Archive of STARTO





宇治正高

 
  


宇治 正高(うじ まさたか、1967年11月21日 - )は、東京都渋谷区生まれ、品川区中延育ちの元・ジャニーズJr.、俳優。
1980年代にジャニーズ事務所に所属し、「イーグルス」のメンバーとしてレコードデビュー。
その他、数多くのテレビドラマでも活躍した。 愛称は、ファンからは「マーチン」、「マーヤ」、仲間からは「宇治っちょ」。 身長:183cm、体重:83kg、血液型:A型。
子供は4人 (1男3女)。 長男は俳優・モデルの宇治清高。 甥の宇治一世も俳優。
なお、苗字の「宇治」の正確なイントネーションは、「富士」に同じ。

  • 元・フリークスジャパン 代表取締役
  • ポスメディア 第3企画営業部部長、および取締役
  • カフェーメディア 取締役
  • 社団法人 東京都紀尾井町倫理法人会 副会長
  • 東京都港区台場自治会 副会長
  • 自警団 「台場防犯隊」 副隊長
  • 東京都港区美化推進委員 「レインボーキャップ」 委員
  • 東京都中央区 社会人軟式野球チーム 「銀座キラーズ」 背番号6番 ファースト
  • 防災士




所属事務所

  1. ジャニーズ事務所 (1981年~1988年)
  2. 事務所不明 (1991年頃まで)


ジャニーズ時代の参加ユニット



学歴

  1. すみれ幼稚園 (品川区)
  2. 品川区立大原小学校
  3. 品川区立荏原第四中学校 (校内暴力で有名だったヤンキー中学)
  4. 明治大学付属中野高等学校 (定時制)


来歴

  • 中学2年生の時、テレビドラマ『2年B組仙八先生』を観て、出演者(後の「シブがき隊」メンバー)に会いたくなり、1981年の後半、彼らが出ていた生放送の公開バラエティ番組『ザ・ヤングベストテン』の会場であるテレビ東京に、同じ中学のクラスメイト・蓬田利久と共に出向くようになった。 そんな中、テレビ局の前で出演者の薬丸裕英に話しかけて親しくなる機会に恵まれ、談笑をしていた際、ジャニー喜多川から「ジャニーズ入らない? 来週からレッスンおいで!」とスカウトされ、蓬田と共に入所。
    (アイドル雑誌では「TBSテレビの前でスカウトされた」と書かれた記事が複数存在するが、実際にスカウトされた場所は、当時東京タワーの真横にあったテレビ東京本社の前である。 「仙八先生の出演者に会いたくてテレビ局に行った」という宇治の発言に対し、雑誌記者が「仙八先生の放送局のTBSテレビのことだ」と勘違いしたのが誤植の原因)

  • ジャニーズJr.としての活動開始後、まずは『ザ・ヤングベストテン』に出演し、近藤真彦の真似で注目を浴びる。 そして1982年6月、TBSのテレビドラマ『おはよう24時間』で俳優デビュー。

  • 1983年3月25日、「イーグルス」のメンバーとして、『走れ!ゴーインBOY』でレコードデビュー。

  • イーグルス消滅後はジャニーズJr.としてしばらく俳優業を続けていた。 また、1986年初頭に三好圭一らと5人組のドゥーワップバンド「ソウルブラザーズ」をプライベートで結成。 毎週日曜日に新宿のレコード店の2階のスタジオで練習していた。 同年7月からは、このバンドメンバーでローカルコミュニティFMのレギュラーラジオ番組を持つようにもなった。

  • 1988年にジャニーズ事務所を退所。 その後は𠮷野家の店長をしながら、芸能事務所にも所属して俳優活動も続けた (テレビドラマ『特救指令ソルブレイン』など)。

  • 23歳の時に出会った女性と、後に授かり婚をし、これを機に芸能界を引退。 大手損害保険会社での営業を経て、25歳で友人と起業。 自動車洗浄・カーコーティング業、損害保険会社の代理店業、携帯電話ショップの代理店業など、幅広い事業を行う会社「フリークスジャパン」の代表取締役となった。
    しかし、友人の借金の保証人となり、負債を負ってすべてを失い、廃業。 以降は、昼はトラックの運転手、夜はカラオケボックスのアルバイトを経て、店長、更には3店舗経営を任される社長へと昇格した。
    その後、会長から命じられてグループ企業の不動産会社(売買賃貸管理)で10年間業務を学び、いよいよ同社の社長になろうかという2008年にリーマンショックに遭い、同社を離れる。
    そして、元ジャニーズJr.の友人・蓬田利久に招かれ、蓬田のいとこが社長を務めるマーケティング&ポスティングサービス&広告代理店の会社「株式会社ポスメディア (2010年5月までの旧名:有限会社セキネッツ)」に、営業マンとして2009年5月26日に入社。 その後、第3企画営業部の部長、および取締役に就任した。 また、子会社「株式会社カフェーメディア」の取締役にも就任。 なお、ポスメディアには宇治の誘いで、元ジャニーズJr.の石丸志門も2012年11月に営業マンとして入社したが、すぐに退職。 更に宇治に同社を紹介した蓬田自身が、2015年よりやはり営業マンとして入社している (蓬田の妻も事務職で入社)。

  • 2014年、元ジャニーズJr.の新田毅に誘われ、文部科学省生涯学習政策局所管の社会教育団体である、「社団法人 倫理研究所」の下部組織「東京都倫理法人会」に同年12月2日に入会。 同会の17箇条の教えを学び、実践。 やがて東京都紀尾井町倫理法人会の副会長に就任し、「過去と他人は変えられない。変えられるのは今と未来と自分」を信条に、経営者モーニングセミナーの講師も務めるようになった。

  • 2023年10月、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、内海光司がまだジャニーズ事務所に所属し続けていることを問題視した浅草の「マルベル堂」が、自主規制により宇治も写っている「イーグルス」の生写真のネット上での販売をすべて禁止にする。[1]


人物

  • 特技はゴリラのものまね。

  • 母子家庭で育つ。 三人兄弟の末っ子で、兄は2人とも「東京電力」に勤務。
    家族揃っての熱心な創価学会員で、「デビュー出来たのは信心のおかげ」といつも言っていた。

  • 芸能活動と並行して牛丼の𠮷野家でもアルバイトをし、店長候補にまでなっていた。(芸能界引退後は、実際に店長に昇格)

  • 一度、ジャニー喜多川を激怒させて合宿所内で追いかけ回されたことがあり、その際に宇治は、合宿所にあった巨大な冷蔵庫の中に隠れたという逸話を持つ。(中村繁之がラジオ番組『錦織一清のスーパーギャング』内で語った)

  • バイクが好きで、まだ無免許だった頃から原付バイクを乗り回していた。 その後、大型バイクの免許を取得。

  • ジャニーズ事務所に在籍していた当時、一時期アムウェイに凝り、多くのファンや事務所の後輩達が、実際に宇治からの勧誘を受けている。

  • 船越英一郎や若き日の南原清隆、北野誠などに顔が酷似していた。

  • 優しい性格の持ち主で、ジャニーズ事務所の仲間たち皆から好かれていた。 面倒見も良く、後輩たちからも非常に慕われていた。 特に仲が良かったメンバーは、中村繁之、ジャニーズJr.の木暮毅ら。 更に植草克秀とは、ジャニーズ退所後もずっと交友が続いている。

  • 好きな言葉 - 「冬は必ず春となる」

  • 2001年7月8日放送のフジテレビ『あっぱれさんま大先生』にて、息子の宇治清高(1993年12月19日生まれ、O型)と共にインタビュー出演をした。
      清高はその後、「スターダストプロモーション」に所属する俳優・モデルとなり(2015年11月まで7年間所属)、資生堂「シーブリーズ」のCM(2010年4月26日 - )では川島海荷の相手役を好演。 2012年の連続ドラマ『理想の息子』(日本テレビ)では、山田涼介率いるジャニーズ勢とも共演した。
      2015年より、以前から興味のあった海外でのビジネスやエンタテインメントを勉強するため、約3年に渡り、ニュージーランド、カナダに渡航。
      2018年に帰国し、舞台『SEPT Vol.8 「MIRRORION (ミラリオン)」』(同年11月7日 - 12日、銀座博品館劇場)に主演し、俳優業を再開。 初舞台にして初座長を務めた。
      2019年1月より「カクトエンタテインメント」に所属。
      2020年、カクトエンタテインメントを退所し、フリーに。 [1][2][3][4]

  • 2016年1月9日、同じ「イーグルス」のメンバーだった大沢樹生と、芸能界引退以来初めて再会。 実に、約30年ぶりの対面となった。

  • 防災士の資格を保有している。 また、2016年6月29日に東京都港区台場1丁目で発生した火災にいち早く駆けつけて消火活動を行ったことで、同年7月29日に芝消防署にて消防総監感謝状を贈呈された。


主な出演作品

バラエティ番組

  • ザ・ヤングベストテン (1982年、テレビ東京)
  • レッツGOアイドル (1982年10月16日 - 、テレビ東京)
  • 第10回記念 オールスター寒中水泳大会 (1983年2月8日、フジテレビ)
  • たみちゃん (1984年7月24日 - 10月16日、テレビ朝日)
      そば屋を舞台にした公開録画コメディー番組。
      番組自体は1984年6月5日 - 1985年3月19日(毎週火曜)の放送。
  • 第16回 オールスター紅白水泳大会 (1985年7月16日、フジテレビ)
  • あっぱれさんま大先生 (2001年7月8日、フジテレビ) 息子の清高と共にインタビュー出演
  • 他・・・

テレビドラマ

連続ドラマ

  • おはよう24時間 (1982年6月3日 - 9月30日、TBS) 学役。 あおい輝彦と共演。
  • 『ヤンヤン歌うスタジオ』内の5分枠ドラマ (テレビ東京)
    • マッチの青春叛逆児 (アウトロー) (1983年1月9日 - 6月5日)
    • マッチの青春叛逆児 (アウトロー) PART2 (1983年6月12日 - 1984年1月22日)
  • 金曜日の妻たちへⅡ 男たちよ、元気かい?
      (1984年7月6日 - 10月5日、TBS) 藤井勝志〔田中好子の弟〕役
       内海光司、ジャニーズJr.の新井紀一と共演。
  • 気になるあいつ (1985年8月3日 - 12月28日、日本テレビ) 生島学園高校 日の出寮生・相沢和己役。 主役2回。
       
  • オレの妹急上昇 (1987年11月16日 - 1988年3月21日、フジテレビ) 内田英二役
  • オトコだろッ! (1988年9月15日、フジテレビ) 第6話に詐欺師の田所学役でゲスト出演
  • 特救指令ソルブレイン (1991年4月28日、テレビ朝日) 第15話「人形は平和の使者」にて田口役
       

単発ドラマ

  • 月曜ドラマランド (フジテレビ)
    1. どっきり双子先生 乙女学園男子部
        (シリーズ全8話、1983年11月14日 - 1984年3月19日) 昭次役
    2. 乙女学園すみれ寮 (シリーズ全4話、1984年4月23日 - 9月10日) 昭次役
    3. 少年隊のただいま放課後スペシャル (1984年6月4日) 河本 (かわもと)
    4. 夢カメラ 第1話 『不思議少女・サヨコ』 (1986年3月3日。後にビデオ化) 
        劇中に登場する写真店は、渋谷区元代々木町4にあった写真店「さくら堂」でロケされた。
    5. 藤子不二雄の夢カメラ 第2話 『さ・よ・な・らジゴロ』 (1987年3月2日。後にビデオ化)
    6. タッチ (1987年6月1日)
  • オールスターアイドルドラマ 「走れ青春 42.195キロ ~ 涙と汗のマラソン野郎」
      (1984年4月11日、テレビ東京、企画・監修:井上梅次)
      近藤真彦、シブがき隊、中村成幸、川原田新一と共演
  • 危険なふたり (2) (1985年4月10日、TBS)

映画

  • ハイティーン・ブギ (1982年8月7日、東宝)
  • TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever (1983年8月4日、東宝)
  • あいつとララバイ (1983年12月24日、東宝)
  • 夜叉 (1985年8月31日、東宝) ヒデオ〔田中邦衛の長男〕役
  • 自由な女神たち (1987年2月7日、松竹) 「草津芸能社」の社員〔松坂慶子&桃井かおりのマネージャー〕役

舞台

  • ミュージカル・アドベンチャー『ザ・サスケ』 / ヒット・パレード
      (1985年4月 - 5月、梅田コマ劇場)
  • ラ・カージュ・オ・フォール (1986年7月4日 - 8月31日、帝国劇場・東宝ミュージカル)
  • ガラスの仮面 (プレビュー公演:1988年8月2日、本公演:3日 - 27日、新橋演舞場)
      劇団オンディーヌの小川役。 演出:坂東玉三郎(5代目)、音楽:ミッキー吉野。 川﨑麻世、ジャニーズJr.の木暮毅と共演。
  • ロミオとジュリエット (1988年9月4日 - 25日、サンシャイン劇場)
      演出:坂東玉三郎(5代目)。 ジャニーズJr.の木暮毅と共演。

ラジオ

  • 番組名不明 (1986年7月 - 、FMスカイ、88.8MHz)
      FMスカイとは、かつて東京都中野区に存在したミニFM局 (100~200メートル程度しか電波の届かない微弱無線局)。 毎週水曜21時からの1時間30分番組。 ドゥーワップバンド「ソウルブラザーズ」のメンバーでのレギュラー番組。







出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
Text is available under


We welcome links from other websites.
Copyright of my site's all original sentences © Archive of STARTO. No rights reserved.

inserted by FC2 system