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渡辺茂樹



渡辺 茂樹(わたなべ しげき、1951年2月10日 - 2014年3月15日)は、神奈川県川崎市中原区生まれのキーボード奏者、音楽プロデューサー。 愛称:チャッピー (ワイルドワンズ加入後に雑誌の公募で決定)。
身長:172cm、体重:54kg。 母方の祖父の弟(つまり大叔父)の長男(つまり従叔父)が、ザ・ドリフターズの加藤茶


 


ジャニーズ時代の参加ユニット


その後の参加バンド

  • ザ・ワイルド・ワンズ
  • オレンジ
  • フレンズ → ロックンロールサーカス
  • ビート・オブ・パワー
  • MMP (ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)
  • タイガース メモリアル クラブ バンド
  • SUPER GROUP SOUNDS (「渡辺茂樹バンド」を率いて参加)


学歴

  • 川崎市立住吉幼稚園 (2003年に閉園)
  • 私立大西学園小学校 (川崎市)
  • 川崎市立東住吉小学校 (5年の2学期より)
  • 川崎市立住吉中学校
  • 私立東洋音楽大学付属高等学校 (中退。 後の東京音楽大学付属高等学校)


来歴

  • 母方の祖父はジャズピアニストで、川田晴久のバンドのアレンジャーでもあった平茂夫 (1903年12月27日生まれ)、 祖父の弟がジャズギタリストの平八郎 (1915年 - 1955年、息子が加藤茶)、 母親はピアノ教師でもあり、1954年に『東京ワルツ』がヒットした歌手の千代田照子、 弟は「スペクトラム」や「AB'S」のベース&ボーカルとなる渡辺直樹 (1956年10月13日生まれ、AB型)、 妹は1984年に歌手デビューする南翔子 (本名:渡辺晴美、1966年1月19日、埼玉県生まれ、AB型)、といった音楽一家で生まれ育つ。 (この他にもう一人、1961年生まれの妹・大竹美歌がいる)

  • 渡辺が中学2年の時、幼なじみであり、当時高校生による人気アマチュアバンド「ザ・ディメンションズ」のドラマーだった大串安広(後の植田芳暁)からドラムを教わり、友人たちとアマチュア・バンド「ザ・ディメンションズ・ジュニア」を結成。 渡辺はドラムとボーカルを担当した。 翌年には横浜中華街にあったゴーゴークラブ「レッド・シューズ」のハウスバンドにドラマーとして参加。 中学3年にしてセミプロの道を歩み始める。

  • 1965年〜1966年頃、ジャニーズJr.だった友人(イニシャルはE)に誘われ、ジャニーズ事務所のレッスンに参加するようになる。

  • 高校2年生だった1967年6月〜7月、大阪フェスティバルホールで公演されたジャニーズ主演のミュージカル『いつか何処かで 〜 フォーリーブス物語』にて、後に「フォーリーブス」となるメンバーたちと共に、「ジャニーズ・ジュニア」名義で出演。 同ミュージカルのパンフレットにも掲載された。 ミュージカル終了後にジャニーズ事務所を退所。

  • 1967年10月、植田芳暁の新バンド「ザ・ワイルド・ワンズ」の結成1周年記念リサイタルのフィナーレにて、メンバー挨拶時のピアノ演奏を任される。 これがきっかけとなって、同年11月にワイルド・ワンズの新曲『愛するアニタ』のレコーディングに渡辺もオルガンで参加。

  • 同年12月、「ザ・ワイルド・ワンズ」の5人目のメンバー、ボーカル & エレクトーン & フルートとして正式加入し、渡辺プロダクションに所属。 なお、渡辺はエレクトーン、フルート以外にも、当時からドラム、ギター、ベースまで演奏ができ、譜面も読めるマルチプレーヤーだった。
         

    そして17歳になる直前の1968年1月、『第34回 新春日劇ウエスタン・カーニバル』のステージにて本格デビュー。 その後、「チャッピー」の愛称で人気が急上昇した。

      (左から、渡辺、沢田研二、萩原健一)


      『週刊マーガレット』(1969年2月9日号、今井淳子と)

  • 1971年秋、神田共立講堂での公演にてワイルド・ワンズが解散。 その後、陳信輝(ギター)、大口広司(ドラム)との3ピースバンド「オレンジ」を結成するが、短命に終わる。
       
    (陳が後に結成した、日本が世界に誇るジャパニーズ・ロック・トリオ「スピード・グルー&シンキ」の2ndアルバム『スピード・グルー&シンキ』にて、オレンジが唯一残した演奏音源『Don't Say No』が聴ける。 渡辺はフルートで参加し、非常に印象的な演奏を残した。 なお、「ハイ・ソサエティー」出身の横内健亨が在籍したバンド「オレンジ」は同名異バンド)

  • 1972年、渡辺直樹(茂樹の実弟。ベース。当時15歳)、新田一郎(トランペット。当時17歳)、 そして後にジャニーズ事務所入りすることとなる辻野リューベン(ドラム)らと共に、伊丹幸雄のバックバンド「フレンズ」を結成。 渡辺茂樹がリーダーを務める。
    しかし、当時「フレンズ」という同じ名前を持ったアイドルバンドが別に存在したため(水無月しげる、田宮アキラ、鮎川賢、萩健之)、混同を避けるため、同年にバンド名を「ロックンロールサーカス (略称:RRC)」に改名。
    また、この1972年にリリースされた伊丹のライヴアルバム『サチオ・ベスト・オン・ステージ』に収録された沢田研二のカバー曲『許されない愛』の冒頭部分では、渡辺と伊丹のコント風の掛け合いも聴ける。
       
       (写真は1973年時)

  • 1974年、やはり後にジャニーズ事務所入りすることとなる辻野デビット(ギター。辻野リューベンの兄)も「ロックンロールサーカス」に加入。

  • 1974年、「ロックンロールサーカス」を解散し、あいざき進也のバックバンド「ビート・オブ・パワー」を結成。 やはり渡辺がリーダー。 メンバーには新田一郎(トランペット)、兼崎順一(トランペット。愛称:ドンペイ。当時24歳)、片山鉱二(サックス)らも居り、ホーンセクションが充実していた。

  • 同年、あいざき進也の全国縦断ツアーのためにメンバーを多数入れ替え、新バックバンド「M M P (ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)」を結成。 引き続き渡辺がリーダーを務める。
       
       (写真は初期メンバー)

  • 翌1975年、キャンディーズのマネージャー・大里洋吉氏(後のアミューズ会長)が、キャンディーズのステージを充実させるためにMMPをスカウトしたことがきっかけで、キャンディーズのバックバンド、作曲、編曲も務めるようになる。 そしてMMPは、当時「藤丸バンド」で活動していた弟の渡辺直樹も新たに参加するなど、何度かメンバーチェンジを繰り返しながら、1978年4月4日、キャンディーズと共に解散。 渡辺茂樹以外のメンバーは、同年8月25日に新バンド「スペクトラム」としてレコードデビューした。

  • GS時代に活躍したグループからピックアップされたメンバーで結成された「タイガース メモリアル クラブ バンド」(略称:TMCB)に、1990年よりザ・ワイルド・ワンズ5人で参加。 更に1990年代には、アミューズの大所帯ボーカルグループ「エンジェルス」のプロデュースも担当した。  また、これらミュージシャンとしての活動の傍らで、若手のライブミュージシャンやボーカリストの育成も行うようになった。

  • 2006年、アイ高野、岡本信と共に「SUPER GROUP SOUNDS」を結成。自分のバンド「渡辺茂樹バンド」を率いて活動した。

  • 2006年11月2日、ザ・ワイルド・ワンズにとっては初となる日本武道館ライブを、結成40周年記念として開催。 渡辺も久々にワイルド・ワンズのライブに参加した (翌年DVD化)。

  • 2011年2月28日付のあいざき進也のGREEブログにて、ちゃんちゃんこを模した赤い衣装に身を包む、還暦祝いの時の渡辺の写真が公開された。

  • 2014年3月15日に逝去。 63歳没。 死因については諸事情により伏せられたまま。
    通夜は同月20日、葬儀・告別式は翌21日に品川区荏原の霊源寺にて執り行われ、ワイルドワンズのドラマー・植田芳暁、かつてコンサートをプロデュースした縁があるBEGINの3名、そしてファンら、約150名が参列した。 供花の中には、キャンディーズの伊藤蘭や藤村美樹の名前もあった。 喪主は妹の一人・大竹美歌が務め、弔辞は植田芳暁が読み、かつて渡辺のマネジメントに関わっていた芸能事務所「アミューズ」の大里洋吉会長もあいさつをした。 そして出棺の際には、渡辺が作曲・編曲したキャンディーズの曲『つばさ』が流され、駆けつけた50人のファンから、紙テープと共に「チャッピー!」と別れを惜しむ声が上がった。
    今回、その死因が隠されているだけでなく、訃報自体も死亡日から4日も経過した3月19日だったり、お悔やみのコメントも、ワイルド・ワンズのメンバーと桑野信義のみで、キャンディーズの伊藤蘭や親戚の加藤茶、兄弟の渡辺直樹、南翔子らのコメントが無かったりなど、色々と謎が多く、自殺説も囁かれている。 故人の遺志により、家族だけでの密葬にした場合は、葬儀が全て終わってから訃報を出す場合もあるが、渡辺はこのケースには当てはまらない。
    なお、渡辺と共にワイルド・ワンズで活動していた加瀬邦彦が、翌2015年4月21日に自宅の洗面所にて、自殺を遂げている (加瀬の通夜・葬儀・告別式には江木俊夫が参列)。 また、渡辺と同じ釜の飯を食い、夜の池袋の街を2人で連日のように遊び歩いていたかつての親友・北公次が、「63年と33日」の生涯だったのに対し、渡辺も「63年と33日」という全く同じ長さで生涯の幕を閉じており、非常に因縁めいたものを感じさせる結果となっている。


人物

  • 好きな色 - ベージュ

  • 好きな食べ物 - シュークリーム


主な出演作品

バラエティ番組

  • ヤングポップスエキサイト (1968年10月07日 - 1969年3月31日、テレビ朝日)
      ザ・ワイルド・ワンズとして準レギュラー出演
  • 新春スター・かくし芸大会 (1970年1月1日、フジテレビ)
      ザ・ワイルド・ワンズ、ザ・ドリフターズ、クレージーキャッツが競演したドラマにて、親戚関係でもあるの加藤茶と白塗りの女装をして、奥女中役で共演。
  • 紅白対抗ドレミファ大作戦 (1970年10月30日 - 1971年4月16日、日本テレビ)
      同じくザ・ワイルド・ワンズとしてレギュラー出演
  • ドレミファ学園 (1971年4月23日 - 10月15日、日本テレビ)
      同じくザ・ワイルド・ワンズとしてレギュラー出演
  • 第3回 ヤング 歌の祭典 (1977年5月5日、NHK総合)
      収録日は同年4月28日。 フォーリーブス、郷ひろみ、JJS、豊川誕、殿ゆたか、未都由、川ア麻世も出演。

映画

  • 愛するあした (1969年5月1日、日活) 北川役

ミュージカル

  • いつか何処かで 〜 フォーリーブス物語
      (1967年6月〜7月に10日間、大阪フェスティバルホール、脚本:ジャニー喜多川、演出&振付:山田卓、舞台監督:金一浩司、主催:民音)

ラジオ

  • 第3回 ヤング 歌の祭典 (1977年5月5日、NHKラジオ第1)
      収録日は同年4月28日。 フォーリーブス、郷ひろみ、JJS、豊川誕、殿ゆたか、未都由、川ア麻世も出演。
  • 電撃わいどウルトラ放送局 (1977年10月25日、ラジオ関東)
      キャンディーズがパーソナリティの回にゲスト出演。

CM

  • コカ・コーラ (1968年 - 1969年) ザ・ワイルド・ワンズとして出演


ディスコグラフィ

ソロ名義

アルバム

  • Super Trick -O- (1979年)

ザ・ワイルド・ワンズ在籍時

シングル

  • 愛するアニタ c/w 幸せの道 (1968年1月10日) 正式加入前にオルガン演奏のみで参加
  • バラの恋人 c/w マーシー・マイ・ラヴ (1968年4月10日)
      オリコン最高6位。 ワイルド・ワンズの歴代シングルの中で最も有名な曲はデビュー曲の『想い出の渚』だが、最もヒットした曲は、この『バラの恋人』であった。
      2012年4月、宮崎あおいが出演する「サントリー 烏龍茶」のCMソングとして『バラの恋人』が突如使用された。
  • 花のヤング・タウン c/w あの雲と一緒に (1968年7月10日) オリコン最高18位
  • 青い果実 c/w 貝殻の夏 (1968年10月10日) 21位
  • 赤い靴のマリア c/w すべてをささげて (1969年2月1日) 65位
  • 昨日に逢いたい c/w 今日からの世界 (1969年5月1日) 80位
  • あの頃 c/w この街のどこかに (1969年10月10日) 100位
  • 想い出は心の友 c/w あとは知らない (1969年12月1日)
  • 若草萌える頃 c/w 見知らぬ船 (1970年4月5日)
  • いいのかな c/w 小犬をつれた女の子 (1970年7月5日) 93位
  • オー・ビューティフル・ディ! c/w 幻の夏 (1970年12月1日)
  • 霧の中の少女 c/w 孤独な人生 (1971年5月5日)
  • 想い出の渚 ’71 c/w ジャスト・ワンモア・タイム (1971年8月5日)
  • 美しすぎた夏 c/w レイニー・デイ (再結成後の作品。1979年11月20日)

アルバム

  • バラの恋人 / ザ・ワイルド・ワンズ・アルバム第3集 (1968年8月1日)
  • リサイタル ’68 (1968年12月20日)
      東京サンケイホールでのリサイタルを収録。 このLPのA面では、当時7歳の渡辺の妹・美歌(1961年生まれ)も登場している。
  • ワイルド・ワンズの世界 (1969年6月1日)
  • ファイブ / ワイルド・ワンズ 愛をうたう (1969年10月10日)
  • 想い出の渚 / ザ・ワイルド・ワンズのすべて (ベスト盤。1969年12月1日)
  • リサイタル ’69 (1970年2月5日)
  • きかなくてもいいのかな (1970年8月5日)
  • ザ・ワイルド・ワンズ・ストーリー (二枚組ベストアルバム。1970年11月5日)
  • アンコール (再結成後の作品。1979年11月)

その他のCD

  • サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル

DVD

  • 加瀬邦彦&ザ・ワイルド・ワンズ in 武道館 (2007年3月7日)

ソノシート

  • ザ・ワイルド・ワンズ POPシート (雑誌『女学生の友』1968年7月号付録)

      なお、1968年に勁文社から490円で発売されたフォノシート(ソノシート)『THE WILD ONES』のジャケット写真やピンナップにも渡辺が写っているが、収録曲は渡辺がワイルド・ワンズに参加する以前の4曲(『青空のある限り』、『想い出の渚』、『小さな倖せ』、『夕陽と共に』)のため、渡辺は楽曲には参加していない。

タイガース メモリアル クラブ バンド在籍時

シングル

  • 君よ女神のままに c/w NEVER SEE YOU AGAIN (1990年9月25日)
      A面曲は東映映画『ぼくと、ぼくらの夏』テーマソング。
  • ブルーシャトウを君だけに(メドレー) c/w G・Sが好きさ好きさ好きさ(メドレー) c/w 懐かしきラブソング (1992年6月25日)
  • OH OH OH 〜We are the Winners〜 (1995年2月25日)
      日本女子サッカーリーグ公式テーマソング。リン・リンゼイ、酒井法子、キッス・イン・ザ・ダークら3組との競作。

アルバム

  • タイガース メモリアル クラブ バンド U 「ぼくと、ぼくらの夏」 (1990年9月25日)
  • GrouP Sounds NOW&THEN Super Best (2枚組。1996年6月26日)
  • タイガース メモリアル クラブ バンド ベスト (2004年2月20日)
  • タイガース メモリアル クラブ バンド Best★BEST (2008年7月1日)

ビデオ

  • GSフェスティバル 〜 タイガース メモリアル クラブ バンド ライブ (1991年7月25日。1994年2月10日に再発)
  • 懐かしきラブソング 〜 DREAM OF THE DAYS

SUPER GROUP SOUNDS

4曲入りCD

  • Hello Everybody (2006年7月7日)
      アイ高野追悼作品。4曲とも渡辺が作詞作曲。渡辺のレコードレーベル「Chappy Label」からのリリース。

主な提供楽曲

※ 編曲作品も含める。
  • 石川ひとみ
    1. 秋が燃える (編曲)
    2. さよならGood-bye (編曲)
    3. 私はかもめ (編曲)
    4. Blue Dancing (編曲)
    5. 一枚の写真 (編曲)
    6. 海のようなやさしさで・・・ (編曲)
    7. 夢番地一丁目 (編曲)
    8. 人形が見てる (編曲)
    9. 懐かしきリフレイン (編曲)
    10. 午後の夢 (編曲)
    11. 彼女はモデラート (作曲/編曲)
    12. 秋の行方 (作曲/編曲)
    13. 心あずけて (作曲/編曲)
    14. 守ってあげたい (中野サンプラザライブ。編曲)
    15. まちぶせ (中野サンプラザライブ。編曲)
  • 岡林信康 「Gの祈り」、「君に捧げるラブソング」 (編曲)
  • 尾崎紀世彦 「365回目の恋」 (編曲)
  • キャンディーズ 「つばさ」、「いけない人」 (作曲/編曲)
  • サリー&シロー 「愛の意識」 (作曲/編曲)
  • シブがき隊 
    1. 太陽に向かって走れ (編曲)
    2. Weather girl (編曲)
    3. ダイナマイト気分 (編曲)
    4. YMF COME TOGETHER (作曲/編曲)
    5. 恋は悪魔さ (編曲)
    6. 冬の浜辺 (編曲)
  • スペクトラム 「服部半蔵 影の軍団 メインテーマ」 (作曲。1980年)
      フジテレビ系ドラマ 『服部半蔵 影の軍団』 および 『影の軍団U』 のオープニング曲。
  • トライアングル 「冬が近い」 (編曲)
  • 鳥塚しげき&メモリー・ハウス
    • 想い出の渚 (編曲。EP:1976年8月。8cmCD:1991年7月21日)
    • 君と暮らしてたら (編曲。EP:1976年8月)
  • フーピー 「原宿ポテト・ストリート」 (編曲。1980年4月)
  • レイジー 「ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション」 (編曲)
  • ザ・ワイルド・ワンズ 「この街のどこかに」 (作曲。1969年10月10日)
  • ザ・ワイルド・ワンズ ’91 「風に吹かれて」 (編曲)
  • 他多数・・・

主な音楽担当作品

  • テレビドラマ 『影の軍団』シリーズ全5作 (1980年4月1日 - 1985年12月30日、フジテレビ)
      サウンドトラックアルバムとして、『オリジナル・サウンドトラック 影の軍団』(1986年、LP/カセット)と、『影の軍団 音楽編』(1998年3月4日、CD2枚組)が発売されている。
  • 映画 『仕掛人梅安』 (1981年4月11日、東映)
  • クイズ番組 『クイズ ! ! マガジン』 (1980年10月12日 - 1983年10月2日、テレビ朝日)


モデルとなった作品

  • 漫画 「チャッピー物語 虹色の涙」 (一条ゆかり 著、『りぼんコミック』 1969年1月号、集英社)


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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