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西条昇

西条 昇(さいじょう のぼる、1964年7月31日 - )は、東京都千代田区飯田橋出身のお笑い評論家、ジャニーズ研究家、カレー評論家。
元・ジャニーズJr.、落語家、お笑いタレント、役者、放送作家。  専修大学松戸高等学校中退。

  • 一般社団法人 日本放送作家協会 会員 (1990年1月 - )
  • 共同組合 日本脚本家連盟 会員 (1990年1月 - )
  • 早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校 講師 (2001年10月 - 2002年3月)
  • 帝京平成大学 非常勤講師 (2003年4月 - 2006年3月)
  • 一般社団法人 日本喜劇人協会 理事 (2003年9月 - 2009年8月)
  • 江戸川大学メディアコミュニケーション学部マス・コミュニケーション学科エンターテインメントコース 教授
      (2005年4月より専任講師→准教授を経て教授に。 この学科で専任講師時代の西条の授業を受け、更に「西条ゼミ」にも在籍していた生徒に「ふぉ〜ゆ〜」の松崎祐介が居る)
  • 笑いと健康学会 理事 (2007年4月 - )




来歴

  • 飯田橋の靴屋の息子として生まれる。 父親は元役者志望。 母親はかつて「ロカビリー3人男」や飯田久彦のファンで、日劇ウエスタンカーニバルやジャズ喫茶、ロカビリー喫茶に通い詰めていた。
    西条は、父親に連れられて浅草ロック座で“デン助”こと大宮敏充の芸などを観る内に、小学校低学年の頃から「演芸」、「喜劇アイドル」が好きになり、都内の寄席や劇場、日劇ウエスタンカーニバルなどに通うようになった。

  • 1980年10月、専修大学松戸高等学校を1年生の2学期で中退。 当時のクラスメイトには後に女性タップダンサーとなる橋本さちが居た。

  • 同10月、16歳で落語家・三代目三遊亭圓歌えんかに弟子入り。「四代目三遊亭すみ」の名跡を与えられる。

  • 同年末頃、明石家さんまとうつみ宮土理が司会のTBSのバラエティ番組に、高校のクラスメイトだった橋本祥らと3人で出演してスリー・ファンキーズの『ナカナカ見つからない』を歌う。

  • 1981年、同じく16歳の時に、アイドル雑誌に「野村ヨッちゃんの仲間募集だよ」と小さく書かれたジャニーズJr.募集の記事を見つけ、履歴書に「ジャニーズに入ってお笑いをやりたいです」と書いて応募。 するとそのコメントを面白がったジャニー喜多川から直接電話をもらい、オーディションに招かれる。 同年6月 or 7月に行われたオーディションでは、ジャニーズJr.のメンバーが弾くピアノに合わせて、当時発売されたばかりのひかる一平の1stシングル『青空オンリーユー』を課題曲として歌わせられた。 その結果、膨大な応募者の中から、西条を含む3名だけが合格。 しかし西条はダンスレッスンに全くついていけず、すぐに退所してしまった。

  • 19歳(1983年12月)で落語を辞め、約10人編成のコミックバンド「サイジョーズ」を結成。
       
    1984年6月からはフリーの喜劇俳優としても活動。 コミックバンドでは20歳まで活動し、『冗談画報』(フジテレビ)と『11PM』(日本テレビ)に出演して20分位ずつライブも披露した。 植木等の曲をコピーしたり、しりあがり寿に詞を書いてもらったり、友人のラッキィ池田に振りを付けてもらったりしていた。 バンドメンバーは、横町こすず(後の横町慶子)、福間ミサ(後の福間未紗)など。 ドラムは元「ジューシィ・フルーツ」の高木利夫だった。

  • 1986年8月2日公開の映画『キネマの天地』(監督:山田洋次)の出演者オーディションに合格し、出演。

  • 1988年1月、TBS『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』にてフリーの放送作家としてデビュー。 以降、数多くのバラエティ番組の構成を手掛ける。

  • 芸能事務所「サイジョーズ」を設立。 お笑いコンビ「プリンプリン」などを所属させる。

  • 1996年6月、フリーでお笑い評論家・芸能史研究家・演劇評論家としての活動を開始。

  • 1997年、お笑い雑誌『AJAPAアジャパー』(平和出版)の創刊時に監修協力。

  • 1999年12月、ジャニーズ事務所について研究した書籍『ジャニーズお笑い進化論』を上梓。

  • 2000年に、東京新聞でミュージカル『SHOCK』について書いたコラムが、俳優・志村喬の未亡人・島崎政子(通称:志村ママ。ジャニー喜多川の友人)の目に留まる。 そして島崎はそのコラムを切り取り、「私がジャニーに言いたいこと、この人が全部書いてくれてるから、ジャニー読んで」と言ってジャニーにコラムを届けた。 その結果、西条の文章がジャニーに気に入られ、東宝のプロデューサーを経由して次の公演の時に招待され、約20年ぶりにジャニーと再会した。
    かつて短期間ながらジャニーズJr.であったことも手伝い、以降はジャニー喜多川のインタビュー取材を任されたり、ジャニーズタレントの舞台公演に招待してもらえるようになり、「ジャニーズ研究家」の肩書きを掲げるようになった。

  • 2001年10月から2002年3月まで、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校の講師を務める。

  • 2003年4月から2006年3月まで、帝京平成大学の非常勤講師を務める。

  • 2005年4月より江戸川大学メディアコミュニケーション学部マス・コミュニケーション学科エンターテインメントコースの専任講師となり、エンターテインメント論、アイドル論、お笑い論を教え、西条のゼミ「西条ゼミ」では業界志望学生の就活指導も行う。 2011年4月に准教授に昇格。 更に2018年4月に教授に昇格した。


人物

  • 趣味 - 江戸・明治・大正・昭和の浅草芸能資料の収集。 ブラジルのズークやキューバン・サルサなどのペアダンスを踊ること。


イベント出演

  • 特別公開講座 「男性アイドルの誕生 〜ジャニー喜多川氏とその時代〜」 (2019年11月28日、東京家政学院大学・千代田三番町キャンパス「ローズホール」) 講師
  • 西条昇教授と歩くジャニーズ誕生の地 〜原宿ワシントンハイツ跡地周辺〜 (2023年2月4日。参加定員:30名) 引率教授
  • 深見千三郎生誕100年特別企画 西条昇教授と歩く『浅草キッド』の世界 (2023年2月25日。参加定員:30名) 引率教授
  • 緑と水の市民カレッジ講座 都立公園150周年記念事業A 「浅草公園が日本一の興行街になった理由」 (2023年6月15日、日比谷公園・緑と水の市民カレッジ講習室) 講師
  • 西条昇教授と歩く日本のロックとアイドルが生まれた街 〜in 日比谷〜 (2024年2月10日。参加定員:20名) 引率教授
  • 他・・・


著書

  • 東京コメディアンの逆襲 (1996年6月:博美館出版〔単行本〕、1998年3月:光文社〔文庫〕)
  • 江戸前で笑いたい 〜 志ん生からたけしへ
      (高田文夫との共著、1997年1月:筑摩書房〔単行本〕、2001年9月:中央公論新社〔文庫〕)
  • 特集アスペクト28 平成「お笑い」最前線 今世紀最後のブームを大検証 ! ! (1997年10月、アスペクト) - 編著
  • ガチンコ! 若手お笑い芸人読本 (1998年9月、勁文社)
  • 笑伝・三波伸介 〜 びっくりしたなあ、もう (1999年12月、風塵社)
  • ジャニーズお笑い進化論 (1999年12月、大和書房)
  • お笑い研究所 (2000年9月、風塵社)
  • ニッポンの爆笑王100 〜エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々〜 (2003年9月、白泉社)
  • お笑い芸人になる方法 (2007年8月、青弓社)
  • 文学展「浅草文芸、戻る場所」キャプション集
      (浅草文芸ハンドブックの会との共著。2018年9月、浅草文芸ハンドブックの会)
  • この他、連載、寄稿、論文多数


新聞

  • ジャニー氏と長年親交、お笑い評論家の告白 おぞましく、許せない行為 自身も性被害の可能性、抱えた葛藤 (2023年11月17日付 夕刊、毎日新聞) [1][2]


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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