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青山孝史

        


青山 孝史(あおやま たかし、1951年8月10日 - 2009年1月28日)は、日本の元・歌手。 1970年代を代表した男性アイドルグループ「フォーリーブス」のメンバーだった。
本名:城下孝行(しろした たかゆき)。 愛称:ター坊。 身長:165cm、体重:54kg。足:24.5cm。 血液型:A型。
佐賀県佐賀郡高木瀬村(1954年3月31日より佐賀市高木瀬町)出身。 その後、神奈川県川崎市東渡田(後の川崎区田島町) → 杉並区永福町 → 渋谷区幡ヶ谷へと転居して育った。 57歳没。
3児の父親。 長男は歌手の城下カズ




芸名の改名歴

  1. 城下孝
  2. 青山孝
  3. 青山孝史 (2002年より)

所属事務所

  1. 渡辺プロダクション (1966年 - 1967年)
  2. ジャニーズ事務所 (1967年 - 1979年)
  3. サワズ・カムパニー (正式社名:サワズ株式會社。1979年 - 。青山の退所後は「サワズ★カムパニー」に改称し、更に2006年4月に三木プロダクションに吸収されて消滅した)
  4. ノン・エンタープライズ
  5. エフエンタープライズ (再結成後のフォーリーブス活動時の事務所)

学歴

  1. 佐賀市立協楽園小学校 (1963年に佐賀市立高木瀬小学校に統合されて廃校)
  2. 川崎市立渡田小学校
  3. 私立高輪中学校 (男子校)
  4. 私立高輪高等学校 (男子校)
      1学年上には、1972年に俳優・歌手としてデビューすることとなる後藤明(1950年12月20日生まれ。舟山事務所所属)が居た。
  5. 堀越高等学校 (成績優秀のため卒業時に表彰された)
  6. 日本大学芸術学部演劇学科 (中退)


来歴

  • 協楽園小学校4年生の時に父親の仕事の都合で、佐賀市高木瀬町から川崎市東渡田(後の川崎区田島町)に転居。

  • 学校での成績が優秀だったため、小学校の校長先生の推薦により、東京都港区高輪に在る私立男子校の高輪中学校に入学。ここでも優等生だった。

  • 中学3年生の時に「東京音楽学院」に合格。特待生として奨学金を貰いながら1967年まで在籍。 スクールメイツにも選抜された。

  • 1967年、ジャニーズ事務所に入所。 その経緯について、「ジャニーズ事務所に一週間通い詰め、その熱意と根性を認められてジャニー喜多川より入所を認めてもらった」というストーリーが作られて世間に発表されたが、実際の経緯は、むしろジャニー喜多川の方から青山をスカウトしたというものであった。
    フォーリーブスに加入後も、雑誌の表紙で青山が他のメンバーよりも少し大きめのサイズで掲載されたり、グループからの抜粋メンバーとして雑誌の表紙やピンナップ、付録に採用されるケースが非常に多かった。 そしてソロで表紙に抜擢されたのは青山だけであり、グループの顔と言える立ち位置だった。(ソロピンナップは北公次も2度ほど経験。また『月刊明星』(1970年9月号)の付録歌本『Young Song』では、おりも政夫もソロで表紙に採用されている)
                                 

  • 1971年3月、アイドル現役当時に日本大学芸術学部音楽学科声楽コースを受験して話題となったが、惜しくも不合格となった。 その後も芸能活動と受験勉強を両立しながら2浪を経て、1973年4月、3度目の受験で日本大学芸術学部演劇学科に入学した (後に中退)。
    受験勉強や大学への通学、作曲やアレンジの勉強で忙しかったこともあり、ソロでの活動は少なかった。 それでもファンからの人気は高く、当時の雑誌の表紙やグラビアにおいても、メンバーの中で一番大きく扱われることがあった。

  • 1972年の暮れに、ジャニーズ事務所の第ニ号女性タレントで3歳年上の嶋田じゅん(本名:島田純。1970年のミス・ユニバース日本代表のハーフ)との熱愛がマスコミに発覚。 その後、『微笑』(1977年1月29日号)では青山が二股交際をしていたことも暴かれたが、嶋田と約6年の交際を経て、1977年8月26日にロサンゼルスの「ウェイフェア・チャペル (ガラスの教会)」で挙式した。 ハネムーンはラスベガスとハワイ。 披露宴は同年9月11日に虎ノ門のホテルオークラ(後のホテルオークラ東京)で開かれ、その模様は当日フジテレビでも放送された(披露宴の司会者は徳光和夫)。 嶋田との間には、1979年に女児、1982年に男児をもうけた。

  • 1978年8月31日にフォーリーブスが解散。 翌1979年には映画『わが青春のイレブン』の主題歌『季節の中の魚たち』をソロでリリースしたが、同年内にジャニーズ事務所を退所した。

  • 1980年代前半に赤坂で喫茶店をオープン。 更に1988年10月にはおりも政夫と共同で、静岡県浜松市中区肴町316-38 イキシアビル3Fにてショーパブ『ステージバー・グリッター』を開店 (雑誌『FOCUS』1988年11月4日号にも掲載)。 更に翌1989年初頭には同ビル4Fに音楽学校『タレント・ミュージック・スクール』も開校。 このため青山は一時期、単身赴任で浜松市に移り住んでいた。 これら全ての店の出資者はジャニーズ事務所。 しかし音楽学校はすぐに閉校し、ショーパブも3年で閉店となった。
    その後、町田市で妻の嶋田じゅんと共に麻雀荘「青山」の経営、静岡県沼津市でパブのマスター、ホットドッグの店をフランチャイズ展開する会社「ノン・エンタープライズ」の役員などをするようになる。

  • 1991年、名古屋でファンの集いを開催。

  • 1996年8月、バースデーディナーショーを開催。 同年12月、クリスマスディナーショーを開催。

  • 1996年、嶋田じゅんと離婚。 翌1997年、別の女性・めぐみさんと再婚し、1998年1月19日に女児を一人もうける。

  • 2002年にフォーリーブスを再結成。 以後、日本全国で精力的にコンサート活動を開始。

  • 同年11月、芸名を「青山孝史」に改名。

  • 2003年3月、新宿シアターアプルにて、前妻・嶋田じゅんとの間に生まれた女児(当時24歳)、男児(当時20歳)と共に「ファミリーコンサート」を開催。

  • 同年8月、尿管結石を患う。

  • フォーリーブスの全国ツアーの最中であった2008年10月中旬に、肝臓癌であることが発覚。 すぐに入院して抗癌剤治療を開始した。メンバーたちには翌11月後半に告知。 一時は腹水が10kg以上もたまるなどの一進一退の病状で、青山の体調を心配したメンバーはツアーの中止を考えた。 しかし青山は、「4人揃わなければフォーリーブスじゃない」とツアーの続行を強く訴えたため、メンバーも青山の意気込みに押されてツアー続行を決意。 そして、入院先の病院を抜け出す形で出演した11月24日の中野サンプラザホールでのコンサートにて、癌であることは伏せながらも「肝臓の病気が酷くなった」という旨をファンに対して発表した。
    以降もコンサートがある度に病院を抜け出し、2回ステージに立ったが、病状の悪化により、2時間のステージで30分出演するのがやっとの状態だった。

  • 2009年1月16日、肝臓癌であることを公表。

  • 同月25日、新宿・歌舞伎町の行きつけのパブ「Grazie (グラッチェ)」にて、病体ながら大宴会を繰り広げる。

  • 同月28日午前7時、東京都内の病院にて、妻と、わずか11歳(小学5年)の娘に看取られながら逝去した。 57歳没。
    同年2月3日には渋谷区西原の代々幡斎場にて通夜、翌4日には葬儀・告別式がしめやかに執り行われ、フォーリーブスのメンバー3人、初代メンバーだった永田英二、 更には郷ひろみ井上純一豊川誕川﨑麻世らジャニーズ事務所時代の後輩、 歌手の橋幸夫、あべ静江、西城秀樹、野口五郎、 放送作家の山田美保子などの芸能関係者やファンら、3,000人余りが詰めかけた。 また、斎場には黒柳徹子、平尾昌晃、森進一、伊東四朗ら多数の芸能関係者からの供花も飾られた。 そして弔辞に立った江木俊夫は、 「ター坊、言っただろ。『フォーリーブスは永遠に続く』って。約束破るなよ!」、 「ター坊の歌声がフォーリーブスの歌声だった。俺たちはこれからどうするんだ?」、 「(再結成からの)7年間、本当に楽しかったよ」と、目を腫らしながら語った。
    当日の遺影に使われた写真は、妻と娘が「一番似合いそうだから」と選んだもので、霊前には青山が大好きだったという「うな丼」が備えられた。 そして棺の中には、妻子からの手紙、フォーリーブスのレコードジャケットと歌詞のコピー30枚、好きだったお茶やチョコ、マッサージの時に使った手ぬぐい、天国でも作曲が出来るようにと楽譜と鉛筆、そして、亡くなった翌日に青山の訃報記事が1面で報じられた日刊スポーツなどが納められた。 大好きだったお酒と煙草だけは、青山が生前に夫人に「入れなくていい」と言っていたために入れられなかった。
    なお、青山は逝去する3日前に都内のスナックで行われたファンとの会合に出席しており、その際の録音音源が放送作家・芸能コラムニストの山田美保子の事務所に届けられたため、ワイドショー番組にて「最後の声」として放送された。 また、青山の所属事務所はジャニーズ事務所に対して通夜と告別式の日程をFAXで知らせたが、弔電さえも届かなかった。
      (「去った人間などどうでもいい」というジャニーズ事務所の冷徹な姿勢に対し、青山の長男・城下カズは、 「ジャニー喜多川やジャニーズ事務所が嫌い。北公次の時といい、父の時といい、たとえどんな辞め方をしたにせよ、手塩にかけて育てた可愛い子供たちが亡くなった時に何の見送りもしてくれないのは、やっぱり寂しいし、人間としてクソだ!」という旨の動画を、2019年11月28日にYouTubeに投稿し、痛烈に批判している)

  • 2009年3月29日に東京厚生年金会館大ホールで行われたフォーリーブスのラストコンサートには、青山の愛娘・憂子さんも、バックダンサー「スクールメイツ KID'S」の一員として参加した。 憂子さんは2006年12月(小学3年)からスクールメイツのメイツジュニアとしての活動を始めており、約2年間のダンスレッスンの成果をステージで表現。 「緊張しましたけど、楽しかったです。 お父さんのように元気をあげられるような人を目指して頑張ります」とコメントした。

  • 同年9月、おりも政夫とのオフィシャルファンクラブ 「YG Club」が開設 (運営はエフエンタープライズ)。

  • 2010年1月23日には、東京・九段会館で「青山孝史さんを偲ぶ会」が行われ、2,000人を超えるファンたちが献花に集まった。 司会進行はおりも政夫が担当し、北公次と、映画『急げ!若者』の小谷承靖 (つぐのぶ) 監督も駆けつけた。(江木は仕事のため欠席)

  • 2010年8月7日、千葉・舞浜のClub IKSPIARIにて、ビデオLIVE「Takashi Aoyama Video Live The four season of 2006 ~Summer~ Once more」が行われた。 2011年2月20日には大阪市浪速区・Flaming the Arusha、同年11月20日には再び舞浜・Club IKSPIARIで開催。


人物

  • 趣味:スポーツ観戦、SF小説の読書

  • 好きな食べ物:うな丼、ムール貝、オムライス、ぶどう

  • 歌唱力が非常に優れていた。 更に作曲や編曲を学び、実際に作曲も行うなど、グループにおいて音楽面でのリーダー的存在であった。 また、自室をスタジオに改造して、自ら楽器演奏や編曲なども行っていた。

  • 10代の頃から若白髪が非常に多い体質だった。

  • フォーリーブスの中でアクロバットが出来るのは北公次だけだと思われがちだが、青山も砂場で練習してバック転をマスターし、テレビ番組で披露したことがある。 その際、おりも政夫は側転、江木俊夫はでんぐり返しを披露した。

  • 父・忠弘(1930年1月2日生まれ)は水泳の選手だった。 そして佐賀県から関東に転居してからは芸能事務所のホリプロに勤務していたため、フォーリーブスの人気が低迷し始めた頃には、フォーリーブスをホリプロに引き抜こうともしていた。

  • 父方の親戚には、大映映画製作部で助監督をしていた大石要(おおいし かなめ。2012年10月27日に心筋梗塞で逝去)が居た。
    大映退社後は、「パンチ音楽出版」を設立して代表取締役社長となり、新橋の駅前ビルで平凡出版(後のマガジンハウス)公認ストア「パンチ・ショップ」を経営したり、月刊学生情報誌『College Community』の発行や、ピンク女優・原悦子のマネージャーをしていた。 そして政財界にも交遊関係がある顔の広い人物だった。

  • 3歳年下の弟・城下宣博も、かつて「青山信宏」の芸名でジャニーズ事務所に所属していた。 その後、「田村幸司」の芸名で俳優に。

  • 嶋田じゅんとの間にもうけた息子の城下一正(1982年8月4日、神奈川県海老名市生まれ。15歳まで町田市育ち。180cm。O型)は、「X JAPAN」のHIDEに影響を受け、1999年にミクスチャーロックバンド「VIRUS (ヴァイラス)」を結成。 「KAZU」名義でギタリストとして活動し、2001年にBMGファンハウスからシングル『Crazy Doll』でメジャーデビュー。
      (なお、「VIRUS (ヴァイラス)」というバンド名については、X JAPANのHIDEのバックギタリスト・KIYOSHIがかつて在籍していたインディーズのビジュアル系バンドの名前が同じく「Virus (ヴァイラス)」で、それを丸々引用して命名された)
    2003年、メンバーの脱退を機にバンドを解散。 同年3月、新宿シアターアプルにて、父・青山孝史、姉との3人でファミリーコンサートを開催。
    その後はバーテンダーやDJをしながら、おりも政夫のライブに参加したり、元「ハイ・ソサエティー」の杉征夫、元「メッツ」の砂野誠一と共に、「ELECTRONIC JELLYFISH」や、「J・K・P (ジャンケンポン)」といったバンドも結成した。
    2012年、30歳の時に、ロック歌手として再デビューするため、プロデューサー 兼 アートディレクターの駿東宏と共に、個人事務所&レーベル「Jet Planet」を設立。 翌2013年10月15日、「城下カズ」名義でシングル『Fly Away! ~ ボクは再生する』で再デビュー。
    2015年3月、Jet Planetを法人化し、「合同会社 Jet Planet」となる。
    2016年1月8日、神奈川県相模原市にレストラン 兼 スタジオの「Zephyr Caféゼファー・カフェ」をオープン。

  • 「NHKの貴公子」の異名を持っていた武田真一アナウンサーが、青山と顔が似ていると言われている。

  • 青山の墓は高尾山の「東京霊園」にあり、江木俊夫とおりも政夫が墓参りの様子をそれぞれブログで写真付きで綴っている。 戒名は「健唱院与楽青山孝俊居士けんしょういんよらくせいざんこうしゅんこじ」。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ラブラブショー (1977年9月11日 日曜22:00~22:30、フジテレビ)
      「独占!フォーリーブス結婚式完全中継」。 嶋田じゅんとの披露宴番組。 番組司会は芳村真理。 披露宴の司会は徳光和夫。
  • とびだせ!つり仲間 (1981年 - 、テレビ東京)
  • 象印クイズ ヒントでピント (テレビ朝日) ゲスト出演
  • クイズ・ドレミファドン! (1983年~1984年頃、フジテレビ) 江木俊夫と共にゲスト出演
  • 井出洋介名人の実戦麻雀 あなたならどう打つ? (1985年、テレビ東京) 司会
  • ファミっ子大作戦 (1986年4月6日 - 、テレビ東京) 山田昭子と共に司会
      番組名はアニメ『魔女っ子大作戦』からの引用。
  • 所ジョージのハワイおもしろ大合戦! (1986年7月27日、テレビ東京・日曜ビッグスペシャル)
  • おしゃれビリヤード専科 (1987年、テレビ朝日) 司会。 三浦陽子プロ、横関郁子との番組。
  • 土曜の朝にふたりでブランチ (1988年10月11日 - 1990年、千葉テレビ) 司会
  • 春蝶・ざこばのおこしやす! (1988年暮れ、毎日放送) おりも政夫と共に出演
  • バドミントンしま専科 (5分番組。1990年、日本テレビ) 司会
  • ゴルフしま専科 (5分番組。1992年、日本テレビ) 司会。 江木俊夫もゲスト出演。
  • カラオケ一番 (1993年前後、テレビ埼玉) 司会

テレビドラマ

連続ドラマ

  • おれは男だ! (1971年2月21日&28日、日本テレビ)
      第1話と2話にフォーリーブスの4人でゲスト出演
  • 青春をつっ走れ (1972年5月1日、フジテレビ)
      第5話にフォーリーブスの4人でゲスト出演。
  • とことんやれ大奮戦 (1973年、日本テレビ、演出:澤田隆治)
      フォーリーブスの4人での出演。
  • ぼくは叔父さん (1973年10月 - 1974年3月、日本テレビ) フォーリーブスの4人での出演
  • ボクは女学生 (1973年10月5日 - 1974年3月29日、フジテレビ)
      フォーリーブスのメンバーとゲスト出演
  • お姉ちゃん (1973年12月14日、TBS)
      第2話にフォーリーブスの4人でゲスト出演。 板前見習いの田渕たかのり役。
  • 小さなスーパーマン ガンバロン (1977年4月3日、日本テレビ)
      第1話にフォーリーブスの4人でゲスト出演
  • 銀座わが町 (青山は1973年10月31日からの出演。NHK総合)
      森光子経営の酒屋の店員・忠役。 郷ひろみと共演。
         

単発ドラマ

  • ヒヤヒヤ一泊旅行 (1971年7月16日、TBS)
      フォーリーブスの4人での出演。 「矢兵そば屋」(台本の初期段階では「矢口商店」)の店員・ひろし役。
  • 流転の旅笠 (1972年2月3日、フジテレビ)
      フォーリーブスの4人での出演。 バラエティ番組『オールスター 歌にドラマに大ハッスル! 節分なつメロ大特集』内ドラマ。 森進一、天地真理と共演。
  • 切り札をもつ女 ~ 産婦人科院長殺人事件 (1985年2月9日、テレビ朝日)
  • 宅配便で運ばれたヌードギャル ~ 手錠の男と女大逃亡!(1986年3月8日、テレビ朝日)
  • 定年当日の離縁状 二十六年待った妻 (1987年6月22日、テレビ東京)
      1988年度テレビジョンATP賞ベスト20番組選出作品。
  • 文豪サスペンス 「復讐 ~死者からの告発状~」(1988年10月24日、テレビ東京) 首吊り自殺をする倉谷登役
  • 美空ひばり物語 (1989年12月30日、TBS)
      『悲しき口笛』や『東京キッド』の作曲家・万城目正 (まんじょうめ ただし) 役。 あおい輝彦布川敏和と共演。

映画

  • 初笑いびっくり武士道 (1972年1月21日、松竹)
      2003年6月に『びっくり武士道』のタイトルでDVD化。
  • 急げ!若者 TOMORROW NEVER WAITS (1974年7月20日、東宝、監督:小谷承靖)
      隆役。 公開前のタイトルは『僕たちの明日』。
  • 夕ぐれ族 (1984年4月20日、日活ロマンポルノ) 風間良夫役  [1]
  • 恋子の毎日 (1988年12月17日、東映) 西脇役

舞台

  • 東宝ミュージカル 「マイ・フェア・レディ」
      (1978年6月3日 - 28日:東京宝塚劇場、1979年3月1日 - 20日:中日劇場、10月1日 - 26日:梅田コマ劇場) 貧乏貴族の令息 フレディ・アインスフォード=ヒル役
  • 東宝ミュージカル 「ザ サウンド オブ ミュージック」
      (1980年3月1日 - 20日:中日劇場、7月2日 - 27日:梅田コマ劇場、8月2日 - 25日:日生劇場) 郵便配達員のロルフ・グルーバー役。 梅田コマと日生劇場のみ香坂みゆきと共演。
  • 花のお江戸のてんぷく駕籠や (1982年11月3日 - 27日、中日劇場)
  • ミュージカル 「夜明けのシンデレラ」 (1984年)
  • 細川たかし 特別公演 「新宿情話」 (1984年4月29日 - 5月29日、新宿コマ劇場)
      大村崑、麻丘めぐみ、ガッツ石松らと共演。
  • 伊東四朗の納涼特別公演 五月みどりを迎えて (1984年7月5日 - 、中日劇場)
  • 愛の伝説 ~文麻呂となよたけの世界~ (1984年10月2日 - 、全17回公演、主演:田中健)
  • ダンス・シアター・コンパニア・マリカ公演 「午前3時のティータイム」
      (1985年8月14日 - 25日、星降会館、共演:マッハ文朱、横山あきお) 主演

ラジオ

  • ラジオエッセイ 西崎義展と宇宙戦艦ヤマトの友たち (1979年7月13日、ニッポン放送)
      深夜の「オールナイトニッポン 第一部」枠で放送された2時間特番。 青山は番組の最後に登場し、西崎義展が音楽プロデューサーとして参加した映画『わが青春のイレブン』の主題歌「季節の中の魚たち」を披露した。
  • ミッド・ナイト・プラザ (1984年、ラジオ日本) レギュラー
  • 杉紀彦のラジオ村 (2002年8月29日、ラジオ日本) ゲスト出演

イベント

  • 映画『急げ!若者』上映会 (2007年1月31日、東京国立近代美術館フィルムセンター)
      トークショーの予定は無かったが、上映後に急遽、北公次、小谷承靖監督と共にステージに登壇し、少しだけトークを繰り広げた。
  • FL 青山孝史 Songs Forever (2024年1月28日、三軒茶屋・音楽食堂 夢弦)
      青山の命日に、元ハイ・ソサエティーの杉征夫が主催。 バンドメンバーは杉征夫(ボーカル、ギター)、村田勝美(ドラム)、木村朋徳(ベース)、市村知子(コーラス)。

WEB

  • YG Club LINEスタンプ
      (おりも政夫とのLINEスタンプ。第1弾:2021年8月10日、第2弾:10月26日、第3弾:11月19日)
  • 青山孝史 13th Memorial Special Live
      (2022年1月29日、ツイキャスでの有料生配信。視聴チケット:3,500円)
      前年の2021年が13回忌だった青山の生前の映像を、おりも政夫がMZES赤坂で観ながら2時間に渡って配信。


ディスコグラフィ

シングル

  • 若いってすばらしい c/w 恋のジェンカ (1967年3月、キングレコード) 「スクールメイツ」名義
  • 季節の中の魚たち c/w 青春貴族 (1979年7月21日)
  • 潮騒の季節 c/w ワンナイトトリップ (1981年3月)
      A面曲は、テレビ東京『とびだせ!つり仲間』テーマ曲。
      作詩・作曲:青山孝、補作詩:実川しげる、編曲:高橋洋一。
  • 塩屋の岬 c/w かもめ (1990年9月21日。CDとカセットテープで発売された演歌)
      「塩屋の岬」とは、福島県いわき市平薄磯宿崎に実在する「塩屋岬」で、美空ひばりの1987年のシングル『みだれ髪 c/w 塩屋みさき』の2曲で歌われて有名になった場所。

アルバム

  • 幸福しあわせというふた文字 (1977年10月1日)
      当初は同年8月10日発売の予定だった。 全13曲。ポスター付き。 青山自身が全て作曲し、その内6曲は作詞も担当した。
      なお、このアルバムに1979年のシングル『季節の中の魚たち c/w 青春貴族』を加えたCD版が、2009年3月17日にソニー・ミュージックダイレクトの「オーダーメイドファクトリー」レーベルより発売された。

       

客演参加

  • 初恋地獄篇 (LP:1970年、CD:2004年12月25日、再発CD:2011年9月30日)
      天井桟敷レーベル第一弾アルバム。 120人の著名人が次々に初恋のエピソードを告白する「初恋告白 / 声の署名」に、北公次と共に参加。

提供楽曲

  • 梓みちよ 『ひとり暮し』
      (作詞・作曲を青山が担当。 梓のシングル『ノクターン』のB面曲。1977年9月5日)


DVD

  • TAKASHI AOYAMA BIRTHDAY LIVE 2008.8.10 RIHGA ROYAL HOTEL (2008年、BOX仕様)


雑誌

  • 週刊ポスト (1976年12月10日号、小学館)
      「有名人麻雀大会」のコーナーに参加。 赤坂の料亭にて、グレート小鹿、砂川啓介、松原誠と対局した。


パンフレット

  • 青山孝史 LIVE パンフレット
      (ファンクラブ限定販売。2008年11月8日に六本木「STB139 Sweet Basil」で行われた最後のソロLIVEの模様を写真で綴ったパンフレット。 A4版、32P。 また、2007年3月25日に同じくSweet Basilで行われたライブより、『ずっと君を愛してた』の1曲を収めたDVD付き)


カレンダー

  • YG Club オリジナル 2011 カレンダー
      (ファンクラブ限定販売。おりも政夫とのカレンダー。ハガキサイズでの13枚セット)


モデルとなった作品

  • スター小説 青山孝物語 (『週刊マーガレット』 1969年6月22日号 - 12月28日号、全28回、集英社)







出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より改訂
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