ原)が再び出演し、国分によるピアノ演奏で光GENJIの曲『Graduation』を披露した。
更に2010年12月4日、フジテレビ『FNS歌謡祭 2010』にて、「平家派」名義でやはり6人(城島、山口、国分、坂本、長野、井ノ原)が再び出演し、国分によるピアノ演奏で再び光GENJIの曲『Graduation』を披露。
同月24日には、『ザ少年倶楽部プレミアム クリスマス・スペシャル2010』にて男闘呼組の英語曲『STAY WITH ME』を、山口と井ノ原のリードボーカルによるアカペラで披露 (同月8日にNHK社屋の屋上で収録されたもの)。
また番組中、かつてフジテレビ『クイズ!年の差なんて』でTOKIOの面々と共演していた桂三枝からの賞賛コメントのVTRが流され、それを観た山口は感動の余り涙を流している。
更に翌25日には、20th CenturyのFMラジオ番組『V6 Next Generation』(通称:ネクジェネ。JFN系列)にも、坂本、長野、井ノ原、城島の4人で出演し、平家派時代のトークに華を咲かせた。
2011年11月29日にはNHK BSプレミアム『ザ少年倶楽部プレミアム』の公開収録の一環として、新大久保の「東京グローブ座」にて、『ザ少年倶楽部プレミアムプレゼンツ 平家派ファーストコンサート in 新大久保』を開催。入場の応募倍率は60倍。
約3時間に及んだステージの内容はほとんどがトークだったが、 『剣の舞』(歌無しのダンスのみ)、『Graduation』、『ガラスの十代』、『地球をさがして』の4曲も披露され、その模様は、同年12月23日にNHK BS-2『ザ少年倶楽部プレミアム クリスマス・スペシャル2011』にて放送された(12月25日にはNHK総合でも再放送)。
番組内ではこの他に、練習風景や『STAY WITH ME』なども放送された。
2023年6月28日、『テレ東音楽祭2023夏 ~思わず歌いたくなる!最強ヒットソング100連発~』(テレビ東京)で内海光司と佐藤アツヒロが『剣の舞』を歌った際、国分太一と20th Centuryの計4名が「平家派」名義でバックダンサーを務めた。
メンバー
※印 - 雑誌への登場回数が一回だけだったメンバー。△印 - 雑誌に「平家派」としては一度も紹介されず、テレビやコンサートのみの参加メンバー。
- 松元治郎
-
隊長。後に和久二郎の名で「WANDS」に加入。
ジャニーズ在籍時から歌には自信があり、楽屋でもいつも歌っていた。
- 坂本昌行 (愛称:マサ。 テレビ版『剣の舞』では二代目の1列目センター)
- 城島茂、古川栄司、岩佐克次、石川徹、佐藤敬、岡田賢一郎、
小山田英樹、萓嶋大輔、国分太一、佐藤功、山口達也、朝倉健仁、
長野博、田中浩、平岡功次 (※ 『POTATO』1989年4月号のみ)、
平野喜弘 (※ 『Duet』1989年6月号のみ)、
野口隆史(後の反町隆史)、菅勇太、山本隆文
- 井ノ原快彦△ (『地球をさがして』以降に参加)、
東昌孝△、鞆田紀世彦△、
桑名兼司△ (テレビ版『剣の舞』にて初代1列目センター)、
松原一平△、小池通誉△(一番の遊び人だった人物)、渡辺一久△、
米山武志△、村田義治△、長谷川文高△、
関裕通△(後にジャニーズOBで2人目の政治家に)、
米脇明彦(双子)△、米脇伸彦(双子)△、酒井貴史△、相澤聡△、
横井忠志△、海老原修△、他
候補メンバー
- 柏木哲也 (ジャニー喜多川から平家派に誘われたが、参加を辞退した)
SMAP学園
1990年にテレビ朝日『アイドル共和国』の中から生まれたグループ。SMAPのバックダンサーを務めた。
テレビ番組の中から誕生したユニットではあるが、企画ユニットとは違い、アイドル雑誌にも度々掲載されていた通常のJr.内ユニット。
1991年4月6日からの後番組『桜っ子クラブ』にも引き続きレギュラー出演していたが、同年6月29日の第6回目放送への出演を最後に消滅した。
メンバー
- 酒井貴史、坂本昌行、佐藤功、国分太一、井ノ原快彦、伊東正美、
松岡昌宏、山本隆文、小島啓、長瀬智也、大嶌忍、清藤公之、
小舘晴彦、松長慎吾、石澤正喜、入江靖幸、地川祐樹、鉛山晋助
NEWS
ニュース。 SAY'Sの1993年夏のコンサートツアー用に、4名のジュニアで結成されたバックダンサー 兼 バックバンド。
(ちなみに同年春のSAY'Sコンサートのバックダンサー 兼 バックバンドはTOKIO。バンド演奏時には十倉太一もサポート参加)
NEWSは、実際には演奏しておらず、あくまで楽器を持って当て振りをするだけのバンドだったが、コンサートの中では1曲だけ、NEWSの持ち歌コーナー(少年隊の曲のカバー)もあった。
バンド名の命名者は社長のジャニー喜多川。
当初はアルファベットの「S」は大嶌忍の「忍」の頭文字で、「E」はジャニーが坂本の出身地を「江戸川区」だと勘違いし(実際は江東区)、江戸川区の頭文字として当てはめていた。
しかし坂本の出身地が江戸川区ではなかったと分かったため、大嶌の「嶌」の字の上の部首が「E」を寝かせたように見えるということから、大嶌が「E」にさせられた。
メンバー
- N - 長野博 (ベース、キーボード)
- E - 大嶌忍 (ドラム)
- W - 渡辺一久 (ギター)
- S - 坂本昌行 (ギター)
J-Eleven
略称:Jイレ。 1991年に発足した日本プロサッカーリーグ「Jリーグ」によるサッカーブームに合わせ、1993年末に結成。
J-Elevenの「J」は、JリーグとジャニーズのJ。
主にサッカーが得意なJr.が参加していたが、メンバーの入れ替わりは非常に流動的で、雑誌に登場する度に構成が違っていた。
1993年12月31日に12名のメンバーが『第44回 NHK紅白歌合戦』にてSMAPの『
延べ47名(関西ジュニアからは4名)が参加した後、1994年の夏をもって自然消滅。
メンバー (五十音順)
- 秋山純、荒畑良、猪熊務、稲光一哉(関西ジュニア)、井ノ原快彦、
内田栄樹、榎本雄太、大坂俊介、大谷幸生、大野智、小川直希、
金子圭悟、河内章吾(最年少)、北川功一郎(関西ジュニア)、
喜多見英明、木下健明、国分博、小林勇太、小原裕貴、小山雄治、
佐々木大地、佐野恭平、佐野瑞樹、鈴木淳也、高木誠一郎、
田島俊明、近岡健司、十倉太一、中辻宏之、中野俊介、長野博、
原知宏、古屋暢一、星英徳、松井宏治、松尾祐樹(関西ジュニア)、
町田慎吾、松田真弥(最後の加入者)、真庭力也、儘田修司、
三浦勉、三宅健、三山耕平、宮本正寛(関西ジュニア)、森田剛、
梁田秀一、山浦豊
KinKi Jr.
1994年結成。 堂本光一の歌う『HOLIDAY』でのバックダンス&コーラスグループ。 交替制での4人編成グループ。
参加メンバー
- 森田剛、佐野瑞樹、原知宏、小原裕貴、国分博、喜多見英明
サカモト & ナガノーズ
通称:坂長(さかなが)。 「ジャニーズSr. (二代目メンバー)」の前身。
1994年春の赤坂晃のコンサートのバックダンサーとして結成。
同年5月25日放送のNHK『アイドル・オン・ステージ』でも、赤坂の曲『STILL I LOVE YOU』のバックに登場した。
この時点ではまだユニット名は無かったが、同年夏の少年隊ミュージカル『MOON』にもこの2名で出演した際、東山紀之から「サカモト & ナガノーズ」と命名された。
なお、当時は長野はまだバック転が出来なかった。
V6のデビューが決まってから、練習をしてバック転が出来るようになったと自分で語っている。
メンバー
- 坂本昌行、長野博
金八トリオ
1995年、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』(第4シリーズ)に出演していた3名のJr.で最初の金八トリオを結成。
実際にグループ活動を展開したのは第1期と2期のみで、それ以降は金八出演Jr.に対する総称的な扱いであった。
ちなみに金八先生の第1シリーズの時点でも「金八トリオ」という“俗称”は既に存在していたが、正式なユニット名として採用される前に、「悪ガキトリオ」 → 「たのきんトリオ」の順で改名していった。
第2シリーズはジャニーズ事務所から4人も出演していたが、「ニュー金八3人組」としてトリオ扱いされたのは、ひかる一平、岩井浩司のみで、残る1名は他事務所の沖田浩之だった。
第3シリーズは人数が足らず、トリオにならなかった。
また、第8シリーズにはジャニーズからカミュー・ケイドも出演していたが、雑誌上では「金八トリオ」には入れられなかった。
第1期メンバー (金八先生 第4シリーズ、1995年10月 - 1996年3月)
第2期メンバー (金八先生 第5シリーズ、1999年10月 - 2000年3月)
- 亀梨和也、風間俊介、森雄介
第3期メンバー (金八先生 第6シリーズ、2001年10月 - 2002年3月)
- 増田貴久、加藤成亮、東新良和
第4期メンバー (金八先生 第7シリーズ、2004年10月 - 2005年3月)
- 薮宏太、八乙女光、鮎川太陽
第5期メンバー (金八先生 第8シリーズ、2007年10月 - 2008年3月)
- 亀井拓、植草裕太、真田佑馬
-
但しアイドル雑誌『ポポロ』(2008年3月号、麻布台出版社)では、カミュー・ケイドも含めた4名で「金八Jr.」と紹介された。
怪談トリオ
1995年、フジテレビのドラマ『木曜の怪談』に出演していた3名のJr.で結成。
メンバー
- 滝沢秀明、今井翼、川野直輝
W高橋
ダブルたかはし。 1996年、フジテレビのドラマ『勝利の女神』(主演:中居正広)に出演していた2名のJr.で結成。
メンバー
- 高橋直気、髙橋譲
ヤラえもんず
1996年夏、KinKi Kidsのコンサートにて披露された、屋良朝幸をリーダーとするユニット。 堂本剛のソロ曲『ラップ版ドラえもん』のバックで、ドラえもんの格好をして踊っていた。
メンバー
- 屋良朝幸、大野智、町田慎吾、松本淳一、植村良侑
川野バンド
1997年に川野、山本、小場、森近の4名で結成。 後に山本が事務所を辞めたために脱退。 小原と穴沢が新たに加入した。 一人当たりの担当楽器が多岐に渡っていたのが特徴的だった。
メンバー
- 川野直輝(リーダー、ドラム)、
小場賢(ベース、ギター、キーボード)、
森近政司(キーボード、ギター、ドラム)、
小原裕貴(ベース)、穴沢真啓(ギター)
脱退メンバー
- 山本真暢 (ギター)
サポートメンバー
- 秋山純(キーボード、アコギ、ドラム)、鎌田淳(ベース)、
尾身和樹 (ギター、ベース。1998年12月26日に自主退所)
B.O.Y.S → BOYS
ボーイズ。 1997年に、関西ジュニアの中でも特に目立っていた横山と野中の2人のために作られたグループ。 その後サポートメンバーが次々に増えていった。
第1期のグループ名は、「ボーイズ、大阪、ヤンキー、少年」の意味。
第2期は、「僕ら、大阪、ヤンキー、ッス!」。
第3期は、「僕たち、大阪、ヤンキー、少年」。
第4期は、「僕たち、大阪、ヤッタルデ、少年」。
第2期は2002年に結成されたが、翌2003年に「関西BOYS」に改名して消滅。
2005年、「BOYS」の表記で第3期が結成。
そして、「B.A.D.」と共に行動する場合は「BAD BOYS」として活動。
更にそこへ「Veteran」も加わると、「B.B.V.」として活動した。
2011年4月に中田が不祥事を起こして事務所を解雇されたことで自然消滅。
第4期は、2012年4月6日放送のNHK大阪のバラエティ番組『あほやねん!すきやねん!』にて、コーナー「BOYSのアゲ↑インフォメーション」の企画ユニットとして再び「BOYS」の表記で結成された。
活動期間は同年度のみ (2013年3月29日まで)。
第1期メンバー (1997年)
- 横山侯隆(後の横山裕)、野中和久
第1期サポートメンバー
- 村上信五、渋谷すばる、牧山雄亮、田中純弥、北山純一、今川晴司、塩田修、呉村哲弘、曽根正太郎
第2期メンバー (2002年 - 2003年)
- 濵田崇裕、中田大智、中本進也、林真鳥、山碕薫太
第3期メンバー (2005年 - 2011年4月)
- 濵田崇裕、中田大智
第3期 脱退メンバー
- 山碕薫太 (山碕のみ2006年から遅れて参加。そして2008年12月にVeteranへ移籍)
- 室龍太 (2007年12月に室3兄弟へ移籍。その後、2009年夏頃にVeteranへ移籍)
第4期メンバー (2012年4月6日 - 2013年3月29日)
- 重岡大毅、向井康二、金内柊真
ラジオ (3期メンバー)
- 関西ジュニア もぎたて関ジュース (2007年4月 - 2011年、ラジオ関西)
舞台 (3期メンバー)
- DREAM BOYS (2008年4月4日 - 16日、梅田芸術劇場メインホール)
- Tough Weeds 光の射すほうへ・・・ AND SHOW TIME (2009年8月2日 - 27日、大阪松竹座)
- 少年たち 格子なき牢獄 (2010年8月3日 - 28日、大阪松竹座)
コンサート (3期メンバー)
- ファーストWinterコンサート 2006 (2006年12月16日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア 大阪城ホール FIRST CONCERT 2007 (2007年5月6日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア 大阪松竹座 2007 (2007年8月6日 - 23日、大阪松竹座)
- JOHNNYS' Jr. Hey Say 07 in YOKOHAMA ARENA (2007年9月23日&24日、横浜アリーナ)
- 関西ジュニア X'mas in 松竹座 「おめでとう in 城ホール 前夜祭」 (2007年12月24日&25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア おめでとう in 城ホール (2008年1月3日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア @大阪松竹座 2008夏 (2008年8月19日 - 28日、大阪松竹座)
- バッテリー・ごくせん大阪凱旋コンサート (2008年9月1日&2日、梅田芸術劇場) 中田、濵田でMC
- 関西ジュニアユニットコンサート in 大阪松竹座 2008
-
(2008年12月7日 - 9日、大阪松竹座。「室3兄弟」との合同公演) 中田、濵田
- 内博貴 年末年始 Rockな仲間たち大集合!
-
(2008年12月19日 - 21日:横浜アリーナ、2009年1月2日 - 4日:大阪城ホール) 中田、濵田
- 関西ジュニア ’08 Merry X'mas Concert (2008年12月23日 - 26日、梅田芸術劇場) 中田、濵田
- 関西ジュニア UME (ユメ) コン 2009 (2009年6月18日 - 20日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニア Xマスやで! 全員集合! @大阪松竹座 ’09 (2009年12月15日 - 20日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア X'Masコンサート 2010 (2010年12月4日 - 25日、大阪松竹座)
オリジナル曲 (3期メンバー)
- Love or Guilty (2006年夏。作詞・作曲:宮崎歩)
- 夢色クロニクル (2007年夏。作詞:白井裕紀)
- CHANCE (元は関西BOYSの楽曲)
- Battle (2008年7月。作詞:白井裕紀、作曲:清水昭男)
- Give Me (2008年8月)
- Stay Gold (2009年)
- さよなら ~二人の空~ (2009年12月)
カバー曲 (3期メンバー)
- 薄荷キャンディー (2007年5月に濵田がソロでカバー。原曲:KinKi Kids)
- 恋涙 (2008年12月にカバー。原曲:KinKi Kids)
- オレンジ (2008年12月に濵田がソロでカバー。原曲:SMAP)
- To be, or not to be (2008年12月に中田がソロでカバー。原曲:タッキー&翼)
- back to Back (2009年12月に濵田がソロでカバー。原曲:東山紀之)
B.B.B.
1997年結成。 「Best Beat Boys」の略。 2000年6月には「B.B.A. (第3期)」の弟分として第2期グループが新たに作られた。
第1期メンバー (1997年 - )
- 相葉雅紀、二宮和也、松本潤、生田斗真、石松晃、遠藤司
第1期サポートメンバー
- 野田優也、矢代徳久、山崎哲寛、二本樹顕理、宮城智之丈
第2期結成メンバー (2000年6月 - )
- 越岡裕貴、石坂晴樹、内澤祐豊(すぐに「B.B.D.」に昇格)、谷澤拓歩(後に脱退)
第2期追加メンバー
- 加藤成亮、増田貴久、藁谷亮太(すぐに「B.B.A.」の第3期メンバーに昇格)、川村陵、服部将也、小森輝明
A.B.C.
1997年結成。 A.B.C.を参照。
Jr.Kids
1997年結成。
メンバー
- 小場賢、山本真暢、岩本弘志、相沢祐輝、野田優也、
猪狩裕一、森近政司、二本樹顕理、矢代徳久、伴貴将、
ダサリア麻巳、宮城智之丈
J-Boys
上記「B.B.B.」、「A.B.C.」、「Jr.Kids」の3ユニットからの抜粋メンバーを合体させて1997年に結成。 徐々に新メンバーも追加されていった。 「Johnny's Boys」の略。 「J-BOYS」と表記される場合もあった。
メンバー
- 二宮和也、相葉雅紀、松本潤、山下智久、生田斗真、風間俊介、
上里亮太、野田優也、小関航、黒田航平、岡崎正志、石松晃、
岩沢勇典、相沢祐輝、猪狩裕一、森近政司、伴貴将、ダサリア麻巳、
山本圭一、鈴木強太、梨本威温、松本和希、山崎哲寛、宮城智之丈
少年新撰組
1997年春に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO (略称:KTK)』(’97年夏公演、京都シアター1200)の出演者として結成。
同年6月発売の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて初登場。
(※ 2004年2月20日に経済産業省がJIS漢字コード表を改正したことで字形が変更され、「撰」の漢字しか表示できなくなったが、本来の表記は「てへん」、「己己」、「共」の組み合わせの俗字である)
メンバー
- 原知宏(リーダー)、大野智、大坂俊介、野田優也、矢代徳久、
山崎哲寛、二本樹顕理、大堀治樹(関西ジュニア)、田中純弥(関西ジュニア)、
北山純一(関西ジュニア)
Hi! See Me IN KYOTO
1997年春に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO』(’97年夏公演)の出演者として結成。
同年6月発売の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて初登場。
上記「少年新撰組」と、既存だった関西ジュニアによるユニット「B.O.Y.S」の主なメンバーが合体したユニット。
グループ名を和訳すると「京都で僕たちに会いに来て!」という意味で、原と大野以外は全員関西ジュニアだった。
メンバー
- Hi - 原知宏 (弁慶役)
- S - 渋谷すばる
- e - 塩田修
- e - 曽根正太郎
- M - 牧山雄亮
- e - 村上信五
- I - 今川晴司
- N - 野中和久
- K - 北山純一
- Y - 横山侯隆 (後の横山裕)
- O - 大堀治樹
- T - 田中純弥
- O - 大野智 (牛若丸役)
MASK
1997年春に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO』(’97年秋公演)の出演者として第1期のMASKが結成。
同年6月発売の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて初登場。
同年夏に三浦と町田が差し替えられたが、結局MASKは実際に活動を開始することはなく、自然消滅した。
翌1998年、関西ジュニアのメンバー5名によって第2期のMASKが結成されたが、中心メンバーだった野中が結成後すぐに事務所を退所したこともあり、雑誌に一度掲載されたのみでやはり自然消滅となった。
第1期メンバー
- M - 町田慎吾
- A - 秋山純
- S - 鈴木康哲
- K - 国分博
第1期 脱退メンバー
- M - 三浦勉
第2期メンバー
- M - 村上信五 (Murakami shingo)
- A - 横山侯隆 & 野中和久 (yokoyamA kimitakA、nonakA kazuhisA)
- S - 渋谷すばる (Shibutani subaru)
- K - 北山純一 (Kitayama junichi)
TOKYO
1997年春に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO』(’97年秋公演)の出演者として結成。
「TOKYO浜松町」の兄貴分。
同年6月発売の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて初登場。
メンバー
- T - 滝沢秀明 (ドラマ班リーダー)
- 髙橋譲、穴沢真啓(ダンス班との兼務)
- O - 小原裕貴 (Jr.ダンス班リーダー)
- 大野智、鈴木康哲、穴沢真啓(ドラマ班との兼務)
- K - 川野直輝 (バンドリーダー、ドラム)
- 小場賢(ベース)、森裕幸
- Y - 米花剛史 (アクロバティック・アクション部リーダー)
- 屋良朝幸、浜田一男、植村良侑、岩沢勇典、伴貴将、石松晃
- O - 大坂俊介 (トータルサポート)
- 風間俊介、小関航、黒田航平、岡崎正志、山本圭一、岩沢勇典、矢代徳久、野田優也、興津辰哉
TOKYO浜松町
1997年春に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO』(’97年秋公演)の出演者として結成。
同年6月発売の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて初登場。
20th Centuryのコンサートのバックダンサーも務めた。
なお、結成メンバーが揃わない場合には、ジャニー喜多川の判断でその都度グループ名が変えられた。
メンバー
- T - 高木誠一郎
- O - 尾身和樹
- K - 鎌田淳
- Y - 屋良朝幸
- O - 大野智
- 浜 - 浜田一男
- 松 - 松本淳一 (「TOKYO浜村淳」の時は「淳」の文字を担当)
- 町 - 町田慎吾
サポートメンバー
- U、村 - 植村良侑 (「TOKYOU浜松町」、「TOKYU(東急)浜松町」、「TOKYO浜村淳」の意味合い)
- Y、’s - 鈴木康哲 (「TOKYO浜松町」、「TOKYO浜松町’s」の意味合い)
翼翔組
つばさしょうぐみ。 1997年夏結成。 略称:翼翔(つばしょう)。 「つばしょうぐみ」という読み方は誤り。 当時小柄だったメンバーで結成されたため、「Littleチーム」という別名でも呼ばれていた。
メンバー
- 今井翼、桜井翔(後の櫻井翔)、二本樹顕理、矢代徳久、野田優也、山崎哲寛
(Jr.Boys) → ジュニアBoys → Jr.BOYS → MAIN
メイン。1997年夏結成。 当初、まだメンバーを公表していない段階では、雑誌で「Jr.Boys」の名称で新グループが作られると告知されていたが、約半年後のグループ誕生時に、「ジュニアBoys」へ改められた。
更にその後、「Jr.BOYS」名義を経て、各メンバーの頭文字を取って「MAIN」に改名した。
ミュージカル『Stand By Me』の出演者で結成され、公演終了後もしばらく活動していた。
このミュージカルでは当初、遠藤司がテディ役に決まっていたが、稽古中に嫌気が差して突然事務所を自主退所。
そのため、松本潤が遠藤の代役として参加することとなった。
ミュージカルのテーマ曲でもあった『Midnight Train』(原曲は男闘呼組)を持ち歌とし、テレビ番組やコンサートなどでも披露していた。
メンバー
- M - 松本潤 (遠藤の代役として加入)
- A - 相葉雅紀
- I - 生田斗真
- N - 二宮和也
脱退メンバー
- 遠藤司 (グループ名が正式に「ジュニアBoys」に決まる前の段階で脱退)
B.I.G.
ビッグ。
1997年秋に5名で結成。 グループ名は「Bad Image Generation」の略で、「わんぱく少年」の意味。
他にも、1999年の雑誌では「B (バリバリ)、I (イケてる)、G (ガキ軍団)」の当て字も一度使用された。
テレビ東京『愛ラブB.I.G.』内で結成されたホッケーチームの「B.I.G.」とは別。
最終的にB.I.G.は、生田と山下の2名だけのグループとなった。 弟分ユニットは「B.B.A.」。
第1期メンバー (1997年秋)
- 生田斗真、風間俊介、矢代徳久、野田優也、二本樹顕理、松本潤(松本だけ遅れて加入)
第2期メンバー (1997年秋 - )
- 松本潤、生田斗真、風間俊介、山崎哲寛、山下智久
第3期メンバー (1998年初頭)
- 松本潤、生田斗真、風間俊介、山下智久、佐藤崇
第4期メンバー (1998年9月 - )
- 生田斗真(リーダー)、風間俊介、山下智久、長谷川純、田中聖、伊藤達哉、服部将也
第5期メンバー (1998年末 - )
- 生田斗真(リーダー)、風間俊介、山下智久、長谷川純、田中聖、伊藤達哉、服部将也、宮城俊太、福田悠太、五関晃一、高梨秀輔、長谷部隼
第6期メンバー
- 生田斗真、山下智久
バラエティ番組
- 愛ラブB.I.G. (1998年10月5日 - 1999年3月29日、テレビ東京)
コンサート
- Fresh Spring Concert ’99 Johnnys' Senior Junior
-
(1999年5月2日 - 5日:横浜アリーナ、6月19日&20日:大阪城ホール)
オリジナル曲
第5期メンバー
- ネコネコロケット
B.A.D.
1997年末に東京Jr.で結成。 2004年に関西ジュニアで再結成。 詳細はB.A.D.を参照。
チーム未満都市
チームみまんシティ。 1998年結成。 Jr.のコンサートにて、KinKi Kidsの楽曲『愛されるより 愛したい』を歌う時のためのチーム。
4人とも日本テレビのドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』に出演していたメンバー。
メンバー
- 小原裕貴、穴沢真啓、相葉雅紀、松本潤
T.O.P-J
1998年3月、原、大野、田中の3名を主要メンバーとして、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』の出演者として結成された。
「’98夏祭 サマーフェスティバル」より、サポートメンバーだった北山が正式メンバーに昇格。
大野、原以外のメンバーは全員関西ジュニア。
第1期メンバー (春公演の本公演初日の1998年4月18日~)
- T - 田中純弥
- O - 大野智
- P - 原知宏 (リーダー。 原が「P」になったのは、ジャニー喜多川が原を「原パパ」と呼んでいたから)
第2期メンバー (夏祭初日の1998年7月18日~)
- T - 田中純弥
- O - 大野智
- P - 原知宏 (リーダー)
- J - 北山純一 (サポートメンバーからの昇格)
第3期メンバー (秋公演の途中の1998年9月24日~)
- 大野智 (リーダー)、田中純弥、北山純一、牧山雄亮 (牧山のみすぐに脱退し、事務所も退所)
サポートメンバー
- 福原一哉、高黒徹、小川修平、武藤雅博、後藤大祐、木村廣太郎、清水大輔(レッスン中の怪我によりすぐに脱退)、中嶋慶介(「’98夏祭 サマーフェスティバル」のみ参加)
MAIKO & お国
1998年3月に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』(3月31日- 7月12日)の出演者として結成。
グループ名はそれぞれの頭文字から採られた。
国分、鎌田、尾身以外のメンバーは全員関西ジュニア。
途中から、女寺と清水が追加召集。
清水はそれまで下記「T.O.P-J」のサポートメンバーだったが、レッスン中の怪我で1998年4月~6月にかけて療養していたため、新たにこのMAIKOチームでの復帰となった。
牧山は秋公演の途中の1998年9月24日から「T.O.P-J」に異動したが、その後すぐに脱退し、事務所も辞めて上京。「友井雄亮」に改名して俳優となった。
メンバー
- M - 牧山雄亮 (6月からは頭文字が「N」にもかかわらず女寺豊へ交替)
- A - 粟島瑞丸
- I - 今川晴司
- K - 鎌田淳
- O - 大西由郎
- & - 塩田修 (「しおた→えんだ→&(アンド)」が由来ではなく、「&」がSの形に似ているとしてジャニー喜多川が決めた。6月からは清水大輔に交替)
- お - 尾身和樹
- 国 - 国分博
サポートメンバー
- 村上信五、渋谷すばる、梅北雄也、内川雄希、中嶋慶介(1998年の春と秋公演のみ参加)、日根野谷省吾
ヤングアイドル
1998年3月、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』の出演者として、当時の関西ジュニアのメンバーによって結成。 春公演の最中の、同年6月2日の公演より、兄貴分グループ「ヤングジャニーズ」と、弟分グループ「B.I.G. WEST」に分裂した。
メンバー
- 田中純弥 (リーダー、横山とのWキャスト)、
横山裕 (サブリーダー、田中とのWキャスト)、
錦戸亮、渋谷すばる、村上信五、丸山隆平、安田章大、大倉忠義、
大堀治樹、熊谷侑真、水野清仁、田中大樹、木村廣太郎、
高杉政治郎、石田友一、内川雄希
ヤングジャニーズ
愛称「ヤンジャニ」。
1998年6月発売(取材はそれ以前)の雑誌『Wink up』(同年7月号)にて、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』に、上記の「ヤングアイドル」から横山、村上、丸山、錦戸、安田の5名が抜粋され、新たに「ヤングジャニーズ・チーム」として出演することが急遽決定したと告知される。
しかし実際には、横山、渋谷、村上、大堀という4名の構成となり、同年6月2日の公演で初お披露目された (横山のみドラマ『ドンウォリー!』の撮影のため不出演)。
なお、Wikipediaに書かれている「ヤングジャニーズとB.I.G. WESTは6月7日に初お披露目されたグループ」という情報は誤り。
ヤングジャニーズもB.I.G. WESTも6月2日(火曜日)の公演から既に出演を始めており、滝沢秀明が参加した特別編成のヤングジャニーズも、6月6日(土曜日)の時点から既に出演を始めている。
[1]、
[2]
第1期メンバー (春公演の途中の1998年6月2日~)
- 横山裕(リーダー)、渋谷すばる、村上信五、大堀治樹
-
(但し横山のみ、ドラマ『ドンウォリー!』の撮影のため、初お披露目の6月2日を含めて数日間は出演できなかった)
第1期サポートメンバー
- 田中純弥
-
(横山がドラマ『ドンウォリー!』の撮影のために出られなかった初期の公演に、田中が代役でリーダーを務めた)
- 滝沢秀明
-
(横山がドラマ『ドンウォリー!』の撮影のために出られなかった1998年6月6日&7日の公演にて、滝沢が代役でリーダーを務めた)
第2期メンバー (夏祭初日の1998年7月18日~)
- 横山裕(リーダー)、渋谷すばる、村上信五、大堀治樹、大倉忠義、高杉政治郎、田中大樹、水野清仁、永田剛司、石田友一
B.I.G. WEST
ビッグ・ウエスト。
舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』にて、1998年6月2日に初お披露目された (上に記載した通り、「6月7日が初お披露目」という情報は誤り)。
前身グループ「ヤングアイドル」を母体に、当時の関西ジュニアのメンバーによって結成。
上記「ヤングジャニーズ」の弟分グループ(サポートグループ)に当たる。
そのため、丸山、錦戸、安田の3名が「ヤングジャニーズ」と一緒に雑誌に掲載されたこともあった (『Wink up』1998年8月号)。
後に大半のメンバーが「ヤングジャニーズ」や、新グループ「B.A.D. WEST」に異動。
まもなくして消滅した。
なお、当初は「B.I.G-WEST」、「B.I.G-West」、「B.I.G WEST」、「B.I.G.WEST」などの様々な表記揺れがあったが、最終的に「B.I.G. WEST」に落ち着いた。
第1期メンバー (春公演の途中の1998年6月2日~)
- 丸山隆平(リーダー)、錦戸亮、安田章大
第1期サポートメンバー
- 高杉政治郎、大倉忠義、伊藤政氏、菊岡正展、石田友一、
浅井拓郎、岩崎栄治、寺田充、文山彬、右馬裕己、渡辺悠馬、
田中大樹、水野清仁、永田剛司、大堂祐史、ほか数名
第2期メンバー (夏祭初日の1998年7月18日~)
- 丸山隆平(リーダー。後に新グループ「B.A.D. WEST」に異動)、錦戸亮、安田章大
第2期サポートメンバー
- 伊藤政氏、浅井拓郎、岩崎栄治、寺田充、文山彬、右馬裕己、渡辺悠馬、ほか数名
第3期メンバー (’98年秋公演)
- 錦戸亮(リーダー)、安田章大、ほかサポートメンバー
B.I.G-East
ビッグ・イースト。 1998年6月6日と7日に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年春公演』に登場した2人組。 「B.I.G.」からの一時的な抜粋ユニット。
メンバー
- 山下智久、生田斗真
KYOTO大原村
1998年7月に、舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年夏祭 サマーフェスティバル』(同年7月18日 - 8月31日)の限定ユニットとして9人で結成された。
なお、京都府にはかつて「愛宕郡大原村」という地名が実際に存在したが、1949年(昭和24年)4月1日に京都市に編入されて消滅し、同市左京区の一部となっている。
メンバー
- K - 鎌田淳 & 国分博 (尾身はショータイムでギターも担当)
- Y - 横山裕 (センター)
- O - 尾身和樹 (ショータイムではギターも担当)
- T - 田中純弥
- O - 大堀治樹
- 大 - 大野智
- 原 - 原知宏 (ショータイムではドラムも担当)
- 村 - 村上信五
小KinKi
こキンキ。 別表記:小キンキ。 1998年7月結成。 KinKi Kidsのコンサートでのバックダンスグループ。
メンバー
- 福田悠太、宮城俊太
町田財閥
1998年8月に結成。 20th Centuryのコンサートツアー「JOHNNY'S SUMMER CONCERT ’98 20th Century」のバックを担当していたJr.のグループ。 同ツアーの初日・初回の公演(1998年9月5日、名古屋市民会館)にて、井ノ原快彦により命名された。
メンバー
- 町田慎吾 (リーダー)
- 鈴木康哲
- 屋良朝幸 (8月31日に怪我をしたためツアーの途中から参加)
- 矢代徳久
- 米花剛史
- ダサリア麻巳
- 森近政司 (ダンサーではなくドラム担当)
代役メンバー
- 植村良侑 (8月31日に怪我をした屋良の代役として、ツアーの前半にのみ参加)
B.A.D. WEST
バッド・ウエスト。 1998年9月結成。 舞台『ジャニーズファンタジー KYO TO KYO ’98年秋公演』に出演した関西ジュニアのユニット。 「B.A.D.」の関西版に当たる。 雑誌では下の画像の様に「B.A.D WEST」などの表記揺れも見られた。
メンバー
- 丸山隆平(リーダー)、ほか
B.B.A.
正式名称は「Boys Be Ambitious」。
1998年9月、宮城をリーダーに、福田、五関、高梨、長谷部の計5名で、「B.I.G.」の弟分ユニットとして結成。
翌10月には一気にメンバーが増加した。
1999年3月、テレビ朝日『8時だJ』にて、長谷川純をリーダーとした新生「B.B.A.」がスタート。
更に2000年6月には第3期グループが作られた。
第1期結成メンバー (1998年9月 - 。この5名は同年中に「B.I.G.」へ昇格し脱退)
- 宮城俊太(初代リーダー)、福田悠太、五関晃一、高梨秀輔、長谷部隼
第1期追加メンバー、および第1期最終メンバー (1998年10月 - )
- 錦戸亮 (2代目リーダー、メインボーカル)
- 長谷川純、田中聖、服部将也 (左の3名は「B.I.G.」からの兼任補強メンバー)
- 上田竜也、東新良和、藁谷亮太、久保寺晋哉
第2期結成メンバー (1999年3月 - 9月)
- 長谷川純(リーダー、メインボーカル)、上田竜也、伊藤達哉、長谷部隼、高梨秀輔、三宅将馬、伊藤政氏(関西ジュニア)
第2期追加メンバー
- 加藤成亮、田中聖、中丸雄一、五関晃一、東新良和、服部将也、高橋宏宜
第3期結成メンバー (2000年6月 - )
- 五関晃一、福田悠太、東新良和、宮城俊太
第3期追加メンバー
- 田中聖 (「Jr.名鑑」第8巻で一時参加)
- 長谷川純 (雑誌や「Jr.名鑑」第8巻・9巻で一時参加)
- 藁谷亮太 (「B.B.B.」第2期メンバーからの昇格)
- 河合郁人、越岡裕貴、辰巳雄大、服部将也、高井宙也、石坂晴樹
バラエティ番組
- 8時だJ (テレビ朝日)
- Music Jump (NHK BS2)
コンサート
- Fresh Spring Concert ’99 Johnnys' Senior Junior
-
(1999年5月2日 - 5日:横浜アリーナ、6月19日&20日:大阪城ホール)
オリジナル曲
第2期メンバー
- この星で生まれて
Musical Academy
1999年3月結成。 詳細はMusical Academyを参照。
Ⅴ → FIⅤE → FiⅤe
1999年春結成。 詳細はFiⅤeを参照。
Musical Academy WEST
1999年8月、少年隊ミュージカル『PLAYZONE ’99 Goodbye & Hello』の大阪公演にて、「Musical Academy」(通称:MA)のサポートチームとして結成された。
同年11月に大堀がMAに昇格したために消滅。 福原も同年12月にMAに加入した。
「MAO」の前身的グループ。
メンバー
- 大堀治樹、福原一哉
小雨
こさめ。 2000年に、当時の研修生たちによって結成。 ユニット名の由来は、前年にCDデビューした「嵐」の弟分的な意味合い。
メンバー
- 我妻祐太、ほか数名
M.A.D.
2000年5月結成。 詳細はM.A.D.を参照。
Johnny's Universal
2000年5月に結成され、TOKIOのバックダンサーなどをしていた。 また、海外出身Jr.の総称でもあり、「ジャニーズU.S.A」、「Joey Team」、「ジャニーズインターナショナル」の前身でもある。
結成メンバー
- 田村アンディー、外園遊、小柴翔、ハリー・リコヤ、ラファイ・エディ(兄)、セオン・エディ(弟)、ジョシュア・サギニ
追加メンバー
- ジミーMackey、富沢宏次、ライモンド・アンドレア、ダサリア麻巳
B.B.D.
2000年5月に7名で結成。その後、次々とメンバーが追加されたが、やがて7名が「M.A.D.」へと異動した。 グループ名は「Best Beat Dancing」や「Bad Boys Dancing」の略。
結成メンバー
- 上田竜也、中丸雄一、野田優也(M.A.D.へ異動)、石田友一(M.A.D.へ異動)、
良知真次(M.A.D.へ異動)、橋田康、佐藤崇
追加メンバー
- 松崎祐介、伊藤達哉、内澤祐豊(「B.B.B.」からの昇格)
追加されたが途中で脱退したメンバー
- 赤西仁、亀梨和也、田口淳之介、田中聖(「Jr.名鑑」第9巻で参加)、福田悠太、
島田直樹(M.A.D.へ異動)、大堀治樹(2000年7月から参加。後にM.A.D.へ異動)、
福原一哉(2000年7月から参加。後にM.A.D.へ異動)、中村翔(M.A.D.へ異動)、
萩原幸人(「Jr.名鑑」第8巻で参加)、森雄介(「Jr.名鑑」第8巻で参加)
B.B.F.
2000年7月結成。 グループ名の「F」は「FRESH」の略。
結成はしたものの、雑誌で一度お披露目をしただけですぐに消滅してしまった。
メンバー
- 増田貴久、藁谷亮太、川村陵、武内幸太朗、
内澤祐豊、服部将也、金子圭佑、谷澤拓歩
Ⅴ.WEST
2000年夏に結成。 詳細はⅤ.WESTを参照。
MAO
マオ。 2000年10月に、Musical Academyの関西版チームとして4人で結成。
結成当初のグループ名表記は「M.A.O. (エム・エー・オー)」で、「Musical Academy Osaka(ミュージカル・アカデミー・大阪)」の略。
結成直後に大倉と伊藤が脱退。 残った大堀と福原の2名で、ミュージカル『MILLENNIUM SHOCK』(2000年11月2日 - 11月26日、帝国劇場)や『PLAYZONE ’01 EMOTION “新世紀”』(2001年7月14日 - 8月17日)に出演したが、2人とも事務所を辞めたために、2002年に自然消滅となった。
メンバー
- 大堀治樹、福原一哉
脱退メンバー
- 大倉忠義、伊藤政氏
ジャニーズU.S.A
2001年3月30日放送のテレビ朝日『ミュージックステーション』にて、初御披露目された。
メンバー
- ジミーMackey、ラファイ・エディ(兄)、セオン・エディ(弟)
MADE
メイド。 2001年5月に第1期が結成。 その後、第4期まで存在した。 詳細はMADEを参照。
七福神
2001年5月3日~6月3日に行われたジュニアのコンサートツアー「タッキー&翼 21世紀の対決」の初日と2日目(5月3日・4日、@横浜アリーナ)に登場した限定ユニット。
メンバー
- 宮城俊太、福田悠太、松崎祐介、増田貴久、
丸野優、内澤祐豊、加藤幸宏
K.K.Kity
旧名:J-Support。 2001年10月結成。 詳細はK.K.Kityを参照。
Four Tops
2001年末に「Jr.special」の表記で結成。
長谷川と風間が出演したミュージカル『サスペンス・ミステリー 「SHOW・劇 SHOCK」』(2001年12月1日 - 2002年1月27日、帝国劇場)のチラシにも、このユニット名が表記された。
2002年に入り、「Four Tops」に改名。
タッキー&翼(滝沢秀明、今井翼)がCDデビューした後の、ジュニアのリーダー格グループとして活躍した。
ちょうど同じ頃、人気のあったJr.の小原裕貴が卒業したこともあり、ファンからは次のデビュー候補のユニットとして大いに期待されていたが、森内貴寛(森進一・森昌子の息子)を前面に売り出すための臨時ユニット「NEWS」が2003年9月に突如結成されてCDデビューしたことにより、Four Topsは自然消滅となってしまった。
なお、Four Topsの4人はジャニー喜多川から、「このメンツでデビューすることはない。Youたちはそれぞれのところで頑張るからFour Tops」だと言われていた。(2017年4月26日放送のフジテレビ『TOKIO× (カケル)』より)
表向きは長谷川がリーダーだったが、最年長の風間が実質的な仕切り役だった。
メンバー同士はその後も仲が良く、2006年7月には4人で一緒に食事に行っている。
(公式HP・Johnny's webに短期連載された風間俊介の日記「本日かぜ気味」より)
2018年12月31日から2019年1月1日にかけて東京ドームで行われたジャニーズカウントダウンライブ 『平成ラストの夢物語! ジャニーズ年越し生放送 ~Johnny's Countdown 2018-2019~』 にて、タッキー&翼がラストステージを披露した際、Four Topsが15年以上ぶりに再集結してバックダンサーを務め、一夜限りの復活を遂げた。(クレジットされた表記は「FOUR TOPS」)
メンバー
- 長谷川純 (リーダー)、山下智久、生田斗真、風間俊介
楽曲
- 波 (オリジナル曲。作詞・作曲:田澤智昭)
- 欲望のレイン (KinKi Kidsのカバー)
- 他…
Ya-Ya-yah
2001年12月結成。 CDデビューはしているものの、扱いはJr.内ユニットだった。 詳細はYa-Ya-yahを参照。
FUTURE7
フューチャーセブン。 2001年12月21日発売のアイドル雑誌『Myojo』(2002年2月号、集英社)に掲載された7人組。
なお、当時のMyojoの公式ホームページでは「7FUTURE」と表記されていた。
続いて翌3月号では7名でのピンナップも織り込まれたが、この時点で「FUTURE7」の名称が消えてしまい、そのまま消滅した。
メンバー
- 滝沢秀明、今井翼、山下智久、赤西仁、亀梨和也、東新良和、内博貴
HisH
エイチ・イズ・エイチ。 「ヒッシュ」とは読まない。 「M.A.D.」の中からダンスに定評のあるメンバーが選抜され、2002年10月に結成。
上の画像では「H is H」と表記されているが、通常はスペース無しの「HisH」で表記されていた。
少年隊のミュージカルや東山紀之のディナーショーなど、レベルの高さを求められる舞台で活躍した。
また、東山の提案により、リーダーはジャンケンで萩原に決まった。
グループの要でもあった萩原が2003年8月31日に事務所を退所したため、グループも自然消滅となった。
メンバー
- H - 萩原幸人 (リーダー)
- i - 石田友一
- s - 島田直樹
- H - 橋田康
出演
- 東山紀之 ディナーショー
-
(2002年12月11日:札幌パークホテル、13日:仙台国際ホテル、21日 - 24日:東京全日空ホテル、27日&28日:大阪帝国ホテル。振付:前田敦)
- PLAYZONE 2003 Vacation (2003年7月14日 - 8月17日、青山劇場)
東新良和 & A.B.C.
2002年の後半に結成。 詳細は東新良和 & A.B.C.を参照。
田組
たぐみ。 2002年11月結成。 2004年7月に消滅。 「田んぼ組」の前身。
第2期は、2010年にA.B.C-Zのライブ公演『みんなクリエに来てクリエ! (PART 3)』にて、増田、真田、福田の3名で期間限定ユニットとして結成された。
第1期の歴代メンバー
- 野田優也、増田貴久、福田悠太、宮田俊哉、江田剛、池田優、
吉田雄基、村田和哉、黒田幸誠、
北山宏光 (「きたやま」の「た」で強引に採用)
第2期メンバー
- 増田良、真田佑馬、福田悠太
Jr.BOYS
2002年末に結成。 詳細はJr.BOYSを参照。
嵐組
「嵐」のコンサートでバックダンサーを務めるジュニアの総称として、2002年から2006年まで使われていた。 詳細は嵐組を参照。
関西BOYS
「BOYS」の第2期メンバーが、2003年に「関西BOYS」に改名することで結成。 当初は中田、中本、濵田、林、山碕の5名だったが、2005年頃からはメンバーの入れ替わりが特に激しくなり、非常に流動的だった。 「KANSAI BOYS」や「KANSAI-BOYS」と表記される場合もあった。 「関西BOY'S」は誤表記。
歴代参加メンバー (五十音順)
- 伊藤政氏、上村雅哉、神山智洋、楠本幸登、佐竹滉輝、長尾宥希、
中田大智、中本進也、濵田崇裕、浜中文一、林真鳥、藤原丈一郎、
室龍太、山碕薫太
オリジナル曲
- ペンタくん! (2003年。住宅リフォームメーカー「ペイントハウス」のCMソング。CMへの出演は無し)
- CHANCE
カバー曲
- NEWSニッポン (2003年。NEWSのカバー)
- Back In Time (2005年。J.J.Expressのカバー)
ity
イティー。 2003年9月結成。 「K.K.Kity」の後継グループ。
小山慶一郎、加藤成亮、草野博紀の3名が、K.K.Kityから「NEWS」へと異動したため、残りのメンバーでしばらくの間「ity」として活動していた。
2004年3月、「Kis-My-Ft.」の結成により解散。
メンバー
- i - 飯田恭平 (後に「Kis-My-Ft.」へ異動)
- t - 武内幸太朗 (後に「M.A.D.」へ異動)
- y - 横尾渉 (後に「Kis-My-Ft.」へ異動)
mint
2004年3月結成。 「Kis-My-Ft.」と「J.J.Express」の結成に伴い、1ヶ月と持たずに消滅した。
メンバー
- m - 松本光平
- i - 伊野尾慧
- n - 二階堂高嗣
- t - 玉森裕太
J.J.Express
2004年3月結成。 詳細はJ.J.Expressを参照。
Kis-My-Ft.
2004年3月結成。 詳細はKis-My-Ft.を参照。
Question?
2004年5月結成。 詳細はQuestion?を参照。
田んぼ組
2004年7月結成。 田組の後継に当たり、「Jr.BOYS」に内包されたユニットとして活動したが、同年の秋に早くも消滅。
メンバー
- 宮田俊哉、江田剛、池田優、吉田雄基
A.B.C.Jr.
2004年8月に「A.B.C. (第2期)」の弟分ユニットとして結成。 翌9月には第2期へとメンバーが入れ替わった。
2005年の夏、第2期最終メンバーの4名が「Kis-My-Ft.」のメンバーと合体して「Kis-My-Ft2」を結成したことにより消滅。
第1期メンバー (2004年8月)
- 亀井拓 (「J.J.Express」へ異動)、二階堂高嗣、千賀健永、
山本亮太 (「M.A.D.」へ異動)、林翔太 (「M.A.D.」へ異動)、
山澤誠
第2期メンバー (2004年9月 - 2005年夏)
- 二階堂高嗣、千賀健永、玉森裕太 (「J.J.Express」からの異動で加入)、
宮田俊哉 (「田んぼ組」から中途加入)
第2期脱退メンバー
- 江田剛 (「田んぼ組」から中途加入)
F.M.Tokyo
2004年8月結成。 嵐のコンサートでの花束贈呈役が主な活動だった。
メンバー
- F. - 福田悠太
- M. - 松崎祐介
- T - 辰巳雄大
- ok (Koshioka) - 越岡裕貴
- yo (Ryo) - 川村陵
いけこたいな
2005年結成。 しかし同年7月に早くも消滅し、全員「Jr.BOYS」に吸収された。
メンバー
- いけ - 池田優
- こ - 松本幸大
- た - 秋山大河
- いな - 稲葉光
BAD BOYS
2005年結成。 関西ジュニア内ユニットの「B.A.D. (第4期以降)」と「BOYS (第3期)」の合同ユニット。 詳細はBAD BOYSを参照。
BIG FOUR
2005年結成。「small but BIG 4」、「Tops」の前身。
それぞれのメンバーが独自の特技を持っているというのが売りだった。特技の内容については括弧内に記載。
メンバー
- 小林宏一 (フィギュアスケート。 女子フィギュア選手の安藤美姫とは幼なじみ)、
トミー・真央 (バトン)、ゴトウ泰観 (バイオリン)、
ジョーイ・ティー (ヒップホップ・ダンス)
small but BIG 4
舞台『DREAM BOY』(2006年1月3日 - 29日、帝国劇場)の出演者として結成された、1ヶ月間の限定ユニット。
「BIG FOUR」の後継で、「Tops」の前身。
ユニット名には「小さいけれど偉大な4人」という意味が込められており、「BIG FOUR」の時と同様、それぞれのメンバーが独自の特技を持っているというのが売りだった。
特技の内容については括弧内に記載。
メンバー
- 中島裕翔 (演技)、トミー・真央 (バトン)、ゴトウ泰観 (バイオリン)、ジョーイ・ティー (ヒップホップ・ダンス)
Tops
2006年2月結成。「BIG FOUR」、「small but BIG 4」の後継。
「small but BIG」の活動終了後、元の「BIG FOUR」の4人に藤間貴彦を加えることで結成された。 「BIG FOUR」、「small but BIG」の時と同様、それぞれのメンバーが独自の特技を持っているというのが売りであった。特技の内容については括弧内に記載。
2006年夏に小林が脱退および活動休業。2007年にはジョーイ・ティーが脱退。グループも、2007年内に自然消滅した。
その後、小林は2008年の元旦よりジュニアとして活動を再開した。
メンバー
- トミー・真央 (バトン)、ゴトウ泰観 (バイオリン)、藤間貴彦(日本舞踊)
脱退メンバー
- 小林宏一 (フィギュアスケート。2006年夏に脱退)、
ジョーイ・ティー (ヒップホップ・ダンス。2007年に脱退)
コンサート
- ジュニアの大冒険! (2006年8月15日 - 25日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン「パレロワイヤル」)
- YOU達の音楽大運動会 (2006年9月30日&10月1日、代々木第一体育館)
関西M.A.D.
2006年3月、「M.A.D.」の関西版として結成。
メンバー
- 浜中文一、伊藤政氏、室龍規、青木龍太郎、室龍太、佐竹滉輝
Veteran → 濵田崇裕 with Veteran → 濵田崇裕とVeteranたち
ベテラン。 当初は正式なユニットではなく、2006年12月より伊藤、浜中、龍規、菊岡の4名で、「自称べてらん勢」や「チームべてらん」と自称していた。
やがて、「通称・チームべてらん」や、「通称“ベテラン”」などと表記されるようになる。
そして2008年12月の山碕の加入を機に、「Veteran」の表記で正式ユニットとなった。 略称:ベテ。
『週刊女性』(2008年7月29日号、主婦と生活社)にて、渋谷すばるが引き起こした非常にショッキングな事件の記事が掲載される。
あまりにも深刻な内容のため、記事のタイトルさえもここでは控えるが、同年5月16日未明に大阪・北区の高級ホテル「ウェスティン大阪」にて発生し、救急車まで出動したその事件現場に、Veteranの伊藤、室、菊岡の3名が同席していたことで話題となった。
2011年からは濵田と合流し、「濵田崇裕 with Veteran」(略称:濵ベテ)名義で活動。
2013年にメンバーの脱退が相次ぎ、「濵田崇裕とVeteranたち」に改名。
2014年1月の大阪城ホールでのコンサートを最後に消滅した。
メンバー
脱退メンバー
- 伊藤政氏 (2011年に脱退)
- 室龍規 (2012年4月5日に脱退、および退所)
- 菊岡正展 (2013年に脱退)
- 山碕薫太 (2008年12月の大阪松竹座のコンサートから加入。2013年に脱退)
オリジナル曲
- S.O.S (2009年12月)
- 轟 -GO!- (2010年7月)
カバー曲
- ブリュレ (原曲は関ジャニ∞)
ラジオ
- 関西ジュニア もぎたて関ジュース (2007年4月 - 、ラジオ関西)
-
「チームべてらん」として、伊藤、浜中、龍規、菊岡が出演。
舞台
- Tough Weeds 光の射すほうへ・・・ AND SHOW TIME (2009年8月2日 - 27日、大阪松竹座)
-
伊藤、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑
- 少年たち 格子無き牢獄 (2010年8月3日 - 28日、大阪松竹座) 伊藤、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑
- 少年たち 格子無き牢獄 (2011年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 少年たち 格子無き牢獄 (2012年8月4日 - 27日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- ANOTHER (2013年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、菊岡、龍太、山﨑が出演。
コンサート
- ファーストWinterコンサート 2006 (2006年12月16日 - 25日、大阪松竹座) 伊藤、浜中、龍規、菊岡
- 関西ジュニア 大阪松竹座 2007(2007年8月6日 - 23日、大阪松竹座)
-
「通称・チームべてらん」として、伊藤、浜中、龍規、菊岡が出演。
- 関西ジュニア X'mas in 松竹座 おめでとう in 城ホール 前夜祭
-
(2007年12月24日&25日、大阪松竹座) 伊藤、浜中、龍規、菊岡
- 関西ジュニア おめでとう in 城ホール (2008年1月3日、大阪城ホール) 伊藤、浜中、龍規、菊岡
- 関西ジュニア @大阪松竹座 2008夏 (2008年8月19日 - 8月28日、大阪松竹座)
-
「通称“ベテラン”」として、伊藤、浜中、龍規、菊岡が出演。
- 関西ジュニアユニットコンサート in 大阪松竹座 2008 (Little Gangsとの合同公演)
-
(2008年12月10日&11日、大阪松竹座) 伊藤、浜中、龍規、菊岡、山碕
- 関西ジュニア ’08 Merry X'mas Concert (2008年12月23日 - 26日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニア UME (ユメ) コン 2009 (2009年6月18日 - 20日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニア Xマスやで!全員集合! @大阪松竹座 ’09 (2009年12月1日 - 7日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア X'Masコンサート 2010 (2010年12月4日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア X'Masコンサート 2011 B.A.D. / 濵田崇裕 with Veteran
-
(2011年12月5日 - 25日、大阪松竹座) 「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア あけましておめでとうコンサート 2012 (1月2日&3日、大阪城ホール)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア 春休みスペシャルコンサート 2012 (2012年3月24日 - 4月5日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、龍規、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア X'masコンサート2012 (12月2日 - 25日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア 平成25年 明けましておめでとうコンサート (2013年1月5日&6日、大阪城ホール)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア 春休みスペシャルコンサート 2013 (2013年3月5日 - 27日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕 with Veteran」として、濵田、浜中、菊岡、龍太、山﨑が出演。
- 関西ジュニア X'masコンサート 2013 (2013年12月1日 - 25日、大阪松竹座)
-
「濵田崇裕とVeteranたち」として、濵田、浜中、龍太が出演。
- 関西ジュニア 明けましておめでとうコンサート 2014 (2014年1月4日&5日、大阪城ホール)
-
濵田、浜中、龍太の3名による「濵田崇裕とVeteranたち」名義での新たなグッズは会場で販売されるも、実際のステージでは、3人での曲披露は無かった。
Joey Team
2006年7月に、ジョーイ・ティーが友人を集めて結成。 結成当時、ジョーイ以外のメンバーは皆、ジャニーズ事務所に所属していなかったが、後にジェシーとダイキが入所した。
「Johnny's Universal」の後継で、「ジャニーズインターナショナル」の前身。
メンバー
- ジョーイ・ティー(リーダー)、ジェシー、ダイキ(後の渡辺大輝)
- 事務所部外者
- アダム (ジョーイ・ティーの友人)
サポートメンバー
- 事務所部外者 (4人ともジョーイ・ティーの友人)
- Yohance(ヨハンス)、Blake(ブレイク)、Khameron(キャメロン)、Gaz(ギャズ)
Kitty
2006年7月結成。 結成当初の表記:kitty。 別名義:KITY。 詳細はKittyを参照。
Kitty Jr.
ジュニアのコンサート『ジュニアの大冒険!』(2006年8月15日 - 25日)の開催に合わせて結成。
「Kitty」の弟分。
(同コンサートのパンフレットより)
(同コンサートで販売されたコレクションカード)
雑誌では同年8月7日発売の『POTATO』(同年9月号)で「kitty Jr.」の表記で初登場。
同誌では同年11月号までこの旧表記が使われた。
サポートメンバーはコンサート終了と共に離れたが、メインの3名(山田、京本、伊藤)だけは、「Tap Kids」と共に2007年3月まで活動した。
2006年末には知念侑李が追加された。
※ メンバーの中には他のグループに所属していた者も居たため、当時の各所属グループの状況も併せて記す。
メンバー
- J.J.Express
- 山田涼介
- J.J.Express ちびっ子チーム
- 京本大我、知念侑李
- ジュニア
- 伊藤拓美
サポートメンバー
- ジュニア
- 滝野雄、高崎俊吾、龍興直弥、須藤隼人
- Jr.BOYS
- 野澤祐樹、宮舘涼太、佐久間大介
コンサート
- ジュニアの大冒険! (2006年8月15日 - 25日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン「パレロワイヤル」)
- YOU達の音楽大運動会 (2006年9月30日&10月1日、代々木第一体育館)
- 2007謹賀新年あけましておめでとう!ジュニア大集合! (2007年1月2日 - 1月4日、6日、7日、日本武道館)
バラエティ番組
- YOUたち! (2006年10月 - 12月、日本テレビ)
Tap Kids
ジュニアのコンサート『ジュニアの大冒険!』(2006年8月15日 - 25日)の開催に合わせ、タップダンスを得意とするメンバーを中心に結成。

(同コンサートのパンフレットより)

(同コンサートで販売されたコレクションカードの表裏)
雑誌では同年8月7日発売の『POTATO』(同年9月号)で「TAP KIDS」の表記で初登場。 同誌では同年11月号までこの旧表記が使われた。
サポートメンバーはコンサート終了と共に離れたが、メインの3名(中島、龍太郎、神田)だけは、「Kitty Jr.」と共に2007年3月まで活動した。 2006年末には森本慎太郎が追加された。
※ メンバーの中には他のグループに所属していた者も居たため、当時の各所属グループの状況も併せて記す。
メンバー
- J.J.Express
- 中島裕翔 (リーダー)、森本龍太郎
- J.J.Express ちびっ子チーム
- 森本慎太郎
- ジュニア
- 神田憲征
サポートメンバー
- ジュニア
- 大森隼、富井翔太、江上龍
- Jr.BOYS
- 渡辺翔太、小野寺一希
コンサート
- ジュニアの大冒険! (2006年8月15日 - 25日、ホテル・グランパシフィック・メリディアン「パレロワイヤル」)
- YOU達の音楽大運動会 (2006年9月30日&10月1日、代々木第一体育館)
- 2007謹賀新年あけましておめでとう!ジュニア大集合! (2007年1月2日 - 1月4日、6日、7日、日本武道館)
バラエティ番組
- YOUたち! (2006年10月 - 12月、日本テレビ)
OSSaN
2006年8月3日結成。 詳細はOSSaNを参照。
Little Gangs
略称:リトギャン。 2006年10月結成。 関西ジュニア内のダンスユニット。
途中からメンバーが追加されたり、2009年6月には数名が「Big Gangs」として分裂するなど、流動的でメンバーの増減が激しかった。
第1期は2011年夏まで活動。 そして同年12月に第2期が結成され、2013年まで活動した。
ユニット名の由来は、1975年にレコードデビューしたデュオ「リトル・ギャング」からの流用。
第1期 結成メンバー (2006年10月 - )
- 小野美勇士、掛川悠哉、上村雅哉、楠本幸登、新矢悠貴、林真鳥、福野麗生馬、藤原丈一郎、餅田貴大、山口健太、山下颯、横山京平、吉田涼也
第1期 追加メンバー
- 朝田淳弥、石田英剛、今江大地、岡崎拓弥、古謝那伊留、竜田昂征、中田篤志、バッケス健人、フューガル・ショーン・悟空、向井康二
第2期メンバー (2011年12月 - 2013年)
- 三田壮一朗、福井宏志朗、福本大晴、松家英樹、米津維吹
コンサート
- ファーストWinterコンサート 2006 (2006年12月16日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア 大阪城ホール FIRST CONCERT 2007 (2007年5月6日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア @大阪松竹座 2008夏 (2008年8月19日 - 8月28日、大阪松竹座)
- 関西ジュニアユニットコンサート in 大阪松竹座 2008 〔Veteranとの合同公演〕
-
(2008年12月10日&11日、大阪松竹座) - 楠本、悟空、健人、竜田、山下、古謝、岡崎、向井、藤原
- 関西ジュニア ’08 Merry X'mas Concert (2008年12月23日 - 26日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニア UME (ユメ) コン2009 (2009年6月18日 - 20日、梅田芸術劇場)
舞台
- Tough Weeds 光の射すほうへ・・・ AND SHOW TIME (2009年8月2日 - 27日、大阪松竹座)
- 少年たち 格子なき牢獄 (2010年8月3日 - 28日、大阪松竹座) - 藤原、岡崎、竜田、中田、今江
- 少年たち 格子無き牢獄 (2012年8月4日 - 27日、大阪松竹座)
- ANOTHER (2013年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
TOP3
トップスリー。 2006年11月に関西ジュニア3名によって初代が結成されたが、間もなくして下記の「TOP Kids」に改名した。
その後、2008年4月頃から一緒に活動していた3名の関東Jr.に対し、同年8月2日に行われたコンサート「SUMMARY 2008」で正式に「TOP3」としての結成が発表された。
しかし直後の8月29日に橋本が「A.B.C-Z」に加入したため、9月5日に「SUMMARY 2008」が終了すると共に、2代目のTOP3も早くも消滅した。
初代メンバー
- 神山智洋、バッケス健人、中山優馬
2代目メンバー
- 真田佑馬、野澤祐樹、橋本良亮
2代目のオリジナル曲
- 限界メーター (作詞:Shihomi、作曲:日比野裕史)
- INTO MINE
2代目の出演
※ バックダンサーとしての出演作は除く。
- ザ少年倶楽部 (バラエティ番組、2008年、NHK BS2・BShi)
- SUMMARY 2008 (コンサート、2008年8月2日 - 9月5日、お台場青海J地区特設会場 Johnnys Theater)
TOP Kids
2006年11月に関西ジュニアによって結成。 旧名は上記の「TOP3」。 詳細はTOP Kidsを参照。
ムエタイ向井ブラザーズ
2006年後半に結成。 関西ジュニア内の兄弟ユニット。タイ人の母を持つハーフの兄弟。
グループ名の由来は、兄弟がタイでムエタイを習っていたことから。
事務所入りしたきっかけも、ジャニー喜多川が2002年にタイを訪れた際、ムエタイ道場に飾られた写真で向井康二の姿を偶然目にし、日本に戻ってから向井に連絡してスカウトしたというものだった。
なお、先にスカウトされたのは弟の康二で、「兄も居ます」と言った所、兄も一緒にスカウトされた。
当グループは2009年頃に自然消滅。
ちなみに兄弟が本当に好きなスポーツはムエタイではなくテニスであり、奈良県香芝市立香芝中学校では兄弟揃ってテニス部に所属。
兄は近畿大会にも進んだ。
メンバー
- 向井達郎 (兄)、向井康二 (弟)
コンサート
- ファーストWinterコンサート 2006 (2006年12月16日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア 大阪城ホール FIRST CONCERT2007 (2007年5月6日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア 大阪松竹座 2007 (2007年8月6日 - 23日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア X'mas in 松竹座 おめでとう in 城ホール 前夜祭 (2007年12月24日&25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア @大阪松竹座 2008夏 (2008年8月19日 - 28日、大阪松竹座)
ジャニーズインターナショナル
2007年夏頃結成。 「Johnny's Universal」、「Joey Team」の後継グループ。 2007年末頃に自然消滅。 「Jインターナショナル」、「チームインターナショナル」、「インターナショナル」などとも呼ばれた。
メンバー
- ジョーイ・ティー、ルイス・ジェシー、渡辺大輝、カミュー・ケイド、ペイン・ダンテ・将之介、
アンダーソン・ケイシー、ウェスリー・マッシー、山倉沙瑠芙、遠藤洋典アレキサンダー
オリジナル曲
- Baby This Time
7WEST (旧名:中山優馬 w/Hey! Say! 7 WEST)
セブンウェスト。 2007年8月結成。 詳細は7WEST (旧名:中山優馬 w/Hey! Say! 7 WEST)を参照。
室3兄弟
2007年12月結成。 関西ジュニア内の兄弟ユニット。 2009年夏頃に自然消滅。
メンバー
- 室龍規(長男)、室龍太(次男)、室将也(三男)
コンサート
- 関西ジュニア X'mas in 松竹座 「おめでとう in 城ホール 前夜祭」 (2007年12月24日&25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア @大阪松竹座 2008夏 (2008年8月19日 - 28日、大阪松竹座)
- バッテリー・ごくせん大阪凱旋コンサート (2008年9月1日&2日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニアユニットコンサート in 大阪松竹座 2008 (2008年12月7日 - 9日、大阪松竹座) - BOYSとの合同公演
- 関西ジュニア ’08 Merry X'mas Concert (2008年12月23日 - 26日、梅田芸術劇場)
- 関西ジュニア UME (ユメ) コン 2009 (2009年6月18日 - 20日、梅田芸術劇場)
MIJIME
ミジメ。 関西ジュニア内のユニット。 2008年7月16日のKAT-TUNのコンサート『KAT-TUN LIVE TOUR 2008 QUEEN OF PIRATES』(@京セラドーム大阪)内の、田口淳之介のソロコーナーにて、当日入所したばかりの関西ジュニアの新人メンバーを対象に、更に生オーディションを開催。 その中から合格した5名で結成された。 コンサート「関西ジュニア @松竹座2008夏」にて初お披露目。 近藤真彦の曲『ケジメなさい』の替え歌『ミジメなさい』が持ち歌。 ユニット名の由来は不明。 短期間で消滅。
メンバー
- 小西真、三嶋健太、森順一、仁田直人、爰川和哉
コンサート
- 関西ジュニア @大阪松竹座2008夏 (2008年8月19日 - 28日、大阪松竹座)
- 関西ジュニアユニット in 大阪松竹座 2008冬コンサート
B.I.Shadow
ビー・アイ・シャドウ。
2008年10月期のテレビドラマ『スクラップ・ティーチャー ~教師再生~』で不良役を演じていた3名(中島、髙畑、菊池)で、「Boys In Shadow (影の中の少年たち)」の意味で結成。
雑誌『POTATO』では2008年11月号で初登場した。
2009年6月からは「中山優馬 w/B.I.Shadow」、および「NYC boys」としても活動し、シングル『悪魔な恋 c/w NYC』でCDデビューを果たした。
2011年秋、Sexy Zoneの結成、CDデビューに伴い自然消滅。
なお、2010年4月~5月に日生劇場で行われた舞台『滝沢歌舞伎 -TAKIZAWA KABUKI-』のパンフレットには髙地、中島、菊池、松村の4名が「B.I.Shadow」として写真付きで大きく掲載されているが、4名とも出演中止になっており、実際の舞台公演には一度も参加していない。
メンバー
- 髙地優吾 (2009年6月に追加加入)
- 中島健人
- 菊池風磨
- 松村北斗 (2009年5月に髙畑と交代で加入)
脱退メンバー
- 髙畑岬 (2009年5月に松村と交代で脱退)
They武道
2008年10月結成。 「宇宙Six」の前身ユニット。 2012年7月9日~24日のみ「Hey! Guys」名義で活動した。 詳細はThey武道を参照。
Hip Hop JUMP
旧表記:Hip Hop Jump。
略称:ヒプホ、HHJ。
2008年11月8日に行われた『A.B.C-Z & Kis-My-Ft2 First Concert』の“再追加公演”にて、森田、田中、ジェシー、萩谷、カミューの5名で結成。
雑誌『Wink up』では2009年2月号で「Hip Hop Jump」の表記で初登場。
その後、メンバーや人数が何度か変わり、表記も「Jump」が「JUMP」に変更された。
2012年に自然消滅。
メンバー
- 諸星翔希、萩谷慧悟、田中樹、ルイス・ジェシー、角井健人
脱退メンバー
- 森田美勇人、村田力斗、大森隼、カミュー・ケイド、岸本慎太郎、今野貴之
コンサート
- A.B.C-Z & Kis-My-Ft2 First Concert (2008年11月8日&9日、国立代々木競技場 第一体育館)
- ジュニア 夏休み全員集合1日4公演 ! ! (2009年8月18日、東京国際フォーラムホールA)
- 年末ヤング東西歌合戦!東西Jr.選抜大集合2010! A.B.C-Z+ジュニア選抜 VS 中山優馬+関西ジュニア選抜 (2010年11月26日&27日、NHKホール)
- みんなクリエに来てクリエ!2011 【PART 4】 (2011年5月23日 - 29日、シアタークリエ)
内博貴 with Rockな仲間たち
2008年12月結成。 内博貴のコンサートのために結成された。
メンバー
- 内博貴、中田大智、濵田崇裕、千崎涼太、桐山照史、中間淳太
コンサート
- 内博貴 年末年始 Rockな仲間たち大集合!
-
(2008年12月19日 - 2009年1月4日。中間は海外ロケのため、横浜公演には出演していない)
- ウシシもぅ大変!東西ドーム10万人集結!! 年越しジャニーズ生歌合戦 (2008年12月31日 - 2009年1月1日)
- UCHI 博貴 内 HIROCKY (2009年3月7日 - 4月4日。桐山と中間は、ドラマ・映画の撮影のため出演していない)
Mis Snow Man
2009年1月1日結成。 詳細はMis Snow Manを参照。
Big Gangs
「Little Gangs」から分裂する形で、2009年6月に結成。 関西ジュニア内ユニット。 略称:ビッギャン。 「Gang Star」の前身。
メンバー
- 有本祐、上村雅哉、楠本幸登、フューガル・ショーン・悟空
脱退メンバー
- 中田篤志、バッケス健人
コンサート
- 関西ジュニア UME (ユメ) コン2009 (2009年6月18日 - 20日、梅田芸術劇場)
- 春休み all関西ジュニア in 大阪城ホール with 中山優馬 (2010年3月28日&29日、大阪城ホール)
Shadow WEST
2009年夏頃結成。 関西ジュニア内のユニット。 B.I.Shadowの関西版。 略称:シャドウエ。 雑誌『POTATO』では2009年10月号に初登場。 結成当初のメンバーは向井、金内、北田の3名。 2012年夏に自然消滅。
メンバー
- 向井康二、金内柊真、朝田淳弥、古謝那伊留
脱退メンバー
- 北田和也、千崎涼太
舞台
- 少年たち 格子無き牢獄 (2010年8月3日 - 28日、大阪松竹座)
- 少年たち 格子無き牢獄 & SHOW TIME! (2011年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
- 少年たち 格子無き牢獄 & SHOW TIME! (2012年8月4日 - 27日、大阪松竹座)
コンサート
- 春休み all関西ジュニア in 大阪城ホール with 中山優馬 (2010年3月28日&29日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア あけましておめでとうコンサート 2011(2011年1月2日&3日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア with 中山優馬 Spring Concert 2011(2011年3月5日 - 5月29日)
- 関西ジュニア X'Masコンサート 2011 (2011年12月3日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア あけましておめでとうコンサート 2012(2012年1月2日&3日、大阪城ホール)
京男
きょうおとこ。 2009年8月2日~27日に大阪・松竹座で行われた関西ジュニアのミュージカル『Tough Weeds 光の射すほうへ・・・ AND SHOW TIME』にて、関西ジュニアのメンバーによって結成、初お披露目されたユニット。
結成当初は「京男5人組」と名乗り、略すと「男組」になることから、男闘呼組の曲『DAYBREAK』をカバーして歌っていた。
メンバー構成は非常に流動的で、まず、千崎、平野、向井、金内、北田の5名が8月19日の公演に初登場。
その後、向井、金内、朝田、藤原、古謝の組み合わせや、千崎、平野、渡辺、室、仁田の組み合わせで登場した。
一方、アイドル誌では「京男」や「京男3人組」として、千崎、平野、渡邉の3名のみで登場。
その後、室と仁田が雑誌の方にも追加で加入した (第2期メンバー)。 持ち歌は、『DAY BREAK』、『みはり』、『Here I Am』など。
2011年夏頃に一度消滅したが、2013年春のコンサートで第6期メンバーとして突如復活した。
なお、京男の歴代メンバーの中で京都在住者は、千崎(生まれは神戸)、室、根来、草間の4名のみ。
第1期
ミュージカルと雑誌、共に登場した主要メンバー- 千崎涼太、平野勇気、渡邉黎哉
- 向井康二、金内柊真、北田和也、朝田淳弥、藤原丈一郎、古謝那伊留、室将也、仁田直人
第2期メンバー
- 千崎涼太、平野勇気、渡邉黎哉、室将也、仁田直人
第3期メンバー
- 千崎涼太、渡邉黎哉、室将也、仁田直人
第4期メンバー
- 千崎涼太、渡邉黎哉、室将也
第5期メンバー
- 千崎涼太、室将也
第6期メンバー
(2012年3月26日 - )- 千崎涼太、室将也、林真鳥、大田裕明、根来将光、草間リチャード敬太、楠本幸登
コンサート
- 春休み all関西ジュニア in 大阪城ホール with 中山優馬 (2010年3月28日&29日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア あけましておめでとうコンサート 2011 (2011年1月2日&3日、大阪城ホール)
舞台
- 少年たち 格子無き牢獄 & SHOW TIME! (2011年8月3日 - 27日、大阪松竹座) - 千崎、渡邉、室、仁田
B.B.V. → (B.H.V.)
2010年結成。 詳細はB.B.V. → (B.H.V.)を参照。
少年邦楽専科
2010年4月4日 - 5月8日まで日生劇場で行われた舞台『滝沢歌舞伎 TAKIZAWA KABUKI』への出演のために結成されたユニット。 括弧内はそれぞれが得意分野として披露した内容。
メンバー
- 京本大我(時代劇)、今野貴之(詩吟)、林丈一(和太鼓)、藤間貴彦(日本舞踊・藤間流)、村治将之助(三味線)
サポートメンバー
- ゴトウ泰観(胡弓)、安井謙太郎、川島如恵留、中村嶺亜
S.A.D.
エス・エー・ディー。 2010年7月結成。 ミュージカル『PLAYZONE 2010 ~ROAD TO PLAYZONE~』への出演のために結成された舞台限定ユニット。 翌年には下記の「JR.A」に進化。
メンバー
- 仲田拡輝、川島如恵留、森田美勇人、七五三掛龍也
Gang Star
関西ジュニア内のダンスユニット。
結成当初の表記:Gang-Star。 略称:ギャンスタ。 前身ユニットは「Big Gangs」。
2010年7月28日、コンサート「関西ジュニア 2010 夏休みだよ!全員集合 ! ! in 大阪城ホール」 にてお披露目。
2014年に自然消滅。 流動的でメンバーの増減が激しかった。
結成メンバー
- 有本祐、上村雅哉、楠本幸登、フューガル・ショーン・悟空
追加メンバー
- 朝田淳弥、今江大地、大橋和也、岡崎拓弥、岡村勇市朗、草間リチャード敬太、古謝那伊留、三田壮一朗、末澤誠也、中田篤志、林真鳥、藤原丈一郎
ジャPAニーズHi!School
2010年11月27日に初お披露目。 旧名:ジャPAニーズHi!。 詳細はジャPAニーズHi!Schoolを参照。
“MAD”
エムエーディー。 「M.A.D.」から分裂して2011年4月に結成。
その後、加藤が脱退、続いて野田も脱退し、2015年8月の舞台『滝沢歌舞伎 10th Anniversary』(シンガポール公演)への出演を最後に消滅した。
メンバー
- 松本幸大、池田優
脱退メンバー
- 野田優也、加藤幸宏
JR.A
ジュニア・エー → ジェイアールエー。 2011年7月結成。 今井翼主演のミュージカル『PLAYZONE ’11 SONG & DANC'N.』への出演を機に結成されたユニット。
前年に同ミュージカルシリーズで結成された上記の舞台限定ユニット「S.A.D.」が前身で、メンバーも全く同じである。
ユニット名の読み方は、PLAYZONEの時点では今井翼が「ジュニア・エー」と紹介していたが、翌2012年春の『滝沢歌舞伎 2012』の際に読み方が改められ、滝沢秀明が「ジェイアールエー」と紹介した。
鉄道の「JRグループ」や「JRA (日本中央競馬会)」などの大看板を意識して絡めた名前で、同じような例に、FMラジオ放送局「エフエム東京 (TOKYO FM)」の名を絡めた2004年のJr.内ユニット「F.M.Tokyo」や、黒澤明監督の映画『七人の侍』から引用した「7 MEN 侍」(セブンメンさむらい)がある。
翌2012年のPLAYZONEでは、メンバーを5名(中村海人、宮近海斗、吉澤閑也、梶山朝日、阿部顕嵐)追加して、「Travis Japan (略称:トラジャ)」に進化。
名前の由来は、PLAYZONEの振付を担当している有名振付師・Travis Payneから。
グループの中でも、JR.A出身の4名が「兄組」、追加の5名が「弟組」と2つに分かれている。
メンバー
- 仲田拡輝、川島如恵留、森田美勇人、七五三掛龍也
Aぇ少年
2011年結成。 関西ジュニア内のユニット。
メンバー
- 西畑大吾、永瀬廉、𠮷野伊織(センター)、白本祥太、正門良規
舞台
- 少年たち 格子無き牢獄 (2011年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
- 少年たち 格子無き牢獄 (2012年8月4日 - 27日、大阪松竹座)
- ANOTHER (2013年8月3日 - 27日、大阪松竹座)
コンサート
- 関西ジュニア X'masコンサート 2011 (2011年12月3日 - 25日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア あけましておめでとうコンサート2012 (2012年1月2日 - 3日、大阪城ホール)
- 関西ジュニア 春休みスペシャルコンサート 2012 (2012年3月24日 - 4月5日、大阪松竹座)
- 関西ジュニア 平成25年明けましておめでとうコンサート (2013年1月5日&6日、大阪城ホール)
微笑年
びしょうねん。 2011年7月結成。 下記「Sexy Boy」の前身ユニット。 「ジャPAニーズHi!School」からの選抜メンバーで結成。 一部のメンバーは変動的であった。
固定メンバー
- 佐藤勝利、松島聡、倉本郁
変動メンバー
- 葉マリウス(後のマリウス葉)、岸優太、髙橋颯、羽生田挙武
Sexy Boy
2011年9月23日発売の雑誌『Myojo』(同年11月号)にて披露されたユニット。
しかし、これより少し前の同年9月5日、ジャニー喜多川社長が、A.B.C-Zの主演ミュージカル『少年たち 格子無き牢獄』(日生劇場)の初日の囲み取材で、
-
「A.B.C-Zは歌もダンスも演技もできる才能あるグループ。これだけの才能軍団は、外国に持っていっても恥ずかしくない。
新メンバー2人を加えて「A.B.C-xyZ」(読み方は変わらず、xyを無視してエービーシー・ズィー。「SixTONES」をストーンズと読ませるのと同じパターン)に進化させ、東南アジア公演やCDデビューも考えていきたい。
xyとはSexyの意味で、セクシーなメンバーを加えたい。
一人は「B.I.Shadow」の菊池風磨を考えている」
なお、A.B.C-Zの方はメンバーもグループ名も変えないままで、2012年にジャニーズ初の“DVDデビュー”をすることとなった。 また、「Sexy Boy」の名称も、翌2012年7月23日(月曜日)に結成されたJr.の新グループ「Sexy Boyz」へと引き継がれた。
メンバー
- 佐藤勝利、松島聡、葉マリウス(後のマリウス葉)、倉本郁、羽生田挙武
Jr.BOYS BEST / Jr.BOYS Special
2011年秋に結成。 2つとも関西ジュニア内のユニット。 詳細はJr.BOYS BEST / Jr.BOYS Specialを参照。
バカレア組
別名:チームバカレア。 2012年のテレビドラマ『私立バカレア高校』(2012年4月14日 - 、日本テレビ。原作:秋元康。同年10月には映画化)に出演するジュニア6名で結成。
当初は正式なユニットではなく、6名に対しての“俗称”でしかなかったが、次第に「バカレア組」の名で、正式にアイドル誌へ掲載されるようになった。
なお、当ドラマには内博貴、Hey! Say! JUMPの髙木雄也、Kis-My-Ft2の宮田俊哉、そして元Jr.の白水萌生も出演。 映画版にはKis-My-Ft2の玉森裕太も参加している。
2013年1月16日放送の『ザ少年倶楽部』への出演を最後に、バカレア組は自然消滅。
しかし1年半後の2014年5月に行われたライブ「ガムシャラ J's Party ! ! Vol.4」(略称:ガムパ)にて、1度だけ再集結した。
これで本当に6名での活動は最後かと思われていたが、同年にジュニアのカレンダー撮影でたまたま6人が同じ現場に居合わせた際、撮影後にジェシーが一緒に帰っていた髙地に「やっぱりまた6人で何かやりたい。みんなを集めてくれないか」と頼み、後日ジャニー喜多川に6人で「一回だけ、一曲だけでいいので、また6人でやりたい」と直談判した結果、2014年11月収録の『ザ少年倶楽部』にて、久しぶりにテレビで1曲だけ歌わせて貰えることとなった (2015年1月7日放送回で披露した『HELL, NO』)。
しかし活動はこの一回では終わらず、続けて2014年12月のライブ「ガムシャラ J's Party ! ! Vol.6」にも6名で一緒に出演することが決定。
雑誌『duet』(2015年2月号)の撮影も、2014年12月16日に6名で行われた。
そして2015年5月1日、ライブ公演『ジャニーズ銀座 2015』の昼の部の公演にて、旧バカレア組メンバー6名に対し、正式に「シックス・トーンズ」のグループ名が付いたことを本人たちが発表。
但し表記はまだ確定しておらず、雑誌によって「SIX TONES」、「six tones」と異なっていたが、同月11日に行われた『ザ少年倶楽部』の収録より、表記が「SixTONES」、読み方が「ストーンズ」に変更された。
メンバー
- 髙地優吾、森本慎太郎、松村北斗、京本大我、田中樹、ルイス・ジェシー
コンサート
- Hey! Say! JUMP ASIA FIRST TOUR 2012
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横浜アリーナ公演にメインバックとして出演。
オープニングでは馬鹿田高校の制服姿で登場し、観客を大いに沸かせた。
また、ジュニアの歌唱コーナーにてKAT-TUNの『HELL, NO』をカバー披露した。 後に『JUMP WORLD 2012』のタイトルでDVD化。
- ジュニア SUMMARY 2012
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(2012年9月8日&9日、TOKYO DOME CITY HALL) バカレア組が主演のコンサート
- 私立バカレア高校学園祭 (2012年9月29日、新木場・STUDIO COAST)
-
映画『劇場版 私立バカレア高校』の公開を記念して行われたファンミーティング。
- フレッシュジュニア IN 横浜アリーナ (2012年12月16日、横浜アリーナ)
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noon boyz、Sexy Boyz、安井謙太郎、萩谷慧悟らと共に行ったコンサート。
- JOHNNYS' Worldの感謝祭 in TOKYO DOME (2013年3月16日、東京ドーム)
-
若手ジャニーズ総出演のコンサート。
バカレア組としての出演ではないが、『私立バカレア高校』の主題歌『Shake It Up』を、noon boyz、Snow Man、ジュニアと共に披露した。
後にDVD/Blu-ray化。
- ガムシャラ J's Party ! ! Vol.4
-
(略称:ガムパ。2014年5月13日&14日、EX THEATER ROPPONGI)
6名が久しぶりに再集結し、『Shake It Up』、『Le Ciel ~君の幸せ祈る言葉~』、『SIX SENSES』の3曲を披露。 - ガムシャラ J's Party ! ! Vol.6 (2014年12月17日&18日、EX THEATER ROPPONGI)
カバー曲
- Shake It Up
-
Kis-My-Ft2がリリースした『私立バカレア高校』の主題歌だが、バカレア組もコンサートでは必ず歌っており、NHKの音楽番組『ザ少年倶楽部』(2012年5月9日、12月5日)でも披露された (5月9日は髙木雄也とのコラボで披露)。
コンサート「JOHNNYS' Worldの感謝祭 in TOKYO DOME」ではnoon boyz、Snow Man、ジュニアと共に披露し、DVD/Blu-ray化もされている。
- HELL, NO
-
KAT-TUNの3rdアルバムに収録されている楽曲だが、バカレア組の代表曲でもあり、『ザ少年倶楽部』では最多披露された (2012年6月13日、7月11日、10月10日、2015年1月7日)。
また、Hey! Say! JUMPのDVD『JUMP WORLD 2012』にも、バカレア組だけでのパフォーマンスが収録されている。
- Rockin'
-
KAT-TUNの未音源化楽曲だが、バカレア組も『ザ少年倶楽部』にて2012年8月22日、9月5日に披露。 間奏には森本と松村のソロダンスもあった。
- Le ciel ~君の幸せ祈る言葉~
-
KAT-TUNの3rdシングルのカップリング曲だが、バカレア組も『ザ少年倶楽部』にて2012年9月26日に披露。
京本とジェシーのアカペラから始まり、松村の「Le ciel」という叫びからAメロに入る。
- SIX SENSES
-
KAT-TUNの3rdアルバム収録曲だが、バカレア組も『ザ少年倶楽部』にて2013年1月16日に披露した。
Sexy Boyz
通称:セクボ。 2012年7月23日(月曜日)、NHK『ザ少年倶楽部』の収録にて結成が発表される。
流動が激しく、常にメンバーの増減を繰り返すユニットだった。
2012年10月3日には、Sexy Zoneのシングル『Sexy Summerに雪が降る』のカップリングで『雨だって』をリリース。
その際の参加メンバーは、松島、マリウス、神宮寺、中村、羽生田、倉本、西畑、永瀬の8名。
2014年5月5日より、「Sexy Family」内の少数精鋭の「Sexy Boyz」へと変化した。
歴代参加メンバー
※ 五十音順- 阿部顕嵐、井上瑞稀、岩橋玄樹、岡本カウアン、角田侑晟、
金田耀生、岸優太、倉本郁、栗田恵、神宮寺勇太、髙橋颯、
谷村龍一、玉元風海人、永瀬廉、中村嶺亜、西畑大吾、橋本涼、
羽生田挙武、羽場友紀、林一平、林蓮音、平野紫耀、松倉海斗、
松島聡、松田元太、マリウス葉、宮近海斗、村木亮太、本髙克樹
なにわ皇子
なにわおうじ。 2012年7月結成。 関西ジュニア内のユニット。 当初は「Naniwa Oji」 → 「ナニワ王子」と名乗り、最終的に「なにわ皇子」の表記となった。
下記のユニット「Kin Kan」と合わせて、「なにきん」という愛称で呼ばれた。
2015年夏、永瀬が「Mr.King vs Mr.Prince」に加入したことに伴い、自然消滅。
結成メンバー
- Na - 永瀬廉
- niwa (niwa=niha=西畑。一時、ni) - 西畑大吾
- O - 大西流星
「ナニワ王子」時代の一時加入メンバー
- wa (wa=輪=O) - 奥村颯太
Kin Kan
2012年7月結成。 関西ジュニア内のユニット。「King of 関西」の略。 2015年夏、平野が「Mr.King vs Mr.Prince」に加入したことに伴い、自然消滅。 上記のユニット「なにわ皇子」と合わせ、「なにきん」の愛称で呼ばれた。
結成メンバー
- 向井康二、金内柊真
追加メンバー
- 平野紫耀 (ミュージカル『少年たち 格子無き牢獄』の初日である2012年8月4日から加入)
一時加入メンバー
- 岡本カウアン
オリジナル曲
- Blue Rose
Spe千
スペセン。 「Specialな千崎」の略。 正確にはユニットではない。
グループばかりが出演するミュージカル『少年たち 格子無き牢獄』(2012年8月4日 - 27日)の中で、唯一ソロ名義での出演となった関西ジュニアの千崎涼太に対し、同年7月に特別に設けられた“ソロ枠”の名称。
Sexy Jr.
Sexy Zoneのコンサートツアーのバックダンサーとして2014年初頭に結成。 ジュニアのライブ公演『ジャニーズ銀座 2014』(2014年5月24日、25日、31日、6月1日)にも「Sexy Age」と共に出演した。
メンバー
- 中村嶺亜、髙橋海人
Sexy Family (Sexy 松 (Show)、Sexy Boyz)
2014年5月5日結成。 詳細はSexy Familyを参照。
Johnnys' Sound
ジュニアのライブ公演『ジャニーズ銀座 2014』(2014年5月7日、8日の2公演)に出演した11人組。 メンバーはダンス&ボーカル班と、楽器演奏&コーラス班で構成されていたが、アンコール曲の『SHAKE』では演奏班も全員ダンスをしながら歌った。
ダンス&ボーカルメンバー
- 京本大我、増田良、諸星翔希
- “MAD”(池田優、松本幸大。この2名は公演当日になってサプライズ参加)
楽器演奏&コーラスメンバー
- 石垣大祐(キーボード)、石田直也(トランペット)、小川優(ギター)、岸孝良(ベース)、後藤泰観(バイオリン)、小林瑞生(ドラム)
Sexy Champ
ジュニアのライブ公演『ジャニーズ銀座 2014』(2014年5月16日~18日、26日、27日)に出演したユニット。
メンバー
- ジェシー、増田良、半澤暁、真田佑馬、森田美勇人、岡本カウアン、アンダーソン、山倉沙瑠芙
Sexy Age
ジュニアのライブ公演『ジャニーズ銀座 2014』(2014年5月24日、25日、31日、6月1日)に、「Sexy Jr.」と共に出演したユニット。
メンバー
- 平野紫耀、永瀬廉
チーム我 / チーム武 / チーム者 / チーム羅 / チーム覇
2014年7月30日~8月10日にEX THEATER ROPPONGIで行われたライブイベント『ガムシャラSexy夏祭り ! !』と、2015年7月18日~8月20日に同じくEX THEATER ROPPONGIで行われたライブイベント『ガムシャラ!SUMMER STATION』の中で、ジュニアのパフォーマンスバトルステージに出演したチーム。
2014年夏
- チーム我
- ジェシー、増田良、半澤暁、岩本照、深澤辰哉
披露した課題パフォーマンスはショーバスケット。
- ジェシー、増田良、半澤暁、岩本照、深澤辰哉
- チーム武
- 岩橋玄樹、松田元太、髙橋颯、髙橋海人、林蓮音
披露した課題パフォーマンスはフリースタイルダンス。
- 岩橋玄樹、松田元太、髙橋颯、髙橋海人、林蓮音
- チーム者
- 神宮寺勇太、松倉海斗、中村嶺亜、田島将吾、井上瑞稀
披露した課題パフォーマンスはファンカッション。
- 神宮寺勇太、松倉海斗、中村嶺亜、田島将吾、井上瑞稀
- チーム羅
- 松村北斗、森本慎太郎、諸星翔希、京本大我、田中樹
披露した課題パフォーマンスはダブルダッチ。
- 松村北斗、森本慎太郎、諸星翔希、京本大我、田中樹
2015年夏
- チーム我
- ジェシー、森田美勇人、増田良、半澤暁、田中樹
披露した課題パフォーマンスはショーバスケット。
- ジェシー、森田美勇人、増田良、半澤暁、田中樹
- チーム武
- 岩橋玄樹、岸優太、髙橋颯、菅田琳寧、林蓮音
披露した課題パフォーマンスはフリースタイルダンス。
- 岩橋玄樹、岸優太、髙橋颯、菅田琳寧、林蓮音
- チーム者
- 神宮寺勇太、萩谷慧悟、田島将吾、松田元太、羽生田挙武
披露した課題パフォーマンスはファンカッション。
- 神宮寺勇太、萩谷慧悟、田島将吾、松田元太、羽生田挙武
- チーム羅
- 髙地優吾、松村北斗、森本慎太郎、中村嶺亜、岡本カウアン
披露した課題パフォーマンスはダブルダッチ。
- 髙地優吾、松村北斗、森本慎太郎、中村嶺亜、岡本カウアン
- チーム覇
- 安井謙太郎、阿部顕嵐、宮近海斗、橋本涼、井上瑞稀
披露した課題パフォーマンスはインラインスケート。
- 安井謙太郎、阿部顕嵐、宮近海斗、橋本涼、井上瑞稀
中3トリオ
2015年3月26日結成。 Sexy Zoneのコンサートツアー「Sexy Zone Sexy Power Tour」にて、佐藤勝利によって結成が発表された。 井上、橋本の「HiHi Jets」加入に伴い、同年10月頃に自然消滅。
メンバー
- 井上瑞稀、橋本涼、稲葉愛弥
Mr.KING
2015年10月結成。 旧名:Sexy King。 詳細はMr.KINGを参照。
天才Genius
てんさいジーニアス。 2015年12月11日、ミュージカル『JOHNNYS' World』(帝国劇場)の初日公演で結成が発表された。
メンバー
- 本髙克樹、村木亮太、菅田琳寧
サポートメンバー
コンサート「サマステ ジャニーズキング」にて天才Geniusの枠組で出演した2名。
- 松田元太、松倉海斗
音楽番組
- ザ少年倶楽部 (2015年 - 、NHK BSプレミアム)
舞台
- JOHNNYS' World (2015年12月11日 - 2016年1月27日、帝国劇場)
- ジャニーズ銀座 2016 (2016年5月7日&8日、シアタークリエ)
- JOHNNYS' ALL STARS IsLAND (2016年12月3日 - 2017年1月24日、帝国劇場)
コンサート
- サマステ ジャニーズキング (2016年7月30日 - 8月1日、6日、7日、10日、11日、13日、14日、EXシアター六本木)
Classmate J
クラスメイト・ジェイ。 略称:クラJ。 2015年12月11日、ミュージカル『JOHNNYS' World』(帝国劇場)の初日公演で結成が発表された。 結成当初の表記は、最後に点が付く「Classmate J. 」。 非常に流動的なグループだった。
- 2015年12月11日、岩﨑、髙橋、佐々木、今野、和田、松井の6名で結成。
- 翌2016年4月、ライブ公演『ジャニーズ銀座 2016』への出演に伴い、松尾、五十嵐、藤井が追加されて9名に。
- 雑誌『Myojo』(2016年7月号。5月23日発売)では、髙橋が「HiHi Jets」へ移動。 そして松尾が“無所属扱い”で掲載されたため、岩﨑、今野、和田、松井、佐々木、五十嵐、藤井の7名で掲載。
- ところが、HiHi Jetsへ移動したばかりの髙橋が、雑誌『WiNK UP』(2016年7月号。6月7日発売)では、五十嵐、藤井、佐々木の3名と共に新ユニット「Noisy Guys」のメンバーとして紹介されたため、Classmate Jは、岩﨑、今野、和田、松井、松尾の5名に。 (この「Noisy Guys」はすぐに自然消滅)
- 雑誌『Myojo』(2016年9月号。7月23日発売)では岩﨑がおらず、佐々木が復帰し、今野、和田、松井、松尾、そして新メンバーの末武を加えた計6名で掲載。
- しかし2016年7月20日~8月28日に開催されたライブ公演『SUMMER STATION ジャニーズキング』では松尾と末武がおらず、岩﨑と藤井が復帰し、佐々木、今野、和田、松井の計6名で出演。
- 2016年中に消滅。
メンバー
- 岩﨑大昇、佐々木大光、今野大輝、和田優希、松井奏、藤井直樹
脱退メンバー
- 髙橋優斗、五十嵐玲央、末武幸紘、松尾龍
Prince
2016年3月結成。 詳細はPrinceを参照。
Love-tune
2016年3月結成。 2018年11月30日に自然消滅。 詳細はLove-tuneを参照。
Noisy Guys
ノイジー・ガイズ。 雑誌『duet』、『POTATO』、『Wink Up』の2016年7月号(6月7日発売)にて初お披露目されたものの、すぐに自然消滅した。
メンバー
- 髙橋優斗、五十嵐玲央、藤井直樹、浮所飛貴、佐々木大光
Johnnys'5
ジャニーズファイブ。 「Johnny's5」は誤表記。
2016年9月3日~30日のミュージカル『DREAM BOYS』にて結成された公演期間限定ユニット。 舞台中でのグループ名(役名)は「ジェットボーイズ」。
メンバー
- 髙橋海人、髙橋優斗、井上瑞稀、橋本涼、猪狩蒼弥
宇宙Six
うちゅうシックス。 2016年11月11日結成。 2020年10月3日解散。 「They武道」の後身ユニット。 詳細は宇宙Sixを参照。
7忍者
ななにんじゃ。 少年忍者からの選抜チームとして、2018年9月に結成。 舞台『少年たち そして、それから・・・』(2018年9月7日 - 28日、日生劇場)に出演した。 但しメンバーは固定されておらず、7名ずつのローテーション制だった。
参加メンバー
- 青木滉平、安嶋秀生、ヴァサイェガ渉、内村颯太、織山尚大、川﨑皇輝、北川拓実、久保田空輝、黒田光輝、豊田陸人、檜山光成、平塚翔馬、村上真都ラウール、元木湧
5忍者
ごにんじゃ。 少年忍者からの更なる選抜チームとして、2018年10月に結成。 各アイドル雑誌の2019年3月号への掲載を最後に自然消滅した。
なお、2020年からは俗称版の「5忍者」が新たに登場した。
他にも少年忍者の俗称ユニットには、「8忍者」、「9忍者」、更に「3150組」などがある。
メンバー
- 川﨑皇輝、ヴァサイェガ渉、北川拓実、内村颯太、元木湧
IMPACTors
2020年10月16日結成。 2023年5月25日に活動終了。 詳細はIMPACTorsを参照。
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