スケートボーイズ
スケートボーイズは、1987年後半から1988年8月にかけてジャニーズ事務所に所属した男性アイドルグループ。 SMAPの前身。
スケートボードに乗って光GENJIのバックを務めた。
メンバー
- 後の平家派
- 松原一平 (リーダー)
-
グループのリーダーとして、草gや香取ら年少メンバーのスケジュール管理(連絡網係)も担当していた。
元々は「GENJI」の候補メンバーでもあった人物。
- 松元治郎 (スケートボーイズ → 初期のSMAP → 平家派の順で参加)
- 岩佐克次 (スケートボーイズ → 初期のSMAP → 光GENJIのバックバンド → 平家派の順で参加)
- 岡田賢一郎 (スケートボーイズ → 光GENJIのバックバンド → 平家派の順で参加)
- 佐藤敬
- 石川徹
- 渡辺一久 (アクロバット班)
- 米山武志 (アクロバット班)
- 東昌孝
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結成初期に参加。 その後、1988年の夏に少年隊ミュージカル『PLAYZONE ’88 カプリッチョ 〜天使と悪魔の狂想曲〜』の第2部『THE SHOW』への出演、光GENJIのバックバンドへの参加を経て、平家派に加入。
- 佐藤功 (初期のSMAP → 後期のスケートボーイズ → 平家派の順で参加)
- 小山田英樹 (後期に参加)
- 長谷川文高 (後期に参加)
- 松原一平 (リーダー)
- 菅沼貴之 (歌番組と『スーパーJOCKEY』でスケートボーイズに参加)
- 他数名
候補メンバー
- 橋本久良生
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スケートボーイズの結成前に、ジャニー喜多川からスケートボードを買い与えられて練習はしていたが、実際にグループに参加することは無かった。
- 長野博
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スケートボーイズの結成前に、ジャニー喜多川から電話で「You、スケボーできる?」と言われたが、「できない」と答えた。
その3分後にもう1度「スケボーできる?」と電話がかかってきたが、「だからできないって!」と答えてしまい、参加には至らなかった。
誤報されているメンバー
- 坂本昌行
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坂本もスケートボーイズに参加していたと表現されることがあるが(例:2017年1月11日放送のフジテレビ『TOKIO× (カケル) 』、同年6月19日放送の『ビビット』など)、正確には坂本は結成初期のSMAPに雑誌『Duet』(1988年7月号)用のサポートメンバーとして参加したのみで、スケートボーイズには一度も参加していない。
なお、2017年1月11日の『TOKIO× (カケル) 』では他にも、長野博が「佐藤アツヒロのジャニーズ入所は1986年5月」だと言ったり (実際の入所は1986年8月30日)、坂本と国分太一が「俺たちが入所したのは1987年」と言うなど (実際の入所は1988年1月31日)、複数の情報が記憶違いのままで放送された。
- 野口隆史 (後の反町隆史)
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反町隆史もスケートボーイズに参加していたとするサイトが多数あるが、これも誤り。
Wikipediaに書き込まれた誤情報がどんどん拡散されていったのが原因。
反町は「平家派」にしか参加していない。
概要
- 1987年11月26日発売の光GENJIの2ndシングル『ガラスの十代』のバックで、スケートボードに乗るグループとして結成。
- 1988年4月、各アイドル誌にて、主要メンバー12名で正式に初お披露目 (中居、木村、稲垣、森、草g、香取、松原、松元、岩佐、岡田、佐藤敬、石川)。
キャッチコピーは、「Sports Music Assemble People」、「SMAP時代のスケートボーイズ」。
続けて、「トンボ学生服」のCMにも12名で出演した。
各アイドル誌で紹介されたのは最後までこの12名のみだったが、実際には歌番組やコンサート、アイドル野球大会などでグループに参加した者も居るため、メンバー数は延べ20名近くに上る。
- 1988年6月21日発売の光GENJIの4thシングル『Diamondハリケーン』でも、3〜7名ほどのメンバーがスケートボードで走行。 ローラースケートで走行する時もあった。
同年6月10日放送の『ミュージックステーション』では、光GENJIの赤坂晃と佐藤敦啓が義務教育中の中学3年生ということで夜の生放送番組に出演できなかったため、SMAPの中居と木村、スケートボーイズから抜粋された岩佐、佐藤敬、渡辺、米山の計6名が、「敦啓PEOPLE」のユニット名でバックダンサーとして初登場。 木村と佐藤敬の2名はマイクを握って歌唱もした。
更に別の日の『ミュージックステーション』にも、やはり出演できなかた赤坂と敦啓の穴埋めとして、5名の「敦啓PEOPLE」(岩佐は欠席)でバックダンサーとして登場。 この時も木村と佐藤敬だけはマイクを握って歌った。
また、同年6月15日放送の『夜のヒットスタジオ』では、欠席した木村の代役として、古株ジャニーズJr.の桑名兼司がサポート参加。 この時は6名全員でマイクを握った。
エピソード
- 1988年春、ジャニーズJr.が、『ミュージックステーション』(4月8日放送)と『ザ・ベストテン』にて各1回ずつ、田原俊彦の『抱きしめてTONIGHT』のバックダンサーを「B・D 104」とのジョイントで務めたことがあったが、そのJr.の中にはスケートボーイズのメンバーも一部含まれていた。
『ミュージックステーション』の方に参加したJr.は全部で19名で、その内、スケートボーイズのメンバーは木村拓哉、佐藤敬、松原一平、岩佐克次、岡田賢一郎、菅沼貴之など。
他のJr.は、橋本久良生、阿部直人、新井(通称:マリオ)などが参加した。
なお、後にSMAPの正式メンバーとなる中でこの田原のバックに参加したのは木村のみ。
(1988年4月8日放送の『ミュージックステーション』)
- SMAPが結成後された後も、しばらくは並行してスケートボーイズが存在したが、数か月後に自然消滅した。漏れたメンバーのほとんどは、後に「平家派」として活動。
しかしそれも1990年初頭に消滅した。 TOKIOのメンバーとなった国分太一を除き、全員がジャニーズ事務所を退所。
なお、松元治郎は後に「和久二郎」に改名し、「WANDS」の第3期ボーカリストとして活動した。
- 後にフジテレビ『SMAP×SMAP』の中のコーナー「歌え!アイドルキックオフ」にて、SMAPの5人が「スケートボーイズ」を名乗り、セルフパロディとしてコント的に再現している。
初登場は1999年1月25日。
いかにもスケートボーイズ時代に着ていたかのような、ピンク色のタンクトップ、白色の短パン、バンダナという衣装に身を包み、マークン(中居)、タックン(木村)、ゴロゴロ(稲垣)、ツヨチャン(草g)、シンゴ(香取)といった、このコーナー用のニックネームで登場。
そして、『SAY YES I$ (アイドル)』というオリジナル曲までこのコーナー用に作られた。
- スケートボーイズの登場から約30年後の2018年2月26日に、ジャニーズJr.内のユニット「7 MEN 侍」が、スケボーに乗るアイドルグループとして結成された。
出演
CM
- トンボ学生服 (1988年)
同商品のCMには、翌1989年にもSMAPの6人だけで改めて出演している。
グッズ
テレホンカード

(1988年)


(2枚とも1989年)
下敷き
厚紙製で大きいサイズのスケートボーイズの公式下敷きが、1988年より日本全国の学生服店にて、商品の購入者におまけとして配布された。
また、下敷き単体で購入することも出来た。
翌1989年にはSMAPの6名だけでの公式下敷き(プラスチック製、通常のB5サイズ)も作られ、同様に配布、販売された。
この他、スケートボーイズのブートの下敷き(プラスチック製、通常のB5サイズ)が1988年に出回っていた。
(トンボ学生服の公式下敷き、1988年、表面)
(トンボ学生服の公式下敷き、1988年、裏面)
(トンボ学生服の公式下敷き、1989年、表面。 裏面は真っ白)
![]() (ブートの下敷き、1988年、表面) |
![]() (ブートの下敷き、1988年、裏面) |
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