中谷良
中谷 良(なかたに りょう、本名:中谷良三 〔なかたに りょうぞう〕、1947年9月18日 - )は、東京都渋谷区初台生まれ、同区代々木育ちの元・歌手、俳優。
初代ジャニーズのメンバー。 愛称:良ちゃん、良、良三。 身長:170cm。 4人兄弟の末っ子 (兄2人、姉1人)。
所属事務所
- 新芸能学院 「芸研ジャニーズ」 (1962年3月 - 1964年7月)
- ジャニーズ事務所 (1964年6月29日 - 1967年12月31日。当初は渡辺プロダクションとも業務提携)
- 渡辺プロダクション (1968年)
- 再びジャニーズ事務所 (1974年の夏から約1年)
- JRプロモーション (1977年)
ジャニーズ時代の参加ユニット
学歴
- 渋谷区立幡代小学校
- 渋谷区立代々木中学校
- 私立堀越高等学校
-
同級生には松崎澄夫(旧芸名:轟健二)が居た。
なお、中谷が堀越高校の芸能人生徒・第一号だとしている文献があるが、それは誤報。 堀越の芸能人第一号は田辺靖雄。
- 日本大学芸術学部
来歴
- 1962年4月、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成。 1964年11月5日にレコードデビュー。
- 1967年12月31日、ジャニーズが解散。 同時にジャニーズ事務所からも退所。
- その後、渡辺プロダクションに移籍してバンドを結成するも、活躍できずに終息してしまったため、大阪に出向いて振付師の山田卓の元へ身を預け、2年間に渡りナイトクラブを回って演奏活動をしていた。
その途中、一時帰京していた1969年3月中旬に赤坂で交通事故を起こす。 その際、睡眠薬のハイミナールを服用しており、更に無免許で車も盗難車だと発覚して警察に逮捕された。
同年12月にはジャニーズ事務所から仕事を貰い受け、後輩のフォーリーブスのミュージカル『オオ・マイ・ママ』にも出演した。
- 完全に帰京後は、赤坂のディスコ「ミステリーゾーン あなぐら」の店長を2年間務めながら、たまにジャズバー「よいどれ伯爵 六本木店」で歌っていた。
また、1974年の夏から1年ほどジャニーズ事務所に復帰し、後輩のフォーリーブスや郷ひろみのミュージカルに出演。
- その後、千代田区麹町の芸能事務所「JRプロモーション」に所属し、1977年5月25日に宇崎竜童が作詞・作曲したシングルレコード『悲しきティーンエイジ・アイドル』をリリース。
キャッチフレーズは「甦る湘南ポップス!」だった。
- 更にその後、長い沈黙を経て1989年に暴露本『ジャニーズの逆襲』を上梓。
1992年には元・フォーリーブスの北公次主演のVシネマ『怪獣の観た夢』にも出演した。
同じく1990年代には、あおい輝彦のコンサートにも特別ゲストとして出演した。
- 2023年10月、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、浅草の「マルベル堂」が自主規制により、性犯罪者「ジャニー喜多川」を想起させる名称のグループだとして、中谷も写っている「初代ジャニーズ」の生写真のネット上での販売をすべて禁止にする。[1]
人物
- 趣味 - ドラム
- 父親は国会の自動車運転手だった。
主な出演作品
バラエティ番組
- シオノギ・ミュージックフェア ’67 (1967年12月18日、フジテレビ) 飯野おさみ、上月晃、木の実ナナと共にゲスト出演
- 夜のヒットスタジオ (1976年7月19日、フジテレビ)
-
あおい輝彦が『あなただけを』を歌う際、飯野おさみと共に応援ゲストとして駆けつけた。
そして3人で即興で、ジャニーズのヒット曲『太陽のあいつ』をワンコーラスだけ披露した。
テレビドラマ
- てなもんや三度笠 (ABCテレビ)
- 第104話 「岡山の団子」 (1964年4月26日)
- 第178話 「七尾軍艦所」 (1965年9月26日)
- 第274話 「江尻の野心家」 (1967年7月30日)
- 太陽のあいつ (1967年6月22日、TBS)
-
第9話「スタントカー大混乱 ! !」に、スタントマン志望の若者・良一役でゲスト出演。
ドラマ主題歌『太陽のあいつ』もジャニーズが歌唱。
映画
- 下町の太陽 (1963年4月18日、松竹)
- やぶにらみニッポン (1963年12月1日、東宝)
-
“日本テレビ『味の素 ホイホイ・ミュージック・スクール』に出演する木の実ナナのバックダンサー役”としてエキストラ出演
- あの雲に歌おう (1965年1月15日、東映) 秋山役。 スリー・ファンキーズの長沢純と共演。
- 青春大統領 (1966年4月27日、日活。主演:石原裕次郎。振付:山田卓)
- クレージー黄金作戦 (1967年4月29日、東宝。振付:小井戸秀宅)
- 君は恋人 (1967年11月3日、日活)
Vシネマ
- 怪獣の観た夢 (1992年4月10日、マクザム) 北公次と共演
舞台
- レッツ・ゴー フォーリーブス (1969年12月、大阪フェスティバルホール、日生劇場)
-
第2幕 ミュージカル 「オオ・マイ・ママ」。 鳥羽家の甥の良三役。
- 少年たちシリーズ第2作 ~ ミュージカル ’70 「少年たち ~完結篇~」
-
(1970年5月30日&6月1日、日生劇場)
- 郷ひろみヤングミュージカル 『走れ あしたに ! !』
-
1974年夏の郷ひろみのコンサート内でのミュージカル。 高校教師役。
- オリジナルミュージカルプレイ 『友情』
-
(「フォーリーブス リサイタル ’75」にて。1975年1月4日:渋谷公会堂、7日:大阪フェスティバルホール) 本名の中谷良三役
- ライブ・ミュージカル 『少年たち ~フォーリーブス・不朽の名作~』
-
(1975年4月5日 - 7日:中野サンプラザホール、5月3日:名古屋市民会館、4日&5日:大阪フェスティバルホール) 良三役
ステージ
- ’75夏 フォーリーブス リサイタル (1975年8月8日、10日、12日、30日) ゲスト出演
- あおい輝彦 ラブリー・コンサート (1976年10月4日、中野サンプラザホール)
-
飯野おさみ、北公次、JJSと共にゲスト出演。
ディスコグラフィ
シングル
- 悲しきティーンエイジ・アイドル c/w カモン・バック・トゥ・ザ・ツイスト
-
(1977年5月25日。 A面曲は作詞・作曲:宇崎竜童で、ダウンタウン・ブギウギ・バンドのカバー 〔1975年12月1日発売のアルバム『ブギウギ・どん底ハウス』に収録〕)
オムニバスアルバム
- We're the JOHNNYS (全13曲、1989年12月10日、インディーズ発売)
-
北公次、小谷純、やなせかおる、SHADOWら「北公次FAMILY」によるオムニバスCD。
河口湖のキャメロットスタジオにて、1989年10月10日~12日の3日間でレコーディングされた。
中谷自身の作詞・作曲によるソロ曲『予期せぬ出逢い』が収録されている。
ビデオ
- We're the JOHNNYS (1989年12月10日、「北公次FAMILY」による限定版ビデオ)
-
初回生産分のビデオのジャケット写真のみ、ミスプリントによりSHADOWとTHE BLACKが入れ違いで掲載されている。
書籍
著書
- ジャニーズの逆襲 (1989年10月、データハウス)
-
表紙には拘束されている男性の写真が使用されているが、これは顔の部分だけジャニー喜多川の顔写真をコラージュしたもので、『FOCUS』(1988年12月2日号、新潮社)に掲載されたジャニー喜多川の白黒写真が元ネタとなっている。
雑誌
- 週刊平凡 (1968年4月11日号、平凡出版) - 「中谷良がバンド結成で大募集」
- 週刊明星 (1969年3月30日号、集英社) - 「ジャニーズの中谷良が車を盗み逮捕」
- ヤングレディ (1969年10月4日号、講談社) - 「中谷良 (元ジャニーズ) 転落の記録」
- 女性自身 (1973年10月20日号、光文社) - 「元ジャニーズ・中谷良が消息不明」
- 週刊平凡 (1973年11月22日号、平凡出版)
-
「独占秘話 元ジャニーズの貴公子 中谷良(26歳)が奇跡のカムバック! 6年間の狂乱に、いま別れをつげて・・・」
- 女性セブン (1974年9月4日・11日合併号、小学館)
-
「中谷良 (元ジャニーズ)、転落の青春からの復帰」
- ヤングレディ (1976年10月12日号、講談社)
-
「栄光のあおい輝彦、転落の中谷良 スター歌手10年の青春の軌跡! 残酷な十年という時の仕打ち!」
- 微笑 (1989年10月28日号、祥伝社) インタビュー掲載
-
「元祖光GENJI『ジャニーズ』メンバーが倒錯体験告白 「ジャニーズ」の名をホモで汚すな!」
外部リンク
分割作成日:2021年7月1日
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