リトル・リーブス
リトル・リーブスは、1970年代にジャニーズ事務所で活動していたジャニーズJr.内ユニット。
その名の通り、フォーリーブスの弟分的存在。
「ジャニーズ・ジュニア 第2期生」のメンバーによって結成された。
また、「リトル・ギャング」の前身に当たる「ヒデキ&ヤッチン」という内部ユニットも存在した。
1974年4月1日結成。 1975年秋頃に消滅。 略称:リトル、L・L。
メンバー
- 原川吉臣 (旧芸名:原川
英一 。リーダー) - 森谷泰章
脱退メンバー
- 曽我泰久
愛称:ヤッチン。 当初の愛称は「オサム」(由来は曽我の顔が「殿様キングス」の宮路オサムに似ていたから。皆川おさむ由来説は誤り)。
1963年1月7日生まれ。東京都北区赤羽出身。 途中、「そが泰久」という芸名表記で活動していた時期もある。 後に松原と共に「リトル・ギャング」へ異動。
- 松原秀樹
-
愛称:ヒデキ。1961年11月2日生まれ。大阪市住吉区出身。
松原だけ一人遅れて加入。 その後、曽我と共に「リトル・ギャング」へと異動。
メンバー変遷
- 第1期
- 原川(当時高校1年)、森谷(当時中学2年)、曽我(当時小学6年)
- 第2期
- 原川、森谷、曽我、松原
- 第3期
- 原川、森谷
概要
- 日本テレビ『プラチナゴールデンショー』で募集された「ジャニーズ・ジュニア 第2期生」に応募して1974年3月3日に合格した3名(原川、森谷、曽我)で、同年4月1日に結成。
当時の平均年齢が12.75歳と低く、「ジュニアに入れるには若すぎるが将来性は抜群の子どもたち」という触れ込みのグループだった。
- 同年6月23日より、NHK総合『レッツゴーヤング』にフォーリーブスが出演する際の専属バックダンサーとなる。
その後、フォーリーブス以外の歌手のバックにも付くようになった。
(なお、フォーリーブスが出演していても、リトル・リーブスが出演していない放送回もある)
- 同年8月に3人でレコードデビューする予定で進められていたが、計画が頓挫。
- 同年10月、松原秀樹が遅れて加入。 同時に松原と曽我の2人による内部ユニット「ヒデキ&ヤッチン」(「ヒデキ・ヤッチン」という表記の場合もあり)が生まれ、2人だけで10月よりテレビ東京『歌えヤン!ヤン ! !』にレギュラー出演開始。
- 1975年7月、内部ユニット「ヒデキ&ヤッチン」が「リトル・ギャング」の名でデュオとしてレコードデビューを果たす。これに伴い、2名はリトル・リーブスから脱退。
しばらくの間は、残った森谷と原川の2名だけで「リトル・リーブス」を存続させていたが、同年の秋頃には消滅してしまった。
- 翌1976年1月には、森谷も晴れてソロレコードデビューを果たした。
主な出演作品
バラエティ番組
- レッツゴーヤング (NHK総合) フォーリーブスの専属バックダンサーとして出演
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(1974年6月23日、9月15日、22日、29日、11月10日、17日、24日、12月1日、8日、15日、22日、
1975年1月5日、19日、2月2日、9日、16日、23日、3月9日、23日、30日、4月6日、5月18日 〔フォーリーブスは不出演〕、6月8日、15日 〔フォーリーブスは不出演〕、22日 〔フォーリーブスは不出演〕。 以上、全25回出演)
フォーリーブスの専属バックダンサーではあったが、フォーリーブスが出演していても、リトル・リーブスが出演していない放送回もある。 - ベスト30歌謡曲 (1974年9月3日、10月10日 - 1975年3月26日、テレビ朝日)
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1974年9月に一度ゲスト出演し、フィンガー5の『個人授業』を歌う。そして翌10月からレギュラー出演。
- 歌えヤン!ヤン ! ! (1974年10月 - 、テレビ東京)
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内部ユニット「ヒデキ&ヤッチン」がレギュラー
- 出没 ! ! おもしろMAP (1978年、テレビ朝日)
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リトル・リーブス消滅後の番組だが、森谷と松原が「エンゼルトリオ」で出演。
テレビドラマ (森谷泰章)
- ひまわりの詩 (1975年11月10日 - 1976年5月3日、日本テレビ) 伊丹信一役
- 桃太郎侍 (1979年9月9日、日本テレビ) 第151話 「白い肌に御用心」
映画
- わが青春のイレブン (1979年7月21日、東映)
舞台
- オリジナルミュージカルプレイ 「友情」
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(「フォーリーブスリサイタル ’75」の中でのミュージカル、1975年1月4日&7日) 第2期メンバー
- ライブ・ミュージカル 「少年たち 〜フォーリーブス・不朽の名作〜」
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(1975年4月5日 - 7日:中野サンプラザホール、5月3日:名古屋市民会館、4日&5日:大阪フェスティバルホール) 第2期メンバー
- オイディプス王 (1976年5月4日 - 28日、日生劇場、演出:蜷川幸雄)
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リトル・リーブス消滅後の舞台作品だが、4人全員が出演。
- 大衆演劇 「Jy BANZAI Live Vol.1」 (2017年9月7日 - 9日、新宿・SPACE 107) 森谷が出演
ステージ
- フォーリーブス・郷ひろみ ジョイントリサイタル
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(1974年5月3日・4日・19日) 第1期メンバー
- 第53回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ばらとみかんとバイオリンと
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(1975年3月28日 - 31日、日本劇場) 第2期メンバー
- ジャニーズ・ジュニア ファーストコンサート
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(1975年4月5日&6日:中野サンプラザホール、ほか5月5日まで) 第2期メンバー
- ’75 サマーキャラバン ジャニーズ・ジュニア・コンサート
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(1975年7月25日 - 8月16日) 第3期メンバー
- 第54回 日劇ウエスタン・カーニバル 〜 ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル
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(1975年8月27日、日本劇場) 第3期メンバー
ディスコグラフィ
森谷泰章ソロシングル
- とまどい c/w 蟬時雨
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(「森谷泰章」名義。 1976年1月25日、エレックレコード。2曲とも作詞・作曲:さだまさし。
A面曲は日本テレビのドラマ『ひまわりの詩』の挿入歌) - ありがとうグッバイ c/w 青春のページ
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(「森谷あきら」名義。 1976年12月20日、東芝レコード。A面のみ森谷本人が作詞。
A面曲のタイトルは当初『虹色はさよならのしるし』だったが、発売前に改題された)
外部リンク
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