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赤木さとし

 
     


赤木 さとし(あかぎ さとし、本名:伊勢里志、1960年3月30日生まれ)は、かつてジャニーズ事務所に所属していた元・男性アイドル歌手。 秋田県鹿角市十和田出身。 同県立花輪高等学校卒業 (部活は陸上部)。 身長:173cm、体重:54kg。 二女の父。




来歴

  • 中学3年生の時に雑誌『月刊明星』や『月刊平凡』のジャニーズ・ジュニア募集の記事を見て応募し、高校1年生の時に合格。 しかしジャニー喜多川から「高校を卒業したら上京しなさい」と言われ、1978年春に上京して正式に入所した。
    その後、ソロでレコードデビューすることが決まり、同年に「赤木さとし」の芸名が与えられる。 由来は、レコード会社(クラウンレコード)が坂にあり、ジャニーズ事務所が六本にあったから。また、「赤木」という漢字は左右対称で見栄えが良く、姓名判断でも左右対称の文字は吉とされることから命名された。 そして「赤木」繋がりということで、かつて拳銃映画で名を馳せた往年の銀幕スター・赤木圭一郎になぞらえ、デビューシングルのタイトルは『愛よ君を撃て』になり、販促品としてピストル型のライターも製作された。
       

  • 元・フォーリーブス青山孝からの歌唱指導を受けながら、1979年2月25日に『愛よ君を撃て』でレコードデビュー(録音日は1978年11月24日)。 デビュー時のキャッチフレーズは、100mを11.1秒で走る駿足から、「走れ! 走れ! 赤木さとし」、「走れ!さとし 青春のきらめきの中を・・・・・・」の2種。
    「第10回 日本歌謡大賞新人祭り」(1979年度大会。担当放送局:テレビ東京)の放送音楽連盟・新人連盟賞にて、9名の優秀新人の一人に選ばれる。 また、「日本テレビ音楽祭」の新人賞候補にも選ばれてノミネート大会に出場したが、本選には進めなかった。

  • 合計4枚のシングルレコードを発表して芸能界を引退。 その後は都内でスナックを経営。

  • 2011年2月6日、忍者ツールズにてブログを開設。 更に同年6月9日からはGREEでもブログを開設し、世田谷区池尻で芸能事務所「ファントブエージェンシーを興して、無名ミュージシャンたちの発掘・育成活動を行っていることを公表した。
    また、赤木自身も「一般社団法人 日本タレント協会」に登録し、協会の公認タレントという肩書きを持っていた。 なお、忍者ツールズのブログは2011年秋に一度閉鎖したが、2012年1月12日に新設された。

  • 2008年に胃潰瘍、2012年5月22日に食中毒を患った他、2013年6月頃より貧血などの症状が悪化して体調を崩し始め、入退院、手術を繰り返すようになる。 2014年4月19日でブログの更新も止まり、安否の確認が取れていない。
    なお、ネット上の一部情報では、2014年に54歳で病気で逝去したとされている。


人物

  • 父親は国鉄職員だった。

  • 普通自動車第一種免許、全商簿記3級保有。

  • 子供の頃は石を投げて窓ガラスを数十枚も割ったり、池の鯉を殺すなど、近所でも評判の悪ガキだった。

  • 中学、高校と陸上部に所属。 専門は短距離走で、歌手になる前はオリンピック選手を目指していた。 中学3年生の時に200m走で「24.0秒」を出し、鹿角市の記録を更新した。 秋田の高校1年生の時に出場したインターハイでは、100m走で「11.1秒」を記録した。 他に得意なスポーツは、水泳、スキー、バレーボール、野球。

  • 趣味 - 音楽鑑賞、ファッション、テレビでの相撲観戦

  • 憧れの歌手 - 沢田研二

  • デビュー後まもなくして、目を二重瞼に整形している。 整形前と整形後では、印象が別人の様に違っている。


エピソード

  • 1997年2月4日、TOKYO FMのラジオ番組『赤坂泰彦のミリオンナイツ』内の人気コーナー「うさんくさいポップス」にて、赤木の曲『マサオ』が紹介された。 すると、そのインパクトの強い曲の内容が大変な反響を呼び、以後何度も同曲が番組で取り上げられるようになった。
    そして同年8月19日には、SEや他の曲をミックスしたスペシャルリミックスバージョン『マサオ Remix 〜 Altanative underground human nature mix, up & down, why did you ever go?』まで番組内で作られ放送された。
    なお、イントロで人の名前を叫ぶ点が1967年8月10日発売の藤健次(元スリーファンキーズの高倉一志)のシングル『雪子のロック』と同じで、『雪子のロック』もやはり「うさんくさいポップス」で取り上げられた。

      ジャケット写真で着ている黒いジャンパーは、おりも政夫から貰った物。

  • 1984年に「赤木さとし」を名乗るアマチュア歌手が現れ、ビクター音楽産業への委託制作(広義での自主制作)でカバーシングル『紫陽花あじさい c/w わけ知り顔で』をリリースした (A面曲の原曲は池田秀一)。 しかしこれは同姓同名なだけで、元ジャニーズの赤木さとしとは別人である。
    この同姓同名の歌手は、1985年1月にはキングレコードへの委託制作でカバーシングル『想い出の桟橋』をリリース (原曲は平山良二で、同じくキングレコードへの委託制作)。 更に1986年1月には徳間ジャパンのレーベル「ミノルフォンレコード」への委託制作でもシングル『夫婦花』をリリースした (同曲は作詞・作曲者の富士一郎も1989年にキングレコードへの委託制作でセルフカバー)。
        
         
       


主な出演作品

バラエティ番組

  • 歌謡ホットプレゼント (1979年3月9日、テレビ東京) 『愛よ君を撃て』を歌唱
  • ひるのプレゼント 「翔け!ニューボイス」 (1) (1979年6月4日、NHK総合)
  • 第11回 オールスター紅白水泳大会 (1980年7月、フジテレビ・火曜ワイドスペシャル)


ディスコグラフィ

シングル

  • 愛よ君を撃て c/w 故郷の君へ (1979年2月25日)
  • ゲットバック c/w 雨のため中止 (1979年7月2日)
  • マサオ c/w 今年もおいでよ (1980年3月25日)
  • いとしのカントリーガール c/w 硝子のルビー (1980年8月25日。レコーディング日:同年6月28日)

オムニバスアルバム

  • 幻の名盤解放歌集 (2)・日本クラウン編 ハートを狙い撃ち (1992年12月10日) 『マサオ』を収録
  • 幻の名盤解放箱 (14枚組のBOX仕様。1999年12月10日)
      Disc-2「ハートを狙い撃ち【日本クラウン編】」に『マサオ』を収録
  • 幻の名盤解放箱 (再販版。15枚組のBOX仕様。2005年2月18日)
      Disc-2「ハートを狙い撃ち【日本クラウン編】」に『マサオ』を収録
  • THE BEST OF 幻の名盤解放歌集 王道 MUXIMUM解毒歌謡 (2007年7月20日) 『マサオ』を収録


外部リンク








作成日:2007年8月18日

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