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スリー・ファンキーズ

    


スリー・ファンキーズ(3 Funkies、Three Funkys)は、日本で最初の男性アイドルユニット。 1960年代にコーラスグループとして活躍した。 愛称:スリファン。 当時の所属事務所は東京第一プロダクション (後の第一プロダクション)。 1961年結成。 1966年2月5日解散。

日本の男性アイドルグループの元祖と位置付けられる存在で、1962年にデビューした「ジャニーズ」と共に、 このジャンルの確立に多大な影響を与えた。 (「ジャニーズ」は、スリー・ファンキーズが若い女性から「身近な男の子」として絶大な人気を集めていたことに触発されて、ジャニー喜多川が結成させたグループ)

スリー・ファンキーズの代表曲は、『浮気なスー (悲しき恋の物語)』、『涙のムーディー・リバー』、『ナカナカ見つからない』など。
メンバーの入れ替わりが激しく、メンバー構成は4期に分かれる。




メンバー

  • 長沢純 (リーダー。1期〜4期)
      本名:長澤毅 (つよし)。 1941年6月17日生まれ。東京都出身。O型。愛称:ジュンちゃん、ジュン坊。
      法政大学第二高等学校卒業、法政大学法学部中退。 高校2年生の時には生徒会の副委員長を務めた。 好きな歌手はエルヴィス・プレスリー、小坂一也。
      1963年にソロレコードデビュー。 スリー・ファンキーズ解散後も、ソロシングル『二人で歩こう c/w 遠い渚』(B面の原曲:シャープ・ホークス。東芝音楽工業)、 『越前竹人形 c/w 愛』(1971年、ストロベリーレコードからの自主制作。AB面曲とも長沢が作詞、作曲、編曲)をリリースした。
      1969年12月に制作会社「株式会社 長沢企画」を設立。 代表取締役社長を務めながら、テレビ番組の司会者、俳優、タレントとして活躍した。 また一時期、女優の川口晶(後の陶芸家・国重晶)と結婚し、1男(純一郎)をもうけたが、1974年春に離婚。 1年半後の1975年秋に別の女性と再婚した。
      1977年7月、第11回 参議院議員通常選挙に無所属で全国区から立候補。13万票あまりの票を得たが落選した。
      その後は、長沢企画グループとして、グラフィックデザインを扱う「有限会社 長沢クリエイション」や、ビルマネジメント業の「有限会社 エヌ・ケービル」なども設立。 芸能界、スポーツ界、政財界に幅広い人脈を持っており、元アメリカ大統領のビル・クリントンを招いて長沢企画創立パーティーを盛大に行ったりもした。 元ロシア大統領のミハイル・ゴルバチョフ、石原慎太郎、細川佳代子(第79代内閣総理大臣細川護熙夫人)などとも親交がある。
      2007年4月、諸星和己主演のドラマ『うさぎがもちつき』(BS-i、インターネットと同時放送)へ出演。 35年ぶりの連続テレビドラマ出演となり、詰襟の学生服姿でコミカルな演技を披露した。
      2013年7月23日、山口組3代目組長・田岡一雄の神戸市灘区の自宅で行われた三十三回忌法要にて司会を務めた。
      なお、息子の長澤純一郎は、20代半ばにして長沢企画の取締役に就任し、「リチャード長澤」名義で活動。 その後、2006年に知人の紹介で“ヤンキー先生”こと義家弘介 (よしいえ ひろゆき) と出会い急接近。 翌2007年7月の参院選に義家が出馬した際、純一郎も選挙スタッフとして支援にまわり、当選後は義家参院議員の公設第2秘書となった。 純一郎は2007年に結婚したが、その披露宴には義家、徳光和夫の他、小泉純一郎元首相、中川秀直元自民党幹事長ら、政界の重鎮たちも出席した。
      孫の長沢一輝(かずき。2007年7月18日生まれ)も、子役タレントとして長沢企画に所属させ、プロデュースしている。

  • 手塚しげお (3期〜4期)
      1942年1月27日 - 2004年2月4日。山梨県生まれ。世田谷区経堂育ち。 私立國學院高等学校卒業。
      グループに加入する前から俳優として活躍。 当初は「手塚茂夫」と名乗っていた。1963年にソロレコードデビュー。
      グループ解散後はクラウンレコードに移籍してソロ歌手として活動後、俳優に転向した。 1974年8月30日放送のテレビドラマ『太陽にほえろ!』(第111話、日本テレビ)で、松田優作演ずるジーパン刑事を射殺する役を務めたことでも知られている。 また、俳優活動と並行してスナックの支配人も務めるようになった。
      晩年は大阪に拠点を移し、同地の芸能事務所「MC企画」に所属していた。
      肺癌のため大阪府高槻市の病院で死去。 62歳没。

  • 早瀬雅男 (4期)
      本名:早瀬高明。 1948年3月14日生まれ。愛称:マー坊。元ファッションモデル。 スリー・ファンキーズ加入当初は本名で活動していた。
      解散後はGSバンド「ザ・ビーバーズ」のボーカルとして約1年活動。
      バンドの解散後、渋谷で小料理店「くし串」を開店するも、約1年半で閉店。 その後、港区青山での弾き語り活動を経て、1972年1月から銀座のクラブ「ベルサイユ」のウェイターに。 そしてわずか半年で主任にまで昇進したが、同年10月に退社した。
      1977年10月、知人の誘いを受けてソープランドのスタッフとして入社し、やがて支配人となった。
      『女性自身』(1974年4月6日号、光文社)にインタビュー掲載。

脱退メンバー

  • 鎌田実 (1期のみ)

  • 高橋元太郎 (たかはし げんたろう。 1期〜2期)
      本名:風間 元太郎。 1941年1月15日生まれ。東京都中野区出身。愛称:ゲンちゃん、ゲン坊。 クリスチャン。
      中野区立上高田小学校、私立育英学院育英中学校、都立松原高校卒業。 小学校時代に、同校の「上高田少年合唱団」に参加。 中学時代にはカトリックの洗礼を受け、中学校の聖歌隊にも入り、賛美歌を歌っていた。 好きな歌手はハンク・ウィリアムズ、レイ・プライス、デューク・エイセス。
      ウエスタンバンド「住吉敞とワゴン・スターズ」の出身で、その当時は「高橋わたる」と名乗り、ボーカルを担当していた。 そしてバンドメンバーには、鹿内孝、菊池正夫、多田正幸らが居た。
      1962年6月、ソロ歌手転向のためにスリー・ファンキーズを脱退。 その後、1969年より俳優へ転身。一番の代表作である『水戸黄門』(うっかり八兵衛役)では、元「ジャニーズ」のあおい輝彦と長年共演した。

  • 高倉一志 (たかくら ひとし。 2期〜3期)
      本名:菊地健寿 (けんじゅ)。 1940年1月15日生まれ。宮城県塩釜市出身。愛称:ケンちゃん、ケン坊 (いずれも本名由来の愛称)。
      小学6年の時に台東区立黒門小学校に転校。同区立御徒町中学校、私立本郷高校、第一レコード音楽院卒業。 中学校の2学年下には萩本欽一が居た。 スリー・ファンキーズ在籍当時に高倉が好きだった女優は、桜町弘子、大川恵子、丘さとみ。 好きな歌手は春日八郎。
      1963年にソロレコードデビュー。 1965年2月にグループを脱退し、「高倉健志 (たかくら けんじ)」に改名。 俳優活動をしながら、シングル『はなうたブルース c/w さよならしても別れても』(1965年、東芝音楽工業)で再びソロレコードデビュー。 続いて、シングル『まっかっか c/w はなうた三度笠』(1965年)もリリースした。
      更に翌1966年からは「藤 健次」へと改名し、やはり俳優活動と並行しながら、シングル『男の門出 c/w 俺とおれ』(1966年4月5日)にて、ミノルフォンレコード(後の徳間ジャパン)より演歌歌手として再々ソロデビュー。 続いて、シングル『俺のあいつ c/w 待ってなよ』(1966年8月26日)、『雪子のロック c/w あの娘は太陽』(1967年8月10日)、『星あかり c/w 朝霧の街』(1968年5月10日)をリリース。 演歌歌手としての活動は主にクラブ回りだった。
      芸能界引退後は第一プロダクションのマネージャーに。


メンバー変遷

メンバーの脱退・加入が激しく、メンバー構成は4期に分かれる。

  • 第1期 (1961年)
    • 長沢純、高橋元太郎、鎌田実

  • 第2期 (1961年8月〜1962年6月)
    • 長沢純、高橋元太郎、高倉一志
      (写真では左から高倉、高橋、長沢)

  • 第3期 (1962年8月〜1965年2月。最も長く活躍した期)
    • 長沢純、高倉一志、手塚しげお
      (写真では左から高倉、長沢、手塚)

  • 第4期 (1965年2月〜1966年2月)
    • 長沢純、手塚しげお、早瀬雅男
      (写真では左から早瀬、長沢、手塚)


概要

  • 1960年1月、銀座のジャズ喫茶「テネシー」が行ったロック歌手募集に、長沢純高橋元太郎鎌田実がそれぞれ所属する3つのカントリー&ウエスタンバンドが合格した。 ちなみに高橋は当時、高橋わたるの芸名でエレキバンド「住吉敞とワゴン・スターズ」(バンド名は「小坂一也とワゴン・マスターズ」のパロディ)に所属していた。
    ある日、テネシーでのステージを観ていた日本テレビの売れっ子ディレクター・秋元近史(1982年に飛び降り自殺。49歳没。 父は俳人の秋元不死男。叔母は劇作家の秋元松代)によって、3つのバンドの中から長沢、高橋、鎌田の3名がそれぞれピックアップされる。 そして、「お前ら、3人だから“スリー・ファンキーズ”でいいか」と命名され、1961年1月に東京第一プロダクション(後の第一プロダクション)に所属し、1961年2月3日(金曜日)、生放送のミュージカルドラマ『ミュージカルバラエティ 魅惑の宵』(司会:ロイ・ジェームス。アシスタント:後の小澤征爾夫人の入江美樹)にてテレビデビューした。
    長沢純曰く「音楽の基礎を学んでいた訳ではなかったので、出演者というより見学者の気分で、メインの出演者のバックで体を動かしたり、口パクでステージを行っていた」のだが、その身近な雰囲気が逆に視聴者に受け入れられて、「後ろで踊っている男の子3人組について教えて欲しい」という問い合わせが日本テレビに殺到した。

  • 1961年8月に鎌田が抜け、高倉一志が加入。 同8月、「日劇ウエスタンカーニバル」に初出場し、ボビー・ダーリンのヒット曲『オンボロ汽車ポッポ (原題:Oe Ee Train)』をカバー披露。

  • 1962年1月、東芝音楽工業(後の東芝EMI)から、アルバム『スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード』にてレコードデビューを飾る。 当時としてはアルバムでのデビューは異例のことだった。(1960年の時点でシングル『でさのよツイスト』を発売してレコードデビューしたという情報が多く広まっているが、それは誤り)
    収録曲の中では、「浮気なスー (悲しき恋の物語)」(原曲:ディオン&ザ・ベルモンツ)が特にヒット。 テレビ、ラジオ、ジャズ喫茶にひっぱりだことなった。

  • 同年3月末、有楽町・よみうりホールで初の記念リサイタルを開催。

  • 同年5月、1stシングル『でさのよツイスト』発売。

  • 同年6月、高橋元太郎が脱退。 これにより、『週刊平凡』(1962年6月14日号)にて解散説が大々的に報じられた。

  • 同年8月、少年時代劇『矢車剣之助』(1959年 - 1961年、日本テレビ)の主演で活躍していた手塚茂夫(途中から手塚しげお)が加わり、第二期黄金時代を築く。

  • 同年、「なんば花月」のこけら落し公演を、坂本スミ子らと務める。

  • 1963年、高倉一志がシングル『かっこいい三度笠』でソロレコードデビュー。 その後しばらくして、同じく1963年に長沢純がシングル『遠い昔に帰りたい』、手塚しげおがシングル『若い湖』で二人同時にソロレコードデビュー。

  • 1965年2月、高倉一志が抜け、ファッションモデルだった早瀬高明(途中から早瀬雅男)が新たに加入。

  • 同年11月、手塚しげおが独立宣言し、グループの解散が決定。

  • 1966年2月5日、リサイタル「サヨナラファンキーズステージ」にて解散。 当日は美空ひばりがサプライズゲストとして登場し、持ち歌の『柔』を披露してくれた。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ミュージカルバラエティ 魅惑の宵
      (1961年2月3日 - 4月7日、日本テレビ) - テレビデビュー作品。レギュラー。
  • 夜をたのしく (1961年4月9日 - 5月7日、全5回の番組、日本テレビ) - レギュラー
  • シャボン玉ホリデー (1961年6月4日 - 、日本テレビ)
  • ザ・ヒットパレード (フジテレビ)
  • 若さで行こう (日本テレビ)
  • この若さ このリズム (テレビ朝日)
  • ザ・リクエスト・ショウ (テレビ朝日)
  • ミコとファンキーズ (テレビ朝日)
  • スター千一夜 (1962年5月16日、フジテレビ)
  • 明日があるさ (1964年4月27日、日本テレビ) 第1回に3期メンバーが出演。 ジャニーズと共演。
  • 想い出のヒットパレード 第3弾! (1982年10月17日、テレビ東京・日曜ビッグスペシャル)
      同年9月22日に五反田・東京簡易保険会館(後のゆうぽうとホール)にて収録。
  • 1億人のラブコール 感動!あの人に逢いたい '91 (1991年12月29日、TBS)
      長沢、高倉、手塚の3名が出演した。

テレビドラマ

  • 若い季節 (NHK総合)
    • 1962年6月10日 - 2期メンバー
    • 1962年9月30日、1964年6月14日、8月2日、9月13日、11月15日 - 3期メンバー。 1964年からはあおい輝彦(当時は青井輝彦)と共演。
  • てなもんや三度笠 (TBS)
    • 第60話「神田の恋文」(1963年6月23日) - 3期メンバー
    • 第123話「博多の人形師」(1964年9月6日) - 3期メンバー
    • 第173話「安宅の関守」(1965年8月22日) - 4期メンバー

映画

  • 歌う明星 〜 青春がいっぱい (1962年7月8日、製作:東映東京撮影所、配給:東映) - 2期メンバー
      アイドル雑誌『明星』を舞台にしたミュージカル映画。 当初の仮タイトルは『若さでいこうよ』。
  • クレージーの花嫁と七人の仲間 (1962年4月15日、松竹) - 2期メンバー
  • かっこいい若者たち (1962年8月12日、製作:大映東京撮影所、配給:大映) - 2期メンバー
  • ハイハイ3人娘 (1963年1月29日、製作:宝塚映画製作所、配給:東宝) - 3期メンバー
       
  • 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん (1963年6月30日、製作:宝塚映画製作所、配給:東宝) - 3期メンバー
  • 喜劇 駅前音頭 (1964年8月11日、製作:東京映画、配給:東宝) - 3期メンバー
  • あの雲に歌おう
      (1965年1月15日、製作:東映東京撮影所、配給:東映) - 長沢純が出演。 ジャニーズと共演。


ディスコグラフィ

シングル

  1. でさのよツイスト c/w アカパルコのお転婆娘 (1962年5月の1stシングル。2期メンバー。JP-5109)
      A面曲は、近田春夫&ハルヲフォンが1978年6月21日発売のアルバム『電撃的東京』にて、更にPetty Bookaが1999年2月発売のアルバム『Dancing with Petty Booka』にてそれぞれカバーしている。 また、小西康陽がDJの時にヘヴィー・プレイすることでも知られている和モノ・グルーヴ・クラシック。
  2. 涙の日記 c/w 恋の1ドル銀貨 (1962年5月。2期メンバー。両曲とも原曲はバリー・ダーベル。JP-5121)
  3. スチールギターとワイングラス c/w 恋の急行列車 (1962年7月。2期メンバー。JP-5135)
      A面の原曲:ポール・アンカ『A Steel Guitar and a Glass of Wine』、B面の原曲:ヴェルベッツ。
  4. ナカナカ見つからない c/w 一人ぼっちがやになった (1962年11月。3期メンバー。B面は長沢のソロ曲。JP-5167)
  5. 心のとどかぬラヴレター c/w 踊ろよ、ベイビー! (1963年1月。3期メンバー。JP-5177)
      A面の原曲:エルヴィス・プレスリー、B面の原曲:ボビー・フリーマン。
  6. 恋人は海の彼方に c/w 冷たい街角 (1963年3月。3期メンバー。JP-5201)
      A面の原曲:トニー・シェリダン&ビート・ブラザーズ(後のビートルズ)の『マイ・ボニー』。 元々はスコットランド民謡。
  7. ラヴ c/w もゆる瞳 (1963年5月。3期メンバー。JP-5211)
      A面の原曲はポール・アンカ、B面の原曲はボビー・ヴィー。
  8. 想い出のダイアナ c/w 若いみそらで (1963年8月。3期メンバー。A面の原曲:ポール・アンカ。JP-5240)
  9. ドリーマー c/w ちょっぴり愛して (1963年10月。3期メンバー。JP-5256)
  10. レッツ メイク メモリー c/w マクリン トックのテーマ (1964年2月。3期メンバー。TR-1029)
      A面の原曲:クリフ・リチャードの『Let's Make A Memory』。 この曲は後に少年忍者や前川清もカバーした。
  11. 抱きしめたい c/w サウスタウンUSA (1964年4月。3期メンバー。TR-1068)
      A面の原曲:ビートルズ、B面の原曲:ザ・ディキシーベルズ。
  12. 駅前音頭 c/w 予備校ブルース (1964年8月。3期メンバー。A面曲は映画『喜劇 駅前音頭』の主題歌。TR-1128)
  13. オンボログルマでスッとばせ c/w 太陽の下のハイウェイ (1964年10月。3期メンバー。TP-1002)
  14. GTOでぶっとばせ c/w ドゥ・ワ・ディディ・ディディ (1964年12月。3期メンバー。TP-1024)
      A面の原曲:ロニー&デイトナズ、B面の原曲:マンフレッド・マン。
  15. ブットンダ c/w 三年早いよ (1965年3月。4期メンバー。TP-1076)
  16. カレン c/w ダンディー少佐マーチ (1965年5月。4期メンバー。TP-1090)
      A面の原曲:ザ・ビーチ・ボーイズ、B面の原曲:ミッチ・ミラー合唱団。 両面とも演奏は寺内タケシとブルージーンズ。
  17. オン・ザ・ビーチ c/w 青春の渚 (1965年8月。4期メンバー。TP-1115)
      A面の原曲:クリフ・リチャード、B面の原曲:ブルース&テリー。
  18. オーオーオー c/w でっかい太陽 (1965年9月。4期メンバー。TP-1138)
  19. スターズ・オン・スリーファンキーズ c/w 遠い渚 (1981年。4期メンバー。TP-17252)
      同窓会企画として4期メンバーが再集結してリリース。A面は「恋人は海の彼方に」、「ナカナカ見つからない」、「浮気なスー (悲しき恋の物語)」、「涙のムーディー・リバー」(原曲:パット・ブーン)、「レッツ・メイク・メモリー」のメドレー。 B面は長沢純のソロ曲で、原曲はシャープ・ホークス。

ソロシングル

※ グループ在籍中のソロシングルのみ記載。 全てスリー・ファンキーズと同じく東芝音楽工業からのリリース。

高倉一志

  1. ホイホイ木曽節 c/w ゴキゲン三度笠 (1963年。JP-1521)
  2. かっこいい三度笠 c/w 泣き虫街道 (1963年。JP-5162)

手塚しげお

  1. 若い湖 c/w 青春の並木道 (1963年。JP-5222)
  2. 明日のために c/w 星に祈ろう (1964年。TR-1043)
  3. 青春の夢のせて c/w 遠い夜 (1965年5月。TP-1073)
      A面曲はテレビドラマ『風来坊先生』(日本テレビ)の主題歌。

長沢純

  1. 愛しておくれ c/w 遠い昔に帰りたい (1963年。JP-5223)
      A面の原曲はクリケッツやリトル・リチャードの『Send Me Some Lovin'』で、長沢本人による日本語訳詞。 また、レコードのジャケットは背景が青いものと黒いものの2種類が存在した。

東芝フォノブック (ソノシート)

  1. ポップス NO.1 ヒットパレード篇 (1962年、4枚組ソノシート。2期メンバー。Y-060〜063、38・2016)
      「悲しき街角」(原曲:デル・シャノン)、「涙のムーディー・リバー」を収録。 坂本九、森山加代子、山下敬二郎とのオムニバス盤。
  2. 唄え、3ファンキーズ (1962年、2枚組ソノシート。2期メンバー。Y-126〜127、25・2037)
      「浮気なスー (悲しき恋の物語)」、「ダーク・ダーク・サングラス」、「ミスター・ロンリネス」(原曲:ジーン・ヴィンセント)、「お月さまとキューピット」の4曲を収録。
  3. 3ファンキーズのツイスト (1962年、2期メンバー。Y-138、15・2043)
      「でさのよツイスト」、「アカパルコのお転婆娘」の2曲を収録。
  4. 若さで歌おう (1962年、2枚組ソノシート。2期メンバー。Y-150、25・2050)
      「涙の日記」を収録。 弘田三枝子、克美しげる、斎藤チヤ子とのオムニバス盤。

非売品販促ソノシート

  • ポートカブの歌 (1962年)
        
      本田技研工業のバイク「ポートカブ」のCMソング。 作詞:青島幸男、作曲:いずみたく、歌:スリー・ファンキーズ、天地総子。

オリジナルアルバム

   
  1. スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード
      1962年1月。2期メンバー。10inchレコード。JPO-1160) - レコードデビュー作品

       

  2. スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード (第2集) (1962年8月。2期メンバー。10inchレコード。JPO-1222)

       

  3. スリー・ファンキーズ・ヒット・パレード (第3集) (1963年2月。3期メンバー。10inchレコード。JPO-1261)

       

  4. スリー・ファンキーズ・リクエスト・タイム (1963年11月。3期メンバー。10inchレコード。JPO-1331)

       

ベストアルバム

  1. GOLDEN 60's COLLECTION スリーファンキーズ GREATEST HITS (1987年10月、LP、SOLID-1009)

       

  2. スリー・ファンキーズ・コレクション (1996年7月10日、2枚組CD、東芝EMI)

       

オムニバスアルバム

  1. 若さで行こう
      (1962年。2期メンバー。10inchレコード。JPO-1195。弘田三枝子、斎藤チヤ子、克美しげるとのオムニバス盤)

       

  2. 若さでクリスマス (1962年。3期メンバー。10inchレコード。JPO-1229)
      『サンタクロースが町へ来る』を収録。
      森山加代子、ベニ・シスターズ、松永清彦、弘田三枝子、克美しげる、斎藤チヤ子、梅木マリとのオムニバス盤。
  3. 若さで行こう 第2集 (1963年。3期メンバー。10inchレコード。JPO-1299)
      『恋人は海の彼方に』、『ラヴ』を収録。
      グループ脱退後の高橋元太郎、弘田三枝子、克美しげる、ベニ・シスターズとのオムニバス盤。
  4. 幸せなら手をたたこう オール・スター・ビッグ・ヒット (1964年9月、TR-7005)
      『抱きしめたい』、『レッツ メイク メモリー』を収録。
  5. ジャパニーズ・グラフィティ20 Vol.1 ダイアナ/カレンダー・ガール (ETP-60035:1975年3月、ETP-60141:1976年7月)
      『悲しき街角』を収録。
  6. ジャパニーズ・グラフィティ20 Vol.2 ルイジアナ・ママ/恋の片道切符 (ETP-60036:1975年3月、ETP-60142:1976年7月)
      『浮気なスー』を収録。
  7. ジャパニーズ・グラフィティ20 Vol.3 ジョニー・エンジェル/ローハイド (ETP-60084:1975年12月20日、ETP-60143:1976年7月)
      『恋人は海の彼方に』、『レッツ メイク メモリー』を収録。
  8. ジャパニーズ・グラフィティ20 Vol.4 夢であいましょう (1976年5月、ETP-60122)
      『ナカナカ見つからない』を収録。
  9. ジャパニーズ・グラフィティ・ベスト (LP2枚組、ETP-60232〜60233)
      『悲しき街角』、『恋人は海の彼方に』を収録。
  10. ジャパニーズ・グラフィティ VOL.1 悲しき街角/カレンダー・ガール (ETP-60406)
      『悲しき街角』、『浮気なスー』を収録。
  11. ジャパニーズ・グラフィティ VOL.3 ジョニー・エンジェル/ベビー・フェイス (ETP-60408)
      『恋人は海の彼方に』、『レッツ メイク メモリー』を収録。
  12. ロックン・ロール・ザ・ヒット・パレード C ミコとスリー・ファンキーズのヒット・パレード (WF-1404)

       

  13. 青春歌年鑑 ’62 BEST30 (2000年11月22日、CD2枚組)
      『アカパルコのお転婆娘』、『涙の日記』を収録。
  14. 青春歌年鑑 ’63 BEST30 (2000年11月22日、CD2枚組)
      スリー・ファンキーズの『想い出のダイアナ』、高橋元太郎のグループ脱退後のソロシングル『ダニー・ボーイ』を収録。
  15. FROM LIVERPOOL TO TOKYO (2001年5月23日) 『抱きしめたい』を収録
  16. 恋を抱きしめたい Early Covers in Japan (2014年6月25日) 『抱きしめたい』を収録
  17. 他多数・・・

レコード化されていない楽曲

  • 史上最大の作戦
  • 他多数・・・


著書

  • うっかり八兵衛半生記 〜 多力本願 (高橋元太郎 著、1997年9月、アスペクト)


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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