ジャニーズJr. 一覧 (関東組、1980年代生まれ)
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生年順 & 各五十音順
1980年生まれ
- 秋山純
- 大久保哲哉 (後にJリーガーに)
- 大村直毅 (大村真有美の弟。 後に長唄の三味線方・杵屋 勝国毅に)
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おおむら なおき。 デンマーク人と日本人とのハーフ。 デンマーク、スウェーデンで幼少時代を過ごした帰国子女。
10歳より長唄三味線を、三味線方である叔父・杵屋 勝国(きねや かつくに。本名:牟田口照國。1945年3月28日生まれ。財団法人「長唄 杵勝会」所属)に師事。
ジャニーズ退所後は「杵屋 勝国毅 (きねや かつくにき)」の名跡で長唄の三味線方となり、坂東玉三郎や中村勘三郎の歌舞伎公演の他、歌舞伎座、国立劇場、海外公演などで演奏。
東中野で三味線を教える他、2009年からは有明教育芸術短期大学にて音楽学(三味線音楽)の非常勤講師に就任。 2010年のAPECでは、中村勘三郎の『連獅子』も演奏した。 財団法人「長唄 杵勝会」所属。 同会の後輩には、同じくジャニーズJr.出身の唄方・村治将之助(初代 杵屋勝四助)が居る。
兄弟は姉と弟。 姉は元歌手・女優の大村真有美。 弟はデンマークのコペンハーゲン大学法学部に通いながら、高級日本料理レストラン「UMAMI」のコック(オープニングメンバー)としても働き、2006年にはデンマーク国王に料理を出したこともあった。 - 小倉和義 (1997年入所)
- 小原裕貴
- 坂口剛
- 佐野恭平
1980年10月31日生まれ。東京都府中市出身。B型。
好きな色:赤。 好きな食べ物:何でも。 嫌いな食べ物:ジャガイモ。
ジャニーズ時代は「J-Eleven」に参加。 ドラマ『人間・失格』にも出演。 府中市立浅間中学校では榎本雄太と同級生だった。
なお、1986年8月22日生まれのモデルの佐野恭平は同姓同名の別人。 - 関竜太郎 (せき りょうたろう。1月22日生。神奈川県出身。趣味:サッカー、サーフィン。『Wink up』1994年10月号に掲載)
- 田中祐太 (富山県から通い)
- 中辻宏之 (10月15日生。横浜市出身。A型。後にアシスタントディレクターに転身)
- 儘田修司
- 山本琢郎
(三宅健と)
1980年8月30日生まれ。埼玉県三郷市出身。
中学2年だった1994年に、SMAPファンの姉による他薦で入所。 雑誌『Wink up』(1994年9月号)に掲載。
後に建築業者を経て、三郷市の不動産会社「クルーハウジング」の売買営業部に就職。 宅地建物取引士の他に、介護福祉士の資格も保有。 座右の銘は「正直一徹!」。 - 山本真暢
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1980年6月2日生まれ。世田谷区出身。A型。 退所後は、1998年から“スーパー高校生”の一人として遠藤司と共に雑誌『ポップティーン』の読者モデルに。
その後は調理師となり、沖縄県那覇市に転居。
- 吉原健
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よしはら たけし。 1980年10月23日生まれ。茨城県出身。A型。 1995年10月22日にジャニーズに入所。
1981年生まれ
- 安倍将彦
- 五十嵐慶一 (後のいがらし奈波)
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1981年6月13日生まれ。札幌市出身。
声優・井上和彦と漫画家・いがらしゆみこ(『キャンディ キャンディ』の作者)の息子。
退所後は、父親が当時経営していた声優事務所「元氣プロジェクト」の養成所でダンス講師を務める。 2009年6月頃からは女装に目覚め、女装する男性“女装子 (ジョソコ)”として、 「にしだ奈波 (にしだ ななみ)」の名で有名になる。女装をして多数のイベントに出演。 2010年1月6日放送の『情報ライブ ミヤネ屋』では、五十嵐の特集も組まれた。
2010年10月、五十嵐が女装ホモAV『大量射精 4 ボクたちオンナノコだもん☆だけどドピュッ!』(2010年1月20日発売、レイディックス)に、「槇七海 (まき ななみ)」の名で出演していた事が世間に発覚。
2010年11月27日発売のエッセイ漫画『わが輩は「男の娘」である!』(実業之日本社・コンペイトウ書房)にて、「いがらし奈波 (いがらし ななみ)」の名で念願だった漫画家デビューを果たした。 - 植村良侑
うえむら よしのり。 1981年10月18日生まれ。さいたま市南区出身。AB型。 愛称:ヨッくん、ヨシリン、よしのる。 さいたま市立(旧浦和市立)南浦和小学校、さいたま市立(旧浦和市立)白幡中学校、東海大学付属望星高校、東海大学卒業。 得意なスポーツはサッカー。
姉が履歴書を送ったことで、1994年11月13日に事務所入り。 芸能界引退後は高校、大学を卒業して就職し、福岡市に転居。 - 榎本雄太
- 鎌田淳
(右は櫻井翔)
1981年5月22日生まれ。品川区東大井出身。O型。 愛称:かまさん、かまじゅん、かまじょん、カマセン、カマタ、かまタンなど。
1998年12月一杯で自主退所し、京都・祇園のホストクラブ「ガランテ」に勤務。 その間、雑誌『Fine』の1999年7月号にも登場した。「ガランテ」の次は祇園新橋通の「ジェミニ」に移ったりと、長年ずっと京都に住んだままホストを続けていた。 この他、ショップ店員や原宿のクレープ店で働いたりもしていたが、2009年2月10日、自由が丘にイタリアンレストラン「クチネッタ イタリアーナ モスト」を開店。 また、同年より「cLover」のメンバーにもなった。 - 川島温
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かわしま ゆたか。 1981年6月22日、埼玉県草加市生まれ、越谷市育ち。B型。身長:174cm。体重:68kg。1996年入所。1999年退所。
埼玉県立松伏高校出身。 佐川急便株式会社に就職。 趣味:スノーボード、ゴルフ、バイク、野球。 - 菊地健太 (3月17日生。茨城県出身)
- 作田秀郷 (7月10日生。千葉県出身。O型)
- ジュロウ・ガムリー
1981年8月1日生まれ。オーストラリア生まれ、東京都育ち。B型。 父がオーストラリア人、母が日本人のハーフ。 学校はアメリカンスクールに通っていた。 特技はスノーボード。 - 田村悠 (後の蒼澤悠、紅龍要)
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1981年12月3日、鹿児島県奄美大島生まれ、東京都足立区育ち。O型。183cm。 特技:サッカー、ダンス、料理。 兄弟は妹が1人。
1998年11月8日にジャニーズに入所。
1999年にジャニーズ退所後、俳優の唐沢寿明の紹介で芸能事務所「研音」に所属し、「蒼澤悠 (あおさわ ゆう)」の芸名でテレビCMや雑誌、舞台を中心に俳優活動、モデル活動を開始。
2000年、元Jr.の柴木丈瑠、モデルのToshiとの3人でダンスボーカルユニット「G.C (グランドキャニオン)」(2001年に「GRoovy」に改名)を結成し、グループリーダーとしてライブ活動を行った。
2001年、メンズファッション雑誌『BiDaN』の「第1回 BiDaNメンズコンテスト」にて、審査員特別賞を受賞し、同誌の専属モデルとなる。 翌年の第2回の同コンテストではグランプリを受賞した。
2005年に芸能界を引退。 翌2006年より歌舞伎町のホストクラブ「Club Conforto 〜inspire the next〜」にて、「紅龍要 (くりゅう かなめ)」の源氏名でホストに転身。 途中でConfortoグループの系列店「Club COAX」、「Club FATE」へと移り、2011年までホストをしていた。 [1]、 [2]、 [3]、 [4] - 福田侑一郎
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愛称:ふっくん。
1981年8月21日、神奈川県逗子市生まれ。
その後、1歳から9歳までをニューヨークのフォレスト・ヒルズで育つ。
日本に帰国後は東京都小金井市に住み、1998年3月、私立明星高校卒業。 2003年3月、日本大学芸術学部演劇学科理評コース卒業。
大学在学中から友人たちと、WEB・映像制作・キャスティング会社「(有)ルーポプロジェット」を港区青山に設立 (2003年12月に法人登記。福田が退社した後、2006年10月より「(株)プラネタメディア」に社名変更)。 市川海老蔵(後の十三代目市川團十郎白猿)の殴打事件で有名となった芸能人の溜まり場ビル「バルビゾン27」(港区西麻布2-25-23)の7Fにもオフィスを構え、福田はその西麻布オフィスにずっと勤務していた。
2006年1月28日より、元Jr.の魚谷輝明、原裕太と共に三軒茶屋の3LDKで3人暮らしの同居を開始。 同年9月、「(有)ルーポプロジェット」を退社。
2006年12月1日、矢口真里の「矢口会」のメンバーとして、魚谷輝明らと共に六本木に「loungebar ppongi (ポンギ)」をオープンし、共同店長を務める。(2008年5月末で閉店)
その後、「saLtfilm (ソルトフィルム)」に入社してキャスティングプロデューサーとなり、アパレルブランド「QUOLOMO (クォロモ)」のプロデュースを行う。 更にその後、「(株) F1メディア」に入社した。
矢口や魚谷の他には、粟島瑞丸 (元・関西Jr.)、杉浦太陽、EXILEのネスミス、FLOWのボーカル・KOHSHIらとも仲が良い。 読者モデルの奥山絵里奈との交際が発覚したこともあった。
趣味はサッカー観戦。 「少女時代」の大ファン。 好きな言葉は「愛」。
なお、ビジュアル系ロックバンド「Λucifer (リュシフェル)」のボーカルだった越中睦士(旧表記:越中睦。読み:こしなか まこと。1980年7月15日生まれ。O型)が兄であることをSNSで公表していた。 - 古屋暢一
- 町田慎吾
- 松本淳一
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1981年12月3日生まれ。埼玉県出身。O型。愛称:まっさん、マツモ。
- 水野伸哉
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神奈川県生まれ、静岡県御前崎市育ち。 15歳だった1996年8月31日に入所。 16歳で退所し、高校も退学。
その後は歌舞伎町でのホストを経て、2006年より「元ジャニーズJr.がお届けする オーディション合格法★ (旧名:元ジャニーズJr.が教える!芸能オーディション合格法☆)」と題した56ページの情報商材を、定価39,800円でネット販売開始 (価格はその後、徐々に値下げ)。 並行して、「日本国内で面白いほど稼ぐ方法 〜1時間の空き時間で、毎月100万以上可能〜 (半永久的に稼げる情報。返金制度付き)」と銘打った305ページの情報商材も、定価29,800円でネット販売していた。 - 三宅秀明 (V6・三宅健の弟)
みやけ ひであき。 1981年2月16日生まれ。O型。
兄弟は兄と姉が1人ずつ(どちらも1歳上の二卵性の双子)で、兄が三宅健。
愛称:しゅう、白いインディアン (いずれも兄の健が命名)。
兄と共にオーディション無しで合格した特待生。 993年5月5日のSMAPのコンサート(東京厚生年金会館)に招かれ、前日の5月4日に入所。 当初は香川県高松市から通い。
高松市立紫雲中学校から、渋谷区立外苑中学校に転校して卒業。 高校も兄と同じく東海大学付属望星高校だった。 - 三代瀬裕介
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1981年3月18日生まれ。横浜市出身。A型。趣味:ゲーム、マンガ、カメラ。
横浜市立東高校、東京ミュージック&メディアアーツ尚美プロミュージシャン学科エレキギターコース卒業。
1996年にジャニーズに入所。 退所後は携帯電話販売員として働きながら、ギタリストとしても活動。 作曲、編曲も行う。
「他人が何を考えてるかは気にするが、他人にどう思われてるかは気にしない」がポリシー。 [1] - 山浦豊
1981年4月1日、大阪府生まれ。埼玉県坂戸市育ち。A型。
後に地元の坂戸市にて母親とマグロ料理店を経営している姿がテレビ番組で紹介された。 - 渡辺瑠威
1982年生まれ
- 猪狩裕一
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1982年6月10日生まれ。さいたま市出身。O型。1996年にジャニーズに入所。
芸能界引退後は埼玉県草加市の「畑野自動車株式会社」を経て、「埼玉トヨペット株式会社」に勤務。 - 及川雄介
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1982年4月4日生まれ。茨城県出身。身長:180cm。O型。趣味:サッカー。 1996年2月11日にジャニーズに入所。
ジャニーズ退所後は、岩手県盛岡市の芸能事務所「ラ・パン インターナショナル」にモデルとして所属。 2014年4月より「ラパン」に社名変更。 [1] - 大坂俊介
- 大屋賢司
- 尾田善希
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1982年6月15日生まれ。川崎市宮前区出身。B型。
父親が歌手のさだまさしの事務所「さだ企画」で働いていたため、そのツテを頼ってジャニーズJr.のオーディションに参加させて貰い、1996年に入所した。
川崎市立白幡台小学校、同市立犬蔵中学校 (1学年後輩に遠藤司が居た)、神奈川県立向の丘工業高校卒業。 そして国際動物専門学校 動物美容看護学科を2003年に卒業し、丸5年間トリマーとして勤務 (最も好きな犬はパピヨン)。
その後、川崎市高津区溝口の宮崎地鶏居酒屋「とり一得 総本店」(2006年11月22日オープン。2008年9月9日より「黒木屋 総本家」に改称)で働き、更に精肉業を経て、群馬県前橋市「JA前橋」の介護職員に。 やがて結婚して子供ももうけた。 - 尾身和樹
1982年6月15日、茨城県生まれ。南埼玉郡菖蒲町(現:久喜市)育ち。A型。愛称:おみっち、カッちゃん、三日月。
菖蒲町立(現:久喜市立)三箇小学校、菖蒲町立(現:久喜市立)菖蒲中学校、埼玉県立大宮中央高校中退。
1995年4月23日に「元気Jr.」として事務所入り。 1998年12月26日付で自主退所。 その直後、週刊誌『FRIDAY』(1999年1月29日号、および2月12日号、講談社)にて、大坂俊介、浜田一男 (後の浅倉一男)、穴沢真啓と共に、未成年ながら喫煙・飲酒・乱交パーティーに参加している様子が掲載されて話題となった。
退所後は京都・祇園のホストクラブ「ガランテ」に半年ほど勤務。 モデルの畑田亜希と交際したり、1999年6月には京都で元Jr.仲間と共に自身のバースデーパーティーを開催し、300人を集客した。
その後東京に戻り、翌2000年6月10日にはソロで、バースデーイベントを世田谷区用賀で開催。 この時から、自分でデザインしたTシャツ(袖に「O-min (オーミン)」のロゴ入り。2,500円)の販売も開始。
更に同年、高木誠一郎とバンド「D'sey kaz (ディセイ・ケイズ)」を結成し、翌2001年にCDデビューした。 2002年3月21日には、元「ZIGGY」の戸城憲夫プロデュースの下、ソロ名義での5曲入りミニアルバム『regeneration』もリリース。
その後は歌舞伎町のホストクラブで働きながら、新バンド「CRESCENT MOON」のボーカルとしてライブ活動をしていたが、それまでファンに対して販売してきた自作Tシャツを正式にファッションブランドとして立ち上げるべく、出店資金を得るため、『マネーの虎』(2003年10月20日、日本テレビ)に出演。 その結果、アダルトビデオ企業「ソフト・オン・デマンド」の社長・高橋がなりより、「事業が失敗した時は、ソフト・オン・デマンドの作品にAV男優で出演して返済すること」という条件付きで、計254万円の融資を受ける。 そして実際に新ブランド「clap Scrap」を立ち上げて中目黒に出店するも、経営は続かず、半年経たずに閉店 [1]。 しかし、AV男優になるという約束が果たされることはなかった。 その後、一時は昼間の仕事をしていたが、間もなくして再び歌舞伎町のホストに戻り、2007年まで勤めていた。
2009年、「cLover」を結成。 同年10月からは、赤坂晃が雇われ店長をしていた歌舞伎町のカクテル&カラオケBar「LUXOR (ルクソール)」で国分博、広野真一郎と共に勤務した。
更にその後、広野と共に歌舞伎町1-3-15 ザ・カテリーナビル 5Fにてショットバー「pLus One」を2010年2月1日にオープン。 2011年6月1日に同ビルの7Fに移転すると同時に広野が辞め、店名も「Bar 逢坂 (あいざか)」に変更。 広野が抜けた代わりに、浜田一男(浅倉一男)と三浦勉の3名で営業するようになった。
ところが直後の同年10月1日にまた同ビルの8Fへと移転し、店名も「Season」に変更。 浜田と2人で経営。 2012年からは、やはり浜田と共に「BAR あい」もオープンさせた (歌舞伎町2-39-2 三幸ビルB館4F)。 「Season」の方は2014年3月1日より歌舞伎町2-38-11 スカイラークビル3Fに移転。
なお、尾身は2000年代に結婚と離婚を経験している。
2019年10月より、元・関西Jr.の大堀治樹のYouTubeチャンネル「HARU CHANNEL」のライブ配信に頻繁に出演。
2018年12月7日より、元・関西Jr.の田中純弥が六本木で経営する「cafe bar D.D」[2]、[3] にて勤務開始。 そして2019年1月に店長に就任した。
2023年3月5日と11日、元Jr.の喜多見英明と国分博のYouTubeチャンネル「全力!生存確認」に出演。
[4]、 [5] - 川野直輝
- 黒田航平 (8月17日生。東京都出身。O型)
- 小場賢
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1982年1月27日生まれ。神奈川県出身。O型。身長:180cm。愛称:コバケン。
1996年6月19日にジャニーズに入所。2001年1月に退所。
憧れていた先輩:香取慎吾。
事務所専属の振付師・SANCHEに顔がそっくりだったため、SNACHEの弟説や親戚説が浮上していた。
退所後はアミューズの俳優育成所「プレステージ・プロジェクト・ユニット」に移籍。 テレビドラマ『蓮丈那智フィールドファイルT 凶笑面』(2005年9月16日、フジ)、『CAとお呼びっ!』の第2話(2006年7月12日、日本テレビ)、 映画『タイヨウのうた』(2006年)、『その日のまえに』(2008年)、 グッドウィルグループ「モバイルドットコム」のCM(2005年)、スパリゾートハワイアンズのCM、 WEBドラマ『レンタル彼氏 〜私、男買ってます〜』の第1話(2006年1月、GyaO。後姿での全裸を披露)、 FLOWのシングル『Garden 〜Summer Edit〜』(2005年8月3日発売)のMVなどに出演した。
その後は、スノーボード関連の会社に就職したと言われていたが、2013年より芸能事務所「ブルーベアハウス」に所属。 映画『ら』(2014年)、『虎影』(2015年)、CM「すぐ婚navi」に出演するも、再び引退した。 - 小林勇太 (小林慎矢の弟。「1980年生まれ」や「雄太」と誤植された資料あり)
1982年12月7日生まれ。荒川区町屋出身。B型。
好きな本:医学書、『ドラゴンボール』。 好きな言葉:努力。 好きな音楽:J-POP。 好きな観光地:北海道。 好きなプロ野球チーム:西武ライオンズ (好きだった選手は秋山幸二)。 好きな歌手:ZARD。 好きなテレビ番組:『すぽると』。
得意なスポーツは野球で、都立城東高校2年生の夏には甲子園にも出場した。(ポジションはピッチャー。初戦で智弁和歌山高校を相手に2対5で敗退)
高校卒業から3年後の2004年4月に、荒川区の中央医療学園専門学校 柔道整復学科に入学。 3年間通って26歳で柔道整復師の国家資格取得を取得。 地元の接骨院など2つの医院で経験を重ね、30歳を機に独立し、2012年1月に葛飾区鎌倉にて「こばやし接骨院」を開院。 東京都柔道整復師会会員。 - 小山雄治
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1982年3月25日生まれ。埼玉県新座市道場出身。O型。得意なスポーツ:バスケットボール。 姉は劇団に所属する女優だった。
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- 左近充優
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さこんじゅ ゆう。 1982年10月4日生まれ。世田谷区出身。A型。
世田谷区立駒繋小学校、同区立池尻中学校、都立広尾高校、玉川大学文学部国際言語文化学科(英語科)を卒業後、2006年4月に「(株)日比谷花壇」へ新卒・総合職で入社。 池袋西武フラワーショップ・イルムス館店に配属。 しかし後に、就労支援会社「(株)ウイングル」へと転職した。 なお、小中学校の2学年上には秋山純が居た。
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さこんじゅ ゆう。 1982年10月4日生まれ。世田谷区出身。A型。
- 佐々木大地
- 柴木丈瑠
- 関戸将義
- 外海翔平 (後に外務省に入省し、同省中南米局中米カリブ課課長補佐を経て、2015年より同省総合外交政策局人権人道課課長補佐に)
- 高木誠一郎
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たかぎ せいいちろう。1982年4月5日生まれ。茨城県取手市出身。A型。愛称:せーくん。
都立一橋高校、千葉商科大学卒業。
高校の1学年上にはホリプロのアイドル・堀越のりが居た。
好きなスポーツ:サッカー。 趣味:サーフィン。 お笑いタレントの狩野英孝に顔が似ていた。
1994年10月16日にジャニーズに入所。 憧れていた先輩:森田剛。
ジャニーズ退所後はマクドナルドでアルバイトをしていた。 また、渋谷のサーフショップでアルバイトをしていたという話もあった。
2000年11月、尾身和樹との2人組バンド「D'sey kaz (ディセイ・ケイズ)」を結成し、キーボードを担当。 2001年2月21日にミニアルバム『ZERO』でCDデビューした。
しかし、付き合っていた恋人が同年に懐妊したため、結婚を選んでバンドは早くも解散。 そして大学在学中の2002年、20歳にして子供をもうけ、その後、3児の父となった。
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たかぎ せいいちろう。1982年4月5日生まれ。茨城県取手市出身。A型。愛称:せーくん。
都立一橋高校、千葉商科大学卒業。
高校の1学年上にはホリプロのアイドル・堀越のりが居た。
- 高橋直気 (後に一時、高橋直稀)
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1982年10月13日生まれ。千葉県松戸市出身。O型。愛称:ナオキ。 特技:少林寺拳法、趣味:バスケットボール、音楽鑑賞、ダンス。
姉が直気の履歴書を送ったことで、1995年10月22日にジャニーズに入所。 入所から一週間もしない内に雑誌撮影の仕事を貰う。 その後は、テレビドラマ『勝利の女神』のオーディションにも受かって俳優デビューするなどの活躍をしていたが、1996年末〜1997年初頭頃に突如事務所を退所。 非常に人気の高いメンバーだっただけにこの退所劇は不可解とされ、女性問題で解雇、滝沢秀明との確執、果ては死亡説など、実に様々な説が飛び交ったが、真相は、演技の仕事が苦手でどうしても抵抗があったことによる自主退所だった。 公衆電話からジャニー喜多川に電話し、引き留められたものの、一方的に「辞めるから」と言って電話を切った。 数ヶ月後、自宅に滝沢秀明から電話が来て、「お前何で来ないの? 辞めるなよ、一緒に頑張ろうぜ」と言われたが、事務所に戻ることはなかった。 ジャニーズでの仕事は、1997年2月1日発売の雑誌『週刊セブンティーン』(同年2月15日号)での滝沢秀明とのバレンタイン対談が最後となった。
高橋は、「国民的アイドルグループだったSPEEDを解散させた男」として知られている。 雑誌『FOCUS』(1999年10月13日号、新潮社)にて、「SPEED」の最年少メンバー・島袋寛子との約3年に渡る熱愛が発覚。 『FRIDAY』(同年10月29日号、講談社)では、中学3年の14歳時(1997年5月)に髪を金髪にし、喫煙や飲酒までしていたことが写真付きで報じられた。
また、高橋は島袋と交際する一方で、1997年には1歳上の一般女性、1999年春にはタレントの吉野紗香とも二股交際していたことが発覚している他、島袋の前には、同じSPEEDの今井絵理子にも手を出していたと言われている。 続いて『FRIDAY』(1999年11月5日号、講談社)では、16歳当時の高橋の飲酒写真も掲載された。
1999年当時、高橋は島袋を通じてライジングプロダクション系列の芸能事務所「ミューズ」に所属し、同事務所の寮にも入っていたが、この熱愛の発覚によって事務所を解雇されてしまった。 なお、このミューズ時代の仕事としては、1999年春より、テレビ朝日系列のバラエティ番組『純情学園男組』への2期生としてのレギュラー出演と、同年夏、TBSのバラエティ番組『チャンスの殿堂』内で行われた“クレアラシルCMボーイコンテスト”への出場&優勝(クレアラシルのCMにも出演)の2つがある。
芸能界引退後は「歌舞伎町でホストをしている」、「銀座でバーテンをしている」などの目撃情報があるだけだったが、2009年6月30日より突如、ブログ『高橋直気のROCK STA LIFE』をアメブロにてスタートさせ、久しぶりに顔を見せた。しかしそのブログはすぐに終了。 同年8月11日より、元Jr.仲間の井上和英と組んだバンド「el'z (旧名:LUV'Z)」のブログ『el'z LIFE (旧名:高橋直気&井上和英のLUV'Z LIFE)』として復活した。
2015年3月、芸名を「高橋直稀」に改名。
同年7月1日のライブをもって「el'z」の活動を休止。 そして翌日の7月2日、高橋はel'zのサポートをしていたギタリスト・柳との新バンド「Vince niu Habit (ヴィンス・ニュー・ハビット)」を結成。
その後、芸名を元に戻し、テレビドラマや映画への出演、ボーカルユニット「ROYAL☆STARS」でのライブ開催、ソロライブ開催、DVD発売、ライブ配信アプリ「17 Live」での生配信活動、武藤静香が立ち上げたアパレルブランド「Rady」のメンズモデルなどの活動をするようになった。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6]
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- 友塚孝之
- 梨本威温 (後に一時、TAKE)
なしもと たけあつ。 1982年9月9日生まれ。埼玉県和光市出身。中学3年から練馬区に転居。 A型。 愛称:ガチャピン、ナッシー。 練馬区立北町中学卒業 (同中学の1学年下にはJr.の石橋剣道も居た)。
1997年5月18日に事務所入り。 同期は風間俊介、上里亮太など。
17歳でジャニーズを退所後は、Jr.仲間の佐藤崇と共に池袋の「カラオケ館」でアルバイトをしていた。
18歳でセレクトショップをオープンし、2004年の大学卒業と同時にアパレル会社「アッシュ・ペー・フランス株式会社」に入社し、アタッシェ・ドゥ・プレス(有能な広報、PRを意味する職業名)専門の事業部「HIRAO PRESS (平尾プレス)」に勤務。
2006年より「株式会社 HiRAO INC」へ移り、引き続きアタッシェ・ドゥ・プレスとして勤務。 パリ、ミラノ、ニューヨークなどのブランドのブランディングを経験し、2011年に退所。
2011年、フリーの振付師、ダンサーとしてキャリアをスタート。
2013年3月、振付師ユニット「左 -HIDALI-」を結成し、「TAKE」名義で活動。
2016年2月、振付師として独立。
[1]、 [2]、 [3] - 浜田一男 (後の浅倉一男)
- 原田琢磨
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1982年10月22日生まれ。栃木県小山市出身。A型。栃木県立石橋高校卒業。
1996年にジャニーズに入所。
大学2年時に「第15回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」にノミネート。
2004年4月、大学在学中に蜷川幸雄主宰の「ニナガワ・スタジオ」に所属。
その後、2007年5月から2008年までは「スリーフィールド」、2008年から2011年までは「スタークコーポレーション」といった芸能事務所にも所属していた。
幼い頃に心臓の手術を受けている。 自身のブログにて、成人頃まで定期的に通院していたことも明かした。 [1]、 [2]、 [3] - 平井豪
- 古畑真吾
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1982年7月28日生まれ。横浜市出身。O型。横浜市立戸塚高校卒業。2006年9月17日に結婚。
- 松田真弥
- 三浦勉
1982年12月10日生まれ。東京都文京区白山出身。A型。愛称:みうべん。 5歳から児童劇団に入っていた元・子役タレント。
堀越高校に入学後、喫煙などが発覚して2年生の春に中退し、通信制の立志舎高校に編入。 高校卒業後、大学に進学するも中退。
趣味:サッカー、バスケットボール、ローラーブレード。 特技:ローラーブレード。 得意なスポーツ:サッカー。 好きな食べ物:肉。 嫌いな食べ物:無し。 愛読書:『週刊少年ジャンプ』。 憧れの先輩:木村拓哉。 好きな女性のタイプ:優しくて可愛い子。
1991年9月、小学校3年生(8歳)の時に自宅の近所にあった後楽園ローラースケートリンクで遊んでいた所、ジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所に入所。 その後、同年10月10日に東京ドームで行われた光GENJIのコンサートの楽曲『WINNING RUN』にて、東京ボンバーズのメンバーに混ざって外周をローラースケートで滑る役で出演した。
1999年、高校2年生の時に父親同伴でメリー喜多川に挨拶に行ってジャニーズを退所した後は、芸能事務所「トップアーツプロダクト」に所属して一時バンド活動をしていた。
2019年12月1日、元・関西Jr.の大堀治樹のYouTubeチャンネル「HARU CHANNEL」のライブ配信に出演。
2023年4月6日&16日、元Jr.の喜多見英明と国分博のYouTubeチャンネル「全力!生存確認」に出演。 - 宮城智之丈
- 森嶋茂太
- 森裕幸 (静岡から通い。愛称:モリヒロ)
- 森雄介
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1982年10月2日生まれ。東京都台東区出身。O型。 1996年11月15日にジャニーズに入所。
2003年に退所し、同年4月より、アパレルブランド「Work」を中心に扱うコンセプトアパレルショップ「NUFF MAESTRO」を、友人3人と共に池袋で経営。
2005年には芸能事務所「ドリームエクスキューション」に所属し、2006年5月17日にマキシシングル『…for rest』でCDデビューした。
しかしその後は目立った活動は無く、ジャニーズ事務所にスタッフとして戻り、ジャニーズJr.のマネージャーに転身した。 - 矢代徳久 (後のNori)
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1982年3月22日生まれ。江戸川区小岩出身。O型。
愛称:ヤッシー、ヤシポン。 江戸川区立南小岩小学校、同区立小岩第五中学校卒業。
1996年8月31日にジャニーズに入所。 1999年頃に退所し、小岩駅前のイトーヨーカドー地下1Fのフードコート「ポッポ」でアルバイト。
一方で、京都、北海道、福岡などで開催された元Jr.メンバーによるパーティーに参加したり、京都に転居した時期もあった。
2007年にバンド「Apaloosa」を結成し、「Nori」名義でボーカルを担当。
- 梁田秀一
やなだ しゅういち。 1982年5月6日生まれ。東京都出身。A型。
後に美容師となり、美容院「boms (ボムス)」に勤務していた。 趣味はオンラインゲーム。 - 吉田大地(8月10日生)
- 米花剛史
1983年生まれ
- 秋山知哉 (5月26日、岡山県生まれ。静岡県育ち。A型)
- 穴沢真啓
1983年5月10日生まれ。神奈川県出身。
素行が悪く、わずか中学3年生にして、大坂俊介、浜田一男 (後の浅倉一男)、尾身和樹と共に喫煙・飲酒・乱交パーティーに参加している写真を、週刊誌『FRIDAY』(1999年1月29日号、および2月12日号、講談社)に掲載され、1999年1月14日付でジャニーズ事務所から解雇された。
その後、結婚して女児をもうけた。 - 安蒜厚志
あんびる あつし。 1983年11月19日生まれ。千葉県松戸市出身。A型。愛称:アンボ、あんびる、厚志くん。
堂本剛に憧れて自分で履歴書を送り、1997年10月12日に事務所入り。 松戸市立六実小学校、同市立六実中学校を経て、都立代々木高校を2003年3月に卒業。 順天堂大学 スポーツ健康科学部 スポーツ健康科学研究科(千葉県印西市の「さくらキャンパス」)を2007年3月に卒業。
2007年2月〜2012年3月まで、「サッカーショップ加茂・原宿店」にてアルバイト。 また、2011年7月〜2012年4月まで、千葉県船橋市のプロバスケットボールチーム「千葉ジェッツ」にて、エンターテイメントチームマネージャーとしてアルバイト。 2012年3月からは、横浜マリノス株式会社のサッカーグッズショプ「トリコロールワン みなとみらい店」にてアルバイト。
2019年12月13日、元・関西Jr.の大堀治樹のYouTubeチャンネル「HARU CHANNEL」のライブ配信に出演。 - 石橋剣道 (練馬区立北町中学卒業。同中学の1学年上にはJr.の梨本威温も居た)
- 石松晃 (4月2日生。神奈川県出身。A型。憧れていた先輩:堂本光一)
- 井出康平
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1983年5月17日生まれ。千葉県鎌ケ谷市出身。O型。
- 第8期 特別昇級リーグ − 優勝
- 第11期 特別昇級リーグ − 第3位
1999年6月に、テレビ朝日『8時だJ』内の「Xオーディション」でキーボード担当として合格し、16歳から18歳までジャニーズに所属。 兄弟は妹と弟が一人ずつ。
芸能界引退後は、15歳で覚えた麻雀の道へ進んだ。(なお、井出家は両親、兄弟とも全員が麻雀を打てる)
まず18歳より麻雀荘で勤務。 そして21歳だった2005年に競技麻雀のプロ雀士のテストを受け、「日本プロ麻雀連盟」の第21期生としてデビュー。
2005年、津田沼TKOの立ち上げ、店長として携わり、津田沼で一番の大箱として11卓を完備。
2006年、諸事情で休会。
2008年に復帰し、D2リーグから再スタート。
2011年3月の東日本大震災後、同月にイベント企画運営会社「株式会社ドリームクリエイター」(略称:ドリクリ)を立ち上げ、チャリティー麻雀を開催。
2012年2月より、ニコニコ生放送にて「仲田加南と愉快な仲間達」(旧名「内川幸太郎、井出康平のKO麻雀 ! !」。ドリクリチャンネル)のMCを務める。 また、「日本プロ麻雀連盟 ロンロンカップ2012 Spring」と、「日本プロ麻雀連盟 ロンロンカップ2012 Summer」の総合MCを務めた。
2013年2月22日、同じ日本プロ麻雀連盟所属のプロ雀士・二階堂亜樹(2歳年上)と“授かり婚”をした。
【戦歴】 - 井上和英
- 岩元弘志 (6月21日、千葉県生まれ。東京都育ち。B型。「岩本」と誤植された資料あり)
- 上里亮太
- 遠藤司
1983年9月23日生まれ。神奈川県川崎市宮前区出身。A型。 母と姉が履歴書を送ったことで、12歳でジャニーズに入所。 テレビドラマ『みにくいアヒルの子』(1996年4月16日 - 6月25日、フジテレビ)などで活躍した。 1997年、ミュージカル『Stand By Me』へもテディ役で出演が決まっていたが、稽古中に嫌気が差して、突然事務所を自主退所してしまった (遠藤の抜けた穴は松本潤が埋めた)。
退所後は、1998年から山本真暢と共に雑誌『ポップティーン』の読者モデルに。 川崎市立犬蔵中学(1学年先輩に尾田善希が居た)を卒業し、元Jr.仲間の岩沢勇典と共に神奈川県立柿生西高校(後の神奈川県立麻生総合高校)に入学したが、遠藤は1年生の1学期一杯で退学した。 - 大槻誠吾 (8月27日、大阪府生まれ。A型)
- 岡崎正志 (5月18日生。埼玉県出身。A型)
- 興津辰哉 (静岡から通い)
- 小倉信作
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1983年12月12日生まれ。世田谷区出身。A型。愛称:しんちゃん。兄弟は弟が1人。
世田谷区立京西小学校、私立聖学院中学校、私立聖学院高校、日本写真芸術専門学校卒業。
中学・高校では硬式テニス部に所属し、部長も務めた。
また、中学・高校の1学年下には、Jr.の津久井佑貴が居た。
2006年に「第19回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」上位50名にノミネート。
19歳より約5年間、世田谷区用賀のカフェ「YOGA BUZZ CAFE」に勤務。途中で店長に昇格し、諸星和己とのコラボレーションメニュー「JAM DOG」(3種類のメキシカンサンド)を、2007年7月19日から8月19日まで1ヶ月限定で販売したり、同年7月29日には店内で諸星のLIVEを開催したりもしたが、2008年10月一杯で退職した。
2012年6月より、世田谷区三軒茶屋にて「FOOD×BAR BUZZ」を友人と共同経営。
顔が木村拓哉に似ているとよく言われる。 [1]
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1983年12月12日生まれ。世田谷区出身。A型。愛称:しんちゃん。兄弟は弟が1人。
世田谷区立京西小学校、私立聖学院中学校、私立聖学院高校、日本写真芸術専門学校卒業。
中学・高校では硬式テニス部に所属し、部長も務めた。
また、中学・高校の1学年下には、Jr.の津久井佑貴が居た。
- 小野島聖仁
- 川本隆 (12月30日生。東京都出身。B型)
- 小池寿明
- 小高公博
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こだか きみひろ。1983年11月6日生まれ。横浜市出身。O型。愛称:きみくん、きみちん、きみちゃん。
第一高等学院(通信制高校のサポート校)を経て、国際短期大学情報ネットワーク学科に進学。
ジャニーズ退所後はギャル男に変貌し、風俗のキャッチをしながら雑誌『egg』や『エゴシステム』でモデルに。 同時に、ギャル雑誌『egg』、『ポップティーン』、『エゴシステム』などのモデル・佐々木貴子と交際。 更に『ポップティーン』、『エゴシステム』のモデル・橋野麻衣子とも関係を持ち、2001年5月に深夜バラエティ『ぜったい!キャイ〜ン』(TBS)に三角関係の男女として3人で出演した。 その後はホストに転身。 - 篠原雅彦
- 下嶋兄 (特待生。峰竜太、海老名美どり夫妻の長男)
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しもじま けい。 1983年1月13日生まれ。新宿区矢来町 → 二十騎町出身。O型。170cm、59s。 帝京高等学校(部活はサッカー部)卒業、日本大学文理学部中退。兄弟は姉が一人。
2002年、日本大学1年の終わりに、「礼儀作法を身につけさせたい」との両親の意向で、ジャニーズに入らされた。
- 2012年3月21日、テレビ東京『いい旅・夢気分』(父と出演)
- 2013年12月19日、テレビ朝日『徹子の部屋』(父、姉と出演)
- 2016年7月12日、日本テレビ『踊る踊る踊る!さんま御殿 ! ! 最強2世が奇跡の集結 美女アスリート浴衣祭』
- 2017年5月4日、テレビ朝日『徹子の部屋』(父と出演)
- 2018年11月1日、日本テレビ『ダウンタウンDX 実家から親の素顔まで! 2世芸能人ぶっちゃけSP!』(薬丸裕英の娘・薬丸玲美も共演)
- 2019年9月16日、テレビ朝日『10万円でできるかな フリマアプリで不要品売ったらいくら稼げる?』(父と出演。藤ヶ谷太輔、千賀健永も共演)
- 2021年4月2日、テレビ東京『よじごじDays』
- 2021年4月8日、テレビ朝日『徹子の部屋』(父と出演)
- 2021年10月12日、日本テレビ『秋の超豊作さんま御殿!』(田原俊彦の長女・田原可南子と共演)
- 他…
ジャニーズ退所後は、父・峰竜太の個人事務所「オフィスさかや」に所属。父親の付き人をする傍ら、タレント、スポーツリポーター、俳優としても活動。 父親が長野県出身である縁から、「テレビ信州」でのキャスター仕事もしている。 [1]
- 田井郁己
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1983年5月1日生まれ。神奈川県出身。A型。
- 橋譲
たかはし ゆずる。 1983年10月18日生まれ。 愛称:ユズ、ユズポン、社長、リーマン、殿。 1995年10月22日に事務所入り。 2000年1月の初めに退所。 - ダサリア麻巳 (後の宝井麻巳)
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本名 (日本名):宝井麻巳。
本名 (フィリピン名):Asami Dasalia。
1983年7月28日生まれ。
愛称:アッくん。
小学校1年時にフィリピンから来日し、埼玉県に移住。
父親はフィリピン人のミュージシャンで、母親は日本人。
ジャニーズ退所後は、本名(日本名)の「宝井麻巳」名義でモデルに。 また、浜田一男の姉がダサリアのオリキのTOPだったため、浜田の姉が主催者となってダサリアのイベントを開催。 会費は3,000円で、集客数は約30人だった。 - 都築俊彦
- 戸山政一
- 中江川力也
- 長渡康二 (関西Jr.からの転籍)
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ながと こうじ。 1983年6月18日生まれ。大阪府出身。A型。
元々は吉本興業に入ってお笑い芸人になりたいと思っていたが、方向性を変え、小学6年生の12歳の時にジャニーズ事務所に履歴書を8通ほど一気に送った結果、約3ヶ月後にジャニー喜多川から「きみの生写真いっぱい見たよ・・・」と電話がかかってきて、大阪・ABCホールの横の空地の、関西Jr.のプレハブのレッスン場に呼び出され、1996年3月後半頃に入所。
中学3年の夏に両親が離婚して母子家庭となり、高校時代に横浜市に転居したため、関東Jr.に転籍。 横浜アリーナでコンサートがある際は自転車で現場に駆け付けており、ジャニー喜多川からは「You、チャリJr.やめなよぉ・・・」とたしなめられていた。
ジャニー喜多川からの性的虐待に耐え切れなくなり、2000年秋に退所した。
社会人になってからは、タクシーの運転手を1年間だけ経験している。
2014年、TOKYO MXのバラエティ番組『PROMOTION TV』内のコーナー「J's cafe」に元ジャニーズJr.の平本淳也、今井拓哉と共にレギュラー出演。
2019年10月22日、新宿・ネイキッドロフトでのトークイベントに出演。(共演:平本淳也、久田将義、川原田新一、蓬田利久、中岡真一郎、小林篤志、伊藤智之。飛び入りゲスト:ロックバンド「コルベッツ」の松本邦彦と田口耕郎)
2023年8月某日、ジャニーズ事務所の再発防止特別チームのヒアリングを受ける。
同年8月21日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)に加入し、同日開催のトークイベント「久田将義&吉田豪の“ハードコアトーク”」(渋谷・LOFT9。ツイキャスでの生配信も有り)に、平本淳也、中村一也、大島幸広と共に出演。
同年8月31日発売の『週刊文春』(同年9月7日号)にインタビュー掲載。[1]
同じく8月31日、YouTubeチャンネル「Arc Times」のインタビュー配信に生出演。[2]、[3]
同年9月4日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」と服部吉次が行った記者会見に出席し、「事実究明・対話救済」の委員会と基金の設置をジャニーズ事務所に求める。 しかしテレビ局のジャニーズへの忖度が消えず、会見を中継したのは日本テレビ系列の『情報ライブ ミヤネ屋』のみだった。[4]、[5]、[6]、[7]
同年9月10日、日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』に出演。
同年9月12日午前、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する国対ヒアリングに、石丸志門、大島幸広と共に出席予定だったが、朝の移動時に駅で足を踏み外して怪我を負い、救急車で病院に搬送されたため長渡だけ欠席。
同年9月13日、朝日新聞デジタルにインタビュー掲載。[8]
同年9月17日付の東スポWEBにインタビュー掲載。[9]
同日付の東京新聞にインタビュー掲載。[10] - 成瀬剛
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元子役俳優で、テレビドラマ『ねらわれた学園』(1997年8月2日 - 9月27日、テレビ東京)に出演していた。
- 二本樹顕理 (後のAKI)
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にほんぎ あきまさ。 1983年8月22日生まれ (『Jr.名鑑』第2巻では「1984年生まれ」と誤植)。
横浜市生まれ、4歳から東京都育ち。 AB型。 クリスチャン。 幼い頃から英語が得意。「顕理」という難しい名前は、“理性を顕示する”という意味で父親が命名したもの。
既婚。 兄弟は妹が1人。
教育関係の仕事をしてる転勤族の父親の都合で小学4年から小学5年の半ばまでオーストラリアのシドニーに1年半滞在。
帰国後も東京都に住み、小学5年生の11歳の時に自分の意思で「東京宝映テレビ (後の宝映テレビプロダクション)」に所属し、レッスンを開始 (芸能活動歴は無し)。
1996年8月1日(当時12歳)にジャニーズ事務所に入所。
「B.B.B.」、「Jr.Kids」、「少年新撰組」、「翼翔組」、「B.I.G.」など多数のユニットで活躍。 14歳からはギターも始める。
1998年3月、中学2年生の終わりに事務所を退所し、中学を卒業した1999年3月に父親の仕事の都合でロサンゼルスに移住。
カリフォルニア州のパロスバーデスペニンシュラ高校(Palos Verdes Peninsula High School)在学中の16歳時に、オーディションを受けてプログレッシブロックバンド「NO CURFEW(旧名:Black Crown)」にリードギタリストとして抜擢され、ドイツで最大の芸能プロダクションと契約し、ユニバーサルポリドールからメジャーデビューを果たす。 当時のバンドメンバーには、バンド「SANTANA」で長年リードボーカルを務めていたAlex Ligertwoodの息子のBrandon Ligertwoodがボーカル&ギター、そして、後にElykah BaduやSnoop Dog、Jessica Simpsonなどのバックサポートも務めることになるStephen Lee Bruner(後のThundercat)がベースとして在籍していた。ドラムはRyan Black。 アメリカやヨーロッパで大規模なツアー・プロモーションも行い、ドイツで行われたヨーロッパ最大規模のミュージック・フェスティバル「POP.COM」では5万人の大観衆の前でパフォーマンスもしたが、2001年に解散した。
2002年にニュージャージー州テナフライに移住し、中国の伝統楽器「二胡」のプレイヤーである中国人のJack Hsu(ジャック・スー、許正杰)と共に、新たにエスニックロックデュオバンド「Gen-So Fantasia(GSF)」を結成し、バーやレストランで演奏活動を行う。
2003年冬、ボストンのバークリー音楽大学パフォーマンス科に入学。 在学中にキリスト教と出会い、洗礼を受けてクリスチャンに。
2004年に大学を中退して日本に帰国し、映画・舞台の音楽監督として活動しながら、様々なアーティスト達(Something ELse、横山大輔、他)のバックサポートを務める。
2007年、インディーズロックバンド「ROUTE OF SOUL」(2002年にLAにて結成されたロックバンド)にも、ギタリスト・AKIとして加入。
2008年7月25日から同年10月22日まで、ごく短期間ながらブログ「Off the chain」を開設。
2009年2月20日、神田・Art Cafe Decisionで行われたLIVEイベント「Dream Nite」にてホストを務めると共に、「Connected」というホストバンドも率いた。 メンバーはギター:二本樹、ドラム:山口紫樹、ベース:森本尚志、キーボード:永井開。
この他、神学校「Pacific Rim Christian College Japan」に入学し、2011年7月に卒業。 また、2009年から2011年5月までは、ボランティア・募金の「国際NGO ワールド・ビジョン・ジャパン」にも勤務した。
神学校卒業後は、2012年の29歳より両親が居た大阪に転居。 ゴスペルギタリストとして活動しながら、ギター、ベース、ウクレレの講師に。 更にキリスト教会で出会ったアイルランド人女性と2014年に結婚した。
2023年5月13日、「文藝春秋 電子版」の連載「ルポ 男児の性被害」にて、中学時代にジャニー喜多川から性的虐待を受けていたことを告発。[1]、[2]
同年5月15日、同連載の取材に追加回答。[3]
同年5月17日、NHKの報道番組『クローズアップ現代』がジャニー喜多川の性加害について独自取材した特集「“誰も助けてくれなかった” 告白・ジャニーズと性加害問題」に証言者として出演。[4]
同年5月21日、日本テレビ『真相報道バンキシャ!』に出演し、改めてジャニー喜多川からの性被害を証言。[5]
同年5月23日、たかまつななのYouTube動画「【元ジャニーズJr.】「ドラマのレギュラーが貰えた・・・」ジャニー喜多川氏の性加害を告白。【ジャニーズ事務所】」に出演。[6]
同年5月24日、共同通信社のYouTubeチャンネル「KYODO NEWS」のインタビュー動画に出演。[7]
同日付の朝日新聞DIGITALにてジャニー喜多川からの性被害による苦悩をについて告白。[8]
同年5月26日、二本樹、橋田康、カウアン・オカモト、志賀泰伸の4名が発起人となり、オンライン署名サイト「Change.org」にて、「ジャニーズ性加害問題「#児童虐待防止法改正」を求めます!」と題した署名活動を開始。[9]-
求めた改正点は以下の2点。
@、日本の現法では児童虐待の主体が“保護者”に限定されているが、アメリカやイギリスなどでは児童虐待を保護者に限らず“他者”からの人権侵害行為と広く定義している。 そのため、日本でも虐待の主体を保護者だけではなく、経済的あるいは社会的影響力のある第三者(教師やコーチ、芸能事務所幹部など)に拡大する。
A、地位を利用した第三者による虐待を見聞きした人に対し、警察への通報を義務化する。
同年5月31日、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する第2回の国対ヒアリングに出席し、ジャニー喜多川から受けた性被害によって「自尊心を破壊されました」と証言。[11]、[12]
同31日、YouTubeチャンネル「Arc Times」のインタビュー動画に出演。[13]、[14]、[15]、[16]
同年6月5日、二本樹、橋田康、カウアン・オカモトの3名が国会にて、オンライン署名サイト「Change.org」での署名活動「ジャニーズ性加害問題「#児童虐待防止法改正」を求めます!」による3万9,326筆の署名を与野党の6党(自由民主党、公明党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、日本共産党)の担当者に手渡しで提出。
同年6月12日、日本テレビ『news every.』、『news zero』に出演。
同年6月17日、報道ドキュメンタリー番組『報道特集』(TBS)の特集「検証・ジャニー氏性加害の原点」に出演。[17]
同年6月18日付の『しんぶん赤旗』(日曜版)に大きくインタビュー掲載。「移動中も少年の体触るジャニー氏に誰も何も言わなかった。おとなは全員グルだと思っていました」と語った。
同年6月19日、「文藝春秋 電子版」の連載「ルポ 男児の性被害」の取材に回答。 集団訴訟を視野に入れ、ジャニー喜多川からの性被害者を募る。[18]、[19]
同年6月20日、47NEWSに掲載。[20]
同年7月9日 (性加害者・ジャニー喜多川の命日)、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)を発起人として決起。 同年7月11日発売の『FLASH』(7月25日・8月1日合併号、光文社)に掲載。
同年7月12日、弁護士ドットコムニュースのYouTube Live「ジャニーズ事務所は生まれ変われるか? 性加害問題を振り返る」にジャーナリストの松谷創一郎と共にゲスト出演。 [21]、 [22]、 [23]、 [24]、 [25]
同年7月28日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーの内、3名(平本、志賀、二本樹)が大阪市内にて国連人権理事会のヒアリングを一緒に受ける。
同年7月31日、関西ローカル番組『newsランナー』(関西テレビ)にてジャニー喜多川の性加害問題を27分間取り扱い、二本樹も出演。[26]
同年8月4日17時、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の記者会見が日本記者クラブで行われる。 [27]、 [28]、 [29]、 [30]、 [31]、 [32]
同日、日本テレビ『news every.』に出演。[33]
同日、TBS『news23』と日本テレビ『news zero』で当事者の会の特集を放送。 [34]、 [35]
同年8月5日、報道ドキュメンタリー番組『報道特集』(TBS)に出演。
同年8月6日、日本テレビ『真相報道バンキシャ!』に出演。[36]
同年8月25日&28日、YouTubeチャンネル「街録ch 〜あなたの人生、教えて下さい〜」の動画に出演。[37]、[38]
ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」が、同年8月29日16時より記者会見を行い、ジャニー喜多川による性被害者への聞き取り調査結果を発表。 これを受け、毎日放送(MBSテレビ)『MBS NEWS』に中継生出演した。[39]
同年9月2日、『LIVEコネクト!』(関西テレビ)、および報道ドキュメンタリー番組『報道特集』(TBS)に出演。[40]
同年9月7日、ジャニーズ事務所の記者会見を受け、同日17時より大阪市内で単独記者会見を開く。
同日、日本テレビ『news zero』に出演。
同年9月8日、NHK総合『NHKニュース おはよう日本』、毎日放送(MBSテレビ)『MBS NEWS』[41]、およびYouTubeチャンネル「文藝春秋 電子版」のライブ配信 [42] に出演。
同8日、文藝春秋 電子版のオンライン番組「ジャニーズ会見 東山紀之新社長に問う」に出演。 [43]、 [44]、 [45]、 [46]、 [47]、 [48]、 [49]、 [50]、 [51]、 [52]
同年9月10日、フジテレビ『Mr.サンデー』にリモート出演。
同日、YouTubeチャンネル「Arc Times」のライブ配信に出演。[51]、[52]
同年9月11日、NHK総合『クローズアップ現代 “ジャニーズ性加害”とメディア 被害にどう向き合うのか』が二本樹の密着取材を放送。
同年10月1日、フジテレビ『Mr.サンデー』にリモートVTR出演。
同年10月2日、日本テレビ『news zero』にリモートVTR出演。 - 根本大輔
- 長谷川竜
- 花房孝史
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「劇団いろは」出身。 いろは時代にテレビドラマ『3年B組金八先生スペシャル 9』(1998年4月2日、TBS)に出演。
- 早川信大 (8月3日生。埼玉県出身。B型)
- 広野真一郎
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1983年3月1日生まれ。東京都府中市美好町出身。A型。 好きな言葉は「押忍の精神」。
1995年8月にジャニーズに入所。
引退後は、2008年7月に、「株式会社ランク・アップ」を設立。
2009年10月より、赤坂晃が雇われ店長をしていた歌舞伎町のカクテル&カラオケBar「LUXOR (ルクソール)」で国分博、尾身和樹と共に勤務。
更にその後、尾身と共に歌舞伎町にショットバー「pLus One」を2010年2月1日にオープン。 2011年5月まで勤務した。 [1] - 正木透 (10月1日生)
- 松本和希
-
埼玉県幸手市出身。
1997年5月18日から2000年までジャニーズに所属。愛称:マツカズ。 幸手市立栄中学校(2009年4月より幸手中学校に統合)、私立京北商業高校(Jr.仲間の山崎哲寛と同級生。2002年より京北学園白山高校に改称)卒業。
- 森近政司
- 盛哲也
- 山崎哲寛
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やまざき てつひろ。 1983年5月5日生まれ。千葉県流山市出身。A型。愛称:山ちゃん、山崎。
1997年5月18日にジャニーズに入所。退所後は東京ディズニーランドで一時期働いていた。
私立京北商業高校(松本和希と同級生。2002年より京北学園白山高校に改称)、明海大学卒業。
- 山本圭一 (10月7日、山口県生まれ。東京都育ち。O型。憧れていた先輩:小原裕貴)
- 淀川由浩 (後のヨディー、時羽 (ときは))
- 良知真次
-
1983年3月16日生まれ。東京都出身。A型。
少年隊のミュージカルビデオを観てジャニーズに憧れ、1998年5月2日、バラエティ番組『8時だJ』(テレビ朝日)のオーディションを受けて合格し、15歳でジャニーズに入所。 同期生は長谷川純。
2001年にジャニーズを退所。
2004年から研究生期間を含めて2年ほど、劇団四季に所属。
2007年、「東宝芸能」に移籍。
2011年、「AUTRIBE」結成。
2016年3月、一般女性と結婚。
2018年、芸能事務所「World Code」を設立し、プロデュース業、振付、脚本、演出、監督、制作、人材育成など、スタッフとしての業務を開始。
同年12月31日をもって東宝芸能を退所。 翌2019年1月1日より「サンカラーズ」に移籍。
2019年1月、兵庫県立淡路島公園アニメパーク「ニジゲンノモリ」の親善大使(クリエイティブ部門、2.5次元俳優部門)に就任 (2020年4月、任期終了)。
2019年2月、「NPO法人 日中映画祭実行委員会」のプロデューサーに就任。
同年3月、「代々木アニメーション学院」の特別講師 兼 スペシャルアドバイザーに就任。
2020年6月30日、サンカラーズを退所。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]
1984年生まれ
- 相浦拓也
-
1984年2月19日生まれ。O型。愛称:たくちゃん。
中学卒業後、都内の定時制高校に入学。 2002年3月、高校3年時に中学時から付き合っていた女性と結婚。 同年6月に長女誕生。 2003年3月、4年間通った定時制高校を卒業。 2004年、株式会社損害保険ジャパンに入社。同年5月、長男誕生。 入社から1年後に独立し、2005年4月1日、わずか21歳にして、品川区南大井に「(有)シィ・エル・シィ」を設立し、代表取締役社長に (従業員数:全5名)。 保険代理店・各種コンサルティング・Web制作・マーケティング分析などの業務を掲げていたが、ごく短期間で廃業となった。 また、2005年末より、友人・松田元(1984年、鎌倉市生まれ。アズホールディングス株式会社 代表取締役 )と共に、「21歳元ヤンキー社長2人が吠える! 〜経営実況生中継〜」という起業アドバイスのメールマガジンも短期間ながら発行していた。 - 石田友一 (関西Jr.→名古屋Jr.→関東Jr.の順で転籍。 後のTOMO)
-
いしだ ともひと。1984年4月30日生まれ。名古屋市出身。AB型。
愛称:いっとも(東山紀之による命名)、いっちゃん。 東京都立城南高校(後の都立六本木高校)卒業。
1998年2月1日に関西ジャニーズJr.として入所。 しかし名古屋在住だったため、同年中に「名古屋ジャニーズJr.」という扱いになる。
2000年春に上京して都内の高校に入学したため、関東Jr.へと転籍。
退所後は、六本木のネイルサロン&バール「FIRST Beauty Bar」にマネージャー 兼 バーテンダーとして勤務。 また、芸能事務所には所属せずにフリーのまま、「TOMO」名義で舞台出演もした。 [1] - 伊藤博行
- 岩倉具博 (岩倉具視の子孫)
- 岩沢勇典
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いわさわ ゆうすけ。 本名:岩澤勇典。1984年3月17日生まれ。神奈川県出身。血液型:AB型。1996年6月に事務所入り。1998年夏に退所。憧れていた先輩:森田剛。
元Jr.仲間の遠藤司と共に神奈川県立柿生西高校(後の神奈川県立麻生総合高校)に入学。その後、ギャル男に変貌した。 - 小関航
-
1984年10月31日生まれ。東京都中央区出身。A型。愛称:わっくん、オゼ。
テレビドラマ『それが答えだ!』(1997年7月2日 - 9月17日、フジテレビ)に立原楽人役で出演し、第7話「万引き少年とマエストロ」ではメインを務めた。
芸能界引退後は大学を卒業し、FX営業の仕事を経て、2008年11月に「EMCOM株式会社」に入社。ネットサービス事業本部・カスタマーサポート部に配属。 その後、「株式会社EMCOM証券 (後のEMCOM CAPITAL)」のFX事業部マーケティング課に転籍。 2010年6月15日にEMCOM証券が「トレイダーズ証券株式会社」に業務の一部を継承したことにより、小関もトレイダーズ証券に転籍。 - 梶山知愉
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かじやま ちさと。 1984年1月16日生まれ。東京都府中市出身。A型。愛称:ちーくん。1996年にジャニーズに入所。憧れていた先輩:香取慎吾。
退所後は「おじんのおずぼん」などのプライベートバンドでベーシストとして活動。 - 門沢正人
- 亀田貴弘
- 河内章吾 (謙吾の弟。「1982年生まれ」と誤植された資料あり)
かわち しょうご。 1984年2月25日、熊本県生まれ。東京都育ち。O型。
熊本に住んでいた祖父は、瑞宝章を受章した人物。 - 小関友弥
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こぜき ともや。 1984年年8月1日、千葉市生まれ。千葉県長生郡育ち。 千葉県立大原高校、東京工学院専門学校、東京エアトラベル・ホテル専門学校卒業。
2003年9月にジャニーズに入所。 2004年4月に退所。
2023年9月15日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)に加入し、ジャニー喜多川からの性被害を告発。 - 坂本雅行
- 提箸一平 (1月30日生。神奈川県綾瀬市出身。後にジャズダンサーに。 [1]、 [2])
- 佐藤崇
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1984年2月7日、秋田県生まれ。B型。愛称:サトタカ。 ジャニーズ退所後は、Jr.仲間の梨本威温と共に池袋の「カラオケ館」でアルバイトをしていた。
- 佐藤祐介
- 志鎌拓大 (双子の兄)
- 志鎌啓大 (双子の弟)
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しかま よしひろ。 1984年11月7日生まれ。埼玉県朝霞市生まれ、練馬区育ち。B型。1998年6月にジャニーズに入所。
引退後はアパレル企業の「株式会社 ファイブフォックス」に就職。
- 柴崎祐史
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しばさき ゆうじ。 1984年5月11日生まれ。新宿区高田馬場出身。B型。1998年11月8日にジャニーズに入所。
ジャニーズ退所後はギャル男に変貌し、ホストクラブに勤務。 その後、中目黒のアパレルショップ店員に。
- 島田直樹
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1984年5月30日、東京都東村山市生まれ。東京都武蔵村山市育ち。A型。愛称:な〜お、島田、島田くん、ナオキ。
武蔵村山市立第十小学校、武蔵村山市立第五中学校を卒業し、通信制高校の八洲学園高校・新宿スクーリング会場に入学。
1997年6月22日から2003年10月までジャニーズに所属。
- 鈴木強太
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すずき きょうた。 1984年12月31日生まれ。板橋区出身。B型。
1997年にジャニーズに入所。
2004年3月に私立豊島学院高校卒業。 2009年3月に東京電機大学理工学部卒業。 - 橋龍
- 高橋良輔 (5月14日生。東京都出身。O型。憧れていた先輩:中居正広、堂本光一。後に俳優として活動。[1]、[2])
- 田野倉亮
- 寺西鋭時
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後にコカ・コーラ物流担当会社「(株)ユーニック 新砂営業所」に入社し、自販機補充スタッフに。
野球が好きで、千葉県松戸市の草野球チーム「高塚LARKS」にも所属。背番号は「0」。
- 中村翔
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なかむら かける。 1984年9月19日生まれ。品川区出身。A型。1998年5月10日に入所。
ヤクルトスワローズのファン。 東京都立代々木高校・夜間部出身。 2011年4月より株式会社サイドストリームに勤務。 - 中村優一 (1987年生まれの中村優一とは別人)
- 野田優也
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1984年7月13日、沖縄県生まれ、東京都大田区育ち。身長:168cm。B型。 愛称:野田ちゃん、野田っち、優也。
大田区立出雲中学校卒業。 立志舎高校(通信制)出身。 兄弟は妹2人、弟1人。
憧れの先輩:中居正広、大野智。 好きなアーティスト:GLAY。
1996年8月31日にジャニーズに入所。 2012年一杯で退所。
2013年1月よりタクシー会社「アシスト」に入社してタクシー運転手を経験。
2014年10月より1年ほど舞台俳優として活動。
2016年1月9日公開の映画『ソングドリーマーズ☆』に青山実役で出演。 - 萩原幸人 (後の大野幸人)
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1984年12月17日生まれ。神奈川県愛甲郡愛川町出身。O型。 2003年8月31日にジャニーズを退所。
2006年よりダンサー事務所の「バウンドプロモーション」に所属し、「大野幸人」の芸名で俳優・ダンサーとして活動。 更に日本芸術専門学校や恵比寿の「Dance Space WING」にてダンス講師も務めた。
2014年、「CSB International」に移籍。
2018年、同事務所の閉鎖に伴い、フリーに。 チャコットスタジオのダンス講師も開始。
OSK日本歌劇団公演『Every Little Star』(2021年1月28日 - 31日:大阪松竹座、3月26日 - 28日:新橋演舞場)の振り付けを担当。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]
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1984年12月17日生まれ。神奈川県愛甲郡愛川町出身。O型。 2003年8月31日にジャニーズを退所。
- 伴貴将
- 藤家和依
- 牧野紘二
- 望月隆一郎
- 1984年12月18日生まれ。山梨県甲府市出身。B型。愛称:もっちー。1997年にジャニーズに入所。 山梨県立甲府城西高校、山梨県美容専門学校を卒業し、美容師に。
- 米村大滋郎 (後に一時、宅島トオル)
1985年生まれ
- 相沢祐輝 (2月15日生。神奈川県出身。A型。憧れていた先輩:滝沢秀明)
- 石垣大祐
- 伊藤達哉
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1985年5月18日、千葉県生まれ。町田市育ち。B型。愛称:イット。
1997年11月16日にジャニーズに入所。 V6の三宅健に顔が似ていた。 好きな言葉は「日々是好日」。
社会人になってからは、同い年の元ジャニーズJr.・宮城俊太らと共に「shinobigroup」を設立し、テナントや個人宅の内装リフォーム、家具、雑貨、自転車、アパレルを製作販売 (途中から「株式会社sanwa」→「株式会社SG」の順で会社化)。
2019年10月26日より、YouTubeチャンネル「ニンビンのビンビンチャンネル」にて、「イット」名義で動画投稿を開始。
2020年1月2日、株式会社SGがホットドッグ店「ninbim cafe (ニンビンカフェ)」を府中市西原町にオープン。
この他、DJイット名義でDJとしても活動。 [1]
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1985年5月18日、千葉県生まれ。町田市育ち。B型。愛称:イット。
1997年11月16日にジャニーズに入所。 V6の三宅健に顔が似ていた。 好きな言葉は「日々是好日」。
- 伊東亮輔 (オスカープロモーションに移籍してモデルに)
- 内山雄大
- 大島幸広
1985年3月13日生まれ。千葉県出身。中学2年生の9月頭に家庭の事情で栃木県に転居。 A型。 愛称:オーちゃん。
中学2年生だった1998年8月にジャニー喜多川から直接電話を貰ってNHKでのジャニーズJr.のレッスンに招かれ、オーディション無しの特待生として入所。 そして入所した初日にいきなりジャニーからの性加害に遭う。
(ネット上に溢れ返ってる「大島は1998年6月22日に入所。同期は上田竜也、岩倉具博」という情報は誤報。 そもそも6月22日は月曜日でオーディションなど行われていないし、上田の入所日は6月20日。そして岩倉は9月入所)
野球大会ではキャッチャーとして活躍。 2000年夏に退所。 Jr.時代は山下智久と親友関係にあった。 また、当初はJr.の中で目立たない存在だった1歳下の亀梨和也をジャニー喜多川に売り込んであげたのも大島だった。 そしてジャニーズ在籍中の2年間でジャニーからの性被害は、200回以上に及んだ。
2023年8月14日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)の記者会見に同席し、ジャニー喜多川からの性被害を告発すると共に、同会への参加を公表。 会見の模様は、日本テレビ、TBS、フジテレビのニュース番組で報じられた。[1]、[2] 同年8月15日、トークイベント「本橋信宏『僕とジャニーズ』刊行記念「35年目の真実」トークイベントDAY1」(阿佐ヶ谷ロフトA。ツイキャスでの生配信も有り)に、平本淳也、石丸志門、中村一也と共にゲスト出演。[3]
同年8月21日、トークイベント「久田将義&吉田豪の“ハードコアトーク”」(渋谷・LOFT9。ツイキャスでの生配信も有り)に、平本淳也、中村一也、長渡康二と共に出演。
『週刊文春』(同年8月31日号)にインタビュー掲載。[4]、[5]、[6]
同年8月25日、YouTubeチャンネル「Arc Times」の生配信に出演。 ジャニー喜多川について、「怪物。人じゃない」、「Jr.のことは性欲処理の道具としか見ていなかった」、そして被害を受けた回数は「200回以上」と語った。 そしてJr.時代に仲が良かった田中聖もジャニーから膨大な数の性加害を受けていたことを、名前を伏せながら語った。[7]、[8]
同年8月26日、東スポWEBにインタビュー掲載。[9]
ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」が、同年8月29日16時より記者会見を行い、ジャニー喜多川による性被害者への聞き取り調査結果を発表。 この生中継に際し、日本テレビ『news every.』に平本淳也と共にVTRコメント出演し、改めてジャニー喜多川からの被害回数は「200回以上」に及ぶことを証言した。
同年8月30日午前、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する国対ヒアリングに、石丸志門と共に出席。[10]、[11]、[12]、[13]、[14]
同日、『報道1930』(BS-TBS)に出演。[15]
同年9月2日、報道ドキュメンタリー番組『報道特集』(TBS)に出演。[16]、[17]
同年9月3日、TBS『サンデーモーニング』に出演。
同年9月4日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」と服部吉次が行った記者会見に出席し、「事実究明・対話救済」の委員会と基金の設置をジャニーズ事務所に求める。 しかしテレビ局のジャニーズへの忖度が消えず、会見を中継したのは日本テレビ系列の『情報ライブ ミヤネ屋』のみだった。[18]、[19]、[20]、[21]
同年9月7日、TBS『Nスタ』にスタジオ生出演。
同年9月8日付の「AERA dot.」にインタビュー掲載。[22]
同年9月11日、NHK総合『クローズアップ現代 “ジャニーズ性加害”とメディア 被害にどう向き合うのか』に出演。
同年9月12日午前、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する国対ヒアリングに、石丸志門と共に出席 (本来は長渡康二も出席予定だったが、朝の移動時に駅で足を踏み外して怪我を負い救急車で病院に搬送されたために欠席)。
続いて同日午後に参議院議員会館での日本共産党主催「芸能分野での性虐待問題等についてのプロジェクトチーム」第4回会合に、平本淳也、石丸志門と共に出席。[23]、[24]
同年9月23日&30日、YouTubeチャンネル「街録ch 〜あなたの人生、教えて下さい〜」の動画に出演。[25]、[26]、[27]、[28]、[29]、[30]、[31] - 岡田政治
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おかだ せいじ。1985年6月10日生まれ。江東区出身。O型。 1998年6月17日にジャニーズに入所。
私立昭和第一高校、城西大学卒業。
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おかだ せいじ。1985年6月10日生まれ。江東区出身。O型。 1998年6月17日にジャニーズに入所。
- 小川清人
- 嘉成有悟
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かなり ゆうご。
1985年7月26日生まれ。栃木県小山市出身。A型。
國學院大學栃木高等学校、國學院大學経済学部経済学科、日本デザイナー学院グラフィックデザイン科、玉川大学教育学部教育学科卒業。
元子役で、NHK教育テレビのドラマ『虹色定期便 (第1シリーズ)』(1997年4月9日 - 1998年3月4日)に出演していた。
2015年7月14日に結婚。 - 金子直行 (1987年生まれで愛知県出身の金子直行とは別人)
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1985年11月17日生まれ。さいたま市浦和区出身。O型。
引退後は六本木ヒルズのホテル「グランドハイアット東京」に勤務。 - 加峯克彦
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1985年7月17日、兵庫県西宮市生まれ。横浜市栄区育ち。O型。
1997年にジャニーズに入所。 2001年3月に湘南学院高校卒業。 2005年に東京スクールオブミュージック専門学校渋谷卒業。
生徒として通っていた上大岡のダンススクール「ワタナベダンススクール24 (株式会社 渡辺ダンス企画)」からの誘いを受け、同校のダンス講師を数年間していた。
好きな女性有名人は矢田亜希子。 [1] - 鎌倉斉要
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かまくら さだとし。1985年6月14日生まれ。
茨城県水戸市生まれ、同県ひたちなか市育ち。O型。愛称:鎌ちゃん。
ひたちなか市立勝田第二中学校、茨城県立大洗高校卒業。
1998年にジャニーズに入所。
- 後町優太
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1985年9月2日生まれ。東村山市出身。O型。愛称:ごちょ。同市立東村山第七中学校卒業。私立東野高校 → 私立八洲学園高校(通信制)出身。
小学6年の1997年6月22日に事務所入り。 ユニット「小TOKIO」や、TBSドラマ『ラブとエロス』などで活躍したが、中学時代に事務所を退所した。 - 後藤ゆう
- 小林英和 (大阪府生まれ)
- 小林宏一
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こばやし ひろかず。 1985年6月29日生まれ。東京都出身。B型。身長:179p、愛称:コバヒロ。 目黒学院高校、法政大学卒業。
母親による応募で、小学6年の1997年夏に事務所入り。
一方で、3歳からフィギュアスケートを開始。 師事した歴代のコーチは、坂本ひろ子、佐藤信夫・久美子夫妻、鈴木誠一、樋口豊、長久保裕、門奈裕子、佐藤有香ら。 なお、祖父の小林勝利も元フィギュアスケート選手で、1936年の第7回全日本選手権で2位になっている。
中学1年生で初めて全日本ジュニア選手権に出場。 高校2年生だった2002年には同選手権で織田信成を抑えて2位となり、同年の世界ジュニア選手権の日本代表にも選出された。 全日本選手権出場は8回を数え、2003年の全日本選手権では7位の成績を残した。 シニアになったあとはNHK杯国際フィギュアスケート競技大会にも出場した。 24歳だった2009年〜2010年シーズンをもって競技生活を退き、その後はプロフィギュアスケーターとして活動。 また、雑誌『FLASH』(2005年3月22日号、光文社)にて、電車内での安藤美姫とのツーショット写真がスクープされたこともあった。
ジャニーズ事務所での仕事は、22歳だった2007年12月31日のジャニーズカウントダウンコンサートでのバックダンサーを最後に無くなっていたが、24歳でフィギュアスケートの選手から引退したことを機に事務所に電話を入れ、芸能活動を再開したい旨を伝えたものの、もう小林の席は無かった。
2021年初頭、男性フィギュアスケーターユニット「REBEL BLADE」を結成。 同年7月3日にKOSE新横浜スケートセンターでデビューイベント「The Beginning」を開催。 - 笹川雷太
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1985年10月16日生まれ。横須賀市出身。O型。後に実家の「笹川塗装」に勤務。
- シーパスット・キンダ
- 塩原康孝
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1985年1月20日生まれ。神奈川県出身。O型。
後に数々のインディーズヴィジュアル系ロックバンドのベーシストとして活動。
参加バンドの順番は、 「屍 〜カルマ〜」(芸名:綾舞。読みは「あや」) → 「Gimmick」 → 「ストロベリー」(芸名:綾舞) → 「Garnet」(芸名:アカネ) → 「Mudgett」(芸名:緋祢。読みは「あかね」) → 「幻影旅団」(芸名:アカネ) → 「juliadoll」(芸名:RUI) → 「Jewel」(芸名:RUI) → 「SCREW」(2010年02月9日に加入。芸名:ルイ)。 - 清水宏紀
- ジョシュア・サギニ (2月7日生。ケニア出身の黒人)
- 鈴木将大
- 鈴木将洋
- 高井宙也 (6月22日生。A型)
- 田中英人
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たなか ひでと。 1985年8月3日生まれ。練馬区出身。A型。 12歳からジャニーズに所属。
16歳で「ビジョンファクトリー」に移籍し、ユニット「クローバー」のメンバーとして活動した。
2016年10月14日、西新宿に芸能事務所「合同会社 ラディエスト」を設立しCEOに。
2021年6月4日、ラディエストと同住所にて施工会社「株式会社 フィールドバンク」を設立し、代表取締役会長に。
好きな言葉は、ロシアの作家、ニコライ・ゴーゴリの「自分の魂のうちに雄々しき獅子の力」。
[1]、 [2]、 [3]、 [4] - 田村アンディー
- 津久井佑貴
- 長坂和彦 (8月19日生。東京都出身。A型)
- 橋田康
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1985年9月18日生まれ。立川市出身。O型。 趣味:写真、絵。
「B.B.D.」、「HisH」のメンバーとして活躍。
ジャニーズを退所後はミュージカル俳優、ダンサー、振付師に。
2023年3月31日、芸能事務所「PROF entertainment」を設立。
同年5月10日発売の『週刊文春』(同年5月18日号)にて、中学1年生の頃からジャニー喜多川に性的虐待を受けていたことを告発。[1]
同年5月11日、TBS『news23』に出演し、ジャニー喜多川から受けた性被害を証言。[2]
同年5月16日、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する国対ヒアリングに、元Jr.のカウアン・オカモトと共に出席し、ジャニー喜多川から受けた性被害を改めて告発。
同年5月18日、YouTubeチャンネル「Arc Times」の生配信に出演。[3]
同年5月19日、RKBラジオ『仲谷一志・下田文代のよなおし堂』に電話出演。[4]
同年5月21日付の、毎日新聞にインタビュー掲載。[5]
同日、日本テレビ『真相報道バンキシャ!』に出演し、改めてジャニー喜多川からの性被害を証言。[6]
同年5月22日、文藝春秋のオンライン番組『二本樹顕理×秋山千佳「ジャニー喜多川『性加害』で私はどん底に落ちた」』に出演。[7]
同日、TBS『news23』に出演。[8]
同年5月24日、共同通信社のYouTubeチャンネル「KYODO NEWS」のインタビュー動画に出演。[9]
同年5月25日付の朝日新聞DIGITALにてジャニー喜多川からの性被害を告白。[10]
同時にYouTubeチャンネル「朝日新聞デジタル」のインタビュー動画にも出演。[11]
同年5月26日、「公益社団法人 日本外国特派員協会 (FCCJ)」にて記者会見を行い、ジャニー喜多川からの性被害と児童虐待防止法の改正を訴えた。[12]
会見後、すぐにジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長から連絡が入り、同日夜にジュリーと面会して対話。 カウアン・オカモトとの面会時と同じく、ジュリーの隣にはPR会社「サニーサイドアップ」代表取締役社長・次原悦子が再び同席。
同26日、橋田、カウアン・オカモト、二本樹顕理、志賀泰伸の4名が発起人となり、オンライン署名サイト「Change.org」にて、「ジャニーズ性加害問題「#児童虐待防止法改正」を求めます!」と題した署名活動を開始。[13]-
求めた改正点は以下の2点。
@、日本の現法では児童虐待の主体が“保護者”に限定されているが、アメリカやイギリスなどでは児童虐待を保護者に限らず“他者”からの人権侵害行為と広く定義している。 そのため、日本でも虐待の主体を保護者だけではなく、経済的あるいは社会的影響力のある第三者(教師やコーチ、芸能事務所幹部など)に拡大する。
A、地位を利用した第三者による虐待を見聞きした人に対し、警察への通報を義務化する。
同年6月1日、ジャニー喜多川から受けた性被害についてジャニーズ事務所が用意した窓口には相談しづらい人のために、ジャニーズ事務所との橋渡しをすべく元所属タレントから被害相談を受ける窓口を設置。[16]
同年6月3日、弁護士ドットコムニュースのインタビューに答える。[17]
同年6月5日、橋田、カウアン・オカモト、二本樹顕理の3名が国会にて、オンライン署名サイト「Change.org」での署名活動「ジャニーズ性加害問題「#児童虐待防止法改正」を求めます!」による3万9,326筆の署名を与野党の6党(自由民主党、公明党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、日本共産党)の担当者に手渡しで提出。
自民党の「虐待等に関する特命委員会」から、自民党本部での会議(非公開でのヒアリング)に招かれ、同年6月12日15時頃にカウアン・オカモトと共に出席。
同年6月13日、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』に出演。
同日、ニューズウィーク日本版オフィシャルサイトにてインタビュー掲載。[18]
同年6月19日、47NEWSに掲載。[19]
ジャニーズ事務所が同年5月に設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」のヒアリングに同年6月26日に参加。 橋田が最初の参加者。
同年6月30日、NHK総合『ニュースウォッチ9』に出演。
同年8月4日、TBS『Nスタ』に生出演。
同年8月9日、YouTubeの「週刊文春&文春オンライン」公式チャンネルの動画「【無料動画】ジャニー喜多川性加害「元ジュニア座談会」志賀泰伸(元忍者)×カウアン・オカモト×橋田康」に出演。[20]
同年8月10日発売の『週刊文春』(2023年8月17・24日特大号)にインタビュー掲載。[21]、[22]
同年8月15日付の『日刊SPA!』にインタビュー掲載。[23]
同年8月23日&24日、イベント「チアフェス 2023」(有楽町・ヒューリックホール東京)にてダンス&トークショーを開催。
ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」が、同年8月29日16時より記者会見を行い、ジャニー喜多川による性被害者への聞き取り調査結果を発表。 この生中継に際し、橋田が日本テレビ『news every.』にスタジオ生出演。 更にテレビ局をハシゴし、TBS『Nスタ』にもスタジオ生出演した。 同日夜にはTBS『news23』にもスタジオ生出演。 日本テレビ『news zero』とテレビ朝日『報道ステーション』にはVTRコメントで出演した。[24]、[25]、[26]
同年8月30日、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』に中継生出演。
同年9月3日、TBS『アッコにおまかせ!』に出演。
同年9月7日、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』&『news every.』にてスタジオ生出演。 NHK総合『ニュースウォッチ9』、日本テレビ『news zero』にもVTRコメント出演。
同年9月10日、TBS『アッコにおまかせ!』に出演。
同年9月10日、日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』、フジテレビ『Mr.サンデー』に出演。
同年9月13日、日本テレビ『news zero』に電話コメント出演。
ジャニーズ事務所の社屋に呼ばれ、同年9月21日に東山紀之社長と1時間対面・対話。 井ノ原快彦も同席したがほぼ聞き役。 藤島ジュリー景子は欠席。
同年9月22日、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』にVTRコメント、およびスタジオ生出演。 「TBS NEWS DIG」にリモートVTR出演 [27]。 TBS『Nスタ』にリモートVTR、およびリモート生出演 [28]。 TBS『news23』にVTR出演 [29]。
同年9月23日、「テレ朝news」でのインタビューが公開。[30]
同年9月25日、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』にVTR出演。
同年10月1日、フジテレビ『Mr.サンデー』にVTR出演。
同年10月2日、ジャニーズ事務所の2回目の記者会見に際し、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』、『news every.』、TBS『news23』にスタジオ生出演。 TBS『Nスタ』にリモート生出演。 テレビ朝日『報道ステーション』、日本テレビ『news zero』にVTR出演。[31]
同年10月3日、フジテレビ『めざまし8』にスタジオ生出演、TBS『ひるおび』に中継生出演、日本テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』にVTRおよびスタジオ生出演。
[32]、 [33]、 [34]、 [35]、 [36]、 [37] - 畑野健人
-
1985年2月8日生まれ。世田谷区出身。O型。1998年にジャニーズに入所。
日本芸術高等学園、日本芸術専門学校を卒業し、「有限会社アバーブ」にて営業職に。 - 羽中田智也
-
はなかた ともや。 178cm、80kg。私立西武台千葉高校、法政大学卒業 (共に野球部所属)。
後に不動産会社「ケン・コーポレーション」の飯田橋支店に営業スタッフとして就職。
野球が好きで、同社の野球部に所属する他、神奈川県の軟式野球チーム『月兎 (ゲット)』にも所属。
- 福岡優誠 (後のKInG太尊.)
-
1985年10月15日、大阪府堺市生まれ。 横浜市育ち。 O型。 神奈川県立大楠高校中退。 高校時代は暴走族「横須賀連合 三崎崇族 (みさきスーぞく)」の総長でもあった。
1990年、フジテレビ『ひらけ!ポンキッキ』にキッズとして出演。
ジャニーズに入所後、1998年にテレビ朝日『8時だJ』に出演。 - 宮城俊太
-
1985年7月26日生まれ。東京都東久留米市出身。B型。愛称:プン太。 都立田無高校を中退後、通信制の八洲学園高校に入学。
社会人になってからは、同い年の元ジャニーズJr.・伊藤達哉らと共に「shinobigroup」を設立し、テナントや個人宅の内装リフォーム、家具、雑貨、自転車、アパレルを製作販売 (途中から「株式会社sanwa」→「株式会社SG」の順で会社化)。
2019年10月26日より、YouTubeチャンネル「ニンビンのビンビンチャンネル」にて、「PUN」名義で動画投稿を開始。
2020年1月2日、株式会社SGがホットドッグ店「ninbim cafe (ニンビンカフェ)」を府中市西原町にオープン。 [1]
1986年生まれ
- 我妻恒太 (6月29日生。東京都出身)
- 有賀達也 (5月8日生。長野県塩尻市生まれ。B型)
- 伊東和宏
-
1986年4月12日生まれ。神奈川県出身。B型。
愛称:カズ、いっちゃん。
Jr.時代にはミュージカル『Big』にも出演した。
2002年に退所。 その後、音楽専門学校「MI JAPAN 東京校」のギター科を卒業。
インディーズメタルバンド「フルブラック」、
インディーズポップバンド「ヘブンズフィール」、
アニソン&ゲームソングコピーメタルバンド「Koco-cu!! (ココキュー)」を経て、
2007年夏よりアニソン&ゲームソングコピーメタルバンド「まじかる☆にんじゃ」、
更に同年11月からメタルバンド「LIGHT BRINGER」に参加した。
- 内澤祐豊
-
1986年6月22日生まれ。東京都出身。B型。
元「スペース・パグ」所属の子役俳優で、テレビドラマ『さわやか3組』(1996年4月10日 - 1997年4月4日、NHK教育)などに出演していた。
1998年にはミュージカル『The Sound of Music』(1998年3 - 4月。日生劇場。クルト役)にて正木慎也とも共演している。
1998年11月8日にジャニーズ入り。 法政大学第一高校、法政大学経営学部経営戦略学科卒業。
ジャニーズ退所後、女性ファッション誌『Ray』(2005年12月号、主婦の友社)の2色ページに、一般人として掲載された。
- 長田卓也 (1月11日生。千葉県出身。B型)
- 小沢慧 (3月5日生。千葉県出身)
- 折口龍馬
-
おりぐち りゅうま。 愛称:オリ。 1986年2月7日生まれ。北九州市八幡西区出身。 血液型:A型。 北九州市立上津役小学校、同市立上津役中学校、福岡県立八幡高等学校(通称:はちこう)卒業。
1998年5月2日に行われたテレビ朝日『8時だJ』内の第一回オーディションで入所し、北九州から通い。
退所後は、2004年4月にインディーズミクスチャーバンド「KISHIN (鬼神。後のSHAPE CANVAS)」を結成し、ギターを担当。2007年11月11日に解散。
その後、北九州市八幡西区のホテル「西鉄イン黒崎」にフロントスタッフとして就職。 - 樫村洋平 (3月7日生)
- 川本将太郎
- 宍戸正人
- 島田淳也 (9月18日生。B型)
- 須藤邦海
- 高梨秀輔 (9月7日生。千葉県出身。A型)
- 高橋宏宜 (2月16日生。静岡から通い)
- 匠健太郎
- 武内幸太朗 (10月2日生。千葉県出身。B型。1998年11月8日入所。2010年5月に退所。後に建築士に。 [1])
- 東新良和
- 富沢宏次 (愛称:トミー。3月15日生。作曲家・服部良一の曾孫。アメリカ出身)
- 野付健太 (裕太の兄)
-
のつき けんた。 1986年9月1日、長崎県生まれ。東京都育ち。B型。
四谷商業高校を経て新宿調理師専門学校に進学したが、後に、貴金属・ブランド品買取専門店「ゴールドプラザ」を運営する「株式会社ドリームファクトリー」に就職し、鑑定士に。 町田、池袋、新橋、大宮など、各支店を幅広く回りながら勤務。
-
のつき けんた。 1986年9月1日、長崎県生まれ。東京都育ち。B型。
- 長谷部隼
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1986年9月23日生まれ。東京都出身。A型。
趣味:ラーメン屋巡り。
好きなファッションブランド:STONE ISLAND。
元「モーニング娘。」の後藤真希の弟・後藤祐樹(1986年7月10日生まれ)とは親友同士で、祐樹が15歳にして歌舞伎町のキャバクラ通いを『FRIDAY』(2002年4月26日号)にスクープされた際、一緒にキャバクラで飲酒・豪遊していたのが、当時同じく15歳の長谷部だった。(手前に写っているのが長谷部)
YouTubeチャンネル「ABEMA 格闘CH【公式】」が2021年11月11日に公開した動画「闘いたい、理由がある。実刑5年6ヶ月を越えた元アイドル・後藤祐樹「絶望しかなかった」|「朝倉未来にストリートファイトで勝ったら1000万円」11.20 PPV生中継」に出演。 両耳にピアスを付けた姿で、後藤祐樹の親友としてコメントを寄せた。
2022年1月30日に公開された後藤祐樹と田中聖それぞれのYouTubeチャンネル動画に出演し、既婚であることを明かした。 更に同日、自身のYouTubeチャンネル「MOTOジャニべーちゅーぶ」を開設 (アカウント自体は2015年6月22日に取得)。[2]
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1986年9月23日生まれ。東京都出身。A型。
趣味:ラーメン屋巡り。
好きなファッションブランド:STONE ISLAND。
- 原裕太
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退所後は、元・関西Jr.の魚谷輝明が先に入っていた劇団「THE 東京ピチピチBOYS」に2005年から所属した。
2006年1月28日より、元Jr.の福田侑一郎、魚谷輝明と共に三軒茶屋の3LDKで3人暮らしの同居を開始。
「矢口会」のメンバー。
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退所後は、元・関西Jr.の魚谷輝明が先に入っていた劇団「THE 東京ピチピチBOYS」に2005年から所属した。
- 日高光啓 (後のSKY-HI、Geeny)
- 松嶋大河
- 山田幸博
- 渡辺竜平 (プロダクション尾木に移籍して俳優に。日本テレビ『ごくせん2』などに出演)
1987年生まれ
- 赤沢裕紀 (5月24日、岡山県生まれ。A型。2002年4月1日入所)
- 有山勇輝
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1987年3月17日生まれ。千葉県船橋市出身。A型。千葉県立印旛高校卒業。
1998年10月にジャニーズに入所。
退所後はバンドを組んでベーシストに。
- 安藤靖浩
- 飯田恭平
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1987年11月18日生まれ。東京都出身。O型。愛称:きょんちゃん。
父親は舞台監督、母親はダンススクールの講師。
2001年8月16日にジャニーズに入所。
「Kis-My-Ft2」の初期メンバーとして活躍。
2006年1月一杯で退所し、同年4月に桜美林大学文学部総合文化学科芸術文化学群に進学。
2013年、荒井周士監督のインディーズ映画『LONG RIVER FRIEND』に出演 (インディーズ映画のサブスク「DOKUSO」にて配信)。
2023年9月15日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)に加入し、ジャニー喜多川からの性被害を告発。[1] 同年9月29日、「TBS NEWS DIG」にインタビュー掲載。 「ジャニー喜多川に13歳の時から定期的に性加害を受けていた」、「被害回数は数十回では収まらない」、「当時は退所の理由を学業のためと言っていたが、本当は性被害が理由」と証言。[2]
同日、TBS『Nスタ』にVTR出演。[3]
同日、都内で開かれた児童性被害に関する時効撤廃について意見交換をする有識者の会合に「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーらと共に出席。
同日、TBS『news23』にVTR出演。[4]
同年9月30日、東スポWEBにインタビュー掲載。[5]
同年10月2日、ジャニーズ事務所の2回目の記者会見に際し、TBS『Nスタ』にVTRおよびスタジオ生出演。[6]
同年10月3日、ジャニーズ事務所に出向き、東山紀之、井ノ原快彦と対面・対話。 - 飯井郁弥
-
いい ふみや。埼玉県川口市出身。O型。 私立順天高校、成蹊大学経済学部卒業。
1998年11月8日から2001年までジャニーズに所属。 その後、2007年から2010年までファミリーマートに勤務。2010年4月に「(株)三菱地所設計」に入社。
- 石坂晴樹
-
1987年1月3日生。東京都府中市出身。B型。
2001年に「C&T」内の「オフィス高木」に移籍して俳優になるも、2004年に引退。
2006年12月16日に結婚。 - 江田剛 (10月24日生。大阪府出身。A型。2001年9月23日入所。2021年6月30日退所。翌7月、元Jr.の山本亮太とのダンスボーカルユニット「えだりょ」を結成。 [1])
- エリック・マッツィーリ
- 加藤幸宏 (4月18日生。神奈川県出身。 [1]、 [2]、 [3])
- 金子圭佑 (11月1日生。千葉県出身。O型)
- 金子直行 (後のダンサー・NaO。1985年生まれで埼玉県出身の金子直行とは別人)
-
1987年11月1日生まれ。愛知県出身。2002年4月13日に名古屋ジャニーズJr.として入所し、翌2003年に関東Jr.に転籍。
退所後は「NaO」名義でダンサー&振付師に。
2019年末、ダンサー&YouTuberユニット「ZAIMASTERZ (ザイマスターズ)」結成。
[1]、 [2]、 [3] - 唐木友也
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からき ともや。 1987年2月1日生まれ。O型。185cm。 後に大阪に移り住んでホストに転身。源氏名は鮎川拓海。
大阪市北区のホストクラブ「CLUB Air 〜まごころを君に...〜」(2009年春オープン。2011年12月31日閉店)を経て、心斎橋のホストクラブ「LuNA club 〜まごころを君に...〜」(2012年1月オープン)に勤務。
- 小森輝明
- 小山貴也
- 佐久真健二 (8月18日生。2016年6月17日に結婚)
- 佐藤貴洋
- ジミーMackey (元「ジュネス企画」所属の子役タレント。ジャニーズ退所後はモデルを経て実業家に)
- 高松和矢 (Jr.名鑑10巻での「松」は誤植)
-
1987年9月13日生まれ。埼玉県行田市出身。A型。愛称:たかまっちゃん。兄弟は姉が一人。
性格:マイペース。 好きな食べ物:お寿司。 嫌いな食べ物:ねぎ。 中学時代の部活:テニス。 好きな言葉:「初志貫徹」。
1998年11月8日にジャニーズに入所。2002年に退所。
2005年3月、埼玉県立行田進修館高校卒業。
2005年4月〜2012年3月、台東区根岸の和紙販売会社「株式会社ティーケールーム」のモータースポーツ事業部に所属。 茨城県下妻市のウィンズガレージが開講していた「Windsレーシングスクール」にも通って、フォーミュラカー(ジュニア・フォーミュラ)の運転や整備を学びながら、ティーケールームが主催するイベントにて、レンタルカートを貸し出してのカーレースやフォーミュラカーの試乗会などを行っていた。
2011年、専門学校 東京スクール・オブ・ビジネスの経営学科・昼間部に入学。 翌年に卒業。
2012年4月〜2014年3月、株式会社バックスグループの首都圏統括部 首都圏第1営業グループ 恵比寿事業所に所属。
2014年4月より、株式会社リクルートスタッフィングのセールスプロモーション営業グループに所属。 - 武田翔
- 谷澤拓歩 (プランチャイムに移籍してモデルに)
- 中川直人 (8月31日生。埼玉県出身)
- 中村一也
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1987年6月17日生まれ。東京都出身。AB型。 趣味:モータースポーツ。
中学1年だった2001年1月にオーディション無しで入所した特待生。 約2年後の中学3年生の時に退所。
『週刊文春』(2023年6月8日号)にて、ジャニー喜多川からの性被害を告発。[1]
2023年6月20日、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する第3回の国対ヒアリングに出席し、ジャニーからの性被害を改めて告発。 再発防止の法改正と、ジャニーズ事務所に対して記者会見を開くよう求めた。
同年6月28日、YouTubeチャンネル「Arc Times」の生配信に出演。 ジャニーズ事務所が設置した「外部専門家による再発防止特別チーム」や「心のケア相談窓口」の対応があまりにも杜撰で酷い状況であることを明かした。 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6]、 [7]
同年6月30日、NHK総合『ニュースウォッチ9』に出演。
同年7月9日 (性加害者・ジャニー喜多川の命日)、「ジャニーズ性加害問題当事者の会 (Johnny's Sexual Assault Victims Association)」(略称:JSAVA)を発起人として決起し、会計担当に就任。 同年7月20日付の朝日新聞DIGITALのインタビューに応え、ジャニーズ事務所が設置した「心のケア相談窓口」の杜撰な対応を改めて説明した。 [8]、 [9]
同年7月13日付のニューヨークのAP通信の取材に答える。[10]
同年7月25日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」のメンバーの内、4名(石丸、小林、中村、イズミ)が国連人権理事会の2時間弱のヒアリングを一緒に受ける。 同日、原宿にて緊急のぶら下がり会見を開催。[11]
同年7月27日、国会で立憲民主党が開いた「性被害・児童虐待」に関する国対ヒアリングに、蔵元左近弁護士と共に出席。 前日の日本政府による緊急対策の取りまとめ [12] に対し、「子供自身に声を上げろっていう今回の対策案に関しては、とても実情がわかってもらえてないなっていう歯がゆさを感じます。 第三者による通報義務を課すために、児童虐待防止法を改正すべき」と訴えた。 そしてジャニーズ事務所の幹部に対し、会見を開くよう改めて求めた。[13]
同年8月4日17時、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」の記者会見が日本記者クラブで行われる。 [14]、 [15]、 [16]、 [17]、 [18]、 [19]
同日、TBS『news23』と日本テレビ『news zero』で当事者の会の特集を放送。 [20]、 [21]
同年8月15日、トークイベント「本橋信宏『僕とジャニーズ』刊行記念「35年目の真実」トークイベントDAY1」(阿佐ヶ谷ロフトA。ツイキャスでの生配信も有り)に、平本淳也、石丸志門、大島幸広と共にゲスト出演。[22]
同年8月16日、トークイベント「対談 「ジャニーズの性暴力問題」」(赤羽会館 大ホール、主催:一般社団法人ふぇみ・ゼミ&カフェ。Zoomでの生配信も有り)に平本淳也と共に出演。[23]
同年8月21日、トークイベント「久田将義&吉田豪の“ハードコアトーク”」(渋谷・LOFT9。ツイキャスでの生配信も有り)に、平本淳也、大島幸広、長渡康二と共に出演。
同年8月22日、トークイベント「平本淳也×藤木TDC×本橋信宏 「35年目の真実」『僕とジャニーズ』(イースト・プレス)刊行記念」(下北沢・本屋B&B。Zoomでの生配信も有り)に、石丸志門と共にゲスト出演。[24]
同年9月4日、「ジャニーズ性加害問題当事者の会」と服部吉次が行った記者会見に出席し、「事実究明・対話救済」の委員会と基金の設置をジャニーズ事務所に求める。 しかしテレビ局のジャニーズへの忖度が消えず、会見を中継したのは日本テレビ系列の『情報ライブ ミヤネ屋』のみだった。[25]、[26]、[27]、[28]
同日、石丸志門と共にArc TimesのYouTube Liveに出演。[29]
同年9月20日、TBS『Nスタ』にリモートVTR出演。 - 中村優一 (1984年生まれで1998年入所の中村優一とは別人)
1987年10月8日生まれ。横浜市出身。O型。 愛称:ちゃんなか。 特技:スキューバダイビング。 兄弟は1歳下に妹。
神奈川県立横浜清陵総合高校卒業。 亜細亜大学経営学部経営学科中退。
2003年、ジャニーズ事務所を退所。
2004年7月、「第1回 D-BOYSオーディション」でグランプリを受賞し、ワタナベエンターテインメントに所属。
同年10月、同事務所の俳優集団「D-BOYS」に加入。
2005年、テレビドラマ『ごくせん (第2シリーズ)』にて俳優デビュー。 その後、『仮面ライダー』シリーズで活躍。
2007年9月5日、テレビドラマ『仮面ライダー電王』(テレビ朝日)のエンディングテーマ『Action-ZERO』を、役名の「桜井侑斗」名義での歌唱、および大塚芳忠とのデュエットで、CDマキシシングルでリリース。 オリコンチャートのランキングでデイリー3位、週間7位を記録。
2010年3月、音楽ユニット「D☆DATE」の結成メンバーとなる。
同年5月26日、映画『仮面ライダー×仮面ライダー×仮面ライダー THE MOVIE 超・電王トリロジー EPISODE RED ゼロのスタートウィンクル』(2010年5月22日公開、東映)の主題歌『Action-ZERO 2010』を、役名の「桜井侑斗」名義での歌唱、および大塚芳忠とのデュエットで、CDマキシシングルでリリース。 中村と大塚がそれぞれソロで歌ったバージョンも収録。
持病の腰痛が悪化したため、2010年9月19日より芸能活動を休止。
同年12月1日、D☆DATEがシングル『あと1cmのミライ』でCDデビューしたが、中村は芸能活動休止中だったため、CD、ライブ、メディア出演など、D☆DATEのCDデビュー後の活動全般に一切参加することが無いまま、2011年11月8日、治療に専念するためにD-BOYS、およびD☆DATEから脱退。 中村のD☆DATEでの活動は、デビューシングル『あと1cmのミライ (通常盤)』のカップリング曲『想い D☆DATE Version』での、瀬戸康史との共同作詞のみで、デビューシングルのCDジャケット写真にも中村は参加せず。
2012年9月末日をもってワタナベエンターテインメントとの契約を終了し、芸能界からも引退。
2013年2月14日、JUGEMブログにて新たなブログを開設。
2014年8月、芸能事務所「G-STAR.PRO」に所属し、俳優業を再開。 前所属事務所の「ワタナベエンターテインメント」とも業務提携。
同年12月25日、アメーバブログでの新ブログを開設。
2022年12月18日、一般女性との結婚を発表。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6] - 服部将也
-
1987年10月17日生まれ。千葉県佐倉市出身。AB型。愛称:はっちゃん。
1997年6月22日にジャニーズに入所。 2002年に退所。
その後はギャル男に変貌し、お兄系のアパレルショップ「FUGA by SILVER BULLET 原宿店」に勤務。 そして2008年からは「TOMMY HILFIGER 表参道店」に勤務。 - 原田規由 (はらだ きよし。6月2日生。神奈川県出身。O型)
- ハリー・リコヤ (6月7日生。アフリカ出身の黒人)
- 深沢和樹
- 藤井雄大
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ふじい ゆうだい。 1987年6月21日生。埼玉県出身。B型。愛称:ふじキュン、ふじいちゃん、ゆうちゃん。1999年4月にジャニーズに入所。2002年頃退所。
ジャニーズ在籍時には、図書館や視聴覚センター用の理科・科学教材ビデオ『おもしろ理科実験 「電気と磁気」対決!エレクとマグネの真剣勝負』(1999年。25分)と、同じく図書館や視聴覚センター用のビデオドラマ『鳴き止まない蝉たち』(主演。2001年8月。40分)に出演した。 - 星野正樹 (10月10日生。東京都出身。A型。2001年1月21日入所)
- 政次邦彦
- 松隈達彦
- 丸山誠
- 向井光希
- 吉田雄基 (11月16日生。東京都出身。A型)
- 渡邊瞬 (後の通名:正木瞬。バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開Jr.オーディション出身)
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1987年8月生まれ。 番組での公開オーディションには落ちたが、2004年9月8日にジャニー喜多川から電話を貰い、ジャニーズに入所。
間もなくバンド「Question?」のリードボーカルに抜擢され、同年12月12日放送のNHK『ザ少年倶楽部』にてTOKIOのカバー曲『Feel It』を披露した。
後に尚美学園大学音楽表現学部Jazz&ポップス科ボーカル専攻卒業。 母親はスピリチュアルカウンセラーの正木りさで、渡邊自身もスピリチュアルに傾倒し、ボーカリストの活動と並行してパワーストーンのネットショップ「渡邊瞬のプレシャス チャリティー ストーン」のデザイナー 兼 店主としても活動していた [1]。
その一方で結婚もし、2010年10月には男児をもうけた。
その後、母方の姓である「正木瞬」の通名で、新たなパワーストーンのネットショップ「kSana 」をオープン [2]。
なお、「渡邊」姓は母親の亡き再婚相手(瞬にとっての養父。2003年に逝去)の姓であり、小学生の途中から「渡邊」姓になった。 - 藁谷亮太 (12月23日生。O型)
1988年生まれ
- 秋山伊織
- 我妻祐太
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あづま ゆうた。 1988年8月14日生まれ。福島県郡山市出身。A型。
愛称:あづ、我妻くん。 郡山市立郡山第七中学校(陸上部所属)、私立帝京安積高校(郡山市)卒業。 中学校の後輩には藤田勇紀が居る。
1997年(小学3年)にジャニーズに入所。中学2年で退所。 その後はダンサーとなり、関ジャニ∞の2010年10月20日発売のアルバム『8UPPERS (パッチアッパーズ)』DISC-2に収録されている安田章大のソロ曲『TOPOP』のMVにも、バックダンサーとして出演した。 MVは、関ジャニ∞の15thシングル『LIFE 〜目の前の向こうへ〜』(2010年8月25日)の初回限定版Bの特典DVDに収録。 - 伊郷アクン (元・子役のアクンIGO)
- 石塚恵太 (4月20日生。福島県郡山市出身。1999年3月23日入所。我妻祐太、三部望と同じ小学校出身)
- 上野航平
- 圓城裕司
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えんじょう ゆうじ。 神奈川県茅ヶ崎市出身。日本大学藤沢高校 → 日本大学。
- 小川恵光 (元・子役)
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おがわ しげみつ。 「けいすけ」という読みは誤り。
1988年8月15日生まれ。千葉県出身。AB型。
日本芸術高等学園 → 日本大学。愛称:みっちぃー、しげちゃん。
2005年6月4日にジャニーズに入所し、2009年10月1日に退所。
後に出雲大社函館奉賛會千葉支部にて神主に。 2017年8月15日に入籍。 - 小川大樹
- 小布施博来
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おぶせ ひろき。 1988年11月6日、千葉県茂原市生まれ。福島県郡山市育ち。B型。愛称:おぶ。
城西国際大学メディア学部メディア情報学科卒業。
1999年にジャニーズに入所。 引退後は大学を2011年3月に卒業し、2012年9月より「アイムファクトリー株式会社」に就職。やがて営業主任に就任。
2017年10月より「株式会社マイナビ」に転職し、やがてIT領域営業部の課長に就任。 - 川村陵
- 草野博紀
- 久保寺晋哉 (7月3日生。東京都出身。B型。退所後はホストに)
- 小坂真郷 (小坂まさるの次男)
- 2005年に不祥事(傷害での刑事事件:本人談)を起こし、ジャニーズ事務所を一時退所。
- その間、2005年に行われた『第18回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に応募。
予選会のカメラテストには参加したが、ノミネートメンバーには入れなかった。(グランプリは中村蒼)
続いて翌2006年の『第19回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』にも応募。この時はBEST 10まで進出した。(グランプリは溝端淳平)
他にも、新潮社のローティーン向けファッション雑誌『nicola』に登場したり、TBS『徳光和夫の感動再会!“逢いたい”』の再現VTRに、主人公役として出演したりもした。 更にホラー映画『こわい童謡 裏の章』(2007年7月28日公開)の一般公募オーディションにも合格し、奈良本茂役で出演した。
- その一方でパソコンのオンラインゲームにハマり、韓国のゲーム会社「グラビティ」が運営するMMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロール・プレイング・ゲーム)「Ragnarok Online (ラグナロクオンライン)」のエミュレーターサーバーを真郷の自宅サーバーにて開設し、「Romalia Online (ロマリアオンライン)」として公開していた。(真郷は「ロマリア」〔愛称:ロマ様〕と名乗り、管理人として活動)
当初「ロマリア」は自身の写真や父親の店をブログなどで掲載していたが、真郷自身の知名度が一般層にはほぼ皆無だったこともあり、「そこそこのイケメンの写真をどこかから拝借して掲載しているのだろう」と、Romalia Onlineのユーザーたちからは認識されていた。 しかし、エミュレーターサーバー管理者同士のオフ会の際に撮影された写真と、真郷が掲載していた自身の写真の人物とが見事に一致したため、Romalia Onlineユーザーたちの間に激震が走る。
また、Romalia Online内で使用されているキャラクター画像、構成マップ画像はRagnarok Onlineの物そのものであったため、著作権法違反に当たった。 更に、元のRagnarok Online内でもGM(ゲームマスター=管理者)を名乗り、一般ユーザーからアカウントIDとパスワードを聞き出したりという不正行為が非常に目立った。 しかもそのことを、証拠となる画像と共にブログ上で公表してしまう。
その直後、Ragnarok Online公式ページにて運営側から注意を呼びかける告知があり、あわや「元ジャニーズJr.の逮捕か?」と大騒ぎになるが、イメージダウンを恐れた運営側が刑事告訴や民事提訴を見送り、違法行為ではあるが、ID削除だけで済んだ。
Ragnarok Onlineの他のエミュレーターサーバーへの陰湿的な荒らし行為や不正アタックも発覚したが、ISPが揉み消したため、こちらもやはりお咎めは無かった。
この他、ファイル共有ソフト「Winny」を頻繁に使用していたことも、Romalia Onlineユーザーの手により調査され、明らかになっている。 また、自サイトの掲示板や2ちゃんねるに書き込む際は、「◆T4uo4K72iY」というトリップまで使用していた。
Romalia Onlineは過剰なまでの宣伝により、接続者数を1,000名以上も集めていたが、真郷が引退して別のユーザーへ管理権を譲渡したことで急速に求心力を落とし、閉鎖となった。
- 2007年3月、単位制・通信制高校の、私立わせがく高等学校・東京キャンパスを卒業。
そして同年、ジャニーズ事務所に復帰することをエミュレーターサーバー上で告知。
ジャニーズ事務所脱退者が再び事務所に戻り、活動を再開することは異例であり、しかも真郷はこれを3回ほど繰り返している。
しばらくは管理人とジャニーズJr.を両立させていたが、活動が忙しくなったことを理由に、エミュレーターサーバー名を他人に譲渡し、引退した。
なお、復帰後にアイドル誌で答えたインタビューにて、Ragnarok Onlineの著作物を無断転用して作成したRomalia Onlineのことを、「趣味でネットゲームを作成している」などと発言している。
- 事務所復帰後は、「M.A.D.」に加入。 専門学校「総合学園ヒューマンアカデミー パフォーミングアーツカレッジ」渋谷校・アニメソングシンガー専攻(2年制)にも通うようになり、声楽を学んだ。
ビブラートやロングトーンの効いた歌唱力に定評があり、『もう君以外愛せない』、『ひとりぼっちのハブラシ』、『君を想うとき』、『ミソスープ』、『誓いの空 (作詞:薮宏太)』といった楽曲を、テレビやコンサートでソロで披露させて貰うという破格の扱いを受けた。
かなりの高音を出すことが出来、最高音はA5(hihiA)程度にまで達した。
- 一時は、飲酒事件で謹慎中だった内博貴に代わって「NEWS」に加入するのではないかという噂まであったものの、2009年にジャニーズ事務所を正式に退所した。
同年5月、ポップ・ロックバンド「PRISTAR (プリスター)」を結成し、ボーカルとして活動 (所属事務所は株式会社サイファー)。
同年7月にはアメーバブログにてオフィシャルブログ「ゆるい感じ。」も開設(途中から「オレラノ オンガク」に改題。2011年に閉鎖)。
PRISTARは2010年にメジャーデビューする予定だったが、2010年9月、真郷が方向性の違いを理由に脱退。 これによりバンドは解散。 他のメンバーは新たなボーカルを入れた新バンド「enblinds (エンブラインズ)」を結成した。
- 芸能活動の傍ら、ヒューマンアカデミーの講師だったボイストレーナー・野見山正貴に弟子入りし、ブラックミュージックを学びながら、真郷自身もボイストレーナーとして、素人を相手に個人ボーカルトレーニングを行うようになる。
- 2011年、新たに株式会社スパイクエンタテインメントへ所属。(同年9月1日より株式会社サラエンターテイメントと合併し、「株式会社サラエンタテインメント」に社名変更)
続いて、作曲家・川村駿介との2ピースバンド「ATHENA (アテナ)」も結成した(プロダクションへの所属者は真郷のみ)。真郷はボーカルを担当。 同年5月16日〜22日には、朝倉薫演劇団創立20周年記念・東日本大震災復興チャリティ公演『スタント』(池袋・シアターKASSAI)に西条俊彦役で出演するなどしたが、真郷は同年中に早くもサラエンタテインメントを退所してしまった。
また、同年8月19日より、アメーバブログにて新オフィシャルブログ「正直、ぷよぷよは負けたことないっすね」を開設。 更にTwitterアカウントを取ってツイート活動も行っていたが、どちらも翌2012年6月をもって突然閉鎖してしまった。
-
ブログ閉鎖、およびTwitter削除への背景
2011年前後より、MMORPGの「LINEAGE 2」をプレイ。 当時はそれが真郷であることはまだ知られていなかった。 まずエリカサーバーにて、キャラ名「ザケンですが何か」でPK(プレイヤー・キラー)として嫌がらせ行為、不正行為を重ねてBAN (キャラ凍結)。
続いてジグハルトサーバーにて、キャラ名「フリンテッサです」でプレイし、ここでもPKとしての嫌がらせ行為や、キャラ共有などの不正ギリギリの行為を繰り返した。[1]
2012年6月、ゲーム内ブログ(既に削除済み)で真郷が自身の顔を晒したことにより個人特定される。 それまでの嫌がらせ行為、不正行為などから、ゲーム外部のインターネット掲示板にて炎上が起こり、真郷のオフィシャルブログやTwitterアカウントが晒された。
この状況を受け、真郷は6月中に即座にブログを閉鎖し、Twitterアカウントも削除。 そして翌7月、ゲーム公式BBSにて引退宣言をした。
- 2015年1月、ヴィジュアル系バンド「DELUHIセッション」のボーカル「masato」として、浦和のライブハウス「ナルシス」にて活動開始。
同年4月29日より、バンド名を「EREMES (エレメス)」に改めて再始動。 同年8月15日にはファーストミニアルバム『METEMPSYCHOSIS (メテムサイコシス)』もリリースしたが、活動は1年と持たず、2016年1月19日に解散した。
- 2016年2月25日、ヴィジュアル系バンド「怪盗少年」のボーカル「まさと」として活動開始。
バンドのコンセプトは「V系バンド盗みます。」。 ファンのことは「怪盗少女」と呼ぶ。
同年8月、バンド名を「怪盗戦隊-A- (エース)」、個人名も「すかいらーくまさと」に改名。
2017年初頭、更にバンド名を「怪盗戦隊ヌスムンジャー」、個人名も「りとるはーつまさと」に改名。
2021年、個人名を「怪盗まさと」に改名。
同年8月、バンドメンバーのしんやっちょと共に、コロナウイルスの感染が発覚。
[1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6]、 [7]、 [8]
こさか まさと。 1988年8月29日生まれ。秋田県生まれ、東京都江東区育ち。 身長:166cm。 血液型:O型。
「真郷」という名は、小坂まさるの「ま」と、郷ひろみの「郷」を足して名付けられた。
真郷も、父親と同じくジャニーズ事務所に入所。 入所日は2001年9月23日で、同期生は薮宏太、伊野尾慧、山本亮太ら。
B'zの稲葉浩志を尊敬している。(ジャニーズJr.の頃は「尊敬している人は堂本剛君」と公言)
影響を受けたアーティストは、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、エリック・クラプトン、ステイシー・オリコ、ブリトニー・スピアーズ、久保田利伸、宇多田ヒカルなど。 マイケル・ジャクソンと誕生日が同じことが自慢。
- 2005年に不祥事(傷害での刑事事件:本人談)を起こし、ジャニーズ事務所を一時退所。
- 斎藤正喜 (10月31日生、神奈川県出身)
- 三部望 (8月3日生)
- 田ア翔
- 野付裕太 (健太の弟)
- 星野裕太 (8月5日生。千葉県柏市出身。O型。同市立中原中学校、千葉県立我孫子高校卒。2002年5月5日入所)
- 丸野優 (6月26日生。東京都出身。O型)
- 三好研伍
- 村田和哉 (12月23日生。2001年1月21日に入所。後に出会い系サイト「NANA」に出現し話題となった)
- 森達也
- 山下翔央
- 吉田光希
- ラファイ・エディ (Rafai Eddy。セオン・エディの兄。12月15日生。B型。父親は中南米のトリニダード・トバゴ共和国出身、母親は日本人)
1989年生まれ
- 大ア誠也
- 大嶋雄也
- 太田隆司
- 加藤智規 (慶應義塾大学通信教育部に約6ヶ月早く飛び入学)
- 久保翔 (後の久保智裕)
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1989年5月25日生まれ。町田市出身。2005年6月4日にジャニーズに入所。
事務所を退所後、2006年に「第19回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」(この回のグランプリは溝端淳平)に応募し、マイフェアボーイ賞を受賞。 その縁で、TBSの昼ドラマ『マイフェアボーイ』にも出演したり、「JB5」のメンバーに選ばれたりした。 そしてこれを機にスターダストプロモーションに所属。
2007年6月1日放送のテレビ朝日系ドラマ『生徒諸君!』の第7話で俳優デビュー (収録自体はTBS系のドラマ『マイフェアボーイ』の方が先)。
2012年2月末、スターダストプロモーションを退所。
2013年、オスカープロモーションに所属し、「久保智裕」の芸名で俳優として再スタートしたが、2016年に引退した。
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1989年5月25日生まれ。町田市出身。2005年6月4日にジャニーズに入所。
- 黒田幸誠 (3月8日生。埼玉県出身。A型)
- 上坂遼 (こうさか りょう)
- 後藤泰観 (元・ゴトウ泰観)
- 塩谷司 (神奈川県出身。バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開Jr.オーディション出身)
- 制野峻右
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せいの しゅんすけ。 1989年6月16日生まれ。神奈川県横須賀市出身。AB型。韓流好き。
ジャニーズを退所後、2005年に「第18回 ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募し、人気投票で7位を獲得。最終選考会に出場する。 日本テレビ『ニュースプラス1』のコーナー「大注目」において、グランプリ受賞者の中村蒼とともに密着取材を受ける。
ワタナベエンターテインメント所属となり、2007年1月に舞台『研修医魂』で俳優デビュー。 同事務所の俳優集団「D-BOYS」の舞台に出演した他、TBS『2時っチャオ!』のレギュラーアシスタント「チャオボーイ」などで活動。
2009年1月、所属事務所のサイトにて公式ブログを開設。ほぼ毎日更新していたが、同年5月13日付で更新が途絶え、プロフィール、ブログとも年内で削除される。
2012年6月30日、アメブロにてブログ再開。学業に専念するために芸能活動を休止していたこと、同年3月に大学を卒業したので再び芸能界に復帰し、俳優によるパフォーマンスユニット「TOKYO流星群」に加入することを発表した。
同年10月、わずか3ヶ月程度の活動で「TOKYO流星群」から脱退。ブログも再び閉鎖してしまった。 - 田村昴之 (バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開Jr.オーディション出身)
- 千葉一樹
- 堤広樹
- 冨岡海翔 (「M.A.D.」の冨岡健翔の兄)
- 冨田真央
- 藤井勝成 (4月25日生。A型)
- 古市侑平
- 前田紘利T.J. (後の前田紘利 → TJ → 前田紘利 → 前田紘利TJ)
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日本名での本名:前田紘利TJ、フィリピン名での本名:Teriijohn Hirotoshi Maeda。
1989年1月8日、フィリピンのマニラ生まれ。埼玉県東松山市育ち。A型。父が日本人、母がフィリピン人。
幼い頃からマイケル・ジャクソンに憧れ、歌とダンスを始める。
2000年、11歳の時に『BSジュニアのど自慢』に出演し、合格。
2003年、14歳の時に大塚食品「ビタミン炭酸 MATCH」のCMダンサーオーディションで優勝し、CM出演。
2004年、15歳の時にジャニーズ事務所に入所。 当初はただの「前田紘利」名義で活動していたが、その後「前田紘利T.J.」→再び「前田紘利」→再び「前田紘利T.J.」の順で改名した。
退所後は、ダンスボーカルユニット「RTA」の前田紘利、同じくダンスボーカルユニット「5IGNAL (シグナル)」のTJに。
2017年9月より「TJ」名義でソロアーティストとして活動開始。 2018年初頭に「前田紘利」、同年春に「前田紘利TJ」に改名した。
https://maedahirotoshitj.amebaownd.com/ [1]、 [2]、 [3]、 [4]、 [5]、 [6]、 [7]、 [8]、 [9]、 [10] - 松本幸大 (1月13日生。東京都出身。A型。小5から中1までは香港に住んでいた。2003年4月12日入所)
- 松本光平
- 目時考康
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めとき たかやす。 目寺、目地、孝康などは全て誤表記。 O型。
後に美容師に転身し、2014年まで港区北青山の美容室「MINX 青山店」に勤務。 その後、渋谷区宇田川町の美容室「ALBUM SHIBUYA_S」に移った。 - 山本亮太
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1989年11月14日生まれ。千葉県出身。A型。特技:振付、アクロバット。尊敬する先輩は屋良朝幸、河合郁人。
2001年9月23日にジャニーズに入所。 以降、「A.B.C.Jr.」、「M.A.D.」、「舞闘冠」、「They武道」、「宇宙Six」などのユニットで活動したが、無許可営業の闇スロット店に出入りして賭博行為に及んでいたことが「文春オンライン」によって発覚し、2020年10月1日に滝沢秀明副社長に呼び出され、同日付でジャニーズ事務所から解雇された。
その後はYouTuberとして活動し、更に2021年7月には元Jr.の江田剛とのダンスボーカルユニット「えだりょ」を結成した。
2022年2月19日、「てんちむ(橋本甜歌)と一緒に違法賭博(賭け麻雀)をしていたジャニーズの人物が居る」とネット上で話題になった際、それは山本だとする声が多数挙がり、風評被害に遭う。 そもそも山本はてんちむとの繋がりは無いし、「てんちむの麻雀仲間の山本」は俳優の山本裕典のことである。
同年8月4日、京セラドーム大阪にて開催された大型ファッションイベント「EXIA Presents KANSAI COLLECTION 2022 A/W」(通称:関コレ)にゲスト出演し、歌とダンスを披露。
同年8月29日付の『週刊女性PRIME』にて、ジャニーズ在籍時代からのセフレ女性に対し、性行為中に何度も暴行を加えたり、ハメ撮りを繰り返していたことなどが発覚。
[1]、 [2]、 [3]、 [4] - 米川力 (後にエヴァーグリーン・エンタテイメントへ移籍し、CHIKARAに改名)
関連項目
- ジャニーズJr.
- ジャニーズJr. 一覧 (五十音検索)
- ジャニーズJr. (関東組) 一覧
- 関西ジャニーズJr. 一覧
- 名古屋ジャニーズJr. 一覧
- 元気Jr.
- ゲスト参加者
- 『ジャニーズJr.名鑑』
- ジャニーズ事務所 歴代所属者
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