Archive of STARTO





STARTO/旧ジャニーズ 歴代所属者

当項目では、これまでに旧ジャニーズ事務所、もしくはSTARTO ENTERTAINMENTに所属した歴代の人物を取り上げる。




ソロタレント

ジャニーズ事務所において、男性の内、
  • 最初からソロでレコードデビューした者
  • グループの “解散後” や “脱退後” にソロでレコードをリリースした者 (つまりグループ在籍時のソロリリースは除外)
  • ソロタレントとしての扱いを受けた者
を記す。 女性タレントについては こちら を参照。
但し、グループの活動休止中にソロ活動を行ったとしても、グループが解散していない以上は、ソロタレントとは捉えない (例:KAT-TUN)。 それでも、グループの活動休止中に事務所の公式サイトに各メンバーの単独ページが開設された場合は、ソロタレントと捉える (例:嵐)。
また、グループを脱退した者が事務所を退所するまでにしばらく期間が空いたとしても、その間に芸能活動を何もしなかったのであれば、やはりソロタレントとは捉えない (例:渋谷すばる、錦戸亮)。
そして、旧ジャニーズ事務所の公式サイトが出来てからは、ジュニアがソロタレントに昇格したかどうかの判断は、公式サイトにそのタレントの単独ページが開設されるか、ジュニアからの卒業を事務所が正式に告知した場合に、「ジュニアを正式に卒業」と当サイトでは見なしております。

※ ジャニーズ事務所からのデビュー順

  • 中谷良 (「ジャニーズ」解散後、1974年の夏から1年ほどジャニーズ事務所にソロで復帰)

  • 嶺のぼる (1966年の日劇ウエスタン・カーニバルにソロ名義で出演。 元「スクール三人組」のメンバー。 後の若杉一夫関山和雄

  • おりも政夫 

  • 永田英二八田英士

  • 青山孝 

  • 行田和彦 
      ジューク・ボックス」を脱退後、1972年8月~9月のミュージカル『僕がうたうとき!』にソロ名義で復帰出演。

  • 内田喜郎 

  • 郷ひろみ 

  • 亜井じょう (旧芸名:田中幸夫

       

  • 葵テルヨシ (旧芸名:浅井あきら。後の葵てるよし

  • 小坂まさる 
      当初はソロタレントとして売り出されていたが、途中からグループ枠に入れられた。
      次男の小坂真郷もジャニーズ事務所に入所。

  • 青山信宏 (後の田村幸司

       

  • 森谷泰章 (一時期「森谷やすあき」や「森谷あきら」に改名)

  • 団ひろし 

       

  • 井上純一 

  • 平岡洋二 

       

  • 豊川誕 

  • 殿ゆたか 

  • 未都由 (元「ピクル」のメンバー)

  • 川﨑麻世 

  • 乃生佳之 

  • 赤木さとし 

  • 田原俊彦 

  • 近藤真彦 

  • 野村義男 

  • ひかる一平 

  • 薬丸裕英 (「シブがき隊」解隊後に1年間ソロ活動)

  • 東山紀之 

  • 柳沢超 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 内海光司 

  • 正木慎也 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 中村繁之 

  • 三好圭一 

  • 成田昭次 

  • 岡本健一 (2021年11月1日からはジャニーズ事務所とのエージェント契約に移行)

  • 遠藤直人 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 土田一徳 (後の坂井一徳

  • 高木延秀 (「忍者」消滅後に短期間ソロ活動)

  • 中村亘利 (「NOBU」名義も併用)

  • 鞆田紀世彦 

       

  • 大沢秀高 (後の藤堂右也

  • 山本淳一 

  • 赤坂晃 

  • 佐藤アツヒロ佐藤敦啓[1]

  • 中居正広  [1][2]

  • 木村拓哉  [1][2][3]

  • 稲垣吾郎 

  • 草彅剛 

  • 香取慎吾 

  • 佐野瑞樹 

  • 三宅健 [1]

  • 目黒正樹 (後の仁科克基。 松方弘樹と仁科亜季子の長男)

  • 大野智 

  • 岡田准一 

  • 滝沢秀明 (「タッキー&翼」解散後に3ヶ月半だけソロ活動)

  • 屋良朝幸 

  • 櫻井翔 

  • 生田斗真  [1]

  • 松本潤  [1]

  • 二宮和也  [1][2]

  • 相葉雅紀 

  • 山下智久  [1]

  • 風間俊介  [1]

       

  • 長谷川純 

  • 赤西仁 

  • 河合郁人  [1]

  • 内博貴 

  • 浜中文一 

  • 林翔太 

  • 冨岡健翔 (父は元「スーパーエイジス」の冨岡弘司、兄は冨岡海翔)

  • 松本幸大 (異名:パリピ系アイドル。[1][2][3]

  • 室龍太  [1][2] 

  • 中山優馬  [1][2]

  • 野澤祐樹 

  • 岡本圭人岡本健一の長男。[1]

  • 今江大地 (京都府相楽郡精華町出身。精華町立精華西中学校、大阪学芸高等学校(特技コース)、天理大学国際学部卒業)

  • 高田翔 (元「スペースクラフト (ジュニア部門)」所属の子役)

  • 中島健人 (ファンネーム:U:nityユニティー[1][2][3]

  • 寺西拓人 (神奈川県立百合丘高校、専修大学経済学部卒業。[1]

  • 岸優太 (「King & Prince」脱退後に約4ヶ月間だけソロ活動。[1]

  • 原嘉孝  [1]


エージェント契約者 (業務提携者)

ジャニーズ事務所と正式にエージェント契約を締結した者のみ記載。 例えば中居正広の個人事務所「のんびりなかい」はジャニーズ事務所と協力関係にはあるが、エージェント契約を結んでいる訳ではない。
  • 宮脇康之 (後の宮脇健
      1961年6月13日生まれ。東京都出身。
      平田崑プロモーション所属の子役俳優だった1977年、堀越高校1年生の時、同級生の松原秀樹、大野祥孝の紹介で、ジャニーズ事務所にも業務提携で半年間所属。 川﨑麻世のバックバンド「ギャングス」のサポートドラマーとして活動。 テレビ東京『ヤンヤン歌うスタジオ』の「石の森松」の時代劇コントにもギャングスのメンバーとして出演した。 ジャニーズの合宿所にも入寮して川﨑麻世と同じ部屋に住み、当時はまだジャニーズJr.だった近藤真彦や野村義男をパシリに使ったりもしていた。
      しかし、宮脇は自身が寝てる真横でジャニー喜多川が他の少年を肛門性交しながら腰を振っている現場を目撃したり、入浴中にジャニーが入って来て「1万円あげるから撮らせて」と言いながらポラロイドカメラで全裸の宮脇の局部を撮られそうになったり、当時未成年だったにもかかわらずジャニー喜多川から酒を盛られて酔わされた上、金沢に向かう寝台列車の中で何度も「声出さないで」と言われながらレイプされかけたため、自分の服と高級ドラムセットを残したままで合宿所を飛び出し、退所した。
      ジャニーからの性被害は講演会などで度々話していたが、自身のYouTubeチャンネルでも2023年4月18日以降、カウアン・オカモトの記者会見を機に公表するようになった。 [1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]
      2024年2月27日14時、西村あさひ法律事務所にてSMILE-UP.側の弁護士との1時間半の面談を受ける。

  • 森光子 
      1990年頃に一時ジャニーズ事務所と業務提携。 当時はジャニーズファミリークラブのインフォメーションダイヤルのメッセージでも、森の仕事の情報が案内されていた。

  • 岡本健一 (2021年11月1日よりエージェント契約)


グループメンバー (ジュニア以外)



バーチャルアイドル

ジャニーズタレントのプロデュース会社「株式会社 ジャニーズアイランド」の代表取締役社長に就任した滝沢秀明の発案によって企画「バーチャルジャニーズプロジェクト (Virtual Johnny's Project。略称:VJP)」がスタートし、2019年2月19日にライブ配信サービス「SHOWROOM」にてデビュー。
プロデューサーはSHOWROOMの社長・前田裕二。 キャラクターデザインとシナリオ設定はクリエイターユニット「HoneyWorks」のイラストレーター、ヤマコ。 海堂と苺谷を合わせた際の愛称は「あすかな (別表記:ASCANA)」。 キャラクターボイスを務める2名に対する愛称は「丈橋じょうはし」。 オリジナル楽曲に『弱虫達の世界征服』などがある。
2020年、週刊誌『サンデー毎日』(同年7月5日号、毎日新聞出版)の表紙を、あすかなが飾る。
同年12月25日公開のアニメ映画『LIP×LIP FILM×LIVE ~この世界の楽しみ方~』にあすかなが出演。
2023年10月17日、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受けて「バーチャルジャニーズプロジェクト」から「あすかなプロジェクト」に改名。
[1][2][3][4][5][6]

  • 海堂飛鳥 (かいどう あすか。声:「なにわ男子」の藤原丈一郎)
      配信ルーム名 「海堂飛鳥の飛鳥クルージングルーム」。
      クール系の王子様キャラ。 大の野球好きで、野球の話になるとつい熱くなる。

  • 苺谷星空 (いちごや かなた。声:「なにわ男子」の大橋和也)
      配信ルーム名 「苺谷星空のいちご果汁99%のお部屋」。
      やんちゃで無邪気な元気っ子。 芯は強い性格。


女性タレント

  • 飯野矢住代 (女性第一号タレント)
  • 嶋田じゅん (女性第ニ号タレント)
  • 藤島ジュリー景子 (女性第三号タレント。後に事務所の二代目社長)

  • VIP 
    • 河村信子
    • 吉本和子

  • スリー・ヤンキース 
    • 橋本美砂子 (スリー・ヤンキース解散後も1年ほどソロタレントとして所属)
    • 川崎志津子
    • 松尾貴子

  • オレンジ・シスターズ 
    • Judy (本名:吉竹加世子)
    • Sandy (本名:酒井妙。 後の麻生奈津子あさいゆきの
    • Candy (本名:吉川聖美よしかわ きよみ

  • 森光子 
      本名:村上美津。 1920年(大正9年)5月9日 - 2012年(平成24年)11月10日。京都市出身。B型。 92歳没。
      1990年頃に一時ジャニーズ事務所と業務提携。 当時はジャニーズファミリークラブのインフォメーションダイヤルのメッセージでも、森の仕事の情報が案内されていた。
      1996年1月31日と2月1日には生涯一度きりとなったディナーショーを新高輪プリンスホテル「飛天」で行い、ジャニーズ軍団が大挙して出演した。 構成・演出はジャニー喜多川。 この模様は、同年に『森光子 Special Dinner Show 1996年1月31日/2月1日』のタイトルでビデオ発売。 更に追加映像付きのDVD版が2010年2月10日に発売された。
      また、2010年1月6日にはシングルCD『人生革命』を、ジャニーズ事務所の自社レーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」からリリースした。 なお、カップリング曲の『人生半ばです』は、作詞:錦織一清、コーラス:滝沢秀明、Kis-My-Ft2。

  • この他にも、1960年代前半には研修生グループ「芸研ジャニーズ」の中に、大原麗子など多数の女性メンバーが存在した。


ジュニア (旧名:ジャニーズJr.)、ゲスト参加者



バンド専門メンバー



スタッフ



年齢を詐称していたタレント

ジャニーズ事務所に所属していた歴代のタレントの内、年齢を若く詐称しながら活動していた者。

  1. 北公次 (2歳詐称)
  2. 嶋田じゅん (2歳詐称。ジャニーズ退所後も引き続き詐称)
  3. 板野俊雄 (1歳詐称)
  4. 未都由 (2歳詐称)
  5. 田原俊彦 
      (テレビドラマ『3年B組金八先生』のオーディションスタッフに対して4歳詐称。 その後、世間に対してのプロフィールで1歳詐称。 所属中に1歳の詐称の件は世間に公表して謝罪)
  6. ボビー吉野 (ジャPAニーズ結成当初のみ1歳詐称)
  7. 乃生佳之 (1歳詐称)
  8. 加賀八郎 (3歳詐称)
  9. 田代秀高 (自ら事務所に対して1歳詐称)
  10. 鈴木淳也 (自ら事務所に対して1歳詐称)
  11. 斎藤恭央 (後の桜塚やっくん。自ら事務所に対して3歳詐称)
  12. 渡辺智 (3歳詐称)

退所後に詐称して活動した人物
  1. 武口明 (「KIDS」時代に2歳詐称)
  2. 猶場輝彦 (「直場輝彦」時代に3歳詐称)
  3. 大野靖司 (「周摩」時代に3歳詐称)
  4. 大倉士門 (1歳詐称)


コロナウイルス(COVID-19)感染者一覧

ジャニーズ事務所のコーポレートサイトにて、コロナウイルス(COVID-19)の感染が正式に公表された所属者と、SNSなどで自ら感染を報告したOBの一覧。

※ 感染発覚順。 括弧内は感染発覚当時の所属グループ、およびPCR検査での発覚日 (公表日ではない)。

第1波 (流行株は武漢株)

  • 感染者ゼロ

第2波 (流行株は武漢株)

  1. 福士申樹 (ジャニーズJr.。2020年7月3日)
  2. 伊野尾慧 (Hey! Say! JUMP。2020年8月12日)
  3. 大倉忠義 (関ジャニ∞。2020年9月23日)
  4. V6の担当マネージャー1名 (2020年10月6日)

第3波 (流行株は武漢株)

  1. 大倉士門 (2020年10月14日) - OB
  2. 千賀健永 (Kis-My-Ft2。2020年11月10日)
  3. 加藤シゲアキ (NEWS。2020年11月28日)
  4. 小山慶一郎 (NEWS。2020年11月28日)
  5. ジャニーズWESTの担当マネージャー1名 (2020年12月16日)
  6. 椿泰我 (IMPACTors。2020年12月16日)
  7. 影山拓也 (IMPACTors。2020年12月17日)
  8. 鈴木大河 (IMPACTors。2020年12月17日)
  9. 宮舘涼太 (Snow Man。2020年12月21日)
  10. 中村海人 (Travis Japan。2020年12月21日)
  11. 風間俊介 (2020年12月22日)
  12. 仁科克基 (2020年12月26日) - OB
  13. 横山裕 (関ジャニ∞。2021年1月3日)
  14. 関ジャニ∞の担当マネージャー2名 (2021年1月4日)
  15. 小柴陸 (関西ジャニーズJr.。2021年1月31日)

第4波 (流行変異株はアルファ株)

  1. 中村海人 (Travis Japan。2021年4月28日) - 前年12月に続き2度目の感染
  2. 宮近海斗 (Travis Japan。2021年4月28日)
  3. 七五三掛龍也 (Travis Japan。2021年4月28日)
  4. 吉澤閑也 (Travis Japan。2021年4月28日)
  5. 松田元太 (Travis Japan。2021年4月28日)
  6. 松倉海斗 (Travis Japan。2021年4月28日)
  7. Travis Japanの担当マネージャー1名 (2021年4月28日)
  8. 武口明 (2021年5月31日) - OB

第5波 (流行変異株はデルタ株)

  1. 林蓮音 (Jr.SP。2021年7月20日)
  2. 深田竜生 (少年忍者。2021年7月27日)
  3. 菅田琳寧 (7 MEN 侍。2021年8月10日)
  4. 田村海琉 (少年忍者。2021年8月17日)
  5. 屋良朝幸 (2021年8月20日)
  6. 橋本良亮 (A.B.C-Z。2021年8月21日)
  7. 小坂真郷 (2021年8月24日) - OB
  8. 阿部亮平 (Snow Man。2021年8月26日)

第6波 (流行変異株はオミクロン株〔BA.1〕 → ステルスオミクロン株〔BA.2〕)

  1. 浜中文一 (2022年1月18日)
  2. 向井康二 (Snow Man。2022年1月19日)
  3. ラウール (Snow Man。2022年1月19日)
  4. 伊野尾慧 (Hey! Say! JUMP。2022年1月20日) - 2020年8月に続き2度目の感染
  5. 知念侑李 (Hey! Say! JUMP。2022年1月20日)
  6. 宮舘涼太 (Snow Man。2022年1月20日) - 2020年12月に続き2度目の感染
  7. 西畑大吾 (なにわ男子。2022年1月20日)
  8. 亀梨和也 (KAT-TUN。2022年1月22日)
  9. 藤原丈一郎 (なにわ男子。2022年1月22日)
  10. 大西流星 (なにわ男子。2022年1月22日)
  11. 高橋恭平 (なにわ男子。2022年1月22日)
  12. 森本慎太郎 (SixTONES。2022年1月27日)
  13. 小関純匡 (2022年1月27日) - 元・男闘呼組のサポートメンバー
  14. 岸優太 (King & Prince。2022年1月28日)
  15. 田中樹 (SixTONES。2022年1月28日)
  16. ジェシー (SixTONES。2022年1月28日)
  17. 戸塚祥太 (A.B.C-Z。2022年1月29日)
  18. 塚田僚一 (A.B.C-Z。2022年1月29日)
  19. 越岡裕貴 (ふぉ~ゆ~。2022年1月31日)
  20. 福田悠太 (ふぉ~ゆ~。2022年1月31日)
  21. 横原悠毅 (IMPACTors。2022年1月31日)
  22. 松崎祐介 (ふぉ~ゆ~。2022年2月3日)
  23. 前田耕陽 (2022年2月4日) - OB
  24. 千賀健永 (Kis-My-Ft2。2022年2月8日) - 2020年11月に続き2度目の感染
  25. 金指一世 ( 少年。2022年2月9日)
  26. 佐藤龍我 ( 少年。2022年2月10日)
  27. 橋本涼 (HiHi Jets。2022年2月17日)
  28. 作間龍斗 (HiHi Jets。2022年2月21日)
  29. 宮田俊哉 (Kis-My-Ft2。2022年2月23日)
  30. 二階堂高嗣 (Kis-My-Ft2。2022年2月23日)
  31. 国分太一 (TOKIO。2022年3月3日)
  32. 道枝駿佑 (なにわ男子。2022年4月4日)
  33. 佐野晶哉 (Aぇ! group。2022年4月5日)
  34. 小島健 (Aぇ! group。2022年4月5日)
  35. 松島聡 (Sexy Zone。2022年4月23日)
  36. 丸山隆平 (関ジャニ∞。2022年4月26日)
  37. 本髙克樹 (7 MEN 侍。2022年5月22日)
  38. 中村嶺亜 (7 MEN 侍。2022年5月23日)
  39. 佐々木大光 (7 MEN 侍。2022年5月23日)
  40. 今野大輝 (7 MEN 侍。2022年5月23日)
  41. 矢花黎 (7 MEN 侍。2022年5月23日)
  42. 生田斗真 (2022年5月24日)
  43. 中丸雄一 (KAT-TUN。2022年6月23日)

第7波 (流行変異株はステルスオミクロン株〔BA.5〕)

  1. 上田竜也 (KAT-TUN。2022年6月30日)
  2. 佐久間大介 (Snow Man。2022年7月8日)
  3. 岩本照 (Snow Man。2022年7月8日)
  4. 高田翔 (2022年7月10日)
  5. 菊池風磨 (Sexy Zone。2022年7月14日)
  6. 藤井直樹 ( 少年。2022年7月16日)
  7. 那須雄登 ( 少年。2022年7月17日)
  8. 浮所飛貴 ( 少年。2022年7月17日)
  9. 佐藤龍我 ( 少年。2022年7月17日) - 同年2月に続き2度目の感染
  10. 大橋和也 (なにわ男子。2022年7月17日)
  11. 猪狩蒼弥 (HiHi Jets。2022年7月17日)
  12. 加藤シゲアキ (NEWS。2022年7月18日) - 2020年11月に続き2度目の感染
  13. 岡本圭人 (2022年7月18日)
  14. 有岡大貴 (Hey! Say! JUMP。2022年7月18日)
  15. 井上瑞稀 (HiHi Jets。2022年7月18日)
  16. 北山宏光 (Kis-My-Ft2。2022年7月21日)
  17. 川﨑皇輝 (少年忍者。2022年7月21日)
  18. 織山尚大 (少年忍者。2022年7月21日)
  19. 檜山光成 (少年忍者。2022年7月21日)
  20. 青木滉平 (少年忍者。2022年7月21日)
  21. 鈴木悠仁 (少年忍者。2022年7月21日)
  22. 中島健人 (Sexy Zone。2022年7月22日)
  23. 正門良規 (Aぇ! group。2022年7月22日)
  24. 河合郁人 (A.B.C-Z。2022年7月24日)
  25. 福本大晴 (Aぇ! group。2022年7月24日)
  26. 西村拓哉 (Lil かんさい。2022年7月24日)
  27. 渡辺翔太 (Snow Man。2022年7月27日)
  28. 目黒蓮 (Snow Man。2022年7月27日)
  29. 成田昭次 (2022年7月30日) - OB
  30. 松本潤 (嵐は活動休止中。2022年7月31日)
  31. 髙木雄也 (Hey! Say! JUMP。2022年7月31日)
  32. 髙橋優斗 (HiHi Jets。2022年7月31日)
  33. 佐藤新 (IMPACTors。2022年7月31日)
  34. 長野博 (20th Century。2022年8月2日)
  35. 亀梨和也 (KAT-TUN。2022年8月6日) - 同年1月に続き2度目の感染
  36. 深澤辰哉 (Snow Man。2022年8月6日)
  37. 橋本良亮 (A.B.C-Z。2022年8月9日) - 前年8月に続き2度目の感染
  38. 佐藤勝利 (Sexy Zone。2022年8月11日)
  39. 藤ヶ谷太輔 (Kis-My-Ft2。2022年8月12日)
  40. 辰巳雄大 (ふぉ~ゆ~。2022年8月16日)
  41. 長尾謙杜 (なにわ男子。2022年8月17日)
  42. 原嘉孝 (2022年8月21日)
  43. 越岡裕貴 (ふぉ~ゆ~。2022年8月22日) - 同年1月に続き2度目の感染
  44. 室龍太 (2022年8月22日)
  45. 薬丸裕英 (2022年8月26日) - OB
  46. 三宅健 (2022年8月28日)
  47. 髙地優吾 (SixTONES。2022年8月28日)
  48. 櫻井翔 (嵐は活動休止中。2022年9月14日)
  49. 中島裕翔 (Hey! Say! JUMP。2022年9月20日)
  50. 山田涼介 (Hey! Say! JUMP。2022年9月22日)

第8波 (流行変異株は引き続きステルスオミクロン株〔BA.5〕)

  1. 坂本昌行 (20th Century。2022年10月24日)
  2. 佐藤アツヒロ (2022年11月21日)
  3. 内海光司 (2022年11月22日)
  4. 京本大我 (SixTONES。2022年11月24日)
  5. 生田斗真 (2022年11月29日) - 同年5月に続き2度目の感染
  6. 小山慶一郎 (NEWS。2022年11月30日) - 2020年11月に続き2度目の感染
  7. 東山紀之 (2022年12月17日)
  8. 林翔太 (2022年12月25日)
  9. 井ノ原快彦 (20th Century。2023年1月16日)

第9波 (流行変異株は引き続きステルスオミクロン株〔XBB〕 → 〔EG.5。通称:エリス〕)

  • 感染者ゼロ

第10波 (流行変異株は引き続きステルスオミクロン株〔JN.1〕)

  • 感染者ゼロ



合格するも入所しなかった人物

  • 京本政樹 
      本名同じ。 1959年1月21日、大阪府吹田市生まれ。高槻市育ち。 178㎝、61㎏、B型。 高槻市立柳川中学校 (生徒会長、剣道部初代主将)、大阪府立高槻南高校卒業。 多摩美術大学中退。 小池徹平と親類関係。 [1]
      鮮魚店の息子として育つ。
      1972年、中学2年生の社会科見学の時に撮った写真を、同級生の女生徒がジャニーズ事務所に送った所、13歳の時にジャニー喜多川から京本の家に直接電話があり、 「ジャニーだけど。フォーリーブス知ってる? 大阪フェスティバルホールに来ない?」と言われ、同会場でのジャニーズファミリー (フォーリーブス、郷ひろみなど) のコンサートに招待される。 京本は母親と共にコンサートを鑑賞し、更にジャニーに誘われてタレントたちと共に中華料理店にも行って食事をし、ジャニーの審査に合格した。
      その後は春休みと夏休みの度に東京に招かれ、ジャニーズの合宿所に宿泊していたが、正式に入所まではしていなかった。 そして1975年2月にJOHNNYS' ジュニア・スペシャルがレコードデビューする頃には、ジャニーから特に強く誘われたが、高校ヘ進んでバンド活動にはまっていた京本は、ジャニーの誘いをきっぱりと断った。 それ以来、ジャニーから合宿所に招かれることは無くなった。
      しかしその後、ジャニーズに入らなかったことを次第に後悔するようになり、かつて大阪のABCホールで公開収録が行われていた15分番組『シャボン玉プレゼント』に豊川誕がゲスト出演する度に京本は、客席に座ってリハーサルの順番待ちをしている豊川の隣の席に行き、ジャニーとの関係を仲介して貰うべく、「ジャニーさんに会わせて下さい! お願いします!」と懇願している。
      結局、豊川を通してジャニーとのパイプを復活させることは出来ず、京本のジャニーズ入りは実現しなかったが、後に長男の京本大我がジャニー喜多川からスカウトされ、ジャニーズ事務所に入所している。
      大我のジャニーズ入りのきっかけは、京本一家がハワイの行きつけの和食店で撮影した写真(大我と店のママさんとのツーショット写真)を、ジャニー喜多川がハワイに行った際に知人を通じて偶然目にし、京本政樹の自宅に電話をかけ、大我本人に対し、「今度KAT-TUNのコンサートを見に来てみない?」とスカウト。 そして2006年5月4日に横浜アリーナで行われたKAT-TUNのコンサートに招待されて観に行った結果、その日にいきなりステージに上げられてデビューを飾り、翌日のスポーツ新聞にも大我の記事が掲載された。

  • 松井哲也 
      本名同じ。 1968年6月20日、東京都江戸川区生まれ。大阪市育ち。B型。 株式会社マツイ・エンタープライズ代表取締役。
      1981年、松井が中学校入学直後の12歳だった時、アイドル雑誌に載っていたジャニーズ事務所のタレント募集の記事を姉が見つけて来て、松井が少林寺拳法の道着を着ている写真を使ってジャニーズ事務所に他薦で応募した。 すると、ジャニー喜多川から直接電話がかかってきて、同年5月に大阪厚生年金会館 大ホールで3日間に渡って行われた近藤真彦のコンサートに呼ばれ、オープニングでキャンドルライトを持つ少年役と、ステップを踏むだけのバックダンサーとして、3日間ともステージに上げられた。 他のバックダンサーは、錦織一清、植草克秀、松原康行を含めたジャニーズJr. (当時の名称は「ジャニーズ少年隊」)。 東山紀之はこの時は不参加だった。
      松井のことを気に入ったジャニーは、2日目に東京のテレビプロデューサーに電話で「大阪でいい子見つけたから」と話し、松井にテレビ出演の仕事まで取り付けた。 ところが、息子をPL学園に進学させて野球選手にさせようとしていた松井の父親が猛反対。 ジャニーは「彼を間違いなくスターにするから上京させて欲しい」と、約半年間に渡って電話をかけ続けて松井の父親を説得したが、ジャニーズへの入所を許可されることは無く終わった。 本来であれば、ジャニーは松井を1981年6月開催の「第6回 ABCヤングアイドル野球大会」に出場させようとして、「7番レフト」のポジションまで用意していた。 また、1982年4月から始まるテレビドラマ『3年B組貫八先生』にも出演させようと計画していた。
      その後、松井は不良少年と化して、喧嘩と非行に明け暮れる荒んだ生活を送っていたが、中学校に教育実習で来ていた美術教師からの勧めで、アクション俳優の倉田保昭が主宰する「倉田アクションクラブ大阪校」の第1期生に応募し、合格する。 高校進学後、不真面目だった松井はアクションクラブのレッスンにいつも遅刻ばかりしていた所、まだ一度も会ったことが無かった東京の倉田保昭本人から電話がかかって来て、「お前は何で毎週練習にちゃんと行かないんだ。お前みたいな奴は、東京に来て先輩の下でしごかれた方がいい。東京に来るつもりはないか?」と言われる。 当然父親はまた反対したが、過去にジャニーズへの入所を断った経緯もあり、母親が「こんなチャンスは滅多にあるものじゃない」と強く父親を説得した結果、許しを貰い、1985年、大阪の高校1年の16歳の時に中退して上京。 そして倉田の家に住まわせて貰い、倉田の初めての内弟子、および「倉田プロモーション」所属のアクション俳優となった。 続いて、倉田の勧めで1986年の17歳の時に香港に渡り、今度はサモ・ハン・キンポーの弟子をしながら、同年公開の香港映画『最佳福星 (邦題:十福星)』にて準主役で俳優デビュー。
         
      更に香港では歌手活動も行っていた。 翌1987年には仲村トオル主演の映画『新宿純愛物語』で日本でも俳優デビューを果たした。
      2006年より、お好み焼き店「道とん堀 二子玉川店」を経営。
      続いて2008年夏から2012年4月まで、三軒茶屋の茶沢通りにてワイン&ピッツァのダイニングバー「gachi.」を経営。
         
      2008年から2010年にかけ、新人女性歌手の高倉世名(1983年11月27日生まれ、福岡県出身)をマツイ・エンタープライズに所属させ、更に三軒茶屋「gachi.」でも勤務させ、プロデュース活動を行う。 2008年10月から2009年3月までは、2人でラジオ番組『アツいぜ!松井哲也のガチッ。』(エフエム世田谷)にも出演した。
      2009年にオヤジバンド「少年バナナ」を結成し、松井がボーカルを担当。 同年12月9日に、表参道FABにてデビューライブを行う。
      2016年7月15日、女優の芳本美代子と結婚。 [1][2]
         

  • 石井 (仮名)


      1968年 or 1969年生まれ。
      14歳の時(1982年~1984年)にジャニーズ事務所に履歴書を送った結果、ジャニー喜多川から直接電話を貰い、テレビ番組の収録見学に招かれる。 しかしその日の夜にホテルでジャニーから性加害を受けたことにショックを受け、入所を辞退。
      54歳だった2023年10月3日にTBS『news23』、10月4日にTBS『ゴゴスマ』、10月8日にTBS『サンデー・ジャポン』、『アッコにおまかせ!』にVTR出演し、ジャニーからの性被害を告発。[1]

  • 川井研一郎 (仮名:加山

      中学時代
       
       20~21歳時

      1968年生まれの元俳優。
      中学1年生の時に児童劇団「劇団日本児童」に所属し、「全農」のCMに抜擢されるなど子役として活動。 1982年、14歳の時には近藤真彦主演の映画『ハイティーン・ブギ』にも、近藤の弟・藤丸茂役で出演した。
      その後、18歳だった1987年に「マッチの弟役をやっていました」と履歴書に書いてジャニーズ事務所に応募したところ、TBSの歌番組『ザ・ベストテン』を観ている最中だった6月の木曜日の21時過ぎにジャニー喜多川から直接電話を貰い、「今から川崎のスタジオに来ないか」といきなり呼び出される。 現場では、まだレコードデビュー前だった光GENJIのメンバーが『STAR LIGHT』のミュージックビデオの撮影を行っていた。 ジャニーからは同年秋放送の東山紀之主演のテレビドラマ『荒野のテレビマン』(フジテレビ)への出演と、それまでの間は東山の運転手をするようにと打診されたが、ジャニーが運転する車でスタジオからそのまま原宿の合宿所に連れていかれ、疲れて寝ている最中にジャニーから性被害(口腔性交)を受ける。 翌朝、ジャニーが「また連絡する」と言いながらポケットに3000円を押し込んできたが、受け取りを拒否。 その結果、連絡は二度と来ず、ヤり捨てされた。
      19歳の時、某ロックバンドでメジャーデビュー。
      2023年、55歳の時に『FLASH』(同年10月3日発売の10月17日・24日合併号、光文社)にてジャニー喜多川からの性被害を告発。[1]
      同年10月3日にTBS『news23』、10月4日にTBS『ひるおび』、『ゴゴスマ』、10月8日にTBS『サンデー・ジャポン』、『アッコにおまかせ!』にVTR出演し、改めてジャニーからの性被害を告発。[2]
      『FLASH』(同年11月7日号)でも取材に応え、ジャニーズ側からの曖昧な回答に対する苦悩と共に、非ジャニーズの被害者たちによる集団訴訟も辞さない考えを訴えた。[3]
      同年12月4日、NHK総合『クローズアップ現代』の特集「検証・ジャニーズ性加害“救済”めぐる壁とは」に出演。 同年9月19日、26日、11月5日、6日と、再三に渡ってSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)に電話をかけて性被害への対応を問い合わせたが、「何も決まっていない。何もお伝えすることは出来ない」の一点張りで放置され続けていることと、当時の性被害の記憶が何度も甦り、体調を崩して仕事にも支障をきたしていることを明かした。
      真摯な対応をしてくれないSMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)に失望し、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」に救いを求めた結果、代表の平本淳也の仲介により、SMILE-UP.との面談がようやく決まったことを同年12月20日放送のテレビ神奈川『tvkニュース』にて報告。 [4]
      同年12月22日、SMILE-UP.が用意した弁護士2名(男性と女性)と千代田区の「西村あさひ法律事務所」で2時間面談したことを、TBS NEWS DIGや神奈川新聞、後の記者会見にて報告 [5][6]。 しかし元・文春記者が「面談の実態は詰問であり、常に上から目線のオラオラ補償」だと明かし、「被害を誰にも言えずに何十年も苦しんできた人間に対し、都心まで呼びつけた上で弁護士だけで取り囲んで「本当ですか?」と詰問をするのはどうかしている」と批判 [7]。 同年12月25日付の『FRIDAY DIGITAL』も、弁護士たちが被害者に対してセクハラ質問を行っている実態を報じた [8]
      同年12月25日、『報道1930』の特集「我々は“共犯者”だったのか ジャニーズ性加害問題と変われぬ日本」にVTR出演。[9]
      2024年1月15日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーと共に衆議院会館での記者会見に出席。 それまでは素顔は一切出さず、名前も「加山」の仮名で活動していたが、この会見を機に顔出しをし、本名が川井研一郎であることもメディアに明かした。 [10][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22]
      同年1月24日、ジャニーからの性被害状況を詳細に語った東京新聞のインタビュー記事が掲載。[23]
      同年4月1日、日刊ゲンダイDIGITALに平本淳也、石丸志門と共に掲載。[24]
      同年4月、東山紀之と面談。 しかし提示された補償金額があまりにも低すぎるために合意を保留。
      同年4月19日、日刊ゲンダイDIGITALに平本淳也と共にインタビュー掲載。[25][26]
      同月、YouTubeチャンネル「河田町姉妹のおしゃべりワイドショー」のインタビュー動画に出演。


スカウトされただけの人物

ジャニー喜多川からのスカウトを受けるも、入所しなかった人物。

  • 大沢健三郎 
      本名&旧芸名:大沢幸浩 (おおさわ さちひろ。「ゆきひろ」という情報は誤り)。 1947年生まれ。東京都出身。私立暁星高校卒業。 愛称:健ちゃん。
      小学生だった1955年に映画『次郎物語』のオーディションに応募した結果、主役に抜擢されて芸能界デビュー。 1950年代~1960年代に名子役として活躍した。 雑誌『読売グラフ』(1955年12月6日号、読売新聞社)にも、少年野球チーム「ジャニーズ」のメンバーである小畑やすし、設楽幸嗣らと共に掲載された。 そして、1967年時にフォーリーブスのメンバー候補にされていた。

        

  • ポール (白人とのハーフ。 大沢健三郎と同じく、1967年時にフォーリーブスのメンバー候補にされていた)

  • 菊谷昌弘 
      きくたに まさひろ。1954年6月26日生まれ。大阪市福島区出身。大阪商業大学附属高校 (後の大阪商業大学高校)、大阪商業大学出身。
      1969年に地元の大阪にて、ジャニー喜多川より「ジューク・ボックス」の結成メンバーにならないかとスカウトされたが、父親に反対されて加入を断念した。
      その後、菊谷はアイドルバンド「Jeff」のリーダー&ボーカル(愛称:ヒロ)として1974年6月25日にレコードデビュー。シングル3枚、アルバム1枚をリリースし、翌1975年4月20日に解散。 約1年の休業を経て、加瀬邦彦プロデュースによるワイルドワンズの弟分バンド「アイランズ」のボーカルに抜擢され、渡辺プロダクションに所属。 シングル『想い出の渚』で再びレコードデビューした。しかしアイランズはその後、あいざき進也のバックバンドに。
      また、菊谷は沢田研二に憧れていたことから、後に「沢田雅博」の芸名でも活動。 [1]

  • 制作会社 「東阪企画」 の会長・澤田隆治たかはるの息子
      空港でジャニー喜多川にスカウトされた。

  • 村田英次郎 

      ハイ・ソサエティーの村田勝美の弟。 プロボクサーを経て、大阪府高槻市のボクシングジム「エディタウンゼントジム (株式会社 エディプロモーション)」の会長に。

  • 三ツ木清隆 
      「劇団日本児童」に子役として所属していた1968年に、ジャニー喜多川からスカウトを受けたが断っている。 このエピソードは1989年頃にテレビ朝日『徹子の部屋』にゲスト出演した際にも語られた。

  • 江藤博利 
      1958年9月5日生まれ。宮崎県都城市出身。B型。 「ずうとるび」を結成する前の13歳時に、日本テレビ『NTV紅白歌のベストテン』の公開収録でチケットのモギリをしていた際、ジャニー喜多川からスカウトされた。 [1]

  • ゴンパパ 
      1950年代後半の9月1日生まれ。 新宿生まれ、新宿育ち。O型。 好きな歌手:ちあきなおみ。 趣味:女子プロレス観戦、新宿二丁目のゲイバー通い。
      1970年代に友人の豊川誕と遊んでいた際にジャニー喜多川にスカウトされたが、入所はせず。
      1960年代半ばにテレビドラマで子役俳優としてデビュー。 以降、新宿コマ劇場などの舞台にも出演した。 俳優活動と並行しながら、作詞家の石坂まさをに弟子入りして1970年代半ばに演歌歌手としてメジャーデビュー。 シングル3枚、アルバム1枚をリリースした。 その後、司会業をしたり、高齢者を相手にしたカラオケ教室を開きながら、2003年7月よりラジオパーソナリティを開始。 2014年7月4日からは、お笑いコンビ「33フリッパ」の遠藤三流と、ジャズシンガー 兼 日本画家の石綿芳美(女性。本名同じ。旧芸名:石綿よし美 → 米本よし美 → 安石あんぜきよし美。1969年9月1日生。神奈川県中郡二宮町出身。O型。バツイチ)を従えて、鎌倉エフエムにて『33&ゴンパパのミュージック・バラエティ』をスタートした。
      2020年1月、Twitterで石綿芳美と共に、フィギュアスケートの羽生結弦選手や羽生のファンに対して過激な言葉で誹謗中傷したことで批判が殺到し炎上。 複数の鎌倉市議もTwitterなどで問題視する姿勢を示し、鎌倉エフエムの株主である鎌倉市に見解を質するほどの大騒動に発展。 その結果、事態を重く見た鎌倉エフエムは、「パーソナリティー個人のTwitterによる発信とは言え、公共性の高いエフエム放送局として、到底容認できるものではありません」とし、同年2月25日に番組の打ち切りを発表した。
      その後、胃癌と胆嚢癌を発症するも克服し、2021年4月1日、台東区浅草橋のネットテレビ型ラジオ局「鳥越アズーリFM」にて、「33フリッパ」の遠藤三流と月1程度の不定期生放送番組『#乗っ取りwave 33&ゴンパパのミュージック・バラエティ』を開始。
      [1][2][3] [4]

  • 椎野孝之 
      たのきんトリオの候補メンバー。 当初は近藤真彦ではなく椎野が入ることで、「たのしいトリオ」になるという案が存在していた。 椎名は『3年B組金八先生』のエキストラ出演者で、撮影現場で田原俊彦と親しくなった児童劇団所属の俳優。 東京都豊島区東長崎出身。後にバイク事故で死去。 (出典:『二丁目のジャニーズ 最終戦争篇』 原吾一 著、1996年7月、鹿砦社刊)

  • 本田恭章 
      シブがき隊と共にTBS『2年B組仙八先生』で芸能界デビューした人物。 通っていた高校もシブがき隊の3人と同じで、明治大学付属中野高等学校(定時制)だった。

  • 弘部俊明 
      本名:広部俊明。 1965年4月29日生まれ。世田谷区出身。A型。 世田谷区立山野小学校、渋谷区立代々木中学校、日本大学鶴ヶ丘高校、日本大学文理学部応用物理学科卒業。
      1981年3月3日、代々木中学に通っていた同級生5人でバンド「HOTCAKE」を結成し、ボーカルを務める。
      1982年、高校2年の2学期に、アマチュアバンドによる勝ち抜きコンテストのコーナーがあった音楽番組『踊れバンバン』(テレビ東京。司会:野村義男)に、「HOTCAKE」を率いて出場した際、ボーカルの弘部だけがジャニー喜多川からスカウトされたことを自身のブログで告白。 しかし、当時はバンドでのデビューを目指していたために断った。 その後、バンド名を「夢工場」に改名し、1986年8月5日にレコードデビュー。
      2011年5月5日、約2年の交際を経て、女優の羽田美智子と入籍。 2017年に離婚。 [1][2][3]

  • ジョン・健・ヌッツォ 
      テノール歌手。 2004年10月22日放送のNHK『スタジオパークからこんにちは』、および同年10月25日放送のTBS『はなまるマ-ケット』にゲスト出演した際、「学生時代に弟と一緒にスカウトされた」と告白。

  • 服部有吉 
      バレエダンサー、バレエ振付家。 国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の孫。
      小学6年の終わりだった1993年に良一の葬儀の席でジャニー喜多川に見初められ、「有吉君に会いたい」と何度も自宅に電話が入る。 しかしジャニーの性的児童虐待を知っていた母親は警戒し、息子をジャニーに会わせる際には毎回同伴していた。 ジャニーからは「お母さんどうしていつも来るの。息子だけでいいじゃない」と言われていた。 ある日、ジャニーが母親の目を盗んで有吉の身体を不自然に撫でていたことを知り、それ以来ジャニーには会わせなくなった。

  • 山口公次Kouzy 
      山口達也の7歳下の弟。 1978年7月18日生まれ。B型。
      15歳の時に兄(TOKIO)のLIVEを観に行った際、ジャニー喜多川から「You、スケボー乗れる? CM出てよ」とスカウトされた。 しかし親が反対したため、ジャニーズに入ることは無かった (『週刊文春』2011年6月23日号にて本人が告白)。

  • ウエンツ瑛士 
      NHK教育『天才てれびくん』でジャニーズJr.の生田斗真、伊東亮輔の2名と共演していたことが縁で、番組卒業後の14歳の時にスカウトを受ける。 しかし、「お笑いが好きだから」という理由で断った。
      なお、一時引退していたウエンツを芸能界に戻したのは、郷ひろみである。 郷とウエンツは共通の知人が居たことで出会い、当時高校1年生(15歳)だったウエンツを郷がバーニングプロダクションに所属させた。 また、郷とウエンツは出身高校も同じである (日本大学櫻丘高等学校。郷は途中で転出)。

  • 斉藤ジュン 
      本名:斉藤順。 1986年12月19日生まれ。宮城県角田市出身。全日本プロレス所属のプロレスラー。「SAITO BROTHERS」のメンバー。
      2023年8月5日にNHKラジオ第1の『らじらー!サタデー』に出演した際に、子供の頃にジャニー喜多川からスカウトされたことを告白。

  • 高澤笑大郎・力丸兄弟 
      山口達也の長男(笑大郎。2008年5月6日生まれ)と次男(力丸。2010年9月17日生まれ)。 兄弟が小学生の時に、ジャニー喜多川から「ジャニーズJr.にならないか?」と誘われていたが、2018年に山口達也のスキャンダルが発生し、事務所も退所したため、兄弟の入所の件も中止となった。


オーディションを辞退した人物

  • ちーやん 
      お笑いコンビ「ジャガーズ」のメンバー。 本名:大沼千文 (おおぬま ちふみ)。1976年7月8日生まれ。北海道滝川市出身。A型。滝川市立滝川第二小学校、同市立江陵中学校、北海道赤平高校卒業。
      光GENJIの山本淳一のファンだったことから、小学生の時にジャニーズに履歴書を送る。 その結果、書類審査には合格したが、北海道在住で母子家庭だったため、母親に反対されてオーディションには参加しなかった。

  • シュウペイ 
      お笑いコンビ「ぺこぱ」のメンバー。 本名:成田秀平。1987年7月16日生まれ。横浜市港北区出身。A型。
      子供の頃からジャニーズが好きで、「ジャニーズに入りたい」と言っていたため、シュウペイが小学校4年生の時に、姉に手伝って貰いながら履歴書を書き、それを母親が送付。 その後、書類審査に合格したとの通知が来たが、当時のシュウペイはプロを目指すほどにサッカーを頑張っていたため、そっちの方を応援したかった母親は、合格したことをシュウペイに伝えず、オーディションに参加することはなかった。
      なお、シュウペイはWEST.の中間淳太と親友。

  • 柳楽優弥 
      やぎら ゆうや。 俳優。 1990年3月26日生まれ。東京都東大和市出身。A型。堀越高校卒業。
      長瀬智也に憧れてジャニーズ事務所に履歴書を送った結果、1年後に書類審査に合格し、ジャニーズJr.オーディションの通知書が届いた。 しかし当時の柳楽は既に芸能事務所「スターダストプロモーション」に所属しており、更に主演映画『誰も知らない』(2004年公開)の撮影中だったため、ジャニーズのオーディションは辞退した。


オーディションで不合格となった人物

※ ジャニーズ事務所に履歴書を送っただけの者(書類審査をパス出来なかった者)は、膨大な数に上るために省く。(長州小力児嶋一哉小栗旬、他多数)
  • 中丸雄一の父親 
      バンドでギターをしていた中学時代(1970年代前半)に、先輩に連れられてジャニーズ事務所のオーディションを受けたが、不合格となった。 父親はその後警察官となり、定年退職するまで勤め上げた。

  • 日高富明 
      ヒット曲『学生街の喫茶店』で有名なフォークグループ「GARO」の元メンバー。 愛称:トミー。 1950年2月22日生まれ。1986年9月20日に36歳の若さで自宅近くのマンションから飛び降り自殺。
      豊川誕がまだジャニーズ事務所に所属していた頃、豊川は赤坂にあったディスコ「ビブロス」によく行っており、そこで出会った遊び仲間が日高だった。 そして日高は豊川を通じてジャニーズ事務所に所属しようと考え、自ら作詞作曲した曲を持ってジャニー喜多川に売り込みに行ったが、日高をジャニーズでアイドルとして売っていくには厳しかったため、不採用となった。

  • 勝地涼 
      俳優。 1986年8月20日生まれ。東京都出身。AB型。堀越高校卒業。
      バラエティ番組『8時だJ』(テレビ朝日)内で企画されたジャニーズJr.オーディションに、小学6年生だった1998年5月2日に参加。 最前列でダンスを踊ってやる気をアピールするも、不合格となった。

  • 桑原彰 
      くわはら あきら。 1985年4月4日生まれ。横浜市出身。 ロックバンド「RADWIMPS」のリーダー、ギター、コーラス。 身長:166cm。血液型:A型。 神奈川県立荏田高校中退。 音楽学校 MI JAPAN 東京校ギター科卒業。 趣味:ゲーム。 好きなアーティスト:BUMP OF CHICKEN。 好きな飲み物:ポカリスエット。
      学生時代にジャニーズ事務所に応募した結果、オーディションには呼ばれたが、不合格となった。 [1][2][3][4][5]

  • 本郷奏多 
      ほんごう かなた。 俳優。 1990年11月15日生まれ。仙台市出身。O型。
      2001年、10歳の時、日本テレビ『あしたのJ』内の企画「全国 目指せ!ジャニーズJr.」の公開オーディションを受けるも、最終選考で落選した。 特技をPRする際は手品を披露した。 [1][2][3]

  • 戸塚純貴 
      とづか じゅんき。 俳優。 1992年7月22日生まれ。岩手県盛岡市出身。A型。 私立盛岡中央高校卒業。 顔が似ている有名人:若かりし頃のSouthstar。
      小学3年生の時、母親が戸塚の履歴書をジャニーズ事務所に送る。 その後、書類審査に通ってオーディションを受けたが、不合格となった。

  • 勇成真也 
      ゆうなり しんや。 「しんやっちょ」名義で有名な動画配信者、タレント。 愛称:やっちょ。 本名:大原誠治。
      1983年2月5日生まれ。兵庫県三木市出身。A型。 三木市立自由が丘中学校卒業、兵庫県立三木東高校中退。 [1][2]
      2002年7月13日に行われた関西ジャニーズJr.のオーディションに19歳で参加し、同日にアイドル雑誌『Wink up』の取材・写真撮影も受けている。 しかし、オーディションには不合格となり、雑誌にも掲載はされなかった。
      • 2002年、ストリートダンス活動を開始。
      • 2003年、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に挑戦し、誌面に掲載。
      • 2004年、芸名「勇成真也」に改名。
      • 2005年、ダンスユニット「ZOOM」を結成し、「Shinya」名義で活動 (2010年まで)。
      • 2007年、「勇成真也」名義でファッション雑誌『men's egg』の専属モデルに。
      • 2010年、ダンスユニット「VKB428」を結成し、「Sin-D」名義で活動 (2011年4月2日まで)。
      • その後は「勇成真也」名義と「Sin-YA」名義を併用しながらソロ活動。
      • 2012年、「しんやっちょ」名義でネット配信を開始。
      • 同年、テレビドラマ『クローバー』(テレビ東京)の第3~6、12話に出演。
      • 同年、映画『るろうに剣心』に出演。
      • 2018年、木村一八主演のVシネマ『極道の門 第三部』にヤクザ役で出演。
      • 2021年5月、元ジャニーズJr.の小坂真郷率いるヴィジュアル系バンド「怪盗戦隊ヌスムンジャー」にパフォーマー 兼 ギタリストとして加入。
      • 同年8月、小坂と共にコロナウイルスに感染。

  • 洲崎貴郁 
      すざき たかふみ。 お笑いコンビ「ラニーノーズ」のメンバー。 1988年5月4日生まれ。大阪府枚方市出身。
      中学3年生の終わりの、2004年2月に関西ジャニーズJr.のオーディションを受けるも不合格。

  • 島田翼 
      1996年5月18日生まれ。神奈川県出身。 ダンス&ボーカルユニット「PRIZMAX (旧表記:PrizmaX」の元メンバー。 血液型:A型。 クォーター (祖父がフランス人)。
      2004年8月12日に、テレビ東京のバラエティ番組『Ya-Ya-yah』内で行われたジャニーズJr.の公開オーディションに参加したが、不合格となった。 [1]

  • 小笠原海 
      おがさわら かい。 1994年9月27日生まれ。神奈川県出身。 俳優、ダンサー、モデル。 スターダストプロモーション芸能3部所属。 同事務所の若手男性アーティスト集団「EBiDAN」のメンバーであり、音楽ユニット「超特急」のメンバー。
      幼い頃から赤西仁に憧れ、2009年4月、日本テレビ『スクール革命!』で行われた番組レギュラー、およびジャニーズ事務所のオーディションに挑戦。 3次選考まで進んだものの落選した。


誤報されている人物

  • 森進一 
      1947年11月18日生まれ。 山梨県甲府市生まれ、鹿児島県育ち。O型。 俳優の小倉蒼蛙そうあ(旧芸名:小倉一郎)と親類関係。
      「ジャニー喜多川が最初にマネジメントしたのは森進一。 ジャニーが森をスカウトして育成し、渡辺プロダクションからデビューさせた。 その後、アイドルグループ『ジャニーズ』をデビューさせて渡辺プロから独立した」、「森進一はジャニー喜多川が手掛けた秘蔵っ子」などの情報が一部で存在するが、これらは全ての内容が誤りである。 (誤報記事 [1][2][3]
      森は1965年、大阪の串カツ屋で働いていた時、芸能関係の客から、アイドルグループ「ジャニーズ」の事務所が出来ていると聞き、芸能界に興味を持って上京した。 親戚の家に下宿しながら、同年、叔母に勧められて音楽番組『リズム歌合戦』(フジテレビ)に出場した結果、5週も勝ち抜く(4週説、8週説、優勝説などは全て誤報)。 その才能を、ジャニー喜多川ではなく、審査員をしていた音楽プロデューサーのチャーリー石黒に見出されて渡辺プロ所属となった。
           
      同時に石黒の内弟子となって石黒邸の離れに住み込み、翌1966年6月20日にレコードデビュー。 そしてデビュー直後からは、四谷三丁目の3LDKの部屋にマネージャーと住むようになった。
      一方、「ジャニーズ」の結成は1962年にまで遡り、森よりも早い1964年の時点で既にレコードデビューも果たしている。
      時系列を見比べただけでも簡単に誤りだと分かる話なのだが、「ジャニー喜多川」と「チャーリー石黒」という少し似た語感の名前が混同されてしまい、誤報が広まっていった。 ジャニーが一番最初に手がけた芸能人は、森ではなく「ジャニーズ」である。 確かにジャニーは当初、渡辺プロと業務提携をしながら「ジャニーズ」をマネジメントしていた。 しかし、初めて手がける芸能人「ジャニーズ」を売り込むことに忙しいそんな最中に、ジャニーが森進一を手がけていた期間などは存在しない。
      但し、森がレコードデビューした後にジャニー喜多川が「僕のところに来ない?」と引き抜こうとしたことはあった [4]。 それ以来、森とジャニーの親交が始まり、麻雀仲間にもなった。 更に森は2人の息子をジャニーズ事務所に入れたり、2003年にはNEWSのデビューシングルにカップリング収録されたバラード曲『ありがとう・今』の作詞を「泉らら」名義で提供。 2015年12月19日には舞台『JOHNNYS' World』にサプライズゲスト出演したりなど、ジャニーズ事務所と森進一が深い関係を保っていることは事実である。 [5][6][7][8]

  • 小口健二 
      おぐち けんじ。 1948年生まれ。長野県岡谷市銀座出身。成蹊大学卒業。
      「ジャニーズ事務所で郷ひろみのマネージャーをしていた。 そして郷と一緒にバーニングプロダクションへ移籍した」と言われてしまうことがあるが、小口がジャニーズ事務所に勤務していたことは一度も無い。 小口は最初からバーニングの社員であり、郷をジャニーズから引き抜いた人物である。
      バーニングで郷と「メッツ」をマネジメントした後、1982年3月に独立し、芸能事務所「フロム・ファーストプロダクション」を設立。 関連プロダクションとして「メンズアート」、「レディバード」、「東京シックスプロダクション」、「ACE OF HEARTS」も設立し、本木雅弘大沢樹生高知東生、竹中直人、高岡早紀、北村一輝など、多くの俳優、タレントを育てた。 2007年11月29日、糖尿病により逝去。 59歳没。
      小口は所属俳優たちから非常に慕われていた人物で、本木雅弘も、2008年に映画『おくりびと』で日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞を受賞した際、「授賞式では亡き小口社長の写真を懐に忍ばせておいた」とコメントしている。

        家族
      • 小口文子 - おぐち ふみこ。小口健二の年上の妻。 石野真子・いしのようこ姉妹の継母。 宝乃純(石野敦子)の生母。 フロム・ファーストの2代目社長。 更にフロム・ファースト傘下の「株式会社 メンズアート」、「株式会社 レディバード」、「株式会社 ACE OF HEARTS」、「株式会社 FROM THINKプロダクション」の代表取締役社長。
      • 小口欽也 - おぐち きんや。小口健二の息子。1979年12月28日生まれ。暁星国際高校、日本大学芸術学部卒業。2008年4月よりフロム・ファーストに入社。 自社ビル「(株)六番町ビレッジ」の代表取締役社長も兼務。
      • 小口友希子 - おぐち ゆきこ。小口健二の娘。結婚後は「中村友希子」名義でも活動。 フロム・ファースト傘下の「株式会社 COME TRUE」、「株式会社 1カラット」、「株式会社 FROM THINKプロダクション」の代表取締役社長。

  • 小橋賢児 
      1979年8月19日生まれ。 「1994年頃にジャニー喜多川より誘いを受け、ごく短期間ながら研修生としてダンスレッスンを受けていた」と、ファンの間で長らく思われてきた。 これは当時、テレビ朝日で毎週日曜日に行われていたジャニーズJr.のダンスレッスンと同じ時刻に、テレビ局を出入りする小橋の姿が、Jr.のオリキ(おっかけファン)たちによって度々目撃されていたために生じた話であったが、後に小橋本人がTwitterにて否定した。

  • 藤森慎吾 
      お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」、およびダンスボーカルユニット「RADIO FISH」のメンバー。 「藤森は元ジャニーズJr.」という説が一部で存在していたが、これは藤森が冗談で「昔ジャニーズJr.でした」と言っていただけであり、実際にジャニーズに居たことは一度も無い。

  • 山中拓磨 
      1986年生まれ。
      2014年10月10日、芸能事務所「T&Mキャンパニー」を設立。 以来、みつき (旧芸名:鶴 未里)、Lysリス、LiD☆GATE (みつき、乙茂内梨杏、Anna、なこ)、Sun☆Spiritz (みつき、蜂椰リリー、明瀬 香)、Crera (くれ、れら。配信アプリ「LiveMe」の双子ライバー)、七里香、藤田宗一、室井瑞希、遠藤靖らをマネジメント。
      (なお、T&Mキャンパニーのホームページでは山中がモノマネ芸人の桑田ます似 (後の桑田真似) もマネジメントしていることになっていたが、実際にはマネジメントしたことも、桑田からマネジメントを依頼されたことも無かった)
      2018年春、芸能事務所「BBE」に、入社ではなく提携という形でマネージャー業を短期間務める (電撃ネットワークを担当)。
      同年9月、自身が運営する芸能事務所「T&Mキャンパニー」を「TM-Factory」に改称。
      2018年6月7日に光文社が運営するニュースサイト「Smart FLASH」で配信された記事 「ブサイクすぎる元ジャニーズ」 にて、 「12歳から20歳まで8年間ジャニーズJr.として歌って踊っていた」、「亀梨和也と同期」、「NEWSが結成される際に候補メンバーだった」などと紹介されているが、山中の知人からの当サイトへの情報提供メールにより、いずれも虚偽であることが判明した。 山中がジャニーズに所属していた事実は存在しない。

  • こうたそ 
      本名:江崎航太。 1996年4月15日生まれ。福岡市城南区の長尾団地出身 (後に早良区に転居)。AB型。愛称:こーくん、こーちゃん。一人っ子。左利き。特技:サッカー。
      福岡市立長尾小学校、同市立友泉中学校、福岡県立福岡講倫館高校卒業。 中学と高校では女優の今田美桜と同級生だった。
      2017年4月に自身のYouTube動画にて、「中学時代にオーディション無しでジャニーズの審査に合格した。 福岡に住んでたのでレッスンには通えなかったけど、福岡でジャニーズのコンサートがある時に応援要員で出演した」などと述べていたが (動画は既に削除済み)、当サイトに寄せられた情報提供メールにより、「元ジャニーズ」というのは全くの虚偽であることが判明した。
      高校2年生だった2013年9月16日から「こうたそ」名義でYouTuberとして活動。 18歳の時にYouTuberの事務所「UUUM」に所属。
      2016年3月6日、EXPG STUDIOが主催した「新人発掘オーディション2016」の福岡校オーディションに挑戦し、EXILEの『song for you』を歌ったが、不合格。
      福岡の美容学校を2017年3月に卒業後、上京して翌月から表参道のヘアサロン「Lily」に就職。 しかし複数の女性問題が発覚し、2018年1月にLilyから解雇された。
      他にも、17歳の女子高校生をDMでナンパし、強制性交をして相手にクラミジアをうつしていたことが発覚。 2017年9月にTwitterで炎上した。 更に、Twitterで出会ったばかりの別の女性に対しても、いきなり三軒茶屋の自宅に連れ込もうとして逃げられており、2018年1月にTwitterで炎上。 どちらの件も、Lilyを解雇された後になってコレコレのYouTube配信で取り上げられ、更に炎上した。 なお、Lilyを解雇された後に江崎は、「今は銀座の美容室で働いてます」などとツイートしていたが、なぜか店名は明かさず、結局これも全て虚偽であった。
      2018年3月、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「VOCEヴォーチェ」に入店し、「こうたそ」の源氏名でホストに転身。 2019年4月に同店の幹部補佐に就任。 更に同年8月に副主任、2021年11月に主任へと昇格した。



逸話を持つ有名人

  • 城みちる 
      本名:城谷晃太郎じょうや こうたろう。 1957年11月18日生まれ。 ジャニー喜多川からスカウトされたが断ったと言われている。

  • 高見沢俊彦 
      本名:髙見澤俊彦。 1954年4月17日生まれ。 ロックバンド「THE ALFEE」のメンバー。 ジャニー喜多川からスカウトされたが断ったと言われている。

  • 沖田浩之 
      本名:置鮎広之。 1963年1月7日 - 1999年3月27日。 36歳没。 竹の子族「乱奈阿珠ランナーズ」時代の1980年頃にジャニー喜多川からスカウトされて断ったと言われている。

  • 新田純一 
      本名:筒井純一。 1963年5月8日生まれ。 1981年、NHK『レッツゴーヤング』で「サンデーズ」のメンバーとしてデビューした頃にスカウトされて断ったと言われている。

  • 明石家さんま 
      1981年~1982年頃、当時26歳だったさんまは、所属の吉本興業に金銭面で不満を持っており、本気で移籍を考えていた。 ちょうどその時、フジテレビのメイク室で少年隊、およびジャニー喜多川と一緒になったため、「ジャニーさん、すんません、ジャニーズに入れてくれませんかね」と頼んでみたが、「Youはダメ」と断られている。 (2019年7月13日放送のMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』にてさんま自身が告白)

  • 石橋保 
      1965年9月18日生まれ。 俳優。 「ジャニー喜多川からスカウトされたが断った」という説があるが、真相や詳細は不明。

  • 青井一樹 

      あおい輝彦の長男。 1976年12月19日生まれ。 愛称:イッチャさん。 一時期俳優を目指してプロダクション尾木に籍を置いていたが、結局何の活動もしないままで引退。
      この青井がジャニーズ事務所にも籍を置いていたことがあると、『渋谷センター街・発 超アイドル㊙FILE』(ジミー 著、2001年10月、コアハウス)に記されているが、真相は不明。 [1]







出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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