葵てるよし
葵 てるよし(あおい てるよし、本名:浅井 照善、1955年11月14日 - )は、愛知県名古屋市西区生まれ、同市北区楠町味鋺 (あじま) 八尻育ちの実業家。
芸能事務所「(株) アオイコーポレーション」などの代表取締役社長。
元アイドル歌手。
旧芸名:浅井あきら、葵テルヨシ。 愛称:テルくん。 身長:168cm、体重:48kg (デビュー当時の身体データ)。
兄弟は1歳下に妹が一人、9歳下に弟が一人。
改名歴
- 浅井あきら
- 葵テルヨシ
- 葵てるよし
ジャニーズ時代の参加ユニット
学歴
- 学校法人愛知女子商業学園 名城幼稚園 (名古屋市西区)
- 名古屋市立榎小学校 (3年一杯で転出)
- 名古屋市立味鋺 (あじま) 小学校 (4年生から転入。クラブ活動はバスケットボール部)
- 名古屋大学教育学部附属中学校 (部活はバスケットボール部)
- 名古屋大学教育学部附属高等学校 (2年生の1学期一杯で転出)
- 東京都立駒場高等学校 (定時制。中退)
来歴
- 1955年11月14日、名古屋市西区の商店街の一角で生まれる。
父親は菓子の製造販売業を手広く営んでいた。
- 小学3年生の時に家業の菓子屋が倒産し、一家は西区の店を捨てて名古屋市北区に転居。
そして小学4年の初めから、味鋺 (あじま) 小学校に転入した。
- 小学5年生の時、名古屋のちびっ子のど自慢番組『どんぐり音楽会』(CBCテレビ)に出演して歌謡曲を披露。
- 続いて小学6年生の時に、CBCテレビ『虹のステージNo.1』にも出演し、舟木一夫のシングル曲『星の広場へ集まれ!』を披露してチャンピオンになる。
この番組では、同い年の野口五郎も別の週でチャンピオンになっていたため、「チャンピオン大会」では野口と同じステージで競ったが、両者とも優勝は出来なかった。
- 「ザ・タイガース」に憧れ、中学時代にGSグループを結成し、ボーカルを担当。
名古屋大学教育学部附属高校時代には、4人組のフォークグループ「六文五十銭」(小室等のフォークグループ「六文銭」のパロディネーム)を結成。
文化祭のステージに出たり、ラジオ番組のフォークコンテストにも出場し、ある程度まで勝ち進んだ。
- 小学生の時に同じステージで優勝を競った同い年の野口五郎は、一足先に上京し、高校1年の1971年5月1日に歌手デビュー。
2ndシングルの『青いリンゴ』がヒットして既に人気歌手となっていた。
こうした野口の活躍に触発されていた葵は、1972年8月30日 (16歳、高校2年の夏)、フォーリーブスが三重県の長島温泉でショーを行うことを知り、一人で会場に向かい、畳敷きの宴会場でショーを鑑賞。 そしてショーが終わった後にフォーリーブスの楽屋に押しかけ、その場に居たジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川に、 「僕も中学時代からずっとバンドをやってきました。歌をやりたいです」と頼み込んだ所、ジャニーから「1曲聴かせて欲しい」と言われ、楽屋のギターを借りてフォーリーブスのシングル曲『明日が生まれる』を披露した。 その結果、「東京に来なさい」と認められる。
その夜、ジャニー喜多川が葵の両親に電話で事情を説明した所、あまりにも急な上京話と芸能界入りについて、父親だけは反対していたが、ジャニーの説得により、無事にジャニーズ事務所への入所が決まった。
そして翌々日の9月1日、葵は新幹線に乗って単身で上京し、ジャニーズ事務所の合宿所に入った。
- ジャニーから“浅井あきら”の芸名を与えられ、上京からわずか2日後の1972年9月3日、茨城県日立市で行われたフォーリーブスのショーでいきなり初舞台を踏み、フォーリーブスの曲『明日が生まれる』を披露した。
以降、フォーリーブスの地方公演には必ず帯同して歌わせてもらうようになる。
そしてフォーリーブスの付き人をしながら、作曲家の千田鉦二に師事して歌を学び、「西野バレエ団」に通ってダンスレッスンもした。
- 1972年末から1973年春にかけ、「ジューク・ボックス」に参加。
- 1973年、TBSテレビの連続ドラマ『木下恵介アワー おやじ山脈』で郷ひろみと共演し、テレビドラマデビュー。
間もなくして、ジャニー喜多川から新たに“葵テルヨシ”の芸名を与えられる。 由来は、名古屋出身ということで「葵の御紋」から引用。
- 1973年6月21日、ポリドールから筒美京平作曲の『かんじる10代』でレコードデビュー。
キャッチフレーズは、「フォーリーブスの弟、ジャニーズ一家の末っ子」、「飛び出した感じる10代」。
ステージでのバックバンドは、同事務所の「アニメーション」が専属で担当した。
ソロコンサートだけでなく、アイドル歌手・伊藤咲子とのジョイントコンサートも開催した。
- 『週刊少女フレンド』(1973年9月4日号、講談社)にて、フォーリーブス、郷ひろみ、小坂まさると共に雑誌の表紙に掲載。
- 谷隼人と離婚した後の岡美智子(ファッションモデル)と1975年に交際していた時期もあったが、翌1976年、ジャズオーケストラ「豊岡豊とスウィングフェイス」のバンドマスターでありドラマーの豊岡豊(1930年5月29日 - 2012年11月30日。82歳没)の娘と結婚した。
(「豊岡豊とスウィングフェイス」は、ジャニーズタレントが多く出演していた音楽番組『ベスト30歌謡曲』(テレビ朝日)の演奏もしていたオーケストラ)
- 1977年に実家の家業である石材店を継ぐために歌手を引退し、故郷の名古屋へ戻る。
その後、「葵てるよし」の通名で実業家となった。
1980年に企画制作会社「オフィス ダックスフンド」、イベント制作会社「創夢」を立ち上げ、東京にも進出し、モデルをしていた風間トオルを芸能マネジメントするための事務所「パイプライン」も立ち上げた。 そしてこれら3社を統合し、1993年8月に「株式会社 アオイコーポレーション」を設立。 風間の他に、美木良介、細川茂樹、玉木宏などもマネージメントした。
その後、「MAカンパニー」(「エム・エーフィールド」と「MAパブリッシング」の前身)、「(株)ジョイナス エンターテインメント (旧社名:United Notes)」、「(株)NEXT」、「(株)アオイダイニング」など、多数の関連会社を次々に展開。
また、ジャニーズ事務所とはずっと親しい関係にあり、V6関係の舞台やコンサート、他には再結成後のフォーリーブスのコンサートにも協力した。
人物
- 趣味はスポーツ。 小学4年から中学3年まではバスケットボール部に所属した。
- 中学3年時には生徒会副会長を務めた。
- 書道5段
- 好きな食べ物 - 果物、焼肉
- 嫌いな食べ物 - 鶏肉
- 1973年当時のデータ
- 趣味 - スポーツ、レコード鑑賞
- 好きな色 - 白、紺、セピア
- 好きな花 - スイートピー
- 好きな歌手 - フォーリーブス、布施明、スリー・ドッグ・ナイト、トム・ジョーンズ、ジャンニ・ナザーロ (イタリアのカンツォーネ歌手)、サルヴァトール・アダモ (ベルギーの歌手)
- 好きな映画 - 『幸せはパリで』
- 将来の夢 - 世界に通用する歌手になり、本場イタリアにてカンツォーネを唄うこと。
- 1975年9月15日、東京郵便貯金会館で行われた男性アイドルグループ「フレンズ」の解散公演に、小坂まさると共にゲスト出演。
- 1992年7月、地元・名古屋の企業「金印わさび株式会社」の抗菌抗カビ剤の特許出願に、葵も協力している。
- 映画監督・金子修介の著作『失われた歌謡曲』(1999年5月、小学館)の中に、葵に関する記述が少しだけある。
主な出演作品
バラエティ番組
- ぎんざNOW! (TBS)
- 歌え!ヤンヤン ! ! (テレビ東京)
- マチャアキの水中大狂宴 ! ! (1973年7月26日、日本テレビ。同年7月6日に豊島園プールで収録)
- 歌の散歩道 (テレビ東京) 司会
- ミュージック・イン・ドリーム (1974年4月21日、テレビ朝日)
- ひるのプレゼント 「夏も近づく?歌謡曲」 (4) (1974年5月2日、NHK総合)
- レッツゴーヤング (NHK総合)
- 1974年5月5日 - 『あの子にクック』を披露 (同日にフォーリーブス、リトル・リーブスも出演)
- 1974年11月3日 - 『通りすぎた愛』を披露 (同日にフォーリーブスも出演)
- 1975年4月20日 - 『卒業式の夜』
- 1975年5月18日 - 『卒業式の夜』
- NHKのど自慢 ~福岡県小郡市体育館で録画~ (1974年6月2日、NHK総合)
- 暑さをぶっ飛ばせ! (1974年、日本テレビ)
- ベスト30歌謡曲 (テレビ朝日)
- 夜のヒットスタジオ (1974年10月14日、フジテレビ) 『通りすぎた愛』を披露
- 連想ゲーム (1974年11月30日、1975年4月26日、7月26日、11月15日、1976年2月28日、12月18日、NHK総合)
- 歌のゴールデンステージ (1975年7月22日、NHK総合) 『いつの日も愛は哀しく』を披露。 同日は内田喜郎も出演。
- 新・底抜け脱線ゲーム (1975年3月26日、日本テレビ)
- 心で歌う50年 (1975年3月26日、テレビ東京)
- ヤングおー!おー! (1975年4月20日、TBS)
- 宮田輝の日本縦断 ふるさと (1975年11月29日、テレビ朝日) 第32回にゲスト出演
- あなたのメロディー (NHK総合)
- 1976年6月27日 - 『君の横顔』を披露 (同年8月29日にもハイライト放送)
- 1976年11月28日 - 『恋の魔法』を披露
テレビドラマ
「浅井あきら」名義
- 木下恵介アワー 「おやじ山脈」 (1973年、TBS)
-
郷ひろみと共演。 主題歌は郷の『天使の詩』。
「葵テルヨシ」名義
- 天下のおやじ (1974年4月3日 - 9月25日、日本テレビ、原作:木下恵介『破れ太鼓』) 津田又三郎役
- 男なら (1975年10月4日 - 1976年3月13日、日本テレビ)
-
葵のシングル曲『ぜいたくな青春』が挿入歌として使われた。
「葵てるよし」名義
- ホームワークスペシャル (1993年10月1日、TBS)
ラジオ
- サンデーミッドナイト (ニッポン放送)
ミュージカル
- フォーリーブス イン クリスマス (1972年12月24日&25日、名古屋・御園座)
-
ジューク・ボックスのメンバー「浅井あきら」として出演。
第1部・『ミュージカル フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者』-
(作・構成・演出:ジャニー喜多川、振付:小井戸秀宅)
- ミュージカル フォーリーブス物語 ~ 星に帰った若者 (1973年1月 - 3月)
-
同じくジューク・ボックスのメンバー「浅井あきら」として出演。
ステージ
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」
-
(1973年5月4日、日本劇場。音楽:高橋洋一。舞台装置:引田天功)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「郷ひろみショー」
-
(1973年5月5日 & 6日、日本劇場。舞台装置:引田天功)
- 第49回 日劇ウエスタン・カーニバル 「ヤング・アイドルショー」
-
(1973年5月7日 & 8日、日本劇場。音楽:渡辺茂樹。舞台装置:引田天功)
- 郷ひろみ サマードリームヤングフェスティバル (1973年8月3日&4日、名古屋・御園座) ゲスト出演
-
『ハートはもらった』、『ヘイ・ジュテーム』、『かんじる10代』の3曲を歌唱。
- 葵テルヨシ フレッシュコンサート (1974年3月29日、大阪フェステイバルホール)
- 第53回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ばらとみかんとバイオリンと
-
(1975年3月28日 - 31日、日本劇場) 友情出演
- 第54回 日劇ウエスタン・カーニバル ~ ジャニーズ・ファミリー・フェスティバル
-
(1975年8月27日、日本劇場)
- 他多数・・・
ディスコグラフィ
シングル
- かんじる10代 c/w ハートはもらった (1973年6月21日)
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オリコン最高54位。 売上数:約4.6万枚。
- 抱きしめあう愛 c/w 家に帰ろう (1973年10月21日)
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オリコン最高67位。 売上数:約1.7万枚。
- あの子にクック c/w 愛がこわい (1974年4月1日)
- 通りすぎた愛 c/w ふみにじられた青春 (1974年8月21日)
- 卒業式の夜 c/w 旅 (1975年3月21日)
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オリコン最高92位。 売上数:約0.7万枚。
- いつの日も愛は哀しく c/w 過去ある僕 (1975年8月21日)
- ぜいたくな青春 c/w にぎやかな孤独 (1975年12月21日)
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A面曲は日本テレビ系のドラマ『男なら』の挿入歌。
- ほんとに久しぶりだね c/w 笑っておくれ (1976年11月21日)
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A面曲の原曲は寺尾聰。 1982年1月21日にはみやじあつしもカバーした。
4曲入りEP
- 葵テルヨシ ベスト4
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収録曲:あの子にクック / かんじる10代 / 抱きしめあう愛 / 愛がこわい
- 葵テルヨシ ゴールデン4
-
収録曲:卒業式の夜 / 旅 / かんじる10代 / あの子にクック
アルバム
- テルヨシ・ファースト 抱きしめあう愛 (1974年)
- 葵テルヨシ フレッシュコンサート Teruyoshi Live In Osaka (ライブ盤。1974年)
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1974年3月29日に大阪フェスティバルホールで行われたコンサートを収録。
雑誌
- 月刊平凡 (1973年8月号、平凡出版) 「新人デビュー・ストーリー」
- 月刊平凡 (1973年9月号、平凡出版) 「よみものページ 歌の兄弟対談特集」にて郷ひろみと対談
- 週刊セブンティーン (1973年9月25日号、集英社)
-
「『かんじる10代』で人気上昇中 フォーリーブスを目標にぼくは歌う」
- 月刊平凡 (1973年10月号、平凡出版) 「ヤング・クローズアップ 葵テルヨシ VS 北原昭夫」
- 月刊平凡 (1973年11月号、平凡出版) 「フレッシュ歌手告白PR座談会」
- 近代映画 (1973年11月号、近代映画社) 「スター小説」
- 近代映画 (1973年12月号、近代映画社) 「葵テルヨシのプライバシー拝見」
- 月刊明星 (1974年2月号、集英社) 「ヤングライバル 葵テルヨシ VS 結城大」
- 週刊セブンティーン (1974年3月26日号、集英社) 「ひろみのお~るないとジャーニー」
- 近代映画 (1974年5月号、近代映画社) 「テレビドラマで快調!」
- 月刊セブンティーン (1974年9月号、集英社)
-
「誌上初公開 葵テルヨシくんが綴るジャニーズ一家の㊙エピソード」
- 近代映画 (1975年1月号、3月号、近代映画社) 「葵テルヨシのファッション」
- 他・・・
外部リンク

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