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ジャニー喜多川

  


ジャニー喜多川(ジャニー きたがわ、日本名での本名:喜多川 擴 〔きたがわ ひろむ〕、米国名での本名:John Hiromu Kitagawa 〔ジョン・ヒロム・キタガワ〕、作詞時の別名義:JOHNNY.K、1931年〔昭和6年〕10月23日 - 2019年〔令和元年〕7月9日)は、日本の元・実業家、芸能プロモーター。
ジャニーズ事務所、および関連会社のジャニーズ出版、ヤングコミュニケーション、ユニゾン、つづきスタジオの旧代表取締役社長。 ジャニーズアイランド旧代表取締役会長。 ジェイ・ドリームの旧代表取締役社長 (名義だけの幽霊社長)。 元・CIA工作員、米国軍人、外交官。 同性愛者 (真性の小児性愛者、少年性愛者)、性嗜好異常者 (パラフィリア)、魂の殺人者
ロサンゼルス生まれの日系二世 (両親共に日本人)。 身長:153cm。 血液型:AB型。 87歳没。
姉はメリー喜多川。 なお、メリーは日本での戸籍登録時に、英語名である「メリー」の部分も加えて登録したが、弟のジャニーは英語名は付けず、「喜多川 擴」で登録した。


 

 




来歴

  • ジャニー喜多川の父親は、僧侶の喜多川諦道 (きたがわ たいどう)。 1898年(明治31年)に大分県で生まれた。(早生まれではない。また、1896年〔明治29年〕生まれと書かれた文献は誤り)
    私立古義真言宗聯合高野中学林(当時の修業年限は5年)、私立真言宗高野山大学(修業年限は4年6ヶ月)卒業。 以下の6枚は全て諦道の写真。
    大分県で生まれた諦道はその後、父母と共に和歌山市の有力者であり親戚の大谷氏(息子の大谷貴義〔1905年5月31日 - 1991年5月17日〕は宝石商として財を成し、児玉誉士夫と並んで「戦後最大のフィクサー」と呼ばれた人物で、元首相の福田赳夫のパトロンでもあった)の家に住まわせて貰い、世話になる。

      
          (右は諦道の妻・江以)

       

    諦道は8歳で下稚児(少年修行僧)として和歌山県高野山の真言宗系の宿坊「普賢院ふげんいん」に得度(出家)し、13歳で同寺院の僧正に師事。 やがて高野山で真言密教の開教師(導師)となるが、放蕩三昧で、自ら「やくざ」や「遊び人」と称する異色の坊主だった。
    なお、「諦道は高校時代に野球で甲子園に出場した」と書かれた文献が存在するが、これは正確には誤り。 諦道の高校(当時は旧制中学校)時代は1911年4月から1916年3月の5年間で、諦道は私立古義真言宗聯合高野中学林の野球部に所属し、1915年(大正4年)に開催された「第1回 全国中等学校優勝野球大会」(後の高校野球)の関西地区予選には出場したが、初戦相手である大阪の明星商業学校に10対0で大敗しており、全国大会の代表校にはなれていない。 また、関西予選と全国大会が開催されたのは大阪の「豊中グラウンド」である (阪神甲子園球場の完成は1924年)。

    諦道の師の重松寛松僧正が大隈重信後藤新平らと親しくしていたことから、諦道も海外への思いを強めるようになり、諦道を可愛がっていた和歌山市の有力者であり親戚の大谷氏からの援助を受け、諦道は真言密教の布教のために1924年(大正13年)2月より世界一周の旅に出発した (当時25歳)。
    そして同2月、ロサンゼルスのリトル・トーキョーのサウス・セントラル・アベニューにあった「髙野山真言宗 髙野山米國別院」(1909年〔明治42年〕に渡米した富山県出身の青山秀泰しゅうたいを中心とし、愛媛県人1世らが大半の発起人となって弘法大師〔空海〕を信仰するために1912年〔大正元年〕11月28日に「米國髙野山大師教会」の名で発足)の大使教会に到着。
    ここではほんの2~3ヶ月だけ助法し、また世界一周旅行を続けるつもりだったが、当時の主監(最高責任者)が急に日本に帰国することになったため、急遽、諦道が第三代主監となる。 以後、1933年までの9年半、米国大使教会の運営を務めた。
    (ネット上では諦道が居た場所を、同じリトル・トーキョーの「真宗大谷派 東本願寺ロサンゼルス別院」とする記述も多数あるが、それは誤り)

    諦道は活発な布教活動に精を出し、ロスの日系人社会の顔役となる。 ハリウッドのランドマーク「グリフィス天文台」の麓に居を構え、大阪に居た妻・江以(えい。通名:栄、栄子)も呼び寄せた。 そして生まれたのが、泰子(メリー喜多川)、眞一(まさかず。愛称:マー坊。1930年生まれ。背が高く無口な性格)、そして擴(ひろむ。ジャニー喜多川。愛称:ヒー坊)の三姉弟だった。
    諦道は仏事の他にも、奉納演芸を開催したり、関東大震災の犠牲者の慰霊祭を催したり、日本海軍の艦艇がロスに寄港した際には、若く薄給な水兵たちのための食事会を大々的に開いた。 1930年5月27日に高松宮宣仁親王(後の海軍大佐)が、妻・高松宮妃喜久子(旧名:徳川喜久子。徳川慶喜の孫)と共にサンフランシスコに立ち寄って日系移民たちの前でスピーチを行った際には、奉迎会委員も務めた。 更に諦道は婦人会も設立し、毎週金曜日に寺院で婦人会を集めた料理教室を開いたり、日曜日にはサンデースクールとボーイスカウトも始めた。 ボーイスカウトは第79隊 (後に第379隊に改称) で、日系人少年33人で1931年に結成。(正式発足日は1932年2月7日。 初代チャプレン(宗教的指導者)は諦道。 ジャニーの兄・喜多川眞一も、幼少期にボーイ隊のマスコットとして活動していた。 ネッカチーフには胎蔵曼荼羅の蓮台を朱色に染めてマークにし、その朱色を「慈悲の精神」の象徴とした。 この79隊は、世界恐慌当時の反日の偏見に対し、日系人の子どもたちに自信をつけさせた他、1934年2月11日にはフランクリン・ルーズベルト大統領から表彰され、「ルーズベルト大統領賞」を受賞した。 1962年には日本を訪れて皇太子と面会し、甲子園の開会式やNHKの番組にも出演している)
    また、ジャニーの母・江以は日本舞踊の名取だったため、婦人会では日舞や踊りの練習、発表会が頻繁に行われていたので、諦道は婦人会の力を借り、違う宗派も集めた盆踊り大会を開催した。 (この盆踊り大会は、1934年よりリトルトーキョーで毎年8月に行われるフェスティバル「二世週日本祭にせいしゅうにほんまつり」へと発展していった)

  • 当時はまだ日米開戦前だったため、喜多川一家は日系移民の強制収容所に送られることもなく、1933年8月26日、就学前の3人の幼い子供たちに日本の教育を受けさせるため、サンフランシスコ港から貨客船「秩父丸」に乗って横浜港に到着し、大阪に移り住んだ。 諦道は多くの教会員や一般同胞から敬愛されており、日本に帰国する際には引き止め運動まで起こった。 ロサンゼルスの日系新聞「羅府新報」(同年8月25日付)にも、「温情開教師喜多川師出発。誰からも持たれし親しみ」のタイトルで、9年半に及ぶ師の開教生活を讃える記事が掲載された。 (ネット上ではジャニーやメリーがアメリカで強制収容所に収容されていたとする記事が多数存在するが、これも誤報)
    諦道は道頓堀にある高野山真言宗の寺「法案寺」の住職の世話で、後にプロ野球チーム「ゴールドスター」のオーナーとなる橋本三郎の下で働くようになった。
    翌1934年5月24日、母・江以が26~27歳の若さで京都で逝去。 戒名は「真乗院芳室妙栄大姉」(霊標の行年は数え年で「二十八才」と彫刻)。 以来、メリーが2人の弟の母親代わりとなった。

  • やがて第二次世界大戦が始まり、1942年 (ジャニーは当時10歳)、父・諦道だけが大阪に残り、三姉弟は、和歌山市の有力者で親戚の大谷家が和歌山県東牟婁郡勝浦町(後の那智勝浦町)に持っていた島「中ノ島」の南紀勝浦温泉に身を寄せて疎開。 ジャニーはこの「中ノ島」から国民学校初等科(旧尋常小学校)へ、更に、坊主頭に詰襟の制服を着て旧制中学校へと通った。 中学2年の初夏、ジャニーは一人で大阪に遊びに行った帰りに、1945年7月9日(月曜)深夜から7月10日(火曜)未明にかけて、和歌山市街にて「和歌山大空襲」に遭遇したが、無事に逃げおおせた。
      (一方、三姉弟と離れて大阪で暮らしていた父・諦道は、道頓堀の劇場に通って舞台鑑賞をする内に森光子のファンになった他、橋本三郎が1946年2月に大阪で創設したプロ野球チーム「ゴールドスター (翌1947年に「金星スターズ」に改称)」のチームマネージャーを、1948年2月まで2年間務めていた (当時のチーム監督は坪内道則)。
      その後、諦道は橋本三郎の親族が経営する大阪の甘味処に居候。 続いて、同じく橋本の親族が経営する心斎橋の煎餅屋「杵萬」に居候するようになり、やがて1974年4月10日にそのまま「杵萬」で逝去。 75歳没。 葬儀は大阪の三津寺で盛大に執り行われ、僧侶も多数参列。 メリー喜多川と娘の藤島ジュリー景子は参列したが、ジャニーは参列できなかった。 墓は和歌山県北部の高野山真言宗総本山金剛峰寺の奥之院参道に「喜多川家之墓」として建立 (家紋は桔梗)。 戒名は「阿闍梨諦道大和尚不生位」(霊標の行年は数え年で「七十七才」と彫刻)。
      なお、諦道は生前に多くの書を残しており、「寿」の字が書かれた掛け軸が、京都府長岡京市「楊谷寺 (通称:柳谷観音)」の上書院の2階の床の間に飾られている)

      (左側の文字は「高野山前官大僧正諦道」。 そして左下の落款印が右読みで「諦道」)

       



  • 1949年に、「日本は敗戦でめちゃくちゃだから、学校はアメリカの学校に行った方がいい。市民権(米国籍)も無くなってしまう」という諦道からの意見で、同年11月12日、三姉弟のみで横浜港から米軍のLST(軍用船)の「W.H.ゴードン将軍号」(船室はもっとも安価な三等)に乗って渡米し、同年11月24日にサンフランシスコ港に到着し、「帰米組」として再びロスに移り住む (当時、メリー:21歳、マー坊:19歳、ジャニー:18歳)。
    ※ 1947年に渡米したとするサンスポの情報は誤報。
    ロスに着いた三姉弟はまず、リトル・トーキョーの隣町に住む髙野山米國別院の総代の家を頼って間借りした。
    しかしそれほど広い家でもなかったため、やがて三姉弟は別の3ヶ所の知人の家を間借りすることで、それぞれ分かれて住むようになった (ジャニーが身を寄せたのは散髪屋)。 そしてジャニーはロスの高校に通って英語を学びながら、地元の老舗劇場 [注 1] にて音楽監督 [注 2] のアシスタント(雑用係)のアルバイトを経験したり、別の家庭に移り住んでハウスボーイ(住み込みでの家政夫)にもなった。 また三姉弟は、別院の檀家でもある有名な日系写真家・宮武東洋(1895年 - 1979年、香川県出身)がロスのリトル・トーキョーで経営していた写真館「宮武寫眞館」を手伝ったりもしていた。 (ジャニーのインタビュー記事による「宮武は喜多川家の親戚」という説は誤報)
    高校卒業後は、姉のメリーと同じロサンゼルス市立大学 (Los Angeles City College。略称:LACC。2年制のコミュニティ・カレッジ) [注 3] へ進学。 優秀だったマー坊は、ハウスボーイをしながらカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の理系学部に進んだ。
    ちょうどその頃、終戦後で劇場などが少ない時期だったこともあり、「高野山米国別院」の新寺院(1940年8月完成。リトル・トーキョーのイースト1stストリート342番地)の説教用の集会場「高野山ホール」(収容可能人数は当時約千人。現在は600人)のステージを、日本からやって来るスターたちが次々に利用するようになった。

     
    (以下の3枚は1枚目が2006年時、2・3枚目は2012年時)
     
     


    まず最初に、田中絹代が1950年に日米親善芸術使節として訪れ、婦人会と交流した。 そして笠置シヅ子&服部良一&服部富子(1950年9月1日~3日)、大河内伝次郎、山本富士子(1951年、初代ミス日本としての公式訪米)、古賀政夫、ディック・ミネ、高峰美枝子、霧島昇、二葉あき子(二葉百合子と書かれた文献は誤報)、渡辺はま子、小唄勝太郎、浪曲師・広沢虎造(1950年)、漫談家・大辻司郎など、錚々たる面々が寺院のステージを踏んだ。 ジャニーはその度に、現地コーディネーターと通訳を買って出ていた。 1950年5月に美空ひばり(当時12歳)が、人気絶頂だったボードビリアン・川田義雄(後の川田晴久)と共に「第100歩兵大隊二世部隊戰敗記念碑建立基金募集公演」のために渡米した際も、高野山ホールのステージがロス公演の会場となったため、ジャニーはステージマネージメント全体を担当。 川田の知遇を得ると共に、美空とも交流を深めた。 これらのことが、やがてジャニーが日本芸能界への進出を志すきっかけとなった。

  • やがてジャニーはロス市立大学を卒業したが、アメリカ国籍だったジャニーと兄のマー坊には兵役義務があり、当時勃発していた朝鮮戦争に参加するため、1952年にアメリカ陸軍に徴兵される。 マー坊はパラシュート部隊で優秀と認められ、幹部付きの当番兵となった。
      (朝鮮戦争後のマー坊は、徴兵で休学していたUCLAを卒業し、宇宙船関連の航空機メーカー「ノースアメリカン・ロックウェル・コーポレーション」のエンジニアとなった。 ロサンゼルスのガーデナに住みながらノース社でNASA関連の仕事をし、アポロの設計にも携わったが、1985年、くも膜下出血で倒れる。 日本で治療を受けさせるため、メリーがプライベートジェット機で日本に連れ帰り、大阪の病院に入院。 治療を終えてアメリカに戻ったが、結局、翌1986年1月9日に55歳で逝去した。 葬儀はアメリカで行われた。 戒名は「樹徳院諦真法道居士」。 霊標の行年は数え年で「五十七才」と彫刻。 なお、ロサンゼルスで結婚した日本人女性の妻との間には娘をもうけている)
    一方ジャニーは、アメリカの情報機関 「CIA (Central Intelligence Agency、中央情報局)」 [注 4] を介して韓国の戦災孤児に英語を教えながら諜報活動をする工作員としての任を命ぜられ、広島県江田島市の海軍兵学校跡地を使用した米軍の学校「江田島学校」(1955年一杯まで米軍および英連邦軍などが使用)で朝鮮語を習得するため、1952年に通訳の助手という肩書きで再来日する。 そして約10ヶ月で朝鮮語をマスターした後、韓国の板門店 (発音:パンムンジョム、日本語読み:はんもんてん) に派遣され、児童養護施設で暮らす子供たちに英語を教えた。 時には子供たちに米兵のためのクリーニング業をあっせんし、小遣いを稼がせることもあった。 また、後にジャニーの性的児童虐待問題が表面化したことを踏まえると、ジャニーは韓国の戦災孤児たちに性的虐待を行っていた可能性も充分に考えられている。
      (ジャニーはこうしたCIAの経験もあって、1960年から1962年と、1964年から1968年にかけて放送されていたイギリス制作のスパイドラマ『デンジャー・マン』(Danger Man。アメリカでの放送時は『Secret Agent』(シークレット・エージェント)に改題)を気に入っており、後にジャニーズ事務所のタレントによる企画ユニット「Secret Agent」を作り、ジョニー・リヴァースがドラマのアメリカ放送版で歌っていた人気主題歌『Secret Agent Man (秘密諜報員)』をカバーさせた。
      また、ジャニーは日本に再来日した直後か、韓国へ赴く前の頃に、東京の新宿区若松町の服部良一の家(若松町24-1。1952年から7年間居住)にカーキ色の軍服姿で顔を出し、ロサンゼルスの高野山ホール以来の再会を果たしている。
      そして、韓国で子供たちに英語を教えていた期間を約1年2ヶ月と表現した文献と、米軍の兵役に就いていた期間を約1年2ヶ月とする文献があったが、ジャニーが1953年に除隊して東京に移住している点、そして国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男・服部吉次よしつぐ(本名:服部良次よしつぐ。1944年11月29日生まれ)が、「小学2年生」で尚且つ「8歳」の時に “除隊後のジャニーから” 性被害に遭い始めたと証言している点 [1][2] などから、軍務として日本で朝鮮語を修得していた約10ヶ月間も含めた全ての「従軍期間」が、約1年2ヶ月だと思われる。
      服部吉次が告発したのは「78歳」という高齢になってからであるため、「70年」という遠い過去を思い出して証言した性被害開始年齢と学年の数字に、勘違いによる誤りが無ければ、ジャニーがアメリカから再来日したのは1952年1月で、吉次の性被害が始まったのは1953年3月頃ということになる。 ちなみに朝鮮戦争の休戦日は1953年7月27日。 米軍では兵役を満了せずとも、“名誉”は付与されなくなってしまうが自己都合での退職に相当する「普通除隊」も可能であったため、ジャニーが戦争の途中で除隊していても何ら矛盾は無い。 ただもし仮に「年齢は8歳だったが、学年は小学3年生になっていた」という場合には、性被害開始時期は1953年11月28日まで延ばされる。
      なお、この吉次の告発記事は、記者の取材と編集が多少杜撰だったのか、所々で吉次の証言が偽証だと疑われかねない箇所や誤植がある。 まず記事の前編で、「ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り」という不自然な二重表現で書かれているため、まるでジャニーが韓国から一回アメリカに渡ってしばらく住み、その翌年の1954年に日本に再々来日したかのように受け取れてしまうが、ジャニーは除隊後はアメリカには戻らずにそのまま東京に居住している。 そして、「除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」とも書かれているため、ジャニーが除隊後すぐに顧問団に勤務したかのように読めてしまうが、実際は除隊後のジャニーは大学に通うなどしており、顧問団で勤務し始めたのは1958年になってからである。
      同記事内で吉次は、「諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました」と発言しているように、性被害を告発するにあたって自分の遠い記憶と照らし合わせるためか、ネットでジャニーの経歴を少なくとも一度は検索したことを明かしている。 吉次の言葉も「米大使館軍事顧問団に勤務していました」という断定調ではなく、「勤務したといいます」という伝聞調になっているため、ネット検索で初めて昔のジャニーの所属先やその名称を知ったものと思われる。 そもそも、わずか8歳の幼い児童が、身内でもない大人の所属先、それも「在日軍事援助顧問団」なる複雑な名称を当時から正確に認識していたとはまず考えづらいため、決して偽証などではなく、ネット検索時に「自分が性被害に遭い始めた頃のジャニーは顧問団で働いていた」と単に早合点、誤認識してしまったものと思われる。
      また記事内では、ジャニーがアメリカのお菓子などを服部家に持って来ていたとあるが、当時の日本には銀座を中心にあらゆる場所に米軍のPX(Post Exchangeの略。軍運営の売店)が存在しており、一般の日本人は客としては立入禁止だったが、米国籍を持ち、元米国軍人でもあるジャニーは大学に通いながらもアメリカの商品を購入することが出来たため、これも矛盾はしない。
      なお、後編の記事では「1965年にジャニーズ事務所が独立した頃」と書かれているが、これは吉次、もしくは取材した記者の認識不足なのか、それとも単なる誤植なのかは分からないが、正確な独立年は「1964年」である。 更に、「そもそも彼少年愛の年齢ではもうなかったからでしょう」という部分も、誤植されていて日本語の表現がおかしい。 「そもそも彼少年愛の年齢ではもうなかったからでしょう」、もっと分かりやすくするならば、「そもそも私はもう彼の少年愛の対象年齢ではなかったからでしょう」でなければ話の筋が通らない)

  • 1953年に米軍を除隊したジャニーは、アメリカへ戻らず東京に居住。 上智大学国際部(夜間部) [注 5] に社会人入学し、1955年にはバンドを結成して自らも芸能界へ参入した。 大学卒業後にバンドは解散。

  • ジャニーはその後、英語力と滞米経験を買われ、在日米軍施設「ワシントンハイツ」の中に1955年に建てられた独身米軍士官向けの4階建ての新宿舎(後の渋谷区神園町「国立オリンピック記念青少年総合センター」)の4階の一室に移り住み、アメリカ大使館隷下に組織された駐留米軍の一セクションである「在日軍事援助顧問団」(MAAGJマグジェイ:Military Assistance Advisory Group Japan。1969年7月に「在日相互防衛援助事務所」〔MDAO:Mutual Defense Assistance Office〕に改編)にて、団長の庶務を行う団長事務室の下士官事務職員(立場は米国軍人および外交官)に任官され、旧防衛庁(霞が関)にあった顧問団の事務所に1958年より勤務。 (1960年1月11日より防衛庁が霞が関から赤坂の檜町地区 〔後の東京ミッドタウン〕 へ移転。 また、ワシントンハイツは1964年に東京オリンピックの開催を機に日本に全面返還され、ジャニーが住んでいた宿舎は五輪の女子選手村として使用されることになったため、ジャニーは1964年までにワシントンハイツから新宿区四谷3丁目へ転居した。 なお、1953年から1958年までのジャニーの住居は、ずっとワシントンハイツ内〔旧宿舎 → 新宿舎〕だったのか、それともワシントンハイツ外の一般住宅だったのかまでは不明)

  • 1960年頃、ジャニーは知人のつてで、豊島区椎名町の豊島区立真和中学校(2005年3月に閉校)の野球部で専属コーチを務めるようになる (当時の真和中学の卒業アルバムの野球部の白黒写真にはジャニーも一緒に写っている)。


      前列右端がジャニー。 画像元:https://blog.goo.ne.jp/math19575

    そして1961年の夏、神宮外苑で模型飛行機を飛ばして遊んでいた少年たちに「野球をやろうよ」と声をかけ、自らも少年野球チームを新たに作った。 近所の少年たち約30名を集め、当時自分の住んでいた東京の在日米軍施設「ワシントンハイツ」(後の代々木公園)のグラウンドで指導した。
    やがて、大学時代にバンドのマネジメントなども担当していた経験から、1962年、ジャニーにとって最初に手がけるアイドルグループ「初代ジャニーズ」を作り出し、タレントのプロデュース業に軸足を移していった。 マネージメント活動が忙しくなると、在日軍事援助顧問団での仕事はずっと休職状態が続き、1966年に正式に退職。 同時に米国軍人や外交官ではなくなった。

      (1966年当時の写真。初代ジャニーズの4名、ジャニーズの付き人の北公次、そして座っている右端の男性がジャニー喜多川)

    ※ ジャニーズ事務所設立への流れは、設立を参照。

  • 1998年11月、暴力団の儀式や盃事を模倣した、田辺エージェンシーの社長・田邊昭知の「五分義兄弟盃の儀」(還暦披露会 兼 生前戒名授与式)に出席し、媒酌人を務める。 [1]
       

  • 国籍は長らく米国と日本の二重国籍だったが、2014年11月頃に米国籍から離脱。

  • 2019年6月18日 午前11時30分頃、ジャニーが渋谷区の高層マンションの最上階にあるペントハウスの自宅で家政婦に体調の異変を訴え、病院に向かおうとした所、意識を失う。 そして家政婦の119番通報で同区広尾の日本赤十字社医療センターに救急搬送された。 集中治療室(ICU)で救命措置を施し、一般病棟に移ってそのまま入院。 診断結果は解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血。 自宅で倒れて以降、意識が戻らぬ状態が続いていたが、入院生活22日目の同年7月9日 16時47分に死去。 87歳没。

        

  • 同年7月12日、ジャニーズアイランドが入居している渋谷のMTBビルの最上階(12階)にあるジャニーズJr.のダンスレッスンルーム(幅15m、奥行き35m)にて、Jr.を含む約150名の所属タレントたちと滝沢秀明だけで家族葬が執り行われ、同日に荼毘に付された。 出棺の際にジャニーの遺影を持って霊柩車の助手席に乗ったのは滝沢だった。 なお、この家族葬ではジャニーの遺影を背にしてタレントたちの集合写真も記念に撮られたが、TOKIOの長瀬智也のみ中指を立てた右手を掲げており、反抗的で意味深なポーズを取っている。[1]

  • 2019年9月4日 (水曜日)、東京ドームでジャニー喜多川の「お別れの会」が執り行われた。 会は2部制だと報道されたが、正確には3部制で、11時からが「関係者 第1部」、12時半から「関係者 第2部」、14時から20時までが「一般の部」。 関係者の第1部には所属タレントを始め、事務所を辞めたタレントたちが出席したが、案内状(返信用ハガキが入った封書)が届いたメンバーは原則として、ジャニーズ事務所でレコード・CDデビューを経験し、連絡先が分かっている人のみ (一部例外あり)。 セレモニー全体の演出は、滝沢秀明がメインとなって手がけた。
    関係者の第1部に出席した所属タレントは、 近藤真彦少年隊東山紀之植草克秀のみ)、 内海光司 (報道からは漏れているが内海も少しだけ出席していた。長居が出来なかった理由は、舞台の稽古があったため)、 岡本健一佐藤アツヒロ中居正広木村拓哉TOKIO城島国分松岡長瀬)、 KinKi Kids光一)、 V6坂本長野井ノ原森田三宅岡田)、 大野櫻井相葉二宮松本)、 KAT-TUN亀梨上田中丸)、 関ジャニ∞横山村上丸山安田錦戸大倉)、 NEWS小山増田加藤手越)、 Kis-My-Ft2北山横尾藤ヶ谷宮田玉森二階堂千賀)、 Hey! Say! JUMP髙木伊野尾八乙女有岡山田中島知念のみ)、 A.B.C-Z五関戸塚塚田河合橋本)、 ふぉ~ゆ~松崎福田辰巳越岡)、 Sexy Zone中島菊池佐藤マリウスのみ)、 ジャニーズWEST中間濵田桐山重岡神山藤井小瀧)、 King & Prince平野神宮寺永瀬髙橋のみ)、 生田斗真風間俊介屋良朝幸内博貴中山優馬浜中文一Snow Man深澤佐久間渡辺宮舘岩本阿部向井目黒ラウール)、 SixTONES髙地京本田中松村ジェシー森本)、 Travis Japan宮近中村七五三掛川島吉澤松田松倉)、 HiHi Jets髙橋井上橋本猪狩作間)、 少年佐藤金指藤井岩﨑のみ) 7 MEN 侍中村本髙佐々木矢花のみ)、 宇宙Six (山本、江田、松本)、 MADE稲葉、秋山、冨岡福士)、 なにわ男子西畑高橋大橋のみ)、 少年忍者北川内村ヴァサイェガ渉元木織山安嶋、 平塚、 豊田黒田深田檜山青木稲葉、 久保、 皇輝のみ)、 Jr.SP (後のSpeciaL) (蓮音、和田、松尾、中村)、 ジャニーズJr.林翔太野澤祐樹高田翔寺西拓人室龍太、小川優)の、全155名 (報道では154名)
    錦織一清山下智久長谷川純岡本圭人松島聡岩橋玄樹6名は不参加
    OBからは、飯野おさみ永田英二郷ひろみ葵てるよし板野俊雄小坂まさる森谷泰章曾我泰久松原秀樹井上純一豊川誕殿ゆたか大野祥孝川﨑麻世長谷部徹吉本和子ボビー吉野・ひろみ夫妻、 鈴木則行ひかる一平薬丸裕英布川敏和西条昇衛藤浩一柳沢超中村繁之宇治正高大沢樹生正木慎也佐藤寛之成田昭次高木延秀KNOB (中村亘利)木野正人赤坂晃佐野瑞樹今井翼Taka (森内貴寛)田中聖が「関係者 第1部」に参列した。 元・シブがき隊の薬丸と布川が参列する中、メリー喜多川との遺恨が残る本木雅弘だけは欠席を選んだ [1]
    その他の多数の元ジャニーズJr.たち(大嶌忍、星英徳、小原裕貴国分博古屋暢一、三浦勉、町田慎吾、尾身和樹、川野直輝、田中純弥、大堀治樹、田中大樹など)は、「関係者 第2部」に参列した。
    一方、元ハイ・ソサエティーの元持勲、元ジャニーズJr.の平本淳也、木暮毅、石丸志門、石井哲也、藤沢裕介、中本雅俊、蓬田利久、中岡真一郎、伊藤智之、提箸一平、高橋実靖、長渡康二らは、「一般の部」に参加 (ただし平本や石丸など、一部のメンバーは関係者入口からの入場)。  前田耕陽は「関係者 第1部」に招待されていたが、遅れて来たために「一般の部」に関係者入口から入場した。  浅倉一男(元・浜田一男)は「関係者 第2部」に参列できる立場ではあったが、当日は舞台の稽古があったため、午前中にドームの前まで訪れ、ドームの外からジャニーにお別れの挨拶をしたのみでその場を後にした。  この他、一説では森且行もお忍びで訪れていたと言われている。
    ジャニーズタレント以外からも、(以下五十音順) 青木源太アナウンサー、秋元康、芦田多恵、生島ヒロシ、石井ふく子、伊集院静、泉ピン子、今村良樹 (元「ずうとるび」。息子がジャニーズJr.の今村隼人)、内館牧子、うつみ宮土理、大久保好男 (日本テレビ会長)、小倉智昭、 北大路欣也、北島三郎、久米宏、黒木瞳、黒柳徹子、小泉博 (元「東京ボンバーズ」)、駒井千佳子、 SAM、山東昭子、 大地真央、武田鉄矢、舘ひろし、司葉子、デヴィ夫人、テリー伊藤、徳光和夫、 中山秀征、名倉加代子、 爆笑問題および太田光代、服部克久、林真理子、船山基紀、堀尾正明、 前田美波里、馬飼野康二、真琴つばさ、桝太一アナウンサー、松井五郎、松浦勝人、真矢ミキ、未唯、三浦知良・りさ子夫妻、みのもんた、森公美子、森浩美、 山田美保子、 和田アキ子など、数多くの著名人が「関係者 第1部」に訪れた。  元俳優・歌手の川原田新一も、平本淳也に誘われて「一般の部」に参加した。  「関係者の部 (1部・2部)」への参加者は約3500名、「一般の部」への参列者は約8万8000名に及んだ。
    弔辞は近藤真彦、東山紀之、堂本光一、髙橋優斗の4名が読んだ。 弔電もたくさん届き、その中から安倍晋三首相の弔電を近藤真彦が代読し、大型ビジョンにも文面が映し出された。 また、「関係者の部」に参加した者にのみ、メッセージカードと、ジャニー喜多川の幼少時など、多くの秘蔵プライベート写真が詰まった特別なフォトブック『Thank You & Forever Johnny』(A5判、厚さ約1.5cm)が引き出物として配られた。 「一般の部」への参列者には、同年7月の家族葬で撮影された祭壇の写真がプリントされたポストカードが、退場時に配布された。
    なお、参加するかが注目されていた元SMAPの3名による新しい地図稲垣吾郎草彅剛香取慎吾)は、仕事を理由に欠席。 元TOKIOの山口達也も、案内状は届いたが出席は辞退した。
    お別れの会の日の夜には、川﨑麻世主催によるOB飲み会「ジャニーさんを偲ぶ会」が都内で開かれ、板野俊雄、森谷泰章、井上純一、吉本和子、ひかる一平、中村繁之、大沢樹生、今村良樹(元・ずうとるび)が改めて合流した。 また、田原俊彦の元マネージャー・宇野伸一郎は、お別れの会には参加していなかったが、親しい友人でもある森谷泰章に招かれて、OB飲み会には参加した。

  • ジャニーの父・母・兄が眠っていた和歌山県北部の高野山真言宗総本山金剛峰寺の奥之院参道(普賢院が管理する墓所)の「喜多川家之墓」(家紋は桔梗)を、2019年6月にメリー喜多川が億単位の金をかけて新たに建て替え、ジャニーもそこに入ることとなった。 戒名は「宝澍院諦応擴道大居士」(霊標の行年は数え年で「八十九才」と彫刻)。 そしてそのすぐ左隣には、藤島泰輔の墓であり、メリー喜多川や藤島ジュリー景子の生前墓でもある「藤島家之墓」も同時に建立(豊島区の霊園からの改葬)された。
    同年11月下旬、メリーら親族数名と近藤真彦とで、ジャニーの納骨と開眼法要が静かに執り行われた。

  • 2020年7月9日、渋谷・MTBビル最上階(12階)のダンスレッスンルームにてジャニーの一周忌法要が執り行われ、所属タレントがほぼ全員出席した (中居正広は同年3月31日に円満退所したばかりだったが不参加)。 高野山の寺院から僧侶を招き、祭壇にはジャニーが愛用していた帽子、使用していた車椅子、等身大のマネキンが設置された。

  • 2023年3月より、ジャニーの約70年間に及んだ悪行(少年への性的虐待が一気に表面化し、名声が地に落ちる。


人物、エピソード

  • 座右の銘 - 「Show must go on!」(ショーは続けなければならない)

  • 好きな言葉 - 「勝てば官軍」

  • 好きなもの - 野球、演歌、イリュージョン、歴史 (特に楠木正成と彰義隊に共感を覚える)

  • 尊敬する人物 - ブライアン・エプスタイン (ビートルズの名マネージャー。ジャニーと同じく同性愛者)

  • 愛読書 - 『ビートルズをつくった男』 (ブライアン・エプスタイン 著。1992年12月、新潮文庫)

  • 好きな花 - 純白の胡蝶蘭 (花言葉は「純粋な愛」)

  • 食事は甘党、肉食。 好きな食べ物は焼肉、ビーフストロガノフ、「フォルクス」のフィレステーキのミディアムレア、Calbeeポテトチップスの「堅あげポテト」など。 酒はあまり飲まない。

  • 覚醒剤を使用していた。 ジャニーと一緒に覚醒剤を摂取していたことを、北公次が著書『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月、データハウス。P.233~235)にて証言している。

  • おしゃべり好き。

  • 咳払いをよくする。

  • 若い頃は非常に短気で、怒る前になると唇がピクピクと引き攣る癖があった。

  • いつもアラミスの香水を大量につけていた。

  • THE GOOD-BYE」の衛藤浩一や、「ORIGINAL LOVE」の田島貴男に顔が似ていると言われることがあった。

  • ジャニーの愛車(通称:ジャニカー)は、外交官ナンバーのテールフィンの白のクライスラー・ニューヨーカー4ドアセダンに始まり、6人乗りのコラムシフトのクラウンを経て、1982年位からベンツとなった。 なお、平本淳也はジュニア時代に、ジャニーのベンツを「ジャニベン」、ジャニーからかかって来る電話やジャニーへの直通電話を「ジャニ電」と名付けていた。

  • 美空ひばりが1988年4月11日に「不死鳥コンサート」を開催した際、美空のために会場の東京ドームを押さえてあげたのがジャニーだった。

  • ジャニーは、その時々で一番気に入っているジャニーズJr.を、常に自分の膝の上に座らせて抱き寄せる行為が好きだった。 この行為に関しては、複数の元Jr.が証言している。
    また、ジャニーは所属タレントに対し、ステージや歌番組、雑誌などで、セミヌードにさせることをとても好んだ。 若手の所属アイドルを中心に、セミヌードのグラビアを女性向け芸能誌だけでなく、テレビ情報誌にまで掲載することがよく見られた。 他の芸能プロダクションのアイドルでもたまにやっていることではあるが、ジャニーズ事務所のタレントは特に顕著だった。

  • 人に対する好き嫌いが非常に激しい。 人を一瞬で好きになるが、一瞬で嫌いにもなる。
    「ジャニー喜多川」というたった一人の人間の、ほんの些細な意向、気まぐれによって、膨大な数の少年たちの人生がいとも簡単にバタバタと変えられてしまう。 本来ならスターになれる逸材であっても、ジャニーの個人的な感情一つでその道は断たれてしまい、逆に気に入られればスターにされ、億万長者にもなれる。 ジャニーの独裁がもたらす影響力はあまりにも大きく、残酷でもあった。
    2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に諸星和己がゲスト出演した際も、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、
      千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」
      諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」
      千原 「先見の明がすごいんでしょ?」
      諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!
    と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。
    なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している。(諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)
    ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 当然ながら、性的虐待の毒牙にかけた少年たちが、心に傷を負って後に反乱分子となり、反旗を翻して来ることさえも予想できていなかった。 もしジャニーに人を見抜く目があり、そのような未来を予想できていたなら、将来反撃して来る可能性がある少年たち(グルーミングが最後まで効かない相手)など最初から一人も採用するはずがなく、手も出さなかっただろう。
    ジャニーは将来を予見して少年たちを採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに個人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 [1]
    但しジャニーは自分が捨てられた側の時はどこまでも未練がましく、かつて郷ひろみを寵愛している真っ最中に郷に捨てられた時は非常に大きなショックを受け、その後、郷が原宿の9LDKのマンションを購入して住み始めたと知るや否や、ストーカーの如く郷を追いかけるようにして自身の住居(合宿所)もわざわざ郷の近くのマンションに移している。

  • ジャニーズ事務所の合宿所が原宿のマンションの6階にあった1980年代のある日、マンションの下にたむろする女性ファンたちを疎ましく思ったジャニーは、バケツ一杯に汲んだ水を6階の窓からファンたちの頭上めがけてぶっかけたことがある。

  • ジャニーズ事務所のタレント以外でジャニーが好んだ芸能人は、竹本孝之、薬師丸ひろ子。 逆に嫌っていたのは、沖田浩之、尾崎豊。 ただし沖田に関しては、「沖田が竹の子族として話題になっていた時にジャニーが一度スカウトを試みたが、沖田に断られた」という逸話も存在する。

  • 1985年8月12日、羽田発大阪行きの日航機が群馬県の御巣鷹山に墜落し、520人が死亡した「日本航空123便墜落事故」。 当初はこの便に、ジャニーと少年隊も搭乗する予定だった。 前日の11日に、大阪の新歌舞伎座で近藤真彦の主演舞台『森の石松』が初日を迎えた。 ジャニーは少年隊と一緒に翌日の12日に応援のために観劇しに行く予定だったが、少年隊のコンサートの現場だった中野サンプラザに居たジャニーに、大阪の舞台のスタッフから「マッチが舞台の会見を開くから急いで来てほしい」と電話が入る。 これにより、ジャニーだけが急遽12日の搭乗予定を1日前倒しして大阪に飛び、少年隊は東京に残ることとなった。
    なお、田原俊彦と岡田有希子も12日に123便に搭乗予定だったが、寸前で別の便に変更になり助かっている (『週刊セブンティーン』1986年5月6日号参照)。

  • フォーリーブスの江木俊夫は自著の中で、「ジャニーズ事務所に最大の利益を与えたのはSMAPだろうが、ジャニー喜多川さんが今でも理想のアイドル像として思い描いているのは郷ひろみだろう」と述べている。 ジャニーは郷が事務所に在籍していた当時、六本木にあった合宿所の電話番号の最後の4ケタをわざわざ「5163 (郷ひろみ)」にしていた程だった。
    しかし、タレントのマネジメントで神経を使い過ぎ、「十二指腸潰瘍の末期」と診断されて1974年6月から3ヶ月間、赤坂の山王病院で入院生活を送っている間に、当時事務所で一番の稼ぎ頭であり、最も可愛がっていたその郷ひろみが、バーニングプロダクションに引き抜かれてしまった(注:移籍が正式に完了したのは翌1975年3月28日)。 ジャニーズJr.のメンバーやスタッフまでも引き連れたこの大きな移籍騒動でジャニーは相当なショックを受け、その後は麻雀に埋没することが多くなり、森進一和田アキ子を六本木の合宿所に招いては、明け方まで麻雀をしていた。 なお、和田アキ子はジャニーのことを「ジャニ子」、メリー喜多川のことを「メイ子」という愛称で呼んでいる。
    この他、ジャニーにとっての最高傑作は「少年隊」、そしてジャニーの生涯で最大の発明は「光GENJI」だと評されることもある。

  • 1980年代に、「ジャニー喜多川と黒柳徹子が結婚します。会見はテレビ朝日の第1リハーサル室で行います」というイタズラ情報のFAXがマスコミ中に送られたことがあった。 この一件以来ずっと、ジャニーは黒柳から「旦那さん」と呼ばれていた。

  • 所属タレントからの呼称は、「ジャニーさん」、または「社長」。 そして所属タレントは皆、ジャニーに対して“タメ口”である (「敬語は堅苦しいから」とジャニーから敬語禁止令が出されるため)。

  • かつてTOKIOの国分太一がジャニーに、「ジャニーさんが思う(事務所史上の)最強のグループって、どのグループだったの?」と尋ねた際、即答で「少年隊」と答えた。 その理由として、「踊りが完璧。歌も歌えて、自分たちで演出もできていた」と述べていたことを、国分が2019年9月4日放送のフジテレビ『TOKIO×カケル 300回記念スペシャル』で明かした。

  • 姪(ジャニーの兄・眞一の娘)が、福岡市内でピアノ講師をしている。

  • とんねるずが、メリー喜多川とジャニー喜多川に掛けて、つのだ☆ひろの『メリー・ジェーン』のパロディソング『ジャニージェーン』をリリースしている。(作詞:秋元康、作曲・編曲:後藤次利。1987年10月21日の4thアルバム『河口湖』収録)

  • 指原莉乃主演の映画『薔薇色のブー子』(2014年、監督・脚本:福田雄一)にて、「やめちゃいなよYOU!」、「ジャニーさん」という台詞を、ユースケ・サンタマリアが喋っている。

特徴

  • ジャニー喜多川は「源平合戦」、「彰義隊」、「白虎隊」、「二本松少年隊」、「新選組」などの歴史ものが好きで、日本の芸能史上、アイドルのグループ名に「〇〇隊」、「〇〇組」というネーミングを最初に採用した人物。(白虎隊、少年隊、シブがき 〔“シブがき”の部分のみファンによる命名〕、桜隊、男闘呼組、三多摩新鮮組、少年新撰組など。 但し「〇〇組」というアイデアをジャニーに提案したのは中村繁之
    以降、多くのグループがこのネーミングを使用するようになった。
    (例:「筋肉少年少女隊 (筋肉少女帯の旧名)」、「いいとも青年隊 / 半熟隊」、「少女隊」、「乙女隊」、「おめで隊」、「うしろ髪ひかれ隊」、「茶々隊」、「渡り廊下走り隊」、「ばってん少女隊」、「うしろゆびさされ組」、「うつみゆびたつみ組」、「おニャン子クラブB組」、「あすか組」〔原作漫画は1985年8月連載開始〕、「桜っ子クラブさくら組」、「平成おんな組」、「維新組」、「モーニング娘。おとめ組」、「モーニング娘。さくら組」、「ほね組 from AKB48」、「新選組リアン」、「でんぱ組.inc」、「モーニング娘。天気組」、「民族ハッピー組 (旧名:演歌女子ルピナス組)」、「民謡女子ハピネス組」など)

  • 自分にとって思い入れの深い人物、関連グループの名前やキーワード、また、自身がプロデュースしながらも売れなかったり消滅してしまったグループの名前やキーワードなどを、後に再び引用して焼き直すことが多い。

    • 初代ジャニーズ中谷良のリードボーカル曲『裸の少年』(1966年。作詞:中谷良、作曲:三保敬太郎。ジャニーズのアルバム『ジャニーズとアメリカ旅行』に収録。 ただし実際に作詞したのは中谷ではなくジャニー喜多川)
                  ↓
      ジャニーズJr.のバラエティ番組のタイトル『裸の少年』(2001年4月7日 - 、テレビ朝日)
      なお、楽曲『裸の少年』は、後にフォーリーブスの北公次もソロ曲としてカバー。(1969年。北のシングル『ひとりぼっちになった時』のB面、およびフォーリーブスの1stアルバム『ヒット!ヒット!ヒット! フォーリーブス・ゴールデン・ショー』、ハイ・ソサエティーの1stアルバム『世界へジャンプ! ハイソサエティ・サプライズ・プレゼント』に収録)
      更に、2012年~2013年にかけて公演されたミュージカル『JOHNNYS' World』でも、Hey! Say! JUMPの山田涼介が同曲をカバーしている。

    • あおい輝彦 → 葵テルヨシ (「葵」の字の由来は、葵が名古屋出身ということで「葵の御紋」からの引用)

    • クエスチョン・マーク・アンド・ザ・ミステリアンズ(1966年に全米1位のヒット曲を出したアメリカのガレージ・ロックバンド)、および 『クエスチョンズ67/68』(シカゴの1969年のシングル。ハイ・ソサエティーが1971年のアルバムでカバー) → クエッション → 村田勝美&ハイクエッチョンズ → クエスチョンズ(嵐の当初のグループ候補名。なお、もう一つの候補名は「」だった) → Question?

    • ミュージカル・アカデミー(旧名:ミュージカル・アカデミー合唱団。1960年代~1970年代に活動していた男性12名(結成時の人数)のコーラスグループ。 1965年のミュージカル『焔のカーブ』ではジャニーズとも共演した) → Musical Academy

        
        画像はコーラスグループの「ミュージカル・アカデミー」

    • ジャニー喜多川 → 公次 (「キタ」の部分を引用)

    • 北公 → 成田昭 (「」の文字を引用)

    • Four Tops(1960年代半ばに全米1位のヒット曲を出していたアメリカのR&Bコーラスグループ) → フォーリーブス → Four Tops

    • フォーリーブス・ミュージカル『少年たち』シリーズ(1969年 - 1976年)  → 少年隊のコンサート内ミュージカル『少年たち』(1985年)  → ジャニーズJr.のミュージカル『少年たち』シリーズ(2010年 - )

    • 『夏の嵐 ~第1章 光 / 第2章 影~』(1970年8月1日に発売されたフォーリーブスのアルバム)、および『少年たち パートⅡ ~ 青春の光と影』(1976年3月~4月に行われたフォーリーブスの10周年記念ミュージカル)  → 『シャドー』(急遽発売中止となったJOHNNYS' ジュニア・スペシャルの幻のラストシングル)  → 『PRIVATE LIFE ~Light & Shadow~』(1987年4月28日に発売された少年隊のアルバム)  → ライト・イン・シャドウGENJIの当初のグループ名)  → B.I.Shadow

    • フォーリーブスと永田英二がレギュラー出演していたバラエティ番組『ギャグジカル ジュンとヨッパ』(1970年11月5日 - 1971年3月25日、TBS)  → ジャニーズJr.の2011年のライブ公演『GAG+MUSICAL=ギャグジカル みんなクリエに来てクリエ! 2011

    • ハイ・ソサエティーの1970年のデビューアルバム『世界へジャンプ!』 → 『JUMP ’84
    • Hey! Say!』 & 『JUMP ’84』 → Hey! Say! JUMP
        Hey! Say!』は、1989年に発売された光GENJIの3rdアルバム。(「Hey! Say!」というネーミングは、ジャニーズ事務所が行ったイベントでも何度か使用されている)
        JUMP ’84』は、1984年の春休み期間中に行われたジャニーズ事務所企画のコンサートイベント。
        なお、Hey! Say! JUMPの“JUMP”は、「Johnny's Ultra Music Power」の略だが、
        JUMP ’84』の方は、「JOHNNYS ULTRA MUSIC PANIC」の略で、田原俊彦近藤真彦シブがき隊THE GOOD-BYEジャニーズ少年隊の5組で、会場を変えながらリレー形式で開催されたコンサートだった。
         

    • フォーリーブスの1972年のシングル『あなたの前に僕がいた』(作詞:ジャニー喜多川 〔名義は「北公次」〕) → 2012年のライブ公演『ジャニーズ座 Youの前にはMeがいる!

    • フォーリーブスの1976年のシングル『踊り子』 → 男闘呼組のバックダンスグループ「踊り子

    • フォーリーブスの1978年5月1日発売のライブアルバム、および同年7月26日~8月31日に行われたフォーリーブス解散コンサートツアーのタイトル『LOVE FOREVER』 → 1983年8月4日公開の田原俊彦のドキュメント映画『TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever

    • 名前のイニシャルがAからZまで全て揃った26人のメンバーを集め、ミュージカルを上演できるようなグループを作りたいという「ジューク・ボックス」の当初の構想 (アルファベット「A to Z」へのこだわり) → A.B.C-Z → Sexy Zoneの当初の構想ユニット「A.B.C-xyZ」 → Sexy Zoneの「xy」の赤字化 (「アルファベットの連続」であるという意味を強調するため)

    • 亜井じょう豊川誕 → 横山ジョー (横山侯隆から横山裕に改名する際の候補名。きっかけ自体はジャニーの目の前にあった上焼肉弁当から)

    • JOHNNYS' ジュニア・スペシャル → Jr.specialFour Topsの旧名) → Jr.BOYS Special → Spe千 → Jr.SP (旧名:ジャニーズJr.SP

    • ジャニーズ・ジュニア・エース、および、ジャニーズJR.(1970年代前半の「ジャニーズJr.」の表記) → JR.A (ジェイアールエー)
        ※ ジャニーズ・ジュニア・エースの「エース」の部分のアルファベット表記は、「Ace」ではなく「A」一文字だった。

    • ザ・ニュース → NEWSSAY・Sのバックバンド) → 2003年にデビューしたNEWS

    • 学園もの
    • リトル・ギャング → Little Gangs関西ジャニーズJr.内のダンスユニット) → Lil かんさい (リトルかんさい)

    • 4 JETS → 4 JETS+2 → スーパーJETS (いずれもジャニーズ退所後の郷ひろみのバックバンド。長沢悟、山本雅史が参加)、および ジェット (メッツのメンバーの出身バンド) → HiHi Jets

    • 未都由 → 横山裕 (ジャニーが人を呼ぶ際の「You」のネーミング)

    • Hi - Hi - Hi』 (ジャニーズ退所後のあおい輝彦のヒット曲) → 光GENJIの2ndアルバム『Hi!』 → Hi! See Me IN KYOTO → バラエティ番組 『Hi! Hey! Say!』 (2007年 - 2009年、テレビ東京) → ジャPAニーズHi!School → HiHi Jets

    • 男女の合同
    • Aチーム → Aぇ少年 → Aぇ! group
    • Bチーム → 微笑年 → B-少年 (Sexy Zoneに当初予定されていたグループ名) →  少年 (旧名:Tokyo Boys → 東京B少年 → Sexy美少年)

    • スマープTHE GOOD-BYE衛藤浩一の愛称) → SMAP

    • 少年忍者 → 参・忍者 → ちびっこ忍者! → 少年忍者 → 7忍者 → 5忍者

    • 田原俊彦のシングル曲『It's BAD』、およびマイケル・ジャクソンのシングル曲とアルバムタイトル『BAD』 → B.A.D.

    • ジャニーズ・シニア → ジャニーズSr.

    • 『SHOW劇 MASK』 → MASK

    • KANZAI BOYA → Jr.Boya、および、関西BOYS (KANSAI BOYS)

    • カミセントニセン (それぞれV6の内部ユニットの略称) → Spe千

    • Hey! Say! BEST → Jr.BOYS BEST

    • Sexy Boy → Sexy Boyz

    • Hey! Guys → Noisy Guys

  • 大看板を意識して絡めたユニット名 

    ジャニーは、国や地域、日本史、新元号、企業、施設、作品などの大看板から引用してグループ名を命名することも非常に好んだ。

    1. 日本国
    2. ニューヨーク (NYC boys → NYC
    3. 東京都
    4. 浜松町 (TOKYO浜松町
    5. 近畿地方 (KinKi Kids
    6. なにわ (なにわ皇子 → なにわ男子
    7. 京都 (Hi! See Me IN KYOTO → KYOTO大原村 → 京男
    8. 源氏物語 (光GENJI
    9. 平家物語 (平家派
    10. 新選組 (三多摩新鮮組 → 少年新撰組
    11. 白虎隊 (白虎隊
    12. 二本松少年隊 (少年隊
    13. 新元号からの引用
    14. 『週刊少年ジャンプ』 (『JUMP ’84』 → Hey! Say! JUMP
    15. 曙太郎 (曙 〔嵐の当初のグループ候補名。なお、もう一つの候補名は「クエスチョンズ」だった〕)
    16. エフエム東京 (F.M.Tokyo
    17. 日本武道館 (舞闘冠 → They武道
    18. JR、JRA (JR.A
    19. ハローキティ (K.K.Kity → Kitty
    20. 黒澤明監督の映画『七人の侍』 (7 MEN 侍
    21. たのきんトリオも主演したことのある映画『嵐を呼ぶ男』 (男闘呼組の当て字のヒント、およびのネーミングヒントの一つ)
    22. ジャニーズタレントが幾度も出演してきたミュージカルシリーズ『阿国』 (MAIKO & お国

  • グループ名に卑猥な言葉のギミックやダブルミーニングを入れ込む傾向もあった。
    1. たのきん → たまきん
    2. SMAP → SWAP
    3. KinKi → Kinky (変態)
    4. A.B.C.
    5. Kis-My-ft2 → 「俺の足にキスしろ」
    6. Sexy Zone → 性感帯

  • どことなく顔立ちや路線の系統が似ている人物が、新旧のジャニーズ(一部ジャニーズ以外のアイドルにも)の中で繰り返されているようにも窺える。(本人たちが先輩に憧れて真似る場合も一部含む)

    • 長沢純 (ジャニーズではない) → 真家ひろみ
    • あおい輝彦 → 二重瞼に整形後の赤木さとし
    • 中谷良 → 猶場輝彦
    • 嶺のぼる → 喜多見英明
    • 北公次 → 岡のりお
    • デビュー直後の北公次 → 山本淳一
    • 北公次 → 薬丸裕英 → 山本淳一 → 千賀健永
    • 北公次 → 髙橋海人
    • 江木俊夫 → 国分太一
    • 青山孝 → SMAP結成直後の中居正広、原知宏
    • おりも政夫 → 鮎川太陽 → 阿部亮平
    • 初期の永田英二 → 大倉忠義
    • 小谷純 → 中居正広
    • 吉本あき弘 → 原知宏
    • 岡のりお → 高橋一也、成田昭次
    • 畠山昌久 → 倉田順一 → 宇治正高 → 山口達也 → 森本慎太郎
    • 郷ひろみ → 志賀泰伸
    • 葵テルヨシ → 加藤シゲアキ
    • 青山信宏 → 柴谷英樹(後の東真司) → 星英徳 → 朝村智史 → 中野俊介 → 小川優、矢花黎、影山拓也
    • 板野俊雄 → 藤ヶ谷太輔
    • 森谷泰章 → 森内貴寛 (後のTaka)
    • 曽我泰久 → 香取慎吾
    • 松原秀樹 → 国分太一
    • 揚石浩吉 → 殿ゆたか
    • 中川昌哉 → 大倉忠義
    • 岡本祐幸 → 山下智久
    • 城みちる (ジャニーズではない) → 相葉雅紀
    • あいざき進也 (ジャニーズではない) → 二宮和也
    • 若き日の井上純一 → 二宮和也
    • 1977年時の豊川誕 → 内博貴
    • 未都由 → 初期の屋良朝幸
    • 川﨑麻世 → 八乙女光
    • 渋谷哲平 (ジャニーズではない) → 加藤シゲアキ
    • 赤木さとし → 井ノ原快彦
    • 田原俊彦 → 錦織一清
    • 近藤真彦 → 植草克秀 → 中村繁之 → 諸星和己 → 中居正広
    • 野村義男 → 宮田俊哉、藤井直樹
    • 中村誠 → 田中聖
    • 叶屋博基 → 正木慎也
    • 竹本孝之 (ジャニーズではない) → 手越祐也
    • 本田恭章 (ジャニーズではない) → 岡本健一
    • 鈴木則行 → 岸優太
    • 錦織一清 → 中島裕翔
    • 植草克秀 → 高木延秀
    • 松原康行 → 作間龍斗
    • 東山紀之 → 堂本光一
    • 平本淳也 → 萩谷慧悟
    • 阿部順一 → 初期の稲垣吾郎 → 西畑大吾
    • 田中寛規 → 鈴木淳也
    • 宇治正高 → 横尾渉
    • Jr.時代の内海光司と石丸志門
    • 内海光司 → 初期の古川栄司
    • 大沢樹生 → 松岡昌宏、玉森裕太
    • 三好圭一 → 志賀泰伸
    • 柳沢超 → 佐藤アツヒロ → 佐藤敬 → 高橋直気 → 佐藤勝利
    • 守屋二郎 → 二宮和也
    • 平本信一(平本淳也の弟) → 初期の赤坂晃 → 初期の松本潤
    • 東昌孝 → 重岡大毅
    • 佐藤健太 → 髙橋海人
    • 山本陽一 (ジャニーズではない) → 野中和久
    • 成田昭次 → 原知宏
    • 高橋一也 → 田中聖、髙橋海人
    • 岡本健一 → 初期の木村拓哉
    • 田代秀高 → 田中純弥 → 嶋﨑斗亜
    • 城島茂 → 大谷幸生
    • 中居正広 → Jr.時代の堂本剛、渋谷すばる
    • 草彅剛と岡田賢一郎
    • 稲垣吾郎 → 山浦豊
    • 坂本昌行 → 猪熊務
    • 村田義治 → 菊池風磨
    • 伊東正美 → 浜田一男
    • 初期の長瀬智也 → 木村伸一 → 亀井拓 → 中山優馬
    • 堂本光一 → 山田涼介、橋本良亮、藤井流星
    • 佐野瑞樹 → 初期の岡田准一
    • 森田剛 → 屋良朝幸、Jr.時代の赤西仁
    • 三宅健 → 伊藤達哉 → 向井康二
    • 原知宏 → 神宮寺勇太
    • 目黒正樹 (後の仁科克基) → 菊池風磨
    • 中浜慶幸 (後のRuiza) → 赤西仁
    • 佐々木大地 → 山下智久
    • 生田斗真 → 川﨑皇輝
    • 風間俊介 → 桐山照史 → 後藤泰観 → 猪狩蒼弥 → 安嶋秀生
    • 長谷部隼 → 嶋﨑斗亜
    • ジミー Mackey → 小島健
    • 山下翔央 → 浮所飛貴
    • 髙木雄也 → 原嘉孝
    • 大倉士門 → 髙橋海人 → 藤井直樹
    • 京本大我 → 道枝駿佑
    • 川島如恵留 → 道枝駿佑
    • 佐藤勝利、中島健人 → 平野紫耀、永瀬廉 → 浮所飛貴

ジャニー弁

  • ジャニー喜多川は、所属タレントを呼ぶ時に名前では呼ばず、誰に対しても基本的に「You」と呼んでいた。 ただし、田原俊彦には「旦那様」、山崎正人には「マットくん」、田代秀高には「おじさん」、横山裕には「ヨコ」など、例外もあった。
    また、「今日、日曜日だしYouプール来ちゃいなよ」などと、ジャニーズJr.の面々を唐突に電話で呼び出すこともあった。
    更に、「You、〇〇しちゃいなよ」という一声でグループが結成されたりコンサートが決定したりと、軽いノリながら重要な決定を下すことも多い。
    この「You」、「〇〇しちゃいなよ」といったいわゆる“ジャニー弁”は、所属タレントのみならず多くの芸能人によってしばしばネタにされている。

住居侵入被害

  • 2011年8月17日午前9時45分頃、渋谷区渋谷の自宅マンションに男が侵入し、ジャニーを閉め出して篭城するという前代未聞の事件が起こる。 報道では、帰宅したジャニーが自分の部屋のある階のオートロックを解除した際、近くに潜んでいた男も一緒に中に入り、素早く無施錠だったジャニーの玄関扉を開けて中に入り、内側から鍵をかけたとされている。 そしてジャニーはフロントを通じて110番に連絡し、約40分後、駆け付けた警視庁渋谷署員が室内に突入。 男は取り押さえられ、住居侵入容疑で現行犯逮捕された。 ジャニーは34階建てのタワーマンションの最上階(リーマンショック前は時価14億の部屋)に住んでいたが、この事件による怪我や室内の物品の破損・盗難は無かった。
    侵入した男の名は、プリペイドカードや各種金券類を取り扱う、創業50年の老舗会社「株式会社サンデックス」の代表取締役社長・鵜瀞敏男 (うのとろ としお、世田谷区尾山台、当時52歳)。 鵜瀞は、「知り合いのジャニー喜多川さんの家に入っただけ」と供述。 一方のジャニーは、「男との面識は無い」、「同じマンションの住人かと思った」と話した。 しかし、ジャニーの住む高級タワー億ションのセキュリティは非常にしっかりしており、24時間有人管理システムや、エレベーターを降りてもガラス扉でガードされているダブルオートロックシステムを導入。 つまり同じマンションの住人でさえ、別の階には行けない程の頑丈なセキュリティであった。 しかもジャニーの住む34階に住戸は2戸しかなく、もう一つの部屋もジャニーズ事務所の所有物件。 こうした状況の中で「見知らぬ男に自宅に侵入された」という説明には不自然な点が多く、実際にはジャニーは鵜瀞と面識があったのではないかと見られている。 芸能ライター曰く、ジャニーは近い関係者には「犯人と面識があった」と認めているとのこと。
    鵜瀞の会社の取引先企業リストにはジャニーズ事務所の名前もあるため、利権をめぐっての金銭トラブルの可能性が挙げられたが、鵜瀞が明治大学工学部を卒業後に母親から継いだ会社の月商は3億円以上、内部留保も3億円を超えている。 更には世田谷区尾山台に164坪の広い土地を所有。評価額は2億8000万円。 鵜瀞はこの土地を外車ディーラー12社に駐車場として貸している。 また、国立市にも300坪、2億3000万円相当の山林・畑などを持っているほどのリッチな資産家であるため、ジャニーとの金銭トラブルというのは考えにくく、しかも事件のあった日は鵜瀞の52歳の誕生日だったため、何かしらのプライベートな付き合いでのもつれが原因だとも見られている。 ネット上でも、「古くに肉体関係のあったゲイ友達で、痴情によるもつれ」、 「ジャニーが数十年に渡って収集してきた所属タレントたちの児童ポルノコレクションを見るため」、 「少年たちへの性的児童虐待の証拠を掴もうとした正義の侵入」などの説が浮上した。  なお、ジャニーはこの事件で世間に住所を知られてしまったため、所有権は保有したままで翌9月の上旬に転居した。

交通事故

  • 2012年10月16日午後3時頃、ジャニーが仕事の打ち合わせに向かうために一人で車を運転していた際に、追突事故を起こす。 事故は港区北青山の見通しのいい直線道路で起き、40代の男性が運転する軽自動車に衝突。 ジャニーに怪我はなかったが、追突された男性は軽傷を負った。 ジャニーは普段、運転手付きの車やタクシーを利用しているが、時々自分でも運転していた。
    警察の調べに対してジャニーは、「前の車が信号で止まったのに気付かず、ぶつかってしまった」と説明。 警視庁赤坂署はジャニーを自動車運転過失傷害容疑で書類送検した。 この事故についてジャニーは事務所を通じ、「今後は車の運転は行いません」とコメントした。 以後、ジャニーの専属運転手は元・忍者遠藤直人が担当。

ホームエレベーター事件

  • 2014年、ジャニーが自宅に新しく設置したホームエレベーターに乗った際、ドアが開かなくなり、閉じ込められてしまうという事態が発生。 携帯電話を持っていない状態で、非常ベルも未設置だったため、閉じ込められていた時間は実に4日間にも及んだ。
    老体にもかかわらず、4日間飲まず食わずの状態が続いて意識朦朧とする中、たまたま事前に洗濯機を注文し、家の鍵も預けておいた電気屋が、洗濯機を届けるためにジャニー宅の中に入って来てくれたため、ジャニーがエレベーター内から「助けてくれー!」と大声で叫び、何とか無事に救出されて一命を取り留めた。 一歩遅ければ、ジャニーズ事務所の歴史、そして日本の芸能史も変わってしまう一大事であった。 エレベーター会社からの正式な使用許可が下りる前に使い始めてしまったのが故障の原因だった。

性的児童虐待について (魂の殺人)



※ 人権後進国の日本 [1][2] では、少年に対する性犯罪が極端に軽視され、感覚が麻痺しているため、約70年間に及んだ ジャニー喜多川 という一個人による人類史上最大規模の連続性犯罪については、“常に”、「もし被害者が少女だったら」、「もし自分の子供が虐待されていたら」と置き換えて考える必要があります。



出演

テレビ

  • 日曜ビッグスペシャル 「LOVE FOREVER 完全独占中継 さようなら フォーリーブス」
      (1978年8月27日 日曜20:00~21:48、テレビ東京)
  • JOHNNYS’World : Top of the J Pops (2013年1月27日、NHKワールドTV)
      ジャニーを特集した50分の特番で全編英語放送。 ジャニーは住吉美紀アナウンサーとの対談にて出演したが、ジャニーの顔は画面には映されず、声も吹き替えにされた。 唯一、ジャニーの帽子とサングラス姿の写真だけは少し映された。
  • ニュースウォッチ9 「ジャニーズ若手華麗な舞台 なぜ戦争の場面が?」 (2018年1月26日、NHK総合)
      顔は出さず、音声も別人に差し替えられたが、ジャニーのインタビューが放送された。

映画

  • TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever (1983年8月4日、東宝)
      田原俊彦のコンサートリハーサルのシーンで、姉のメリー喜多川と共に映り込んでいる。

ラジオ

  • 蜷川幸雄のクロスオーバートーク (2015年1月1日、NHKラジオ第1放送)
      ジャニーはこの日、自身の思い入れのある曲として、 The Association『Never My Love』、 The Monkees『Monkeesのテーマ』、 Perry Como『Papa Loves Mambo』、 笠置シヅ子『東京ブギウギ』、 映画「ウエスト・サイド物語」より『COOL』、 あおい輝彦『時計をとめて』、 Doris Day『Sentimental Journey』の7曲を紹介した。


受賞歴

  • 1970年3月 - GSアイドル雑誌『ティーンルック』の最終号(1970年3月10日号、主婦と生活社)での誌面企画「喜んでいただきま賞」にて、「取材協力賞」を受賞。 ジャニーの顔写真も掲載された。

  • 2003年4月 - 第28回 菊田一夫演劇賞「特別賞」受賞 (2023年10月に取り消し
      授賞式には堂本光一を代理人として行かせた。
      その後、2023年にジャニーの性的児童虐待行為が一気に表面化したことを受け、一般社団法人映画演劇文化協会はこのような人物に顕彰は相応しくないと判断し、同年10月18日に賞を取り消し、協会の公式サイトの記録からも削除した。

  • 2011年9月 - ギネス・ワールド・レコーズに認定 (2023年9月に削除
      「最も多くのコンサートをプロデュースした人物 (2000年 ~ 2010年に8,419回)」と、「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物 (1974年~2010年に232曲)」として認定され、帽子とサングラスで変装した顔写真が、2012年版のギネスブックに掲載された。
      2011年9月23日放送の日本テレビ『ZIP!』では、「80年の人生をショー・ビジネスの仕事に打ち込んできて、ギネス・ワールド・レコーズによって認められたことに感動しています。 この年月の間に芸能界の創造性は格段の進歩を遂げました。 ギネス・ワールド・レコーズ・ブックがある限り、新しい記録に挑戦し続けようと思います」というジャニーのコメントが、キャスターによって読み上げられた。
      なお、「プロデュースした」と言うと、ジャニー自身が舞台演出や、作詞、作曲、編曲などを行ったように思われがちだが、あくまで「興行や製作の出資者・責任者」という意味であり、「数多くのコンサートを行ったタレントたち、およびナンバーワンを獲ったタレントたちを発掘し、デビューさせた人。 また、それらのタレントの所属事務所の社長であり、興行や製作の出資者、責任者」という表現が正しい。
      ジャニーズ事務所のミュージカル作品でも、特にジャニーの晩年はギネス記録を常に意識し、「作・演出:ジャニー喜多川」などとよくクレジットされていたが、ジャニーが脚本の一文字一文字を執筆していた訳でも、つかこうへいや蜷川幸雄といった通常の舞台演出家が行うような、一つ一つのセリフや身振り手振りを細かく演技指導していた訳でもなかった。 公演データのスタッフ一覧では名前が伏せられているが、実際には補佐を務めるプロ(“ゴースト脚本家”や“ゴースト演出家”)が必ず付いており (川浪ナミヲなど)、一つ一つの演技に対する細かな指導は、その補佐役が行っていた。 ジャニーが行っていたのは、単に「こんな感じで」というアイデアの提供や、設定決めなどの“大枠”の部分だけである。 そのため、「作・演出:ジャニー喜多川」とクレジットされている場合、「作」は脚本というよりも「企画」や「原案」、「演出」は「演出補」、もしくは「構成」、「製作総指揮」、「監修」などの表現が正しい。
      その後、2023年にジャニーの性的児童虐待行為が一気に表面化し、再発防止特別チームからも事実認定されたことを受け、ギネスワールドレコーズは同年9月6日に「掲載は適さない」と判断し、公式ホームページから記録を削除した。

  • 2012年 - 再びギネス・ワールド・レコーズに認定 (2023年9月に削除
      「最も多くのチャート1位アーティストを生み出したプロデューサー」として認定され、2013年版のギネスブックに掲載された。
      この記録も、上記と同様にギネスワールドレコーズが「掲載は適さない」と判断。 2023年9月6日に公式ホームページから記録を削除した。

  • 2019年12月30日 - TBS『第61回 輝く!日本レコード大賞』にて、この年から新設された「特別音楽文化賞」を受賞 (2023年10月に取り消し
      死去後の受賞だったため、授賞式には近藤真彦が代理人として出席した。
      その後、2023年にジャニーの性的児童虐待行為が一気に表面化したことを受け、日本作曲家協会はこのような人物に賞は適さないと判断し、同年10月13日に賞を取り消し、協会の公式サイトの記録からも削除した。


ジャニー喜多川を演じたタレント

※ パロディも含む。
  • あおい輝彦 
      (ミュージカル『いつか何処かで ~ フォーリーブス物語』〔1967年6月~7月に10日間、大阪フェスティバルホール〕にて、1人2役で演じた内の一つがジャニー役だった)
  • 戸塚祥太
      (ミュージカル『ABC座 ジャニーズ伝説』シリーズにて。 2017年、2018年、2021年、2022年の4回)
  • ビートたけし
      (フジテレビ『武器はテレビ。 SMAP×FNS 27時間テレビ』内のコーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」(2014年7月26日深夜〔7月27日未明〕に放送)にて、たけしがジャニー喜多川のパロディキャラクター「ジャニー喜多ノ川」として中継ゲスト出演。 冬季オリンピックカーリングコーチの日系カナダ人という設定で、喜多ノ川とのトークの対応を直接行ったのは香取慎吾だった)
  • 堂本光一
      (KinKi Kidsのコンサートツアー「KinKi Kids Concert Tour 2019-2020 ThanKs 2 YOU」(2019年12月14日&15日:東京ドーム、31日&2020年1月1日:京セラドーム大阪)と、2020年7月18日放送のTBS『音楽の日』にて、楽曲『KANZAI BOYA』を披露する際にジャニーに扮した)


参考文献

  • 高松宮宣仁親王殿下 高松宮妃喜久子殿下 奉迎記念寫眞帖
      (1931年〔昭和6年〕11月3日発行、帝國印刷所出版部。非売品)
  • 加州毎日新聞 (Kashū Mainichi Shinbun。ロサンゼルスの日系新聞。1933年8月17日付)
  • 羅府新報 (ロサンゼルスの日系新聞。1933年〔昭和8年〕8月25日付) 「温情開教師喜多川師出発。誰からも持たれし親しみ」
  • 女学生の友 (1964年4月号、小学館) 「チャキリスなんかに負けるもんか」
  • 佛教東漸七十年記念出版 「日本佛教渡米史」
      (常光浩然 編、1964年5月、佛教出版局) 第四章・各宗派の布教活動 第四節「高野山真言宗」
  • 週刊平凡 (1964年7月2日号、平凡出版)
      「おしゃべりジャーナル 育ちがよくてマナーがよくて/ジャニーズ」
  • 週刊明星 (1964年7月5日号、集英社) 「特報 ジャニーズ やむを得なければ解散」
  • 週刊明星 (1964年9月27日号、集英社) 「ジャニーズはどうなる!?」
  • ミュージック・ライフ (1964年11月号、新興音楽出版社)
      「ジャニーズの若い涙/この人をルポしよう」
  • 女学生の友 (1964年12月号、小学館)
  • 平凡 (1965年3月号、平凡出版) 絵物語「四つの夢に乾杯」
  • 週刊サンケイ (1965年3月29日号、産業経済新聞社) 「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ”売り出しのかげに」
  • 女性自身 (1967年9月25日号、光文社)
      「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー」
  • タレント帝国 芸能プロの内幕 (竹中労 著、1968年7月、現代書房) 「ジャニーズ解散・始末記」
      ジャニー喜多川の性的児童虐待について言及した最初の単行本。 後に初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力によって販売停止された。
  • 女性自身 (1968年10月21日号、光文社) 「同性愛裁判に四年ぶりで結論!」
  • 髙野山米國別院五十年史 1912-1962
      (風早勝一 著、川島宏之 編、1974年1月、高野山米国別院)
       「喜多川諦道師の時代」の章 (全10ページ)
  • ジャニーズ・ファミリー ~裸になった少年たち~
      (和泉ヒロシ 著 〔後の小菅宏〕、1976年6月、オリオン出版)
  • フォーリーブスの伝説 (フォーリーブス 著、1976年8月、泰流社)
      ジャニー喜多川による文章が掲載。
  • 週刊明星 (1978年6月18日号、集英社)
      インタビュー記事 「フォーリーブス 秘められた“喝采”と“失意”の青春12年間 ! ! アイドル・メーカー、ジャニー喜多川氏が明かす偶像の裏表」
  • Music research (1981年3月2日号、リサーチ社) ジャニー喜多川のインタビューを掲載
  • 週刊現代 (1981年4月30日号、講談社)
      「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」 (メリー喜多川のインタビューも掲載。文:元木昌彦
  • 月刊明星 (1982年2月号、集英社)
      「ワイド特集 入門難易度特A アイドルの条件はきびしいのだ シブがきトリオ、少年隊にみるジャニーズ・ファミリーの研究」(ジャニー喜多川のインタビューを掲載)
  • 噂の眞相 (1983年11月号、噂の真相) 「ホモの館」
  • ドキュメント・ノベル 「ガラスの野望」 (豊田行二とよだ こうじ 著、1984年1月、青樹社せいじゅしゃ。英題:LOVE SINGER。1986年5月と1988年9月に復刊)
      元々は1983年に「日刊ゲンダイ」で連載されていたドキュメント小説で、ジャニーズ事務所がモデルとなっている。 ジャニー喜多川による同性愛行為、北公次の覚醒剤逮捕や、北と五月みどりとの交際などが名前を変えて描かれており、「官能情報小説」とも題された。
  • キミがスポットライトを浴びるためのアイドル読本
      (長倉孝 著、1986年4月、日本ビジネスライフ社)
  • 平凡 (1987年11月号、マガジンハウス) ジャニー喜多川のロングインタビュー
  • 週刊アサヒ芸能 (1988年11月24日号、徳間書店)
      「衝撃! あの北公次(元フォーリーブス)に「禁断の愛」を告発された「ジャニーズ事務所」社長の困惑! 二人の4年半を赤裸々に・・・」
  • 噂の眞相 (1988年12月号、噂の真相)
      「あの北公次が“ジャニーズ事務所体験”を赤裸々に告白!」
  • 光GENJIへ ~ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記 (北公次 著、1988年11月、データハウス)
    • 光GENJIへ・再び (北公次 著、1989年2月、データハウス)
        帯のキャッチコピーは「ジャニーを殺したい ! !」。
    • 光GENJIへ3 ~ みんなで考えようジャニーズ問題 (北公次 著、1989年4月、データハウス)
        読者からの投書集。 帯のキャッチコピーは「私たちも、ジャニーを殺したい ! !」。 北の語り下ろし部分は、まえがき、あとがきのみ。
    • 光GENJIへ 最後の警告 (北公次 著、1989年5月、データハウス)
        帯のキャッチコピーは「ジャニーに告ぐ ! !」。 平本淳也と倉田順一の告白文も掲載。
    • さらば ! ! 光GENJIへ (北公次 著、1989年9月、データハウス)
        帯のキャッチコピーは「ジャニーを地獄へ道づれに ! !」。 小谷純、やなせかおる、そして最初の妻の告白文も掲載。
    • 光GENJIファンから北公次へ (北公次 著、1989年12月、データハウス)
        読者からの投書集。 北の語り下ろし部分は、まえがき、あとがき、Q&Aへの回答のみ。
  • 8人目の光GENJI (SHADOW 著、1989年6月、データハウス)
    • 新・光GENJI ~ ハロー・アイ・ラブ・ユー (SHADOW 著、1989年10月、データハウス)
    • がんばれ ! ! 光GENJI ~ 新・光GENJIへの手紙 (SHADOW 著、1990年2月、データハウス)
    • 新・光GENJI解散! ~ 7人の新たなる旅立ち (SHADOW 著、1990年5月30日、データハウス)
  • 牧歌メロン 2号 (1989年8月、南原企画、バロル舎)
      北公次 & 新・光GENJIインタビュー 「邪淫巣ジャニーズ大奥㊙物語ストーリー
  • ジャニーズの逆襲 (中谷良 著、1989年10月、データハウス)
      表紙では拘束されている男性の写真が使用されているが、これは顔の部分だけジャニー喜多川の顔写真をコラージュしたもので、『FOCUS』(1988年12月2日号、新潮社)に掲載されたジャニー喜多川の白黒写真が元ネタとなっている。
  • ジャニーさん ~ 光GENJIへ総集編 (4コママンガ作品、鶴田康文 著、1990年3月、データハウス)
  • アメリカ開教 昭和の密教東漸 (高橋成通 著、1990年4月、東方出版)
  • SPA! (1990年7月4日号、扶桑社) ジャニー喜多川の独占インタビュー
  • 週刊明星 (1990年8月2日号、集英社)
      「直撃 少年隊「育ての親」が語り尽くした『MASK』のすべて SHOW劇インタビュー」
  • 女性自身 (1992年8月18日号、光文社) ジャニー喜多川のインタビューを掲載
  • 噂の眞相 (1992年9月号、噂の真相)
      「アイドル王国・ジャニーズ事務所のタブーの領域 ジャニー喜多川の“素顔”写真を遂に本誌が発見!」
      1999年3月発売の『噂の眞相の眞相 2 満身創痍から波瀾万丈への20年史』に再掲。
        
      (一番下に写っているメガネの人物は白波瀬傑

  • Myojo (1992年11月号、集英社) ジャニー喜多川のインタビューを掲載
  • ハイ!どうぞ ~ ジャニーズ・タクシー奮走記 (立花正太郎 〔真家ひろみ〕 著、1993年5月、マガジンハウス)
  • Views (1995年8月号、講談社)
      「老舗企業徹底研究 ジャニーズ事務所の“アイドル資本主義”」(ジャニー喜多川の5時間、約1万5千字に及ぶインタビュー記事。文:宇井洋) [1][2]
  • 二丁目のジャニーズ (原吾一 著、1995年11月、鹿砦社)
    • 二丁目のジャニーズ 死闘篇 (原吾一 著、1996年4月、鹿砦社)
    • 二丁目のジャニーズ 最終戦争篇 (原吾一 著、1996年7月、鹿砦社)
  • BRUTUS (1996年2月1日号、マガジンハウス)
      「美男子ファクトリー ジャニーズ伝説。」
  • ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館 (平本淳也 著、1996年4月、鹿砦社)
    • ジャニーズのすべて (2) ~ 反乱の足跡 (平本淳也 著、1996年6号、鹿砦社)
    • ジャニーズのすべて (3) ~ 終わりなき宴 (平本淳也 著、1996年9月、鹿砦社)
  • ジャニーズ輪廻論 (矢﨑葉子 著、1996年6月、太田出版)
  • 月刊現代 (1997年1月号、講談社)
      「産業としての『ジャニーズ』を科学する」(文:弓狩匡純)
  • 芸能界スキャンダル読本 (1997年2月、宝島社・別冊宝島299)
      浅野恭平 寄稿 「ジャニーズ事務所の憂鬱」
  • ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記 (豊川誕・渡辺正次郎 著、1997年3月、鹿砦社)
  • AERA (1997年3月24日号、朝日新聞社出版本部)
      ジャニー喜多川のインタビューを掲載。 このインタビュー現場には、中居正広も特別に同行させて貰っていた。
  • 朝日新聞 (1997年3月24日付、2011年10月22日付、2017年1月24日付) インタビュー
  • ジャニー喜多川さんを知ってますか ~ 初めて語る伝説の実像
      江木俊夫・小菅宏〔こすが ひろし。旧名:和泉ヒロシ〕著、1997年7月、KKベストセラーズ)
  • ジャニーズ帝国崩壊 (本多圭 著、1997年8月、鹿砦社)
  • キムタク・ジャニーズ帝国の疑惑 (原吾一 著、1997年9月、コスミックインターナショナル)
  • ジャニーズの憂鬱 アイドル帝国の危機 (1998年5月、鹿砦社)
  • ジャニーズ帝国 スターたちの反乱 (原吾一 著、1998年7月、コスミックインターナショナル)
  • ジャニーズ・プロファイリング ~ 犯罪心理捜査 (伊藤彩子 著、1999年6月、鹿砦社)
  • ボクの夢はキミたちが描く夢 ~ ジャニー喜多川が語るジャニーズ塾の子供たち
      (あおきひろし 著、1999年8月、メタモル出版)
  • ジャニーズお笑い進化論 (西条昇 著、1999年12月、大和書房)
  • 創 (文:ノンフィクション作家・神山典士、2000年7月号、創出版)
      「TV・芸能界のタブーの構造 ジャニーズ事務所の権勢と芸能マスコミタブー 高視聴率番組を押さえ、TV・芸能界で権勢誇るジャニーズ事務所と『週刊文春』の闘いは」
  • レプリーク (2002年1月号、HANKYU BOOKS) ジャニー喜多川のロングインタビュー
  • 噂の真相 (2002年2月号、噂の眞相) 裁判記事
  • シアターガイド (2002年7月号、モーニングデスク) ジャニー喜多川のロングインタビュー
  • 不滅のアイドル王国 (天馬飛呂志 著、2002年12月、ブックマン社)
  • 週刊現代 (2003年6月28日号、講談社) 「国税が捜査!ジャニーズ巨額脱税の全容」
  • サイゾー (2003年8月号、サイゾー) 「ジャニーズ事務所申告漏れ」
  • 平成の芸能裁判大全 (2003年10月、鹿砦社)
  • 芸能界スキャンダル大戦争 (2004年5月、鹿砦社)
      「美少年アイドル帝国・ジャニーズ 虚飾の裏側」
  • SMAPへ ~ そして、すべてのジャニーズタレントへ (木山将吾 〔山崎正人〕 著、2005年3月、鹿砦社)
  • 追跡!平成日本タブー大全Ⅱ (2005年11月、宝島社)
      「第3章 カリスマの闇 芸能界の “黒幕” ジャニー喜多川」
  • シアターガイド (2006年5月号、モーニングデスク)
      西条昇による特別寄稿 「ジャニー喜多川の仕事」
  • サンデー毎日 (2006年7月16日号、毎日新聞出版) 「アイドル帝国「ジャニーズ」、韓国スーパースターがお好き」
  • THE HARD COREナックルズ (Vol.4:2006年8月号、ミリオン出版)
      「芸能界最新事情 ジャニーズと韓国・統一教会を結ぶ点と線 ジャニー喜多川と韓国を結ぶある巨大宗教団体の影 韓国のスーパーアイドル「シンファ」の存在」
  • 残響 ~ 闘魂!俺が生きた芸能界の半世紀! (上条英男 著、2007年2月、シモンズ)
  • 芸能をビッグビジネスに変えた男「ジャニー喜多川」の戦略と戦術
      (小菅宏 著、2007年3月、講談社)
  • 超有名事件裁判傍聴ファイル完全版 (2007年11月、コアマガジン・コアコミックス92)
      「最高裁が認定! ジャニーズゲイ!セクハラ裁判」 (原作:ジュネ多岐川、漫画:ルネ多岐川)
  • サイゾー (2008年5月号、サイゾー) 「ジャニーズ帝国崩壊へのカウントダウン ジャニーズが危ない10の理由」
  • ワシントンハイツ ~GHQが東京に刻んだ戦後~ 第14章 「アイドル誕生」 (秋尾沙戸子 著、2009年7月、新潮社)
  • シリーズ連載 「新約・ジャニーズ暴露本」 (2010年3月14日 - 、サイゾーウーマン)
  • 週刊文春 (2010年12月30日&2011年1月6日合併号、2011年1月13日号、文藝春秋)
      連載「日米徹底取材 『アイドル帝国』を築いた男 ジャニー喜多川社長の『ルーツ』を追う!」。
      この記事で自分の過去を暴かれたメリー喜多川は激昂し、文春の中村竜太郎記者をジャニーズ事務所に呼び出して、5時間に渡って恫喝している。 [1][2][3]
  • 日刊スポーツ (2011年9月25日付) ジャニー喜多川のインタビュー
  • タブーの正体! - マスコミが「あのこと」に触れない理由 (川端幹人 著、2012年1月、筑摩書房 ちくま新書)
  • 文藝春秋 (2012年7月号、文藝春秋)
      「『ジャニーズ帝国』 原っぱからの五十年史」(文:二田一比古
  • アイドル帝国ジャニーズ 50年の光芒 ~ 夢を食う人・ジャニー喜多川の流儀
      (小菅宏 著、2012年6月、宝島社) - 新書
  • ジャニ研! ~ ジャニーズ文化論
      (大谷能生、速水健朗、矢野利裕 著、2012年12月、原書房)
  • ジャニーさんに愛される息子に育てる法 ~ アイドルの掟 ①
      (ジャニーズウォッチャー45年・小菅宏 著、2013年11月、竹書房)
  • ジャニーズ魔法の泉 ~ アイドルの掟 ②
      (ジャニーズウォッチャー45年・小菅宏 著、2013年12月、竹書房)
  • Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~
      (竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)
      取材協力:元ジャニーズJr.の蓬田利久
  • FLASH (2014年2月4日号、光文社)
      「日本のテレビを牛耳る怪物 ジャニーズ帝国 一人勝ちの研究」
  • 芸能人はなぜ干されるのか? ~芸能界独占禁止法違反~ (星野陽平 著、2014年5月、鹿砦社)
      第5章 「ジャニー喜多川の少年所有欲求」。 2016年9月に増補新版が発行。
  • ジャニーズのアイドル育成による日本組織論
      (慶應義塾大学大学院経営管理研究科の学生・王旖旎 (オウ イニ、Wang Yini) による論文、2014年)[1]
  • ジャニーズ50年史 モンスター芸能事務所の光と影 (ジャニーズ研究会 編著、2014年12月、増補新版:2016年3月、鹿砦社)
  • ジャニーの伝言 ~ 嵐、SMAP、キスマイたちを育てたジャニーズ事務所社長の夢と言葉
      (小菅宏 著、2016年2月、サイゾー)
  • 高野山米国別院開創百周年 1912-2012 (2016年、WEB資料)[1]
  • 実話ナックルズ (2016年4月号、ミリオン出版) 村西とおる 「我が敵、ジャニーズ ~ ジャニーズはウンコですね!」 [1]
  • 文藝春秋 (文:中村竜太郎、2016年7月号、文藝春秋) 「2020年日本の姿 ジャニーズの未来」
  • 日本経済新聞 (2016年11月9日付) 「私の履歴書 服部克久」
  • アステイオン
      (85号、公益財団法人サントリー文化財団・アステイオン編集委員会編、CCCメディアハウス、2016年11月)
      東京大学大学院情報学環特任助教の周東美材しゅうとう よしきによる論考「いつも見ていた『ジャニーズ』 ~ 戦後日本のメディアと家族」。
  • ジャニーズと日本 (矢野利裕 著、2016年12月、講談社現代新書)
  • SMAPと平成ニッポン 不安の時代のエンターテインメント (太田省一 著、2016年12月、光文社新書)
  • ジャニーズの正体 エンターテインメントの戦後史 (太田省一 著、2016年12月、双葉社)
  • 朝日新聞 (2017年1月23日付夕刊、および1月24日付朝刊) インタビュー記事「ジャニー喜多川社長に聞く」
  • 昔々のとあるジャニーズJrの物語 (石丸志門 著、2017年12月29日、Amazon・Kindle)
  • テレビとジャニーズ (太田省一 著、2018年2月、blueprint/垣内出版)
  • なぜジャニー喜多川社長は出てこないのか 事務所がつけ上がる「甘えの構造」
      (文:元木昌彦、2018年5月7日、PRESIDENT Online)[1]
  • シリーズ連載 「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」 (2018年6月6日 - 、サイゾーウーマン)
  • 実話ナックルズ (2018年11月号、ミリオン出版/大洋図書)「【永久保存版】黒すぎるジャニーズ図鑑」[1]
  • 異能の男 ジャニー喜多川 ~ 悲しき楽園の果て (小菅宏 著、2019年3月、徳間書店)
  • 月刊Hanada (2019年6月26日発売の同年8月号、飛鳥新社)
      高田文夫の連載「月刊Takada」にて、高田が少年時代に少年野球チーム「ジャニーズ」と対戦した思い出が綴られている。
  • 週刊文春 (2019年7月25日号、同年7月18日発売、文藝春秋)
    • 「本誌しか書けない 稀代のプロデューサーの光と影 ジャニー喜多川 審美眼と「性的虐待」」[1]
    • 「稲垣吾郎 <直撃> 初めて語った「ジャニーさん」と「中居君」」
  • ジャニー喜多川礼賛の中で元ジュニアの「性的虐待」告白・・・誘いに抵抗したらステージの隅っこ (文:元木昌彦、2019年7月18日、J-CASTテレビウォッチ)[1] 
  • ジャニーズの暗部に触れないメディアの罪 少年たちへの“性的虐待”という事実 ジャニー喜多川はそんなにすごい人だったのか? (文:元木昌彦、2019年7月23日、PRESIDENT Online)[1]
  • 日刊ゲンダイ (2019年7月31日付)
      野田義治の連載「新・巨乳バカ一代」にて村西とおるがジャニーズ事務所との攻防について証言 (聞き手:本橋信宏
  • ジャニー喜多川氏に人生を弄ばれたジャニーズ創成期メンバー メディアは美化報道を自重すべし! (文:本多圭、2019年8月2日、日刊サイゾー)[1] 
  • 週刊ポスト (2019年8月2日号、小学館) 「高田文夫 少年野球チーム「ジャニーズ」と闘った少年時代」
  • EX大衆 (2019年10月号、双葉社) 「ジャニーズ帝国の50年史」
  • 文藝春秋 (2019年9月号、文藝春秋) 作家・木田佳和「ジャニー喜多川 少年を愛しすぎた男」[1]
  • 女性自身 (2019年10月29日号、光文社)
    • シリーズ人間 「ジャニーさん、全265曲に込めた信念 交流40年編曲家・船山基紀が秘話告白」
    • 「あおい輝彦とA.B.C-Zがジャニーさんとの思い出を語り尽くす! ジャニーさんは永遠の伝説に」
  • ユリイカ (2019年11月臨時増刊号 総特集=日本の男性アイドル、青土社)
  • 悲劇喜劇 (2020年1月号、早川書房)
    • 小特集:ジャニ―喜多川 (岡本健一、堂本光一、石川直)
    • 小特集:ジャニー喜多川の仕事 (矢野誠一)
  • 野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想 (元木昌彦 著、2020年4月、現代書館)
  • 婦人公論 (2020年7月28日号、中央公論新社)
      近田春夫と矢野利裕の対談 「ウォッチャーが語るジャニーズの「過去」と「未来」」[1]
  • 柳田由紀子 「追悼メリー喜多川 知られざるアメリカ赤貧時代」 (2021年9月11日、文春オンライン)
    • #1 「旧知の日系アメリカ人が初告白「ジャニーはヒー坊、メリーは泰子ねえちゃんだった!」 [1]
    • #2 「親も金もなく、弟ジャニーとも離れ離れに!」メリー喜多川の知られざる《LA家政婦暮らし》現地証言」 [1]
  • 柳田由紀子 「真珠湾攻撃から80年」 (2021年12月8日、文春オンライン)
    • #1 「《秘蔵写真》「FBIに捉えられ、便器に頭を入れて寝た父」“もうひとりのジャニー喜多川”を直撃」 [1]
    • #2 「「夢は『 少年』を高野山米國別院の舞台に立たせること」LAでブロマイドを売っていたジャニー喜多川の青春時代」 [1]
  • 文藝春秋 (2022年1月号、文藝春秋) 100周年記念企画「100年の100人 - ジャニー喜多川 トークを学べ」[1]
  • 女帝 メリー喜多川 (小菅宏 著、2022年4月15日、青志社)
  • 「未熟さ」の系譜 -宝塚からジャニーズまで- (大東文化大学社会学部准教授・周東美材しゅうとう よしき 著、2022年5月25日、新潮社・新潮選書)
      「4章 ジャニーズ ― ミュージカル少年がバク転をするまで」、「歌って踊れる「ペットのような」少年たち」[1]
  • 芸術新潮 (2022年6月号 - 2023年4月号、新潮社) 立川輪太郎による連載「ジャニー喜多川が創ったもの」
  • ジャニー喜多川さんの青春の地「高野山米国別院」、その父はエンターテインメントに「頭が切れる人だった」【命日に偲ぶ】 (2022年7月9日、サイゾーウーマン。髙野山米國別院 第10代主監・松元優樹のインタビュー)[1]
  • 芸能界誕生 (戸部田誠 著、2022年9月、新潮新書)
  • 「君たちに素晴らしいものを観せてあげよう」父親は真言宗の僧侶、朝鮮戦争に出征したことも・・・ジャニーズ帝国の王「ジャニー喜多川」の肖像 (2022年10月1日、文春オンライン)[1]
  • なぜジャニーズ事務所は「美少年」を集められたのか・・・「芸能界のモンスター」ジャニー喜多川の罪と罰 ~ 誘い文句は「ユー、今日ウチへ来る?」 (文:元木昌彦、2022年12月2日、PRESIDENT Online)[1]
  • BBCのジャニー喜多川「性加害」報道が問う、エンタメ界の闇と日本の沈黙 (文:コリン・ジョイス、2023年3月16日、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)[1]
  • なぜジャニー喜多川氏の性加害を日本メディアは黙殺するのか・・・英BBCからの取材に私が話したこと ~ なぜ日本を代表する出版社が圧力に屈したのか
      (文:元木昌彦、2023年3月17日、PRESIDENT Online)[1]
  • 英BBCがジャニー喜多川の「少年虐待」を特集 番組制作に協力した私が言いたいこと
      (文:元木昌彦、2023年3月19日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • ショッキングな沈黙レベル・・・日本で「もうジャニーズ見ない」「ファン辞めます」の動きが起きない本当の理由 BBC記者が糾弾する「少年への性加害疑惑」という公然の秘密
      (文:コラムニスト・河崎環、2023年3月30日、PRESIDENT Online)[1]
  • なぜトップニュースにしないのか・・・依然としてジャニー喜多川氏の性的虐待を問題視しないメディアの罪 英BBCが世界中に報じる大問題なのに・・・
      (文:在ロンドン国際ジャーナリスト・木村正人、2023年3月31日、PRESIDENT Online)[1]
  • 広告 Vol.417 特集:文化 (2023年3月31日、博報堂広報室)
      批評家・矢野利裕と社会学者・田島悠来の対談 「ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか」
  • BBCのジャニーズ暴露はジャーナリズムの神髄 これぞ日本には存在しない正義 (久保誠 著、2023年4月8日、Amazon・Kindle)[1]
  • 「ジャニーズ事務所は身動きが取れなくなっている」ジャニー喜多川氏の性的虐待疑惑という重すぎる負の遺産 性被害当事者が声を挙げテレビ業界も動揺している
      (文:ジャーナリスト・松谷創一郎、2023年4月12日、PRESIDENT Online)[1]
  • 日本人が「ジャニーズの夢」から覚めるとき (文:ノンフィクションライター・西谷格にしたに ただす、2023年4月15日、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)[1]
  • ジャニー喜多川氏の性加害問題とワインスタイン事件の違いは何か 社会ぐるみの隠蔽体質、無関心体質が変わらない日本
      (文:ノンフィクションライター、翻訳家・田村明子、2023年4月22日、朝日新聞の言論サイト「論座」)[1]
  • あの時、新聞やテレビが報じていたら・・・ジャニーズの少年たちの「性被害」は拡大しなかったはず
      (文:元木昌彦、2023年4月23日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • 創 (2023年6月号、創出版)
    • NEWS EYE 「ジャニーズ事務所の性加害告発とメディアタブー」
    • 望月衣塑子の連載コラム 「望月衣塑子の「現場発」」 - 『性暴行とメディアの沈黙』
    • 森達也の連載コラム 「極私的メディア論」 - 『ジャニーズ問題と空気の研究』
  • ジャニーズ性加害問題で事務所は“金づる”であるファンの反発とスポンサー離れ危機に大慌て
      (文:元木昌彦、2023年5月21日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • ジャニー喜多川の性加害問題は日本人全員が「共犯者」である 戦後日本最大の性犯罪 (文:ノンフィクションライター・西谷格にしたに ただす、2023年5月23日、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)[1]
  • 「女を知る前に男と性体験してしまった」ジャニー喜多川氏に弄ばれたと綴ったアイドルの悲痛な叫び フォーリーブス北公次氏による最初の告発本を今こそ読むべき理由
      (文:村瀬まりも、2023年5月23日、PRESIDENT Online)[1]
  • サンデー毎日 (2023年6月11日号、毎日新聞出版)
    • ジャーナリスト・森健 「ジャニー&メリーの「恩人」が語った“原点”」
    • 山田美保子 「ジャニーズ改革 私は最後まで見届ける」
  • B-maga (2023年6月10日発売の6月号、サテマガ・ビー・アイ)
      福田淳の連載「考えるメディア」 No.253 未必の故意 ~1億人が共犯者~ [1][2]
  • ニューズウィーク日本版 (2023年6月13日発売の6月20日号、CCCメディアハウス) 「ジャニーズ帝国の落日」
  • ジャニーズ問題が日本社会に突き付けた、性教育とメディアの「タブー体質」 (文:ジャーナリスト・西村カリン、2023年6月15日、ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)[1]
  • 紙の爆弾 (2023年7月号、鹿砦社) 「ジャニーズ性加害問題 ささやかれる社長辞任と“後継者”」
  • ZAITEN (財界誌。2023年8月号、財界展望新社) 「特集 企業と芸能界「タレントCM」リスク」
      ジャニー喜多川の性的児童虐待について、「世界でも稀に見る極悪な重大事案」と表現。
  • 世界 (2023年8月号、岩波書店)
    • 「悪しき因習を変えるために」 (文:ジャーナリスト・松谷創一郎)
    • 「ジャニーズ性加害問題と児童虐待対策の課題」 (文:子どもの虹情報研修センターのセンター長・川崎二三彦)
  • ノンフィクション作家・伊藤喜之による連載記事 「ジャニーズとメディア」 (SlowNews)
    1. 「嵐」大型企画で深まった朝日新聞とジャニーズの『広告ビジネス』 (2023年7月18日)[1]
    2. 朝日新聞社内でジャニーズ報道を仕切る「ジャニ担」の影響力 (2023年7月18日)[1]
    3. スポーツ新聞記者を徹底的に抱き込んだジャニーズの「メディアコントロール」戦略 (2023年7月25日)[1]
    4. BBC「性加害報道」後もジャニーズが講談社にかけてきた「圧力」 (2023年8月22日)[1]
  • ユー。 ジャニーズの性加害を告発して (カウアン・オカモト 著、2023年8月9日、文藝春秋)[1][2][3][4]
  • 闇の楽園 ジャニーズ帝国と少年たちの告発 権力と沈黙、そして勇気の闘い。ジャニーズ帝国の闇に挑んだ性被害を受けた少年たちの証言 (本家ChatGPTゴーストライター 著、2023年8月9日、Amazon・Kindle「本家AIで全て書かれた本シリーズ」)[1]
  • ジャニーズ性加害問題、「国連が動いたからには・・・」と期待しても失望が待つ理由
      (文:ノンフィクションライター・窪田順生、2023年8月10日、ダイヤモンド・オンライン)[1]
  • ジャニー喜多川氏は「小学生の息子を狙って2人きりになる機会を・・・」TBS「報道特集」が伝えた“被害者たちの本音”「ジャニーズ性加害問題」とトラウマ、貧困
      (文:水島宏明、2023年8月11日、文春オンライン)[1]
  • 僕とジャニーズ 闇は深い。戦後最大のタブーを暴く。(本橋信宏 著、2023年8月16日、イースト・プレス) [1][2][3]
  • 「美 少年」不祥事で繋がったジャニーズと旧統一教会の接点・・・亡き“高麗人参”女優との蜜月関係 (2023年8月24日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • 前略、塀の上より 「ジャニーズ性加害問題で巻き起こる当事者、取材者、マスコミへの批判」(文:高橋ユキ、2023年8月24日、webゲンロン)[1]
  • 初のジャニーズ性加害告発本に携わった作家・本橋信宏が語る舞台裏 「北公次が顔も出したのに、社会は何も変わらなかった」(文:山口紗貴子、2023年8月28日)[1]
  • 報道しない自由 マスコミのジャニーズ性被害への責任 : 数百人規模での被害者 史上まれにみる少年への性犯罪 国際問題と化す日本のエンターテイメント (山根雄介 著、2023年8月29日、Amazon・Kindle)[1]
  • ジャニー喜多川氏の「性嗜好異常」認定は、ジャニーズ事務所への“死刑宣告”だ
      (文:ノンフィクションライター・窪田順生、2023年8月31日、ダイヤモンド・オンライン)[1]
  • 紙の爆弾 (2023年9月号、鹿砦社) 「山下達郎炎上の背景 ジャニーズ帝国崩壊」
  • 海外記者が見た「日本のジャニーズ報道の異常さ」 「弱きを挫き、強きを助ける」歪みまくった構造
      (文:『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロのレジス・アルノー、2023年9月1日、東洋経済オンライン)[1]
  • ジュリー社長が辞任するだけでは“喜多川一族の呪縛”は消えない・・・経営学者が指摘する本当の責任の取り方 「再発防止特別チーム」が明らかにしたジャニーズ事務所の隠蔽体質
      (文:村瀬まりも、2023年9月2日、PRESIDENT Online)[1]
  • ジャニーズと一人で戦った梨元勝が、もし今生きていたら (文:元『週刊文春』『文藝春秋』編集長・木俣正剛、2023年9月5日、ダイヤモンド・オンライン)[1]
  • 連載 「帝国の闇 ジャニーズ性加害問題」 (全5回、朝日新聞DIGITAL)
    1. 山積みの履歴書、秒単位で仕分け 「帝国」築いたジャニー氏の表と裏 (2023年9月7日)[1]
    2. 被害者が口にする「感謝」の意味 ジャニー氏が仕掛けた巧妙な「罠」 長渡康二インタビュー (9月8日)[1]
    3. 性加害の認識に立てず 鈍感だった新聞 ジャニーズ依存深めたテレビ (9月10日)[1]
    4. ジャニーズCM「確実に売り上げが見込める」 問われる企業の責任 (9月12日)[1]
    5. 「売り出したい」その見返りに・・・・・・「ジャニーズ以外でも性加害ある」 (9月14日)[1]
  • 「ジャニー氏は1万円を渡して・・・」ジャニーズ性加害問題、もし今の法律で裁かれていたら? (文:鎌田和歌、2023年9月8日、ダイヤモンド・オンライン)[1]
  • 東山、井ノ原両氏を平気で矢面に立たせた・・・ジュリー藤島氏がタレントを使って隠し通そうとしていること 旧経営陣を守ったジャニーズ事務所に性被害者の心のケアは無理 (文:アカデミック・ジャーナリスト・柴田優呼、2023年9月15日、PRESIDENT Online)[1]
  • 「全員うすうす気づいてましたよね・・・」燃えに燃えているジャニーズ性加害問題から見えてくる“深すぎる病理”
      (文:山本一郎、2023年9月22日、文春オンライン)[1]
  • 本橋信宏氏がふり返る「北公次の告白」ジャニーズ性加害を見て見ぬフリしたメディアへの提言 (2023年9月25日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • 「ジャニーズの社名変更」にダマされてはいけない・・・「少年愛」を報じて左遷された元週刊誌編集長が危惧すること 「性加害問題」がここまで放置された根本原因
      (文:元木昌彦、2023年9月29日、PRESIDENT Online)[1]
  • BUBKA (2023年11月号〔9月29日発売〕、白夜書房)
      本橋信宏×鈴木エイト、僕“たち”とジャニーズ・・・35年の時を超えた「サブカルの逆襲」[1]
  • 事実上の解体へ、ジャニーズ性加害を最初に暴いた村西とおると北公次の証言 本橋信宏が語る、リアル「全裸監督」と怒鳴り合ったメリー・ジュリー母子 (文:長野光、2023年10月2日、JBpress)[1]
  • 「おれとジャニーさんは恋人・・・いや、夫婦だった」元フォーリーブス北公次が初めて性被害を打ち明けた日のこと 「これだけは死ぬまで言わないつもりだった」 (文:本橋信宏、2023年10月4日、PRESIDENT Online)[1]
  • 小3男児は「ぼくいやだよ、あんなこと」と訴えた・・・ジャニーズ事務所の合宿所で起きた未成年への性加害 「ジャニーさんがメンソレータムもって部屋にくるの」 (文:本橋信宏、2023年10月7日、PRESIDENT Online)[1]
  • ジャニー喜多川氏は傷害罪で逮捕されるべきだった・・・「元ジャニーズJr.の告発」を無視し続けたマスコミの大罪 実名顔出しでの証言が続く貴重映像の中身 (文:本橋信宏、2023年10月9日、PRESIDENT Online)[1]
  • ジャニーズと戦った元文春編集長が、二度目の記者会見を見ても納得できないこと (文:元『週刊文春』『文藝春秋』編集長・木俣正剛、2023年11月5日、PRESIDENT Online)[1]
  • 創 (2023年11月号、創出版) 特集「ジャニーズ「性加害」とメディアの沈黙」
    • ジニーズ事務所メディアコントロールの実態 なぜメディアは沈黙していたのか (篠田博之)
    • 最初に問題になったのは1960年代だった 事務所結成時から起きていた性加害 (藤木TDC)
    • 1999年の告発キャンペーンと裁判闘争 『週刊文春』vsジャニーズの長い闘い (元『週刊文春』『文藝春秋』『文藝春秋』編集長・木俣正剛)[1]
    • 文藝春秋側の代理人弁護士が語る 法廷でジャニー氏は何を証言したのか (喜田村洋一)
    • 「当事者の会」代表が語る 『光GENJIへ』から35年、性加害告発 (平本淳也)
    • 亡くなるまでテレビ局の自己規制に抵抗した 梨元勝さんが闘ったジャニーズタブー
  • サンデー毎日 (2023年10月8日号、毎日新聞出版) 近田春夫×田中康夫×松尾潔の対談 「ジャニーズ性加害事件と日本社会の民度」
  • ジャニーズへの追及は「記憶にない」と言い張る東山紀之の記憶が戻るまで続く
      (文:元木昌彦、2023年10月15日、日刊ゲンダイDIGITAL)[1]
  • 新ドキュメントファイル ジャニーズ61年の暗黒史 (小菅宏 著、2023年10月19日、青志社)
  • 裸のジャニーズ -誰も語らなかった“ジャニーズの真実”- (山瀬浩 著、2023年10月21日、太陽出版)
  • ジャニーズ帝国60年の興亡 -少年愛の館、遂に崩壊 ! !- (2023年10月23日、鹿砦社)[1]
  • 連載 「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの終焉」 (2023年10月31日 - 11月19日、全17回、ダイヤモンド・オンライン)[1]
  • 月刊正論 「ジャニーズ問題 二元論への違和感」 (文:大森貴弘、2023年12月号、産業経済新聞社)
  • ジャニーズと原監督に共通する「失敗の教訓」 (文:元『週刊文春』『文藝春秋』編集長・木俣正剛、2023年11月2日、PRESIDENT Online)[1]
  • 週刊東洋経済 (2023年11月11日特大号、東洋経済新報社) 「解体!ジャニーズ経済圏」
  • ジャニーズ報道は情報提供者の割腹自殺から・・・大手メディアが無視した『週刊文春』元編集長の“長文メモ”全文 巨大圧力との24年間の孤独な闘い (文:元『週刊文春』『文藝春秋』編集長・木俣正剛、2023年11月6日、PRESIDENT Online) [1]
      (※ 記事中にイニシャル「T」(高橋洋一)がNHK前で割腹自殺したと書かれているが、これは木俣による認識違いであり、高橋は自殺騒動は起こしたものの、死んではいない)
  • 「タレントに罪はない」は本当か・・・24年ジャニーズと闘った『週刊文春』元編集長がファンの女性に言いたいこと メディアの沈黙、脅迫、大企業の広告中止・・・文春が受けた凄まじい嫌がらせ (文:元『週刊文春』『文藝春秋』編集長・木俣正剛、2023年11月6日、PRESIDENT Online) [1]
  • 「人権」を軽視する日本社会~「ジャニーズ問題」にも言及?!国連の声明・勧告は何を意味するのか。(エセックス大学人権センターフェロー・藤田早苗。2023年11月9日、imidas) [1]
  • ジャニー氏の光と影 密着取材重ねた作家・小菅宏さんの思い 「性嗜好の質問は厳禁」(2023年11月13日付 夕刊、毎日新聞)[1]
  • 週刊ダイヤモンド (2023年11月18日号、ダイヤモンド社) 「ジャニーズ帝国 最強ビジネスの真実」
  • YOU ジャニー喜多川とその時代 米が起点、芸能界人脈 父親と高野山とに導かれ もう一つの祖国での青年期 (2023年12月8日付 夕刊、毎日新聞)[1]
  • ジャニー喜多川氏の性加害問題で、BBC報道後にテレビは何を伝えたか〈局の施設内でも行為を繰り返した証言が・・・〉 (文:水島宏明、2023年12月30日、文春オンライン)[1]
  • ジャニー喜多川氏の“戦後最大の性犯罪”を黙認した日本メディアの大罪 (文:中村竜太郎、2023年12月30日、文春オンライン)[1][2]
  • おれの歌を止めるな ジャニーズ問題とエンターテインメントの未来 (松尾潔 著、2024年1月11日、講談社) [1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]
  • 混沌時代の新・テレビ論 ここまで明かすか! テレビ業界の真実 「ジャニーズ問題」の根源がここにある。 (田淵俊彦 著、2024年1月11日、ポプラ社・ポプラ新書)
      第3章 『病症Ⅱ:異常なまでの「忖度」をするという「だらしなさ」』
  • 私の母の葬式にジャニー喜多川氏は大きな花を出した・・・性加害に気づけなかったテレ東「ジャニ担」の懺悔 ADだった私にも「喜多川擴」という本名で供花を送った (文:田淵俊彦、2024年1月17日、PRESIDENT Online)[1]
  • メディアはなぜ沈黙したのか 報道から読み解くジャニー喜多川事件 (藤木TDC 著、2024年1月18日、イースト・プレス)
  • だから稲垣、草彅、香取はテレビから消えた・・・SMAP独立騒動が示した「忖度とバーター」というテレビ業界の病 元テレ東社員が明かすジャニーズ事務所の“静かな恫喝” (文:田淵俊彦、2024年1月19日、PRESIDENT Online)[1]
  • 《第三者に公表しないことをお願いしています》旧ジャニーズが回答 口外禁止条項で懸念される「被害者救済のブラックボックス化」 (2024年1月25日、文藝春秋 電子版)[1][2]
  • 松尾潔 「ジャニーズ問題とパレスチナ危機を同じ口で語ろう」 エンターテインメントのど真ん中で発言を続ける理由 (2024年2月11日、AERAdot.)[1][2]
  • 小菅宏インタビュー 「ジャニー喜多川、メリー喜多川を間近で見てきた人物が語った旧ジャニーズ事務所トップの素顔」(2024年2月11日、Yahoo!ニュース エキスパート)[1]
  • ジャニーズとメディアの“共犯関係”を暴く! 残存する報道資料を徹底検証 (文:藤木TDC、2024年2月24日付、日刊ゲンダイ)[1]
  • 密かに加速「旧ジャニーズ起用再開」の正しい見方 (文:西山守、2024年3月1日付、東洋経済オンライン)[1]
  • 《補償合意書 初公開》元ジャニーズJr.が証言「わずか数百万円・・・・・・。足元を見られている感じはしました」 (文:鈴木エイト、2024年3月9日、文藝春 秋電子版)[1][2][3]
  • 元祖・ジャニーズに喧嘩を売った男たち 作家・本橋信宏×鹿砦社代表・松岡利康 (2024年3月29日、サイゾーpremium)[1]
  • 週刊現代 (文:西脇亨輔〔弁護士。元テレビ朝日法務部長〕、2024年4月6日・13日合併号、講談社)
    • 「「東山社長の会見は、結局ウソだった」・・・! 旧ジャニーズ「性被害」を告白した男性が面談で聞かれた「衝撃の質問」」[1]
    • 「「部屋から逃げるとジャニー氏が鬼の形相」で・・・! 旧ジャニーズに「補償しない」と言われた男性の怒り」[1]
  • 水島宏明 「捕食者の影 ジャニーズ解体のその後」 (2024年4月8日、文春オンライン)
    • #1 「イギリスBBCの続報「ジャニーズ解体のその後」で東山社長を取材した記者が“失望と苛立ち”を示した理由」 [1][2]
    • #2 「東山紀之社長は「社長に適任だと思いますか?」と聞かれ・・・イギリスBBC記者が問い詰めた“緊迫の場面”」 [1][2]
  • ジャニーズ性加害問題、見えぬ解決の道筋 被害者に時間かけケアを (文:朝日新聞の社会部記者・島崎周、文化部記者・滝沢文那、2024年5月24日、朝日新聞DIGITAL)[1]


注釈

  1. ^ 『ジャニーズ・ファミリー ~裸になった少年たち~』(和泉ヒロシ〔後の小菅宏〕著、1976年3月、オリオン出版)や、 『芸能をビッグビジネスに変えた男「ジャニー喜多川」の戦略と戦術』(小菅宏 著、2007年3月、講談社)、 『ジャニーさんに愛される息子に育てる法 ~ アイドルの掟 ①』(小菅宏 著、2013年11月、竹書房)などでは、この劇場の名前を「アーニー・パイル劇場」としているが、これは誤り。 「アーニー・パイル劇場」とは、1945年から1955年まで東京宝塚劇場がGHQに接収されていた際の名称、もしくは、アメリカ軍統治時代の那覇の国際通りに存在した映画館「アーニーパイル国際劇場」であり、ロサンゼルスにはこのような名称の劇場は存在していない。
    誤りが起きた原因は、小菅氏がジャニー喜多川から聴き取りをした際に、「宝塚のアーニー・パイル劇場のような所」という説明を、そのままロスの劇場の名前が「アーニー・パイル劇場」だと思ってしまったため。 なおアーニー・パイルとは、第二次世界大戦末期の沖縄戦で命を落とした従軍記者の名前。

  2. ^ 『ジャニーズ・ファミリー ~裸になった少年たち~』(和泉ヒロシ〔後の小菅宏〕著、1976年3月、オリオン出版)や、 『芸能をビッグビジネスに変えた男「ジャニー喜多川」の戦略と戦術』(小菅宏 著、2007年3月、講談社)などでは、「音楽監督」ではなく「ミュージックメーカー」という名称で記述されている。

  3. ^ ディプロマミルの「ロサンゼルス市立大学 (City University Los Angeles)」とは異なる。

  4. ^ 『ジャニーズ・ファミリー ~裸になった少年たち~』(和泉ヒロシ〔後の小菅宏〕著、1976年3月、オリオン出版)では、アメリカの情報局の名をCIAではなく「CID」と誤植されている。 CIDは、アメリカ陸軍犯罪捜査司令部(The United States Army Criminal Investigation Division Command。通称:CID、USACIDC)のことであり、情報機関ではない。

  5. ^ 第2次世界大戦後、上智大学はGHQ/SCAPにより「GHQの兵士とその子弟の高等教育機関」として指定され、国際部(駐留米軍兵士およびその家族を主な対象とした夜間プログラム)が設置された。
    1952年にGHQによる日本占領が終わった後も、米軍やアメリカ大使館の関係者およびその子弟の入学が多かった。 なお、同大学は1957年までは男子のみ入学が許可され、女子は入学できなかった。

  6. ^ 第147回国会青少年問題に関する特別委員会第5号
     「ジャニー喜多川のセクハラ・児童虐待疑惑についての阪上善秀の国会質疑」
     


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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