武口愛気良
武口 愛気良(たけぐち あきら、本名&旧芸名:武口明、その他の旧芸名:武口明良 (あきら)、武口あきら、1965年1月11日 - )は、東京都大田区蒲田生まれ、川崎市宮前区野川育ちのYouTuber、歌手。
元・ジャニーズJr.、俳優、ダンサー、お笑いタレント。
「野川クリエイション」代表。
血液型:O型。 愛称:タケちゃん、タケさん、タケ。 ジャニーズJr.時代末期のJr.内での愛称:長老 (Jr.の前田直樹が1984年7月に命名)。
川崎市立宮崎中学校、大田区鵜の木にある私立東京高校卒業。 一女一男の父。 別名義:たけJI、TAKE-JI、青居宗玄 (あおい そうげん)。
所属事務所
- ジャニーズ事務所 (1982年4月 - 1984年9月)
- はるかプロモーション (劇団はるか) (1985年4月 - 1986年9月)
- FENプロモーション (1987年 - 1988年)
- 石井光三オフィス (1989年4月 - 1993年7月)
- コーヒー新宿企画 (1994年7月 - 2001年2月)
- MCエンターテイメント (2001年2月 - 2011年4月)
- (フリー)
芸名変遷
- 武口明 (ジャニーズ事務所時代)
- 武口明良 (はるかプロモーション時代。但し出演舞台のパンフレットでは本名の「武口明」で掲載)
- 武口明 (FENプロモーション、石井光三オフィス時代)
- 武口明良 (コーヒー新宿企画、MCエンターテイメント時代)
- 武口明
- 武口あきら (2013年11月9日 - 2020年7月31日)
- 武口愛気良 (2020年8月1日 - )
来歴
- 高校1年の3学期だった1981年、角川映画『ねらわれた学園』の薬師丸ひろ子の相手役募集に応募するも、書類審査で落選 (ちなみに最終合格者は高柳良一)。
しかし、2歳上の姉が青山孝と郷ひろみのファンだった影響でジャニーズにも興味を持っており、田原俊彦のバックで踊っていたジャPAニーズの乃生佳之に憧れ、高校1年の終わりに友人と一緒にジャニーズ事務所へも履歴書を送る。
当然「ジャニーズJr.」を志望しての応募だったが、特技の欄に適当に「ギター」と書いていたことが原因で、約1年後の、高校3年になった1982年4月、赤坂のTBS会館で行われた「ヨッちゃんバンド (後のTHE GOOD-BYE) メンバーオーディション」に呼ばれてしまう。 そして、イルカの曲『なごり雪』を歌った所、バンドメンバーとしてではなく、無事にジャニーズJr.枠で採用された。
- Jr.時代はテレビドラマなどで活躍。 そして、1984年9月2日のピンク・レディー再結成コンサート(公演パンフレットの制作・販売は無し)にジャニーズJr.全17名でバックダンサーとして出演。
そしてこの仕事を最後に、同月、ジャニーズ事務所を退所した。
退所の理由はいくつかあり、まず当時の武口は20歳目前で、まだ実家で暮らしてはいたが、ジャニーズJr.の仕事で得られる“年収”はわずか20万円以下だった。 かと言って、「アルバイトなんかしているアイドルってどうなんだ?」という思いや、ジャニー喜多川から「You、明日あいてる?」という急な仕事依頼の電話がいつ自宅にかかってきても対応できるように、との思いから、アルバイトも出来ずにいた。 また、「20歳になってアイドルを目指してるなんて恥ずかしくて言えない」という思いもあった。 しかし決定打となった直接的な退所理由は、19歳だった1984年9月にジャニーから、「You、車の免許持ってるんだったら、マネージャーやらない?」と言われてしまったことに深くショックを受け、もうこの場所でアイドルとしての成功を目指していくのは無理かもしれない、と失望したためだった。
- ジャニーズを退所後、港区青山のコーヒー専門店が営む喫茶店や、渋谷の大型喫茶店「リスボン」でアルバイトをする中、1985年4月、「はるかプロモーション (劇団はるか)」のオーディションに、100名くらいの中から1位で合格。レッスン料が無料の特待生となる。
そして「武口明良 (あきら)」の芸名でプロダンサーとして所属 (但し出演舞台のパンフレットでは本名の「武口明」で掲載)。
ジャニーズ事務所の面々(The Good-Bye、乃生佳之、柳沢超)が出演したミュージカル『原宿物語』や、西城秀樹主演作、大地真央主演作など、数々のミュージカルに出演した他、東京ディズニーランドのプロモーションCMにも出演した。
- 1986年に西川純代(元・日劇ダンシングチームのトップダンサー)とミュージカル『プリンセスモリー』で共演したことが縁で、西川が四谷2丁目にあったバーニングプロダクションの養成所で受け持っていたダンスクラスのアシスタントを一時期務める。
- 1986年9月、「はるかプロモーション」を退所。
- 1987年に「FENプロモーション」と契約し、映画『いとしのエリー』にエキストラ出演したり、歌舞伎町のショーパブ「黒鳥の湖」にてダンサーとして活動。
- 1988年にFENプロモーションとの契約を解除。 その後は居酒屋「いろはにほへと」でアルバイト。
- 同年11月(当時23歳)、当時ダンスを習いに通っていた「ダンシングオフィス西条」(西条満の事務所)の菊地ヒロユキからの依頼で、JR東海のCM 「HOME-TOWN EXPRESS (X'mas篇)」の審査を受けて合格。
深津絵里の相手役として出演し、ムーンウォークとブレイクダンスを披露した。
- 1989年1月、「荻野目洋子 Live in 武道館 VERGE OF LOVE」にてバックダンサーを務める。
同年2月には細川たかし主演の舞台にも出演した。
- 同年4月、「石井光三オフィス」に所属。
並行して、石井社長が持っていた世田谷区用賀の喫茶店「樹の花」にてアルバイト。
翌1990年12月には3人組のコントグループ「KIDS」を結成。 渋谷のLIVE HOUSE「La.mama」にて、渡辺正行プロデュースの「ラ・ママ新人コント大会」に多数出演した。 1992年9月には、深夜のお笑い番組『爆笑王誕生』(日本テレビ)で第四代目の“5週勝ち抜きチャンピオン”に輝いた他、『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)に出演したり、M.C.コミヤ (小宮孝泰)のバックダンサーなどでも活動。
1993年7月にKIDSを解散し、石井光三オフィスからも退所した。 なお、KIDS時代は年齢を2歳若く詐称していた。
- 翌1994年、つかこうへい演出の舞台への出演を経て、同年7月より「有限会社 コーヒー新宿企画」に所属。
「はるかプロモーション」時代の芸名「武口明良」を再び名乗り、1994年より歌舞伎町のショーパブ「アルカザール」(1992年OPEN、1994年8月リニューアルOPEN、2013年9月30日閉店)の専属ダンサーとなる。
この他、松本伊代の姉・松本伊代姉(まつもと いよねえ。本名:松本光代)が六本木のクラブでソロライブをした際にも、ダンサーとして出演した。
一方、ダンサー業と並行して、新宿西口のパスタ屋でアルバイトし、一人だけでの厨房を任される。 続いて同じく西新宿の牛タン屋「ねぎし」に移り、9時頃から17時まで4年近くアルバイト。焼き場担当にまで昇格した。 「大きな舞台の後ろの片隅で踊るダンサーよりも、小さな舞台の真ん中で踊るダンサーでいたい」を信条に、1997年の結婚後もダンスを生業にして家族を養う。
- 1998年8月より、新宿の俳優養成所にてダンスと芝居の講師を務める。
- 1999年12月31日放送の『第50回 NHK紅白歌合戦』にて、オープニングと、美川憲一、北島三郎、鳥羽一郎のバックでダンスを踊る。
- 2001年2月、「株式会社 MCエンターテイメント」と契約。
- 2002年初頭、専属ダンサーとして8年間勤めてきた歌舞伎町のショーパブ「アルカザール」を退店。
- 2002年2月より4ヶ月間、札幌のショーパブ「ナイトステージ シュー」にてダンサーとして勤務。
- 同年6月〜12月、六本木のニューハーフショーパブ「ROPPONGI RAGAZZA. (ラガッサ)」に専属ダンサーとして勤務。
ここでダンサー活動を一旦停止。
- 2003年3月より、上野・仲町通りの雑居ビルにあった小さなパフォーマンスクラブ「SHERPA (シェルパ)」に約1年ほど勤務。
「お笑いが見られるサパークラブ」というコンセプトで、武口はステージプランナー、プロデューサーとして様々な芸人を招いた。
「1日15分のみ、ギャラは5,000円から」というステージで、武口はホリプロ、マセキ芸能、太田プロ、人力舎、サンミュージックなどの芸能プロダクションを訪問し、X-GUN、インスタントジョンソン、ホリ、ブレイク前だったサンドウィッチマンなどの芸人を招いた。
この店には元ジャニーズJr.の河村直人も、「道 (TAO)」のメンバーとして2004年5月に3日間出演しており、武口も観に訪れて約20年ぶりとなる再会を果たした。 なお、同店は2005年7月4日よりニューハーフショーパブ「UENO RAGAZZA. (ラガッサ)」にリニューアルした。
- 2004年4月21日より、ブログ『「踊るお父さん」の「踊る情報局!」』を開設。
- 同年5月より、六本木のニューハーフショーパブ「ROPPONGI RAGAZZA. (ラガッサ)」に専属ダンサーとして復帰。 同年9月には川中美幸主演の舞台にもダンサーとして出演した。
なお、「ROPPONGI RAGAZZA.」にも、元ジャニーズJr.の河村直人が「道 (TAO)」として、2004年11月、2005年6月、9月の3回出演した。
一方で、武口はネットでの集金ビジネス、アフィリエイト、ポイントサイトなどにはまり、数多くのサイトを立ち上げるようになる。 一例としては、ネットショップ「メンズショップ 武屋本舗」(2008年2月〜2009年)、「ネットで稼ぐための情報サイト・笑顔屋」(2009年〜)など。
- 2009年6月2日よりアメーバブログ「それでも【夢】は諦めない!」 (後に「武口あきらの【夢】は諦めない!」 → 「夢はあきらめない 〜 I won't give up my dreams.」へと改題)、
2011年11月17日からは、青居宗玄(あおい そうげん)のペンネームで、自分の好きな言葉を集めて紹介するブログ「素敵なコトバ/言葉のチカラ」 (ペンネームの使用は開設当初のみ)、
2012年2月8日からは、ジャニーズ時代の思い出を綴った珠玉の小説ブログ 「あの頃のジャニーズ 〜夢と彼女とジャニーズと〜」 [1]、 [2]、 [3 (改訂版)] など、続々とブログを開設。
- 2010年5月7日放送の、テレビ東京『世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS』の「実は私 昔スゴかったんですSP」に、“かつてJR東海のCMに出演していた人物”として出演し、スーツ姿でマイケル・ジャクソンの『Billie Jean』のダンスを披露した。
- 上記以外にも、これまで六本木の「スナックONE」、湯島のイタリアンレストラン「Gratte-Ciel (グラット シエル)」などの飲食店で働きながら、並行してプロのショーダンサーとして渡り歩いてきたが、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、余震が続く中で妻から「夜は家にいる生活にして欲しい」と頼まれ、同年4月末、長らく専属ダンサーとして勤務していた六本木のニューハーフショーパブ「ROPPONGI RAGAZZA. (ラガッサ)」を退店し、ショーダンサーを引退した。
その後、2011年5月に葛飾区西亀有の清掃事業会社「株式会社 アミック」に入社。 更に2012年3月25日には、世田谷区代田の「ヨガスタジオAnahata」にて、ダイエットストレッチクラスの特別講師も務めた。
- 2013年3月9日より、職場である「(株)アミック」のビル2Fにて、格闘技・ダンス教室の「LIFE Amic」を開設。 週末にダンス講師を務める。
- 同年11月9日、芸名を「武口あきら」に改名。
- 同年12月8日、「LIFE Amic」でのダンス講師を終了。勤務先のアミックも2014年1月に退社した。 また、2013年12月に離婚をしたこともFacebookで公表した。
- 2014年初頭、自身が運営する複数のサイトをまとめた総合ホームページ「DREAM SHARE」を開設。
- 同年2月、舞台『ハッチ2014』に出演。 「武口あきら」に改名した後の出演作だが、公演チラシには「武口明」と表記されてしまっている。
なおこの舞台には、元ジャニーズJr.の工藤嘉誠も出演。
- その後、2014年4月から2015年3月まで生活協同組合「パルシステム神奈川ゆめコープ・宮前」での訪問営業職を経験し、2015年4月より「株式会社 堀本商事」に就職。
居酒屋 「魚串・鮮魚 魚然 新宿店」 での研修を経て、「鯛めし 魚然 自由が丘店」 に勤務。
更に同年7月より、「炉端焼 魚然 池袋店」 も時折手伝いつつ、「炉端焼 魚然 銀座三丁目店」 に異動。
同年11月より、銀座三丁目店の店長に就任。
2015年11月2日には、店を取材しに来たテレビ番組『ハイボール万歳!』(5分番組、BS-TBS)に出演し、武田修宏と絡んだ他、ムーンウォークも披露した。 また、この店は店長である武口の権限で、2015年12月26日に開催されたジャニーズOBの忘年会会場としても使用された。
- 2016年5月30日より、再び「鯛めし 魚然 自由が丘店」に異動し、店長を務める。
そしてこの店には、同年7月14日と12月26日に、元・忍者の遠藤直人がランチを食べに訪れ、実に32年ぶりの再会となった。
- 同年12月、「JR東海のCMに出演していたブレイクダンサーの現在の姿を追う」という趣旨で、ラジオ番組が自由が丘店に収録しに訪れ、『バブリー・ラブリー』(2016年12月16日放送、渋谷のラジオ)に出演。 パーソナリティの野田ひろみとトークを繰り広げた。
- 2017年3月23日、新ブログ「居酒屋店長のよもやま話」を開設。(後に「居酒屋店長→飲食店店長のよもやま話」に改題)
- 2017年5月9日をもって「鯛めし 魚然 自由が丘店」での勤務を終え、同月11日より八丁堀の本まぐろ料理専門店「生 本まぐろ 一心」に異動。
しかしわずか一ヶ月後の6月13日より、かつて働いていた「炉端焼き 魚然 銀座三丁目店」に再び異動。
- 2017年8月29日の店舗勤務を最後に、「株式会社 堀本商事」を退社。
- 一方、六本木のニューハーフショーパブ「RAGAZZA (ラガッサ)」時代の仲間に誘われ、2017年9月4日より、銀座7丁目のニューハーフカラオケパブ「風葉屋 (かぜはや)
[1]、
[2]」の2代目店長として勤務。
姉妹店の銀座8丁目のニューハーフショーパブ「Corvette. (コルベット)」にも、イベント時にホールの手伝いで参加。
- 2018年2月20日を最後に「風葉屋」を退き、移転したての銀座8丁目の姉妹店「Corvette.」の店長に同月23日に就任。
なお、Corvette.は旧店舗の頃はニューハーフショーパブだったが、移転後はショータイムが撤廃され、通常のニューハーフパブに路線変更した。
- 2018年5月28日、新ブログ「それでも夢はあきらめない 〜 来た道・行く道・これからの道」を開設。
- 2019年3月25日、競馬専門ブログ「それでもやっぱり競馬好き! 〜 負けてもあきらめない帯付き取るまで!」を開設。
- 2020年8月1日、芸名を「武口愛気良」に改名。
- 2021年2月8日、オリジナル楽曲『俺は孤独なソロキャンパー』を平本淳也によるプロデュースで配信リリースし、歌手デビュー。
- 同年5月31日にコロナウイルスの感染が発覚したことを、同年6月7日付のブログで報告。
- 同年7月14日、自身が代表を務める会社「野川クリエイション」のホームページを開設。
- 武口が熱烈に応援するガールズユニット「NiziU」がYouTube動画でTシャツ作りをしている姿に触発され、武口自身もユニクロの「UTme!マーケット」にてオリジナルTシャツを製作し、同年8月6日より販売開始。
人物
- 趣味 - ソロキャンプ
- ジャニーズJr.時代に特に仲の良かったメンバーは、守屋二郎、牧村稔、前田直樹。
- 好きなアーティスト - 安室奈美恵、NiziU
- 顔が似ている有名人 - 清水光 (しみずこう。息っ子クラブ)、高岸宏行 (ティモンディ)、芝大輔 (モグライダー)。
主な出演作品
バラエティ番組
- ピンキーパンチ大逆転 (1982年7月1日、TBS)
-
エンディングでジャニーズ少年隊が歌った『WE GOT THE BEAT』(THE GO-GO'Sのカバー)のバックダンサーとして、ジャニーズJr.10数名で出演。
- レッツGOアイドル (1982年10月16日 - 、テレビ東京)
- レッツゴーヤング (NHK総合) 少年隊のバック
- 第10回記念 オールスター寒中水泳大会 (1983年2月8日、フジテレビ)
(左が武口。中央は牧村稔、右は前田直樹。上は「きゃんきゃん」の山本博美で、後に京本大我の母親) - 桜中学大音楽会 〜 金八新八仙八貫八と138名の卒業生達 (1983年4月1日、TBS)
- 森田一義アワー 笑っていいとも! (フジテレビ)
- 1986年5月6日 - 大地真央の応援賑やかしメンバーとして出演
- 1991年7月3日 - 「KIDS」のメンバーで出演
- 爆笑王誕生 (1992年、日本テレビ)
-
「KIDS」のメンバーとして出演。 第四代目の“5週勝ち抜きチャンピオン”に輝く。
- クイズ!年の差なんて (フジテレビ) 出題VTRに「KIDS」のメンバーで出演
- 第50回 NHK紅白歌合戦 (1999年12月31日、NHK総合)
-
オープニングと、美川憲一、北島三郎、鳥羽一郎のバックでダンス。
- 世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS 「実は私 昔スゴかったんですSP」 (2010年5月7日、テレビ東京)
-
“かつてJR東海のCMに出演していた人物”として出演し、スーツ姿でマイケル・ジャクソンの『Billie Jean』のダンスを披露した。
- PROMOTION TV (2014年、TOKYO MX)
-
藤本りせ、元ジャニーズJr.の今井拓哉らと共演。
- ハイボール万歳! (5分番組、2015年11月2日、BS-TBS) 武田修宏と共演
テレビドラマ
- オサラバ坂に陽が昇る (1983年5月20日 - 8月12日、TBS)
-
三好圭一と共演。 第4話「教護院送致」より朝倉洋次役で出演。坊主頭にして役に挑んだ。
このドラマは当初、全24話の予定だったが、視聴率低迷により13話のみで打ち切られた。 本放送終了後は再放送もソフト化もされていない。 - 噂のポテトボーイ (1983年10月13日 - 1984年1月12日、TBS) 第1〜5、8、11、13話にて仲倉功司役
- 差し入れ屋さん物語 〜 拘置所とシャバを結ぶ悲喜こもごもの交差点
-
(1989年1月28日、TBS・土曜ドラマスペシャル) ヤクザ役
映画
- あいつとララバイ (1983年12月24日、東宝)
- いとしのエリー (1987年4月11日、東宝) ペアダンスを踊る場面にエキストラ出演。 前田耕陽と共演。
- ! [ai-ou] (1991年1月26日、東宝。企画:秋元康) 「KIDS」として出演
舞台
- ロック・ミュージカル 「時代はサーカスの象にのって ’84」
-
1984年5月26日 - 6月3日、PARCO劇場・PART3。
作:寺山修司、演出:萩原朔美、美術:日比野克彦、振付:ボビー吉野。
MIE、鈴木則行、柳沢超、木暮毅と共演。 公演パンフレットの制作・販売は無し。
後に6月2日の公演分がビデオ化された。長らく非売品として出回っていたが、青森県三沢市の「寺山修司記念館」(1997年7月27日オープン)にて、4,800円で販売開始 (収録時間:87分)。 また、2008年5月13日にスカパー!・262ch「シアター・テレビジョン」でも当作品が放映された。
そして2018年7月25日、当ミュージカルのサウンドトラックが34年の時を経て初めて発売された。 (ムーンライダーズのCDアルバム 『Archives Series Vol.10 時代はサーカスの象にのって ’84 オリジナル・サウンドトラック』) - This is トモ子
-
1984年8月3日 - 5日、新宿紀伊国屋ホール。 松島トモ子の主演舞台。 ジャニーズJr.5名(鈴木則行、前田直樹、木暮毅、田中寛規、塩入訓)と共演。 タップダンス振り付け:中野ブラザーズ。 公演パンフレットの制作・販売は無し。
- ラ・ボエーム ’85 ミュージカル 「原宿物語」 (1985年11月16日 - 24日、中野サンプラザホール)
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The Good-Bye、乃生佳之、柳沢超と共演。
- デュエット (1986年1月3日 - 28日、日生劇場、主演:西城秀樹、鳳蘭) ヴァーノンの声たち役としてダンサー出演
- プリンセスモリー (1986年3月5日 - 28日、日生劇場、主演:大地真央)
- 大地真央ファーストリサイタル 「カフカの夢」
-
(1986年4月19日 - 5月11日:PARCO劇場、13日 - 17日:大阪サンケイホール) ダンサーとして出演
- 野田秀樹の十二夜 (1986年7月5日 - 28日、日生劇場、演出:野田秀樹、主演:大地真央)
- 細川たかし特別公演 「次郎長売り出す!」 (1989年2月、明治座。同年7月の名古屋・御園座公演には出演せず)
- 劇団フロントホック プレビュー公演 「帰郷」
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(1990年、吉祥寺バウスシアター、作:寺田敏雄、演出:堤ユキヒコ、総合プロデュース:秋元康) ダンサーとして出演
- 熱海殺人事件 〜妹よ〜 (1994年5月、群馬県桐生市公演、作・演出:つかこうへい)
- 飛龍伝 ’94 〜いつの日か白き翼にのって〜 (1994年7月19日 - 8月27日、銀座セゾン劇場、作・演出:つかこうへい)
- 小井戸秀宅ダンスカンパニー公演 「ありがとう20世紀、こんにちわ21世紀」 (2000年5月)
- 子供ショー 「仮面の忍者赤影参上!」 (2004年1月、お台場・大江戸温泉物語) 出演ではなく脚本を担当
- 小井戸秀宅出版記念パーティー内公演 「人生はショータイム」 (2004年6月、品川プリンスホテル Club EX)
- 川中美幸特別公演 「寄席囃子 おもろい女」 (2004年9月1日 - 28日、大阪新歌舞伎座) ダンサーとして出演
- ハッチ2014 (2014年2月12日 - 16日、銀座みゆき館劇場、作・演出:西澤周市)
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「武口あきら」に改名した後の出演作だが、公演チラシには「武口明」と表記されてしまっている。 元ジャニーズJr.の工藤嘉誠と共演。
お笑いライブ
- 話の腰を折りまショー
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(演出:西条昇、共演:キャミソール、ジョークアベニュー) 「KIDS」として出演
CM
- 東京ディズニーランドのプロモーションCM (1985年)
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東南アジアから日本へ来る旅客機の機内でのみ流されたCM。
撮影期間は一週間で、その内数日はディズニーランドに泊まり込みで行われた。
- JR東海 「HOME-TOWN EXPRESS (X'mas篇)」 (1988年12月)
-
深津絵里の相手役として出演し、ムーンウォークとブレイクダンスを披露。
撮影は深夜の名古屋駅。ラストで深津と抱き合うシーンの相手役までを武口が担当したが、このCMには最後に顔がアップショットになる「ロングバージョン」が存在し、そのアップ画面の男性の顔だけは、当時19歳の俳優・鶴田史郎で撮影された。
ラジオ
- バブリー・ラブリー (2016年12月16日、渋谷のラジオ) 野田ひろみと共演
- YOKOHAMA湾岸スタァ (2021年2月6日、13日、20日、27日、横浜マリンエフエム)
-
「川原田新一の青春レジェンド」のコーナーにて、平本淳也、川原田新一、斉藤康彦と共演。
イベント
- NPO法人かつしか若手産業人会主催 「ワカテドットコム かめありフェスティバル Vol.20」
-
(2008年2月17日、アリオ亀有) 「武口明良」名義で司会
- R1 〜藤田隆二プロデュース エンターテインメントショー〜
-
(2013年2月10日、板橋区・西台駅前「チャイニーズレストラン 王華」)
6時間のライブイベントで、藤本りせと共に司会を担当。 平本淳也、ル・クプルの藤田隆二らと共演。 ニコニコ生放送で生配信もされた。 - ダンサー達の祭典 J・Dance東京Collection 〜Dancing〜 (2013年8月18日、亀戸・カメリアホール)
-
内田和也(元・劇団四季)、小野沢文恵(内田のダンススタジオの生徒)と結成した一日限定のダンスユニット「3arrows (スリーアローズ)」として出演。
Sylvester『Summertime』(振付:内田)、山下達郎『アトムの子』(振付:武口)の2曲を披露。
- ひな祭りハイブリッドFes. (2014年3月3日、赤坂BLITZ) 服部恵理加と共に前半のMCを担当
WEB
- ル・クプル藤田隆二と平本淳也の半定期放送 ! ! (2013年1月4日、ニコニコ生放送)
- ル・クプル藤田隆二と平本淳也の半定期放送 ! ! 今回はイベント告知をやっちゃいなよSP ! ! (2013年1月31日、ニコニコ生放送)
- R1フェスティバル 〜藤田隆二プロデュース エンターテインメントショー〜 Vol.2 (2013年2月10日、ニコニコ生放送)
-
6時間番組。 観客も入れたライブイベントで、藤本りせと共に司会を担当。
- R1フェスティバル 〜藤田隆二プロデュース エンターテインメントショー〜 Vol.4 (2013年5月5日、ニコニコ生放送)
- 地上波!みんなのバラエティ 「みんバラ」 (2017年9月1日、FRESH LIVE)
-
平本淳也、小林篤志(元ジャニーズJr.)と共演。 会場は平本が経営する横浜市南区井土ヶ谷の「エンターテイメントカフェ Rhythm」。
自作曲
- ひとり旅
- まごころひとつ
- それは 夢
- もう心の傷はいたくない
- 二人の聖夜
- 帰路
- 流氷
- 淋しがりや・・・・・
- 時よ止まれ!
- 告白 〜別れの時〜
- 少しだけ待って・・・ (作詞は武口の姉)
- 俺は孤独なソロキャンパー (2020年8月13日にYouTubeで公開。2021年2月8日に配信リリース)
- 俺は孤独なソロキャンパー 2021 RAP・VERSION (2021年1月24日)
- この一杯の麦酒を飲むために (2021年9月14日配信リリース)
- REBORONS・俺は生まれ変わる (2022年2月13日配信リリース)
- 57歳のオッサンの歌 (2022年9月24日配信リリース)
- 50代から始めるソロキャンプ (2023年4月22日配信リリース)
- ホットサンド・ヴギ (2024年3月23日配信リリース)
この他にもまだ40曲ほどの自作曲がある。
外部リンク
- X (旧Twitter) (2012年4月16日 - )
- Instagram (2020年8月15日 - )
- TikTok (2021年3月17日 - )
- メインブログ 『夢はあきらめない 〜 I won't give up my dreams.』 (2009年6月2日 - )
- メインブログ 『それでも夢はあきらめない 〜 来た道・行く道・これからの道』 (2018年5月28日 - )
- 旧メインブログ 『「踊るお父さん」の「踊る情報局!」』 (2004年4月21日 - 2013年6月15日)
- YouTubeチャンネル [1]、 [2]
- オリジナルTシャツ販売サイト (2021年8月6日 - )
- 武口が代表を務める会社 「野川クリエイション」 (2021年7月14日 - )
- 平本淳也による武口についての記事 [1]、 [2]
- 名作CM「クリスマス・エクスプレス」でキレキレの動きを披露していたアノ人に会ってきた! - いまトピ
作成日:2015年6月28日
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