Archive of STARTO





乃生佳之

      


乃生 佳之(のお よしゆき、1958年6月29日 - )は、東京都新宿区生まれ、渋谷区笹塚育ちの元・ダンサー、俳優、歌手。 別名義:NOCHIN (ノーチン)。 愛称:のおちん。 血液型:B型。 身長:170㎝。 横浜の私立桐蔭学園高等学校卒業。 兄弟は姉が数人。
※ ジャニーズ事務所在籍時は、「1959年生まれ」として年齢を1歳若く詐称していた。 また、雑誌に掲載され始めた頃には幾度も「生佳之」と誤植されている。




所属事務所

  1. ジャニーズ事務所 (1978年春 - 1986年、1988年 - 1989年)
  2. 劇団四季 (ジャニーズ事務所と並行して1984年に所属)
  3. フットワークプロダクション (1990年 - 。設立は1988年12月
  4. スノーベア
      (音楽事務所。フットワークプロダクションと並行し、1991年から業務提携で一時期所属
      「ジャパニーズ」時代の元メンバー、デビッド・宮原も同時に業務提携で所属していた)


ジャニーズ時代の参加ユニット



来歴

  • 1978年春にジャニーズ事務所に入所後、「ディスコ・メイツ」→「ジャパニーズ」→「ジャPAニーズ」とグループ名を変えながら、主に川﨑麻世田原俊彦のバックダンサーとして活躍。

  • 1982年にジャPAニーズが解散した後は俳優に転身。 翌1983年にはシングル『だいじょうぶ マイ・フレンド』でソロレコードデビューも果たした。

  • その後はジャニーズ事務所と並行しながら、1984年に「劇団四季」に入団してミュージカル『CATS』に出演したり、西城秀樹のバックダンサーを務めたり、ファッションデザイナーとしても活動していた。 また、乃生は芸能活動の傍ら、大正2年5月1日生まれの父親が笹塚駅前で営んでいたうどん屋「白龍・笹塚店を1983年から時々手伝っていたが、1986年に芸能界を引退した後は店長となった (同店は1995年に閉店)。

  • そんな中、1988年に突如「B・D 104」のメンバーとして再び田原俊彦のバックダンサーに抜擢され、芸能活動を再開。 「昼はうどん屋、夜はダンサー」、「歌って踊れるうどん屋さん」などと称されるようになった。

  • 2000年代からは結婚式やイベントの司会業も行っていたが、やがて喘息と化学物質過敏症(Chemical Sensitivity)を発症し、活動を休止した。

  • 2023年10月、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、浅草の「マルベル堂」が自主規制により、性犯罪者「ジャニー喜多川」を想起させる名称のグループだとして、乃生も写っている「ジャPAニーズ」の生写真のネット上での販売をすべて禁止にする。[1]


人物

  • ジャニーズ在籍時の趣味 - ピエログッズ集め、演歌
       

  • 好きな歌手 - 美空ひばり、五木ひろし、加山雄三、山下達郎、スティービー・ワンダー

  • 好きな俳優 - 石立鉄男

  • 好きなスポーツ - 水泳

  • 西村知美や声優の水島裕と、「勝手組」として仲が良く、両者のブログに度々登場している。 西村のブログには、ボビー吉野夫妻も度々登場している。


主な出演作品

バラエティ番組

  • 23時ショー (1978年春、テレビ朝日、司会:おりも政夫) - 「ファンタジーダンスコンテスト」の企画でテレビ初出演
  • ミュージック・ボンボン (1979年4月15日 - 6月24日、日本テレビ)
      毎週日曜夜7時から30分間放送していたダンス番組で、「ピラミッド」と共に出演していた。
  • レッツゴーヤング (1979年4月 - 1982年3月、NHK総合) レギュラー
  • ヤンヤン歌うスタジオ (テレビ東京) レギュラー
  • たのきん全力投球! (1980年10月9日 - 1983年3月27日、TBS) レギュラー
  • 第8回 オールスター寒中水泳大会 (1981年2月、フジテレビ・火曜ワイドスペシャル)
      「ジャパニーズ」(板野俊雄、吉野明男、細野謙治、乃生佳之)名義で出演。
  • ヨッちゃん・ぼんちのアイドル大集合 ! ! (1981年4月8日 - 9月23日、日本テレビ) レギュラー
  • 第12回 オールスター紅白水泳大会 (1981年7月、フジテレビ・火曜ワイドスペシャル)
      「ザ・ジャパニーズ」(トミー、ボビー、ノーチン、トシオ)名義で出演。
  • たのきん後楽園コンサート -5万人大集合!真夏の祭典- (1981年、日本テレビ)
  • 第4回 新春オールスター水上大運動会 (1982年1月3日、TBS) 「ジャパニーズ」名義
  • 第9回 オールスター寒中水泳大会 (1982年2月、フジテレビ・火曜ワイドスペシャル)
      「ジャパニーズ」(トミー、ノーチン、ボビー、トシオ)名義で出演。
  • アップルシティ500 (ファイブオーオー) (1982年10月6日 - 1983年5月5日、TBS)
      毎週水曜にとんねるず、かとうゆかり、木曜に小森まなみと共に司会。
  • 夜のヒットスタジオ (1983年4月4日、フジテレビ)
      『だいじょうぶ マイ・フレンド』を、ピーター・フォンダ、加藤和彦、渡辺裕之、村上龍、根津甚八、広田玲央名との全7名で披露。
  • 霊感ヤマカン第六感 (1983年、テレビ朝日) ゲスト出演
  • STAR ALIVE (『第21回 新春かくし芸大会・第2部』内ドラマ。1984年1月2日、フジテレビ)
      ボビー吉野、川﨑麻世、田原俊彦、THE GOOD-BYEと共演。 振付:西条満。
  • 欽ちゃんの週刊 (欽) 曜日 (1984年11月9日から出演、TBS)
  • アイドル共和国 (1990年、テレビ朝日)
  • 桜っ子クラブ (1991年4月20日 - 8月26日、テレビ朝日)
      「桜っ子クラブさくら組」のオーディションの審査員として出演。
  • 1億人のラブコール 感動!あの人に逢いたい ’91 (1991年12月29日、TBS)

テレビドラマ

連続ドラマ

  • 1年B組新八先生 (1980年8月8日、TBS)
      第17話「新八兄貴大行進!」にてディスコの客役
  • おにいちゃん (1982年7月27日 - 10月26日、TBS) 川﨑麻世と共演
  • 年ごろ家族 (1984年1月10日 - 3月27日、TBS) 滝井亮一役

単発ドラマ

  • 大型時代劇スペシャル 「霧の橋の決闘! ~ みちのく紅花女と必殺男・江戸の中小企業がんばる!」
      (1999年7月6日、テレビ朝日。原作は乙川優三郎の第7回時代小説大賞受賞作品)

映画

  • わが青春のイレブン (1979年7月21日、東映)
  • ブルージーンズ メモリー (1981年7月11日)
  • ハイティーン・ブギ (1982年8月7日)
  • TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever (1983年8月4日)
  • だいじょうぶ マイ・フレンド (1983年4月29日) モニカ役
  • 虹の橋 (1993年10月9日) 彦十役。 後に関西ジャニーズJr.となる田中純弥と共演。

舞台

  • 劇団四季公演 「CATS」 (1984年、西新宿キャッツ・シアター)
  • ラ・ボエーム ’85 ミュージカル 「原宿物語」 (1985年11月16日 - 24日、中野サンプラザホール) サブ役
  • 日清食品ミュージカル 「シンデレラ」 (1986年3月21日 - 4月6日:シアターアプル。その後、福岡市民会館ほか全国公演) 王子役
      ※ 当初はひかる一平が王子役を務める予定で、ひかるの顔写真が入ったチラシも配布されていた。 更にひかるは製作発表の会見にも出席していたが、ジャニーズ事務所を退所することになり、急遽出演中止。 そのため、乃生が代役を務めた。
       
  • KEI ONO DANCE NUTS公演 「踊らせて鳥のように」
      (1990年3月、新宿シアターサンモール、作/演出:森泉博行、演出:小野恵子)
      小野恵子は、名倉加代子の弟子で、ジャズダンスの振付師。
  • マランドロ ~ チ・ン・ピ・ラ・オ・ペ・ラ
      (1990年7月6日 - 28日、日生劇場、主演:田原俊彦、演出:宮本亜門、振付:前田清実、ボビー吉野)
  • KEI ONO DANCE NUTS公演 「踊らせて鳥のように Vol.2」
      (1991年3月、新宿シアターサンモール、作/演出:森泉博行、演出:小野恵子) 元ジャニーズJr.中本雅俊と共演
  • 少年隊ミュージカル PLAYZONE ’91 「SHOCK」
      (1991年、青山劇場・大阪フェスティバルホール) 「NOCHIN」名義で出演
  • KEI ONO DANCE NUTS公演 「踊らせて鳥のように Vol.3」
      (1992年3月、新宿シアターサンモール、作/演出:森泉博行、演出:小野恵子)
  • 音楽劇 「ご親切は半分に…」
      (1997年3月20日 - 29日、東京国際フォーラム) 唐津トミオ役

ラジオ

  • モアーズミュージックワイド (ニッポン放送) ゲスト出演
  • のおちんのミッドナイト・デイト
  • 理佐とノオチンのDOKIDOKIトーク1.5
      (1988年、文化放送『15はドキドキ ピンクコング ’88』内) 立花理佐との共演番組
  • ナヴィとノオチンの今夜もグラッチェ
      (1989年、文化放送『15はドキドキ ピンクコング 3』内)
      「ナヴィ」こと細川直美との共演番組。
  • 歌のメリーゴーランド (1989年、ラジオ日本)
      女性と共に司会を担当。 向ヶ丘遊園・フラワーステージにて公開録音。
  • 明星 ノオチンと太田さんのピンコン二人旅 (1989年、文化放送)
      太田英明アナウンサーとの共演番組。 CHA-CHAの西尾拓美がよくゲスト出演していた。
  • さだまさしのセイ!ヤング (1989年 - 、文化放送)
      西村知美や西尾拓美と共に度々ゲスト出演していた。
  • 放送作家だよ!全員集合 (文化放送) 小森まなみと共にパーソナリティを務めた1日だけの特番
  • 超学生ハビタ となりのハチャメちゃん (1991年2月4日、文化放送) ゲスト出演

CM

  • 江崎グリコ 「アーモンドチョコレート」 (1981年、田原俊彦、犬と)

イベント

  • のおちんのALTAサンデー情報局 (1992年 - 1995年、新宿ALTA・バルコニーステージ)

ステージ

  • 頑張れ!ニューヤンキース (1978年8月12日&13日、浅草国際劇場)
      「ディスコ・メイツ」名義での出演。 北公次スリーヤンキースギャングスと共演。
      ディスコ・メイツは、アースウィンド&ファイアーの楽曲『アフリカーノ』に乗せてダンスを披露。 この曲でのダンスは、後に少年隊にも引き継がれた。
  • ヤング!ロックン・ロール・フィーバー
      (1978年10月27日:「ギャングス」のバックダンサーとして「ジャパニーズ」名義で出演。10月28日&29日:川﨑麻世とギャングスのバックダンサーとして出演。日本劇場)
  • サヨナラ日劇FESTIVAL (1981年2月11日、日本劇場)
      たのきんトリオ、ジャニーズJr.と共に出演。
  • 夏 長崎から さだまさし (1990年 - 1996年、さだまさしの恒例野外コンサート)


ディスコグラフィ

シングル

  • だいじょうぶ マイ・フレンド (1983年3月21日)
      映画『だいじょうぶ マイ・フレンド』エンディングテーマ。 売り上げ枚数:5.6万枚。 加藤和彦、広田玲央名、渡辺裕之の3名との競作シングルだが、実際に映画のエンディングに採用されたのは乃生のバージョンだった。 丸10年後の1993年3月21日に北畠美枝がカバー。
  • さだまさしのシングル 『SMILE AGAIN』 (1992年9月25日、WPDF-4313)

      普賢岳 被災地チャリティーソング。 同年8月6日に長崎県の小浜マリンパークで開催されたコンサート「1992 夏 長崎から さだまさし」の音源を収録。
      都はるみ、TSU-BA-SA、バンド「135」、佐田玲子、栗山英樹、田尾安志、西尾拓美、西村知美、いまむら瞭、姫野真也と共にゲスト参加。

アルバム

  • だいじょうぶ マイ・フレンド オリジナル・サウンド・トラック (1983年4月21日)
      シングル『だいじょうぶ マイ・フレンド』を収録。
  • キャニオン アイドル神話 (1987年7月21日、2枚組)
      シングル『だいじょうぶ マイ・フレンド』を収録。
  • 世にも素敵な物語 ~ミステリー・トレインに乗って~ (1995年11月21日)
      声優・深見梨加とのデュエットアルバム。
  • 加藤和彦作品集 (2012年10月3日)
      シングル『だいじょうぶ マイ・フレンド』を収録。

ビデオ

  • 田原俊彦 7 Years' Memory (VHS・Beta、1986年6月19日)
      ジャPAニーズの4人で、田原を囲んでの懐かしトークゲストとして出演。


書籍

インタビュー協力

  • 田原俊彦論 芸能界アイドル戦記 1979 - 2018 (岡野誠 著、2018年6月25日、青弓社)

写真集

  • ミステリー・トレインに乗って 世にも素敵な物語 ~ 深見梨加写真集
      (1995年10月、キネマ旬報社) 共演掲載


外部リンク








分割作成日:2021年7月1日

We welcome links from other websites.
Copyright of my site's all original sentences © Archive of STARTO. No rights reserved.

inserted by FC2 system