Archive of STARTO





STARTO/旧ジャニーズ 歴代グループ

当項目では、旧ジャニーズ事務所STARTO ENTERTAINMENTにおいて、ジュニア (旧名:ジャニーズJr.)の枠組に属さない歴代のグループ” を取り上げる。

※ 旧ジャニーズ事務所の公式サイトが出来てからは、ジュニア内のグループが通常グループに昇格したかどうかの判断は、公式サイトにそのグループの単独ページが開設されるか、メジャーデビューを事務所が告知した場合に、「ジュニア内ユニットを正式に卒業」と当サイトでは見なしております。
また、単独ユニットの内部にデビュー時から存在した「内部ユニット (グループ分け)」は、特に単独ユニットとしての項目は設けず。 但し単独ユニットの解散後も、その「内部ユニット (グループ分け)」が存続した場合は、単独ユニットに移行したと判断し、新たに項目を設ける (例:V6解散後の20th Century)。


※ 結成順 (前身ユニットでの活動期間は除く)





ジャニーズ

1962年4月結成。 詳細はジャニーズを参照。



ハイ・ソサエティー

1966年初夏に結成。 前身バンド:ザ・ソニア。 詳細はハイ・ソサエティーを参照。



フォーリーブス

1967年1月結成 (4月説は誤り)。 詳細はフォーリーブスを参照。



ジューク・ボックス

1969年9月1日結成。 「ジューク・ボックス」の名前は元々、同年の初頭頃からジュニア全体に対する別称として使われていたが、選抜メンバーによって正式にグループ化された。 詳細はジューク・ボックスを参照。



スーパーエイジス

1973年結成。 基本的にはバックバンドとして活動したグループだったが、持ち歌もあり、たまにスーパーエイジスだけでステージで曲を披露することもあった。 詳細はスーパーエイジスを参照。



JOHNNYS' ジュニア・スペシャル

1974年夏に「ジュニア・スペシャル」として結成。 詳細はJOHNNYS' ジュニア・スペシャルを参照。



リトル・ギャング

1974年10月に「ヒデキ&ヤッチン」として結成。 1975年初夏にリトル・ギャングに改名。 前身ユニット:リトル・リーブス。 詳細はリトル・ギャングを参照。



デビー&ルーベン

1975年8月27日の「第54回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル」に登場した兄弟バンド。 スーパーエイジスの内部ユニット。 詳細はデビー&ルーベンを参照。



クエッション


(クエスション時代)

1975年結成のバンド。 村田、デビッド、ルーベン、星の4名で「クエスション」の表記で結成。 その後、星の親友だったことから実川が加入して5人組となり、表記も「クエッション」に変更された。 ネーミングの由来は、1966年に全米1位のヒット曲を出したアメリカのガレージ・ロックバンド「クエスチョン・マーク・アンド・ザ・ミステリアンズ」、および『クエスチョンズ67/68』(シカゴの1969年のシングル。ハイ・ソサエティーが1971年のアルバムでカバー)。
フォーリーブスなどのバックバンドとして活躍していた「スーパーエイジス」が、この「クエッション」に名を改めて、1976年3月21日にポリドールからシングル『雨がふってきた c/w SO FOR SO GOOD』でレコードデビューすることが決まっていた。 実際、テレビ朝日『せんみつのJOYJOYスタジオ』にも5人でレギュラー出演しており、同年春からはTBS『ぎんざNOW!』へのレギュラー出演も決まっていた。
しかし、レコーディングも済ませた段階でまず星が脱退。 ここで新たにキーボードを加えて再び5人編成に戻す計画を立てていたが、1976年2月にデビッドとルーベンが諸事情によりジャニーズ事務所を退所してしまったため、レコードデビューは急遽中止。 クエッションは崩壊し、発売されるはずだったシングルは幻となった。 非売品のプロモ用EPさえも存在しない。
『雨がふってきた』はその後、スーパーエイジスの持ち歌としてコンサートで歌われた。 1980年には田原俊彦にもコンサートでカバーされ、たのきんトリオの写真集付きカセットテープ『たのきんライブ ’81』(1981年7月3日、集英社)にて音源を聴くことが出来る。

メンバー

  • 村田勝美 (リーダー。ギター → ベース)
      他のバンドではいつもドラムを担当していた村田だったが、当バンドでは違う楽器を担当。 村田は様々な楽器をこなせるマルチプレイヤーだった。
  • デビッド辻野 (ギター)
  • ルーベン辻野
      (ドラム。後にCharのバックドラマーを経て、「リューベン」に改名してソロデビュー)
  • 実川茂
      (じつかわ しげる。リードギター。愛称:じっちゃん。後に「実川しげる」に改名)

脱退メンバー

  • 星克己 (ベース)


ジャPAニーズ

1978年1月結成。 詳細はジャPAニーズを参照。



VIP

1978年7月21日にレコードデビュー。 前身ユニット:JOHNNYS' ジュニア・スペシャル。 詳細はVIPを参照。



スリー・ヤンキース

「ニューヤンキース」から選抜されて1978年7月25日にレコードデビュー。 詳細はスリー・ヤンキースを参照。



ANKH

1980年結成。 前身ユニット:ギャングス。 詳細はANKHを参照。



シブがき隊

1981年4月結成。 翌1982年の春にグループ名が「シブがき隊」に確定。 詳細はシブがき隊を参照。



オレンジ・シスターズ

1982年結成。 詳細はオレンジシ・スターズを参照。



THE GOOD-BYE

1983年5月4日結成。 正式な所属会社はジャニーズ事務所ではなく、系列子会社の「ジャニーズ出版」。 詳細はTHE GOOD-BYEを参照。



少年隊

1984年5月21日から正式に「少年隊」名義で活動。 前身ユニット:ジャニーズ少年隊。 詳細は少年隊を参照。



男闘呼組

1985年3月結成。 前身バンド:東京男組 (旧名:東京)。 前々身バンド:でたらめロックバンド。 詳細は男闘呼組を参照。



光GENJI / 光GENJI SUPER 5

1987年2月結成のジュニア内グループ「GENJI」に、同年5月結成の「」を合体させ、同5月に「光GENJI」を結成。
詳細は光GENJI / 光GENJI SUPER 5を参照。



B・D 104



ビー・ディー いちまるよん。 グループ名の意味は「104 (トシ、田原俊彦) のB・D (バックダンサー)」で、ジャニー喜多川が命名。 「BD.104」と表記される場合もあった。
田原俊彦のシングル『抱きしめてTONIGHT』の時から、田原の専属バックダンサーとして1988年3月に乃生、木野の2名で結成された。 バックに付いたシングルは『抱きしめてTONIGHT』と『かっこつかないね』の2曲だけだが、1988年〜1989年のコンサートツアーにも帯同した。 また、1989年6月8日放送のTBS『ザ・ベストテン』でのみ、田原のシングル『ごめんよ 涙』のバックにも付いた (金沢の北陸放送の庭園からの中継)。
B・D 104の一番最初の衣装は、全身真っ黒なものだった。上着のブランドは「DOMON」。 しかし、全身真っ黒なのはちょっと酷いと、乃生が衣装担当のコセガワ・マニにクレームを出したことにより、急遽胸元に赤いテープがVの字に貼られた。
1989年のコンサートツアーからは、「平家派」より選抜された3名のジュニアがサポートに付いた。 当初は乃生、木野、ジュニアの5名全員に、茶色の衣装が用意されていたが、それを見たジャニー喜多川が、「ダメだよ。2人(乃生、木野)は衣装の色を変えてあげなきゃ」と指示し、乃生と木野の衣装だけ、田原と同じ白色に変えられた。
なお、B・D104としての仕事がある際は、笹塚に住んでいた乃生が、近所の「ライオンズマンション東北沢」に住んでいた木野のことを毎回車で送迎してあげていた。

メンバー

候補メンバー

  • 橋本久良生 
      当初は木野と橋本の2人で結成する予定だったが、橋本のダンスの技量に田原が納得しなかった。 そこで木野が、当時はまだジュニアだった木村拓哉の名を挙げ、「木村はどうか?」とジャニー喜多川に推薦したが、ジャニーは元「ジャPAニーズ」の乃生を呼び寄せようとひらめく。 そして乃生に電話をかけたが、乃生はその依頼を断った。 数日後、今度はボビー吉野が乃生に電話をかけ、田原が乃生の参加を強く希望してる旨を伝えたことで、了承となった。
      なお、1988年春に『ミュージックステーション』(4月8日放送)と『ザ・ベストテン』で各1回ずつ、大量のジュニアが「B・D 104」とのジョイントで『抱きしめてTONIGHT』のバックを務めた際には、橋本もジュニアの一員として一緒に踊った。

サポートメンバー

  • 黒人女性ダンサー
      ジャニーズ事務所の所属ではない。 1989年6月7日にフジテレビ『夜のヒットスタジオ』で放送された田原のマンスリーライブにのみ参加し、乃生、木野と共に『抱きしめてTONIGHT 〜スペシャル・ヴァージョン〜』と『かっこつかないね』を踊った。
      この女性の参加は、ジャニー喜多川が「外人を付けよう」と提案したことがきっかけで、当初は2人の外人ダンサー(夫婦)が参加する予定だったが、夫の方があまりにもダンスの出来が悪かったため、最終リハーサルで夫だけクビとなり、妻のみでの出演となった。 そしてこの黒人女性ダンサーも、この一回だけで終了となった。

    以下の3名は、1989年の田原俊彦の芸能生活10周年記念コンサートツアーと、同年6月21日に『夜のヒットスタジオ』で放送された田原の「スペシャルヒットメドレー」にてサポートを務めたメンバー。

  • 桑名兼司
      ダンスが一番上手かったため、サポートするパートの量も一番多かった。 また、木野が「CHA-CHA」の活動が忙しくて欠席した際には、木野の代役も務めた。
  • 松元治郎
  • 小池通誉


SMAP

1988年4月結成。 前身ユニット:スケートボーイズ。 詳細はSMAPを参照。



CHA-CHA

注 : 当グループの管理はジャニーズ事務所ではなく、バップ音楽事業部と浅井企画が預かりで行った。
1988年初夏に結成。 前身ユニット:茶々隊。 詳細はCHA-CHAを参照。



忍者

1990年春から「忍者」名義で活動。 別名義:Ninja四銃士。 前身ユニット:シゲダン少年忍者。 詳細は忍者を参照。



TOKIO

1990年4月結成。 前身ユニット:TOKIO BAND (旧名:城島茂バンドSMAP学園。 1994年9月21日にCDデビュー。 略称:トッキー (語尾が上がる発音)。 ファンネーム:ウォーカー。
2018年5月6日にメンバーの山口が脱退・退所したことで、バンドとしての活動が出来なくなる。 そして長瀬も2021年3月31日をもって脱退・退所することが決まった際、残りの3名が、「バンドとしては最早活動できないが、ただ解散してしまうのではなく「TOKIO」の屋号を残したい」と考え、2020年7月22日にジャニーズ事務所の子会社として「株式会社 TOKIO」を設立することでバンドを会社化。 そのため、2021年4月1日以降はジャニーズ事務所(後のSMILE-UP.)と「株式会社 TOKIO」の2社に並行して所属。


     (株式会社 TOKIOのロゴ)
同4月1日、福島県庁内に「TOKIO課」を設置した他、同日付の日本経済新聞の朝刊に、「株式会社 TOKIO」の全面広告が打たれた。 株式会社TOKIOの公式ホームページでは、
    「今 チーム(Team)として、
     ひとつになろう(Oneness)、
     強く結んだ(Knot)絆を胸に、
     アイデア(Idea)を巡らせて、
     この時代を 未来を ぼくらのもの(Ours)に」
というTOKIOの新しい“意思”も提唱された。
2021年4月5日、株式会社TOKIOの関連会社として、新たに「株式会社 TOKIO-BAトキオバ」を法人登記して設立。 翌2022年5月4日に事業内容を公表。
2024年4月10日、SMILE-UP.からSTARTO ENTERTAINMENTに移籍 (「株式会社 TOKIO」との並行所属)。
わずか2日後の4月12日、STARTO ENTERTAINMENTとの契約を、所属(専属マネジメント契約)からエージェント契約に変更。 その他の詳細はWikipediaのTOKIOを参照。

メンバー

脱退メンバー

候補メンバー

  • 坂本昌行 (TOKIOのCDデビューが決定した際、長瀬とのツインボーカル候補にされていた)

サポートメンバー

  • 坂本昌行
      1990年6月の「ABCヤングアイドル野球大会」にてTOKIO名義。 更に1994年5月15日の松竹座公演でサポートコーラス。
  • 大嶌忍 (光GENJIのコンサートで山口達也の代役メンバー)
  • 十倉太一 (1993年春のSAY・Sコンサートでのサポートメンバー)
  • 西原成守 (松岡が欠席したコンサートでの代役ドラマー)


SAY'S

1992年8月結成。 一時「SAY・S」表記。 詳細はSAY'Sを参照。



KinKi Kids

1992年12月結成。 1997年7月21日にCDデビュー。 略称:キンキ、KK。
結成前のファンによる構想名:ZIPANG。 結成時のユニット名:KANZAI BOYAカンサイボーヤ
結成当初の旧表記:KINKI KIDSKINKI KIDS。 1996年まで雑誌やテレビ、コンサートタイトルなどでよく見られた誤表記:Kinki Kids、Kinki-Kids、KinKi-Kids。
中国語表記:近畿小子。 ファンネーム:図書委員。
その他の詳細はWikipediaのKinKi Kidsを参照。 [1][2]

メンバー

  • 堂本光一 [1]
  • 堂本剛 (元「劇団アカデミー」の子役・堂本直宏。 ファンネーム:Erotherエラザー。 公式マスコットキャラクター:Sankaku 〔愛称:クーさん〕。2023年10月に個人事務所設立〔母親が取締役〕。[1][2]

候補メンバー

  • 星英徳 
      1992年11月14日公開の映画『200X年 翔』の撮影期間中にメンバー候補にされていた。 また、ジャニー喜多川がグループ名をKANZAI BOYAから変更するかどうか迷っていた際、人の意見を参考にするため、星に「KANZAI BOYAとKINKI KIDS、どっちがいいと思う?」と訊いており、星は「KINKI KIDSがいい」と答えている。
       
  • 神原和夫 (元・子役俳優)

パロディ

  • GENKI KIDS 
      1995年に日本テレビのバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ ! !』内で結成された企画ユニット。 メンバーは川岡大次郎と、川岡の友人の2名。 ジャニーズ事務所とは無関係。
  • NinKi Kids 
      KinKi Kidsの物まねユニット。 メンバーは、ど〜も光一☆、ど〜も剛☆の2名。 ジャニーズ事務所とは無関係。 [1][2][3][4]


V6

1995年8月結成。 光GENJI SUPER 5が解散した翌日の同年9月4日にデビュー会見。 同年11月1日にCDデビュー。 略称:ブイ。 結成当初の旧表記:VsixV-6。 中国語表記:勝利六人組。 前身ユニット:ジャニーズSr. (第2期)。 6人のグループLINEの名前は、三宅が考案した「ぶい」。
グループの活動が停滞していた2010年一杯で解散する予定だったが、まだ公式発表をしていない段階で『週刊文春』(同年2月18日号)に解散情報をすっぱ抜かれてしまい、メリー喜多川が、「どうして書いてはいけないことを書くの! 文春に書かれた通りにはやらない!」と激怒。 『日刊サイゾー』(同年3月12日付、4月19日付)、『東京スポーツ』(同年3月17日付)でも、V6の解散やメリーについての新たな追加記事が次々と出されたが、勝気なメリーの思惑通り、最初の文春のスクープを打ち崩して無効化するべく、解散は急遽中止となった。 その後、10年以上の時を経て、2021年11月1日をもって正式に解散した。 但し年上チームの「20th Century」だけはその後も存続し、“V6の内部ユニット”から“単独ユニット”に移行した。
その他の詳細はWikipediaのV6を参照。

メンバー

  • 20th Century (トゥエンティース・センチュリー。略称:トニセン。旧俗称:アダルトチーム[1]
  • Coming Century (略称:カミセン。旧俗称:ヤングチーム
    • 森田剛 
        結婚後の本名:宮澤剛。 結婚前の旧本名:森田剛。 小学4年までの旧本名:伊藤剛。 韓国人とのクォーター (母方の祖父が韓国人)。 元「放映新社」の子役。 子役時代に「第一ゼミナール」のCMに出演。 [1][2][3]
    • 三宅健 
        兄弟は二卵性の双子の姉が1人と、1歳下に弟が1人。
        1993年5月5日のSMAPのコンサート(東京厚生年金会館)に弟・三宅秀明と共に招かれ、前日の5月4日に2人揃って入所。
        2022年4月21日、個人事務所「株式会社 aniijaアニージャ」設立。
        2023年7月2日、滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1]
    • 岡田准一 (異名:日本のトム・クルーズ。2019年12月に節税対策用の個人事務所設立。2023年12月1日に芸能活動用の個人事務所「AISTON」設立)

脱退メンバー

  • 原知宏 
      V6の結成メンバーに抜擢されたことが、雑誌『Myojo』(1995年10月号、集英社)にて正式に発表される。 更にデビューシングルのカップリング曲『Theme of Coming Century』の仮歌レコーディングにも参加していたが、ジャニー喜多川の判断によってデビュー前にグループから外された。

候補メンバー



20th Century

トゥエンティース・センチュリー。 略称:トニセン。 旧俗称:アダルトチーム。 1995年8月結成。 前身ユニット:ジャニーズSr. (第2期)。 “20th Century名義のCD作品”としては、1997年9月10日発売のアルバム『ROAD』が初。
当初は上記「V6」の内部ユニットだったが、2021年11月1日にV6が解散したため、翌11月2日から単独ユニットとなった。 [1]
その他の詳細はWikipediaのV6を参照。

メンバー




1999年9月15日結成。 同年11月3日にCDデビュー。 別名義:ARASHI
当初のグループ候補名:クエスチョンズあけぼの
ファンネーム:アラシック、アラシアンズ。
2024年3月22日、個人事務所「株式会社 嵐」設立 (渋谷区恵比寿4-20-3 恵比寿ガーデンプレイスタワー18Fのレンタルオフィス。代表取締役社長:四宮隆史)。
その他の詳細はWikipediaのを参照。
[1][2][3][4][5][6]

メンバー

  • 大野智 (リーダー)
      ジャニーズ事務所での活動と並行して、2016年10月に友人であるプロデューサーを代表にして、ペンション経営やマリンスポーツの営業および備品レンタルなど、副業用の不動産投資株式会社を設立。 更に2020年4月には個人事務所も設立。
  • 櫻井翔 (本名:同じ。2002年春までの旧芸名表記:桜井翔。[1]
  • 相葉雅紀 
  • 二宮和也 [1][2]
  • 松本潤 (2019年8月にジャニーズ事務所と同じ住所にて個人事務所設立。[1]

候補メンバー

  • 福田悠太 
      中学1年生だった1999年にジャニー喜多川からアメリカのネバダ州でのロケ仕事に行かないかと誘われたが、「海外行ったこと無いので、恐いから行きたくない」と断った。 アメリカでは、ビデオ『素顔 2』、およびアイドル雑誌のグラビア撮影が行われ、参加者は滝沢秀明、櫻井、相葉、二宮、松本の5名という、まさに「嵐」の原型となるメンバーだった。 そして実際にこのロケの直後に「嵐」が結成されており、福田がもしアメリカロケに参加していれば、福田は確実に嵐の最年少メンバーになっていただろうと言われている。

サポートメンバー

  • 中丸雄一 
      嵐のデビュー当時、櫻井が学校の都合などで歌番組のリハーサルに参加できない時は、中丸が櫻井の衣装を着てリハーサルをこなす役目に抜擢され、嵐のデビュー曲『A・RA・SHI』を歌っていた。


KAT-TUN

2001年3月結成。 2006年3月22日にCDデビュー。 略称:カツン。 ファンネーム:hyphen (ハイフン)。
その他の詳細はWikipediaのKAT-TUNを参照。

メンバー

脱退メンバー

サポートメンバー

  • 小山慶一郎 (結成初期にリハーサル期間も含めて約2ヶ月間参加)

関連項目



タッキー&翼

2002年8月1日結成。 詳細はタッキー&翼を参照。



SUPER EIGHT

旧名:関ジャニ∞ (かんジャニエイト)。 2002年12月結成。 2004年8月25日にCDデビュー。
略称:エイト。 旧略称:関ジャニ。 結成当初の旧表記:KANJANI8関ジャニ8。 漢字表記:超八。 旧漢字表記:漢邪仁榮斗
ファンネーム:eighter (エイター)。
2024年2月4日、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、グループ名を関ジャニ∞から「SUPER EIGHT」に改名。
SUPER EIGHTの公式内部ユニットについてはこちらを参照。
その他の詳細はWikipediaのSUPER EIGHTを参照。 [1][2]

メンバー

脱退メンバー



J★STARS

ジェイ・スターズ。 別表記:J-STARS。 正確にはユニットではない。
2003年5月14日にジャニーズ事務所公式モバイルサイト「Johnny's web」の開設に際し、8名の “年長タレント” に対して設けられたカテゴリー名。 この名称は5年ほどで使われなくなっていったが、ジャニーズファミリークラブの会員限定サービスサイトでのみ、2014年3月一杯まで使用されていた。
また、近藤、岡本、赤坂、佐藤の4名に対しては、情報局サービス「ジャニーズアーティストサークル (JAC)」が2005年から2015年10月まで設けられていた (近藤のみ2007年から)。

メンバー



NEWS

2003年9月15日結成。 同年11月7日にCDデビュー。 ファンネーム:チームNEWS、パーナ (当初はNEWSパーナ)、KAGUYA、姫、NEWS嬢、NEWSガール、NEWSボーイ。
詳細はWikipediaのNEWSを参照。

メンバー

脱退メンバー

  • 手越祐也手越に関する補足[1]
  • 山下智久 (元「オスカープロモーション」の子役。ファンネーム:sweetie。[1]

       

  • 錦戸亮 
  • 草野博紀 
  • 内博貴 
  • 森内貴寛 

候補メンバー

関連項目



Kis-My-Ft2

キスマイフットツー。 2005年7月26日結成。 2011年8月10日にCDデビュー。 略称:キスマイ。 結成当初の旧表記:Kis-My-FtU。 前身ユニット:Kis-My-Ft.A.B.C.Jr.
CDデビュー前は、ファンの間で「兄組」(北山、横尾、藤ヶ谷、飯田)、「弟組」(宮田、玉森、二階堂、千賀)の俗称で2組に分けられており、ミュージカル『KAT-TUN vs KANJANI∞ DREAM BOYS』(2006年1月3日 - 29日、帝国劇場)の公演パンフレットでも、兄組が「Kis-My-Ft (表記の最後にピリオドは無し)」、弟組が「Kis-My-Ft2」の表記で分けて掲載されていた。[1]
ファンネーム:俺足族おれあしぞく
その他の詳細はWikipediaのKis-My-Ft2を参照。 [2]

メンバー

脱退メンバー

  • 北山宏光 (中学の途中までの旧本名:佐藤宏光。 2022年に個人事務所設立。2023年9月17日に滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1]
  • 飯田恭平 (メンバーカラー:青。グループがまだジュニア扱いだった段階の2006年1月一杯で脱退)


テゴマス

2006年結成。 詳細はテゴマスを参照。



Hey! Say! JUMP

2007年9月24日結成。 同年11月14日にCDデビュー。 略称:JUMP、ヘイジャン。
グループ名の「JUMP」は「Johnny's Ultra Music Power」の略 [1]
別名義:Honey BeeSindibaadシンドバッドJohn Darling
ファンネーム:とびっ子、JUMPer、Juliet。 公式マスコットキャラクター:ウルぷぅ (2019年10月10日〜。CV:堂本光一)。
Hey! Say! JUMPの内部企画ユニットについてはこちらを参照。
その他の詳細はWikipediaのHey! Say! JUMPを参照。 [2][3][4]

メンバー

  • Hey! Say! BEST 
    • 薮宏太 
    • 木雄也 
    • 伊野尾慧 [1]
    • 八乙女光 [1]
        元「アクターズスタジオ仙台校 1期生」の子役。旧芸名&旧本名:佐々木光。 2000年夏には「N.Y.体験レッスン Amuse Audition 2000」仙台地区大会のグランプリも獲得。 なお、広島地区大会のグランプリは大本彩乃 (後のPerfumeの「のっち」)。
    • 有岡大貴 (元「ジュネス企画」の子役)
  • Hey! Say! 7 

脱退メンバー


パロディ

  • 九乙女影 
      くおとめ かげ。 お笑いコンビ「EXIT」の兼近大樹が扮した八乙女光のパロディキャラクター。 ジャニーズ事務所とは無関係。 八乙女に顔が似ているとよく言われる兼近が、芸人1〜2年目の頃に八乙女の真似でものまね番組のオーデイションを受ける際に名乗っていた。 しかしこのキャラクターで合格したことは一度も無かった。


A.B.C-Z

エービーシーズィー。 2008年8月29日結成。 2012年2月1日にシングルDVDでデビュー。 略称:エビ、エビズィ。 前身ユニット:A.B.C. (第2期)。 ファンネーム:えびえび。
その他の詳細はWikipediaのA.B.C-Zを参照。 [1][2][3]

メンバー

脱退メンバー



ふぉ〜ゆ〜

2011年3月結成。 結成前の俗称:ゆうちゃんず
結成前に自ら事務所に直談判で提示した候補名:UFO
結成当初の旧表記:4U.フォーユー → ふぉーゆー
別名義:4WATふぉわっと
内部企画ユニット:つ〜ゆ〜おつゆ
その他の詳細はWikipediaのふぉ〜ゆ〜を参照。 [1][2]

メンバー



timelesz

タイムレス。 旧名:Sexy Zone。 2011年9月29日結成。 同年11月16日にCDデビュー。 旧略称:セクゾ、セクゾン、SZ。 旧中国語表記:性感帯
ファンネーム:secondzセカンズ。 旧ファンネーム:セクラバ (Sexy Loversの略)、セクガル (Sexy Girlの略)、セクメン (Sexy Menの略)。 旧公式マスコットキャラクター:セクベア。
2024年4月1日、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題の影響もあり、グループ名をSexy Zoneから「timelesz」に改名。
その他の詳細はWikipediaのtimeleszを参照。
[1][2][3][4][5][6][7][8]

メンバー

脱退メンバー


パロディ

  • PHONEORI ZONE 
      フォネオリゾーン。 2019年春結成。 メンバーはミッキーゾーン(三ツ木清隆)、イチロウゾーン(小倉蒼蛙 (旧芸名:小倉一郎))、マサミゾーン(仲雅美)、ジュンゾーン(江藤潤)の4名。 同年8月2日にシングル『クゥタビレモーケ c/w チュッチュッチュッ宇宙』でCDデビュー。 ジャニーズ事務所とは無関係。 [1]


Travis Japan

2012年4月結成。 その後、公式結成日は「2012年7月9日」にされた。 略称:トラ、トラジャ、トラヴィス、TJ。 漢字表記:虎美寿日本
結成当初は、川島、七五三掛、仲田、森田が「兄組」、吉澤、中村、宮近、阿部、梶山が「弟組」に分けられていた。
年である2022年にアメリカの「キャピトル・レコード」と契約し、同年10月28日に配信シングルで世界デビュー。
その他の詳細はWikipediaのTravis Japanを参照。
[1][2][3]

メンバー

  • 川島如恵留 (ダンサーネーム:Noel)

       

  • 七五三掛龍也 (ダンサーネーム:Shime)
  • 吉澤閑也 (ダンサーネーム:Shizu)

       

  • 中村海人 (ダンサーネーム:Umi)
  • 宮近海斗 (リーダー。ダンサーネーム:Chaka
  • 松倉海斗 (ダンサーネーム:Matsuku。2017年11月19日に正式加入)
  • 松田元太 (ダンサーネーム:Genta。2017年11月19日に正式加入)

脱退メンバー

※ 4名ともグループがまだジュニア扱いだった段階で脱退。

Snow Man

2012年5月3日結成。 略称:スノ。 結成当初の旧表記:SnowMan。 グループ名の命名者は滝沢秀明。 前身ユニット:Mis Snow Man
2020年1月22日にSixTONESとの両A面シングルにて合同CDデビュー。
ファンネーム:Snow ice、おにぎり。
その他の詳細はWikipediaのSnow Manを参照。
[1][2][3][4][5][6]

メンバー

  • 深澤辰哉 (バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開ジュニアオーディション出身)
  • 佐久間大介 (2023年11月7日にSMILE-UP.と同じ住所にて個人事務所「ハレノオト株式会社」設立)
  • 渡辺翔太 (「Rising Studio」出身。2023年11月10日にSMILE-UP.と同じ住所にて個人事務所「株式会社 W」設立)
  • 宮舘涼太 (「Rising Studio」出身。[1]
  • 岩本照 (元・子役俳優の岩本ひかる。リーダー)
  • 阿部亮平 (バラエティ番組『Ya-Ya-yah』内公開ジュニアオーディション出身。2023年11月14日にSMILE-UP.と同じ住所にて個人事務所「株式会社 Astrolabe Labo」設立)
  • 向井康二 
      タイで生まれた後、大阪府 → 1歳から奈良県香芝市 → 幼少期にタイ → 小学校低学年から再び奈良県香芝市の順で育つ。 日本人の父親とタイ人の母親のもとに生まれたハーフ。 兄は向井達郎
  • 目黒蓮 [1]
  • ラウール [1]

       



舞祭組

ぶさいく。 2013年9月結成。 同年12月13日にCDデビュー。 詳細はWikipediaの舞祭組を参照。

メンバー

  • 横尾渉
  • 宮田俊哉
  • 二階堂高嗣
  • 千賀健永


WEST.

2014年1月1日に4人組の「ジャニーズWEST4」として結成したが、語呂の悪さから同月中に「ジャニーズWEST」に改名。 同年2月5日に3名が追加されて7人組となり、同年4月23日にCDデビュー。 結成記念日は7名に増量された2014年2月5日。 ジャニーズWEST時代の略称:WEST、ジャニスト。
前身ユニット:B.A.D.7WESTM田崇裕とVeteranたち
ファンネーム:ジャス民 (語尾が上がる発音)。
2023年10月18日、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、グループ名をジャニーズWESTから「WEST.」に改名。
その他の詳細はWikipediaのWEST.を参照。 [1][2][3]

メンバー



SixTONES

ストーンズ。 2015年5月1日結成。 略称:スト。 結成当初は「SIX TONES」や「six tones」の表記で、読み方も「シックス・トーンズ」だったが、同年5月11日に表記が「SixTONES」、読み方が「ストーンズ」に改められた。 なお、メンバーたちが最初に考案してジャニー喜多川に提案したグループ名は「BIRTH」だった。
前身ユニット:バカレア組。 2020年1月22日にSnow Manとの両A面シングルにて合同CDデビュー。
ファンネーム:オンナ。
その他の詳細はWikipediaのSixTONESを参照。
[1][2]

メンバー

  • 地優吾 (スクール革命オーディション出身)
  • 京本大我 [1]
  • 田中樹 
  • 松村北斗 
  • ジェシー (リーダー。元「Sugar&Spice」所属のキッズモデル。[1]
  • 森本慎太郎 
      2004年、小学1年生の時に兄・龍太郎に付いてバラエティ番組『Ya-Ya-yah』内の公開ジュニアオーディションに参加するも、ジャニー喜多川から「若過ぎるからダメだよ。また大きくなってから来なさい」と言われて不合格。 2年後の2006年10月に兄を通じて中華料理店でジャニーに再会し、スカウトされた。


King & Prince

2018年1月17日結成。 同年5月23日にCDデビュー。 略称:キンプリ、KP。
前身ユニット:Mr.KING (旧名:Sexy King)、Prince
前々身ユニット:Mr.King vs Mr.Prince
ファンネーム:Tiara (ティアラ)、オスティアラ。
その他の詳細はWikipediaのKing & Princeを参照。
[1][2][3][4][5]

メンバー

  • 永瀬廉 [1]

       

  • 橋海人 (別名義:ジョン茅ヶ崎。平塚市出身。5歳からダンスを習い、ダンスの全国大会で優勝も経験。[1]

脱退メンバー

  • 岸優太 (元リーダー。2023年10月2日に節税対策用の個人事務所「株式会社KCC」を平野紫耀の実家住所にて設立。同年10月15日に滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1]
  • 平野紫耀 (2023年7月7日に滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1]

       

  • 神宮寺勇太 (2023年7月7日に節税対策用の個人事務所「株式会社AMY」を平野紫耀の実家住所にて設立。同日に滝沢秀明の芸能事務所「TOBE」に所属。[1]
  • 岩橋玄樹 (高祖父がスペイン人。ファンネーム:Fairy (フェアリー)、オスフェアリー。[1]

パロディ

  • 平野微紫耀 
      ひらの びしょう。 平野紫耀のものまねタレント。 ジャニーズ事務所とは無関係。 [1]


なにわ男子

2018年10月6日結成。 2021年11月12日にCDデビュー。
当初のグループ候補名:NANIWA BOYSなんにんジャー
ファンネーム:なにふぁむ、なにわ女子。

    本来は2018年9月初頭の時点で既に結成していたが、当初は特に「結成日」を定めてはいなかった。 そんな中、Wikipediaに「10月6日発売のアイドル雑誌で結成」と書き込まれ、それが世間一般に拡散・浸透してしまったため、ジャニーズ側もそれに倣い、1年後の2019年10月6日にジュニア公式エンタメサイト「ISLAND TV」にて、雑誌(POTATO、DUeT、WiNK UPの2018年11月号)の発売日である「2018年10月6日」を正式な結成日とした。
グループ名は、メンバーの名前をヒントにジャニー喜多川が考案。 「」がお けんと、 おお「」し りゅうせい、 ふじ「」ら じょういちろう、 にしはた 「」いご、 みちえだ しゅ「」すけ、 おおは「」 かずや & たかは「」 きょうへい。
その他の詳細はWikipediaのなにわ男子を参照。 [1][2][3]

メンバー

  • 藤原丈一郎 (副リーダー)
  • 西畑大吾 
  • 大橋和也 (リーダー)

       

  • 高橋恭平 (神戸市須磨区出身。同市立鷹取中学校、大阪府立咲洲高校卒業
  • 大西流星 (5歳からロックダンスをやっており、2011年に西日本大会で優勝)
  • 道枝駿佑 
  • 長尾謙杜 

パロディ

  • はこね男子 
      2021年11月13日放送のバラエティ番組『新しいカギ』(フジテレビ)内の企画「スケボーゴン攻め ビッタビタ選手権」にて初登場。 2022年4月16日・23日・30日、8月20日放送の同番組では、本家の「なにわ男子」との共演も果たした。 2023年9月2日の放送ではSnow Manの宮舘・阿部・向井とも共演。
      ファンネーム:はこふぁむ。 持ち歌に『はこねDANCING TRIBE』(作詞・作曲:syudou、振付:Genta Aoki)がある。
      メンバーは強羅駿(ごうら しゅん。リーダー。チョコレートプラネット松尾駿)、仙石原せいや(本人の口頭では「せんごくばら」、テロップでは「せんごくはら」。霜降り明星せいや)、小涌谷大(こわくだに だい。ハナコの岡部大)の3名で、いずれも神奈川県足柄下郡箱根町出身という設定。 箱根の各地名がメンバー名の由来。 ジャニーズ事務所とは無関係。

  • なごや男子 


Aぇ! group

略称:Aぇ!。 2019年2月18日結成。 2024年5月15日にCDデビュー。
その他の詳細はWikipediaのAぇ! groupを参照。 [1][2][3]

メンバー

脱退メンバー

  • 福本大晴 (グループがまだジュニア扱いだった段階で不祥事で解雇)







出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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