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藤島ジュリー景子

藤島ジュリー景子(ふじしま ジュリーけいこ、本名:同じ、別名義:藤島ジュリーK.、1966年7月20日 - )は、ブライト・ノート・ミュージック(旧ジャニーズ出版)の代表取締役会長。
SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)の旧取締役副社長 → 二代目代表取締役社長 → 代表取締役。
「ヤング・コミュニケーション」、「ジェイ・ストーム」、「エム。シィオー。」の旧代表取締役社長 → 旧代表取締役会長。 「株式会社 TOKIO」、「ユニゾン」、「ジェイステーション」、「ジャニーズ・ミュージックカンパニー (旧称:ミュージックマインド)」、「MENT RECORDING」の旧代表取締役社長。 ジェイベース 旧代表取締役。 Marching J財団 旧役員理事。 一般財団法人 井上・月丘映画財団 役員理事。 日本中央競馬会(JRA)の馬主。
ジャニーズ・エンタテイメント初代代表取締役社長 → 旧取締役。 東京・新・グローブ座 旧代表取締役社長。
かつてはタレント活動 (ジャニーズ事務所の女性第三号タレント)やスタイリストもしていた。
メリー喜多川と、作家・藤島泰輔との間に生まれた一人娘。
アメリカ生まれで、「ジュリー」の由来は7月生まれだったため、July(ジュライ)から採られた。 なお、日本の法律ではミドルネームが認められておらず、戸籍にもミドルネームの欄は存在しないため、「ジュリー景子」が下の名前に当たる。




来歴

  • 1970年11月25日発売の永田英二のシングルレコード『あのとき僕たちは』のジャケット写真にてモデルデビュー。 当時4歳。

  • 1973年、6歳の時に、フォーリーブス主演のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』にて、「フジシマ ジュリー」の名で本格的に芸能界デビュー。
    その後、名義を少しずつ変えながら、『おはよう!こどもショー』、『小さなスーパーマン ガンバロン』、『3年B組金八先生 (第1シリーズ)』、『HOT-TV』などのテレビ番組に出演した。

  • 中学からは元麻布の「西町インターナショナルスクール」へ進学。 高校は父親・藤島泰輔同伴の下、アメリカへ留学。 大学は上智大学外国語学部比較文化学科に進学。

  • 大学在学中は、上流階級の子どもたちが通うスイスのフィニッシングスクールに留学。 ジュリーが当時住んでいた宿舎には、ファッションデザイナー・君島一郎と正妻・君島由希子の娘であり、君島立洋 [1] の妹、君島友美子(後のフォトグラファー・加藤友美子 [2][3])も居た。
    上智大学在学中には、「藤島ジュリー」や「ジュリー・ケイ」名義で少年隊や光GENJIのスタイリストも務める。 親友の薬師丸ひろ子のスタイリストを務めたこともあった。 大学卒業後はフジテレビの嘱託社員になり、秘書室で役員秘書を1年間務めた。

  • 1993年、ジャニーズ事務所に入社。 やがてタレントのプロデュースをするようになる。 初めてプロデュースしたのはTOKIOで、1994年のCDデビュー時から担当した。

  • 1997年2月14日、ジャニーズ事務所初の自社レコードレーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」の代表取締役社長に就任。

  • 1998年3月、ジャニーズ事務所の取締役副社長に就任 (メリー喜多川との共同副社長)。

  • 2001年11月12日、嵐のレコードレーベル「ジェイ・ストーム」の代表取締役社長に就任。

  • 母・メリーがジュリーをジャニーズ事務所の次期社長にするため、2003年5月にジュリーに代表権を与え、代表取締役副社長に就任させる。 しかしその後メリーとの関係が悪化し、2008年12月に代表職を辞任 (取締役副社長の役職は継続)。
    なお、強権で横暴なメリーに対するストレスから、ジュリーは20代の頃から時々過呼吸になり、パニック障害も患った。

  • 2014年3月、ジャニーズ事務所の代表取締役副社長に再度就任。

  • 2019年9月27日、ジャニーズ事務所の二代目代表取締役社長に就任。

  • 2023年1月1日、ジャニーズ出版、ヤング・コミュニケーション、ジェイ・ストーム、エム・シィオーの4社の代表取締役会長に就任。

  • 2023年3月より、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題が一気に表面化。 これを受け、ジュリーは同年5月14日(日曜日)21時、記者会見を開くことを避け、わずか1分9秒の謝罪動画と、一問一答形式の文書をジャニーズ事務所のコーポレートサイトにて発表。 ジャニーの性的児童虐待を事務所、また自身は知らなかったのかについてジュリーは、文春との裁判でも過去に事実認定されている事柄にもかかわらず、ジャニーの性癖など数十年も前から田舎の中学生レベルにも知られていた事柄にもかかわらず、「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」という浮世離れした非常にまずい回答を文書で行った。 更に驚くことに、匿名での自由回答でアンケートを行えば充分調査は可能なのにもかかわらず、被害者の心理的負荷を理由に掲げて「第三者委員会は設置しない」とした。
    https://www.johnny-associates.co.jp/news/info-700/
    (このジュリーの発言に対し、近藤真彦は同年5月19日のインタビューで、「嘘はダメ」、「知ってた、知らないではなくて、もう知ってるでしょ」と指摘 [1]。 元・忍者志賀泰伸も「ウソつけ!」と指摘 [2]。 弁護士ドットコムニュースも、「取締役の“知らなかった”は法的に許されない」と指摘 [3]。 実業家の“ひろゆき”こと西村博之もジュリーの発言は嘘であると指摘した [4]
    ジュリーが動画でコメントを出したことに対し、1999年に『週刊文春』がジャニー喜多川の性的児童虐待について報じた取材チームの一員でジャーナリストの二田一比古は「日刊ゲンダイDIGITAL」の取材で、
    「社長であるジュリー氏が自ら動画に出演して謝罪したことは進展といえますが、全部が故人であるジャニー氏とメリー氏のせいというのは無理がある。 99年当時、ジュリー氏は取締役ですから当然、責任はあります。ただ、責任はジュリー社長だけではありません。ジャニーズ事務所のベテランのタレントたちはジャニー氏の性加害についてまったく知らなかったのか。少年隊の東山紀之など報道番組のキャスターを務めるタレントも多い。これまで美談ばかりで神格化されたジャニー氏について何をどう思っているのか説明する責任があります。ジュリー社長の謝罪動画で幕引きということはあり得ません」と指摘した。 [5]
    元ジャニーズJr.で実業家の平本淳也も日刊ゲンダイDIGITALの取材に対し、「会見も開かずに『知らなかった』とする事務所の説明にはあきれてしまう」、「(ジャニーの性的児童虐待を)事務所が知らないわけがない。『知らなかった』『確認できない』で逃げようとしている。まだ『自分たちはこれぐらいの対応で許される』と思っているのではないか」と回答した。[6]
    そしてBBCの番組制作を手掛けたモビーン・アザーも、「私は撮影前にもジャニーズ事務所に何度も連絡しました。何度も電話をかけたし、メールもしました。ドキュメンタリーの監督を務めたメグミ・インマンも同じように連絡しました。ジャニーズ事務所が我々に回答できる機会は無数にあった。性加害の実態について弁明する機会は何度もあった。 私は絶対に「知らなかった」などという藤島ジュリー景子社長の言葉を信じません。私はメールもしたし、電話もしたし、あなたと直接話もした。回答を求めた。ジャニーズ事務所の対応は人間性に欠けるし、倫理的に破綻しています」と述べた。[7][8]
    ノンフィクションライターの窪田順生も、「事実を認めない」「会見しない」「第三者委員会を設置しない」という“3ない戦略”だと厳しく批判。[9]
    その他、識者らもジュリーの動画・対応について意見を述べた。[10]

  • ジャニーズ事務所が設置した再発防止特別チームから「同族経営の弊害」を指摘され、2023年8月29日に「経営から退くべき」と辞任を提言される。

  • ジャニー喜多川の性的児童虐待問題が表面化してから半年が経った同年9月7日、ジャニーズ事務所が初めて記者会見を行う。 ジュリーは代表取締役社長からは引責辞任するも、被害者への救済業務があるとして、当面は事務所に代表権を持ったまま取締役として留任し、100%を保有している事務所の株も手放さないことを発表。

  • 同年9月15日、ジャーナリストの柴田優呼が、ジュリーの悪手を解説。[1]

  • 同年10月2日、SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)の代表取締役から取締役に降格することと、ジャニーズ事務所を除いた全ての関連会社の役員も退任すると宣言。

  • 同年10月17日、ジュリーの説明責任についてジャーナリストの高堀冬彦が厳しく指摘。[1]

  • 2024年4月10日、ジュリーが「株式会社 ブライト・ノート・ミュージック (旧・株式会社 ジャニーズ出版)」の代表取締役会長を続投していたことが発覚。 ジュリーは2023年10月2日の旧ジャニーズ事務所の記者会見に寄せた手紙で、SMILE-UP.以外の全ての関連企業の役員を辞任すると宣言していたが、実際にはその約束をずっと破っていた。 [1]
    更に、ジュリーは記者会見で「SMILE-UP.(旧ジャニーズ事務所)の代表権を返上して代表取締役から取締役に降りる」とも約束していたにもかかわらず、実際にはずっと代表職に留まり続けたままだった。

  • 同日、Arc Timesがライブ配信を行い、ジュリーが旧ジャニーズ事務所の社長を退いてもなお、いまだに莫大な収益を裏で得続けていることを指摘。 そして、配信にゲスト出演したジャーナリストの松谷創一郎が、STARTO ENTERTAINMENTがSMILE-UP.のダミー会社であることと、巨額のファンクラブ事業を巡る両者の姑息なからくりを解説。
    そもそもSU社が握るタレントの商標権や楽曲の原盤権などは、各タレントたちに無償譲渡したり、ファンクラブも一度解散や返金をして、“別会社”だと謳っているSTARTO社で全く新しいファンクラブを一から開設すればいいだけの話なのに、SU社は3000億円以上の資産を保有しながらも性被害者たちには激安の補償しかしておらず、しかも「SU社はこれから廃業する」とも言ってるのに、それでも各権利や「年間500億円以上」という金のなる木(ファンクラブ事業)をSU社、藤島ジュリー景子がどうしても手放したくない、かと言ってSTARTO社にはファンクラブ事業を買い取る巨額の買収資金も無い、だからSU社の名前は一応隠しながらも「“ファミリークラブ運営会社”との間でライセンス契約(使用許諾契約)を締結しました」などという言葉遊びのような発表がSTARTO社のホームページで行われた。 こうした不自然で醜い事態になっていることを配信で説明すると、リスナーからは「SMILE-UP.は金の亡者」などのコメントが寄せられた。
    更にジュリーは、ジャニー、メリーから受け継いだ株式の相続税(860億円)を国に取られないように「事業承継税制」を活用していたが、2023年10月2日の記者会見に寄せた手紙では、事務所の代表権を返上することで税制の適用を中止し、相続税は国に納めると約束していた。 しかしジュリーはその後もずっと事務所の代表取締役に留まり続けているため、松谷は、ジュリーが860億円を国に取られるのがやはりどうしても惜しくなり、税制が適用される2024年9月まで有耶無耶にしながら引っ張って納税を免れようとしている点も指摘した。 [1][2][3][4][5][6][7]
        

  • 同年4月11日、ジャーナリストの松谷創一郎が、SU社とSTARTO社の深い癒着、姑息なからくりについて、「反故にされた宣言」、「経営分離をしない欺瞞」、「メディアとの対話もしない」、「これでは単なるウソつき」と厳しく批判。 現状、ファンクラブ(ファミリークラブ)の運営会社はSMILE-UP.のため、STARTO社のタレントを使ってSU社(藤島ジュリー景子)が収益を得続けることになり、両社は完全に切り離されているとは言えないにもかかわらず、この問題をスポンサー企業に気付かせないようにと一切報じず、相変わらず見て見ぬふりを継続する民放4社(日テレ、TBS、フジ、テレ朝)の姿勢も批判した。 [1]

  • 同日、同年6月に控えた、国連の「ビジネスと人権の作業部会」が全世界に放つ国連砲(ジュネーブ本部への最終報告)に、「誹謗中傷も言論の自由」という東山紀之の歴史的迷言などを含めた動向が報告書に盛り込まれる可能性があると報じられる。
    平本淳也も、ジャニー喜多川の性的児童虐待、東山の誹謗中傷を放任する姿勢、そして事務所スタッフ2名によるタレントへの性加害などについて、 「国連の『ビジネスと人権』では問題企業だけでなく、その取引先の姿勢も強く問われます。 日本のメディアやスポンサー筋も、寝ぼけた旧ジャニーズ擁護の無理がたたることになるでしょう」、「国内メディアもこの問題の追及の手を休めたら駄目だと思います」と指摘。 記者も、「このままでは元のもくあみ。身を潜めたまま風化による幕引きを狙う藤島ジュリー景子元社長の高笑いを許してはならない」と記した。 [1]

  • 同年4月15日、世間からの批判が多かったことを受け、SMILE-UP.がファンクラブの引き継ぎ問題について初めてホームページで報告。 本来であれば、STARTO社が開幕ライブを告知した同年3月2日よりも前には、遅くとも必要な報告だった。
    その引き継ぎについては、今後SU社とファミリークラブを分社化することで、ファンクラブ収入がSU社にまでは行き渡らないとした。 また、メディアで指摘されていた相続税の税金逃れに関しては、2023年12月で全額納付していることを報告したが、これには疑いの声も上がっている。 [1]
    今後新規に発生する音楽原盤などの版権は、STARTO社とブライト・ノート・ミュージック(旧ジャニーズ出版)が共同で保有するとしながらも、そのブライト社の代表取締役をジュリーが辞任するという約束を守らずに就任し続けている件については説明が何も無かった。 2023年10月2日の会見で説明されていた、SMILE-UP.社の代表権も返上して取締役になるとの約束も守られず、いまだにSU社の代表取締役であることについても、説明が無かった。 そして、「記者会見は今後も都度行っていく」とSU社(旧ジャニーズ)側が自ら宣言し、SNSなどでも3回目の記者会見が強く求められ続けているのに、いまだに開かないことの説明も、やはり無かった。 ジャニー以外にも2名のスタッフがタレントに性加害を行っていたことがメディアで大きく取り上げられている件についても、やはり説明は無かった。
    「会員番号の維持」を口実にして、こねくり回すように作り上げたファンクラブの引き継ぎや版権を共同保有することの釈明には、元『週刊文春』記者でジャーナリストの赤石晋一郎も、「あまりに複雑な方便。負の遺産とともに利権も一度解体で良いのでは」と指摘した。 [2][3][4]
    そして、2024年4月2日より入会受付開始の中島健人のファンクラブ、4月8日より受付開始の「Aぇ! group」のファンクラブ、そして4月24日発足の堂本光一のファンクラブ、つまり、「会員番号」の理屈など全く関係がないファンクラブまでファミリークラブで作っている時点で、早くも大きな矛盾があるとメディアやSNSで指摘された。 本来であれば新規に立ち上げるファンクラブはSTARTO社にとって非常に大きな、そして貴重な収入源になるはずだったが、それを丸々ファミリークラブに奪い取られた、非常にいびつな契約状況になっている。 SU社の発表では、「STARTO社には版権を買い取る資金が無いから、SMILE-UP.の子会社(旧ジャニーズ出版)が共同保有する」としているが、そのSTARTO社のせっかくの収入源をSU側(ファミリークラブ)が阻止しているのだから、もはや論理が破綻している。 [5][6][7]
    ネット上でも、SU社の発表では誤魔化されている実際の仕組みが指摘された。

    今一生も、このSU社の発表や、4月10日の福田淳のコメントについて、数々の矛盾点や欺瞞、支持者(ファン)だけしか見ていない内向きな姿勢を批判した。 [8]

  • 2024年4月16日、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授の西山守が東洋経済オンラインにて、SMILE-UP.とSTARTO社を取り巻く様々な問題点を解説。 [1]


人物

  • じっとしていられない性格で、家に居るのが嫌いな行動派。

  • 英語とフランス語を話せる。

  • 趣味 - 中華系風水占い通い、エステ通い

  • 好きなブランド - シャネル

  • 強気な業務交渉のスタイルが母親のメリー喜多川と似ていることから、業界の一部では飯島三智と共に「ミニメリー」と呼ばれていた。

  • ネット上では顔が「森三中」の黒沢かずこに似ていると言われることがある。

  • かつて東山紀之との交際・婚約、俳優の中井貴一とのデート、フジテレビの某プロデューサーとの不倫交際などが報じられたこともあったが、2004年の暮れ、38歳の時に、アメリカでフジテレビの海外コーディネーターをしていた広告代理店社長・橋拓也(当時39歳)と授かり婚。 橋は婿養子として藤島家に入り、「藤島拓也」となって、自身の広告代理店と並行しながら、ジャニーズ事務所、および関連企業の役員を務めた。 そしてジュリーは結婚と同時期の2004年暮れに女児を出産したが、2009年に離婚した [1]。 娘は後にアメリカの大学に留学。

  • 父親と同じく日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を取得し、競走馬の「エドノタイクーン」、「ベストオブジュリー」、「ジュリースター」、「ビーマイロミオ」(2800万円で購入)、「ゴートゥザトップ」、「マイハピネス」などを所有した。(この内、「エドノタイクーン」は父親の死後に所有権を引き継いだもの)

  • 亡き父親・藤島泰輔の著作の権利は、ジュリーが継承した。

  • 渋谷区松濤にある8億円の豪邸の購入を考え、実際に物色していたことが報じられている。

  • 2010年時点での愛車は白色のベンツで、車内のシートの色を真っ赤にカスタムしていた。

  • 歌手の竹内まりや、女優の大地真央などと、プライベートでも親交が深い。

  • EXILEを始めとするLDH勢は、ジャニーズと同じように歌って踊る男性集団なのにもかかわらず、芸能界でジャニーズ勢と共存できたのは、ジュリーに理由がある。 投資好きなジュリーは、LDHに対しても出資をしており、LDHが儲かれば儲かるほどジャニーズ事務所にも収益が入るシステムを構築しているため、ジャニーズとLDHとの共存が可能となっている。 (平本淳也が2019年10月22日のトークイベントにて明かしたもの)


主な出演作品

バラエティ番組

  • おはよう!こどもショー (日本テレビ)
      古谷三敏と共に「ダメおやじの何でも相談」のコーナーを担当。
  • HOT-TV (1980年4月6日 - 、フジテレビ)
      鈴木ヒロミツと共に司会を務めた生放送の音楽バラエティ番組。「勝ち抜きバンド合戦」などのコーナーがあった。 当初の放送枠は毎週日曜・10:00 - 11:00だったが、人気が振るわず、途中から毎週日曜・14:00 - 14:30に縮小されてしまった。
       

テレビドラマ

連続ドラマ
  • 小さなスーパーマン ガンバロン (1977年4月24日、日本テレビ)
      第4話に街頭インタビュアーの少女役でゲスト出演。 藤島ジュリー名義。
  • 3年B組金八先生 (第1シリーズ) (1979年10月26日 - 1980年3月28日、TBS)
      越智はるみ役。 第8話「子供の喧嘩に親が」でメイン。
  • 3年B組金八先生 (第2シリーズ) (1980年12月26日、TBS)
      越智はるみ役。 第13話「同窓会・贈る言葉」にゲスト出演。
単発ドラマ
  • 名犬ゴローの愛 (1981年7月30日、日本テレビ)
      3年連続で放送された「名犬ゴローシリーズ」の第2弾。
  • 3年B組金八先生スペシャル (1982年10月8日、TBS) 越智はるみ役

ミュージカル

  • 見上げてごらん夜の星を
      (フォーリーブス結成7周年記念ミュージカル。1973年6月17日 - 9月2日に北海道から沖縄まで全国で公演。 大阪公演:7月30日 - 8月2日、東京公演:8月31日 - 9月2日。 作・演出:永六輔。音楽:いずみたく)
  • おはよう!こどもショー ポケットミュージカル (JJSと共演)

CM

  • 日清食品 「ジョイカップ101 (いちまるいち)
      (1975年3月 - 。しょうゆ味のカップラーメン。販売価格:100円。ジュリーは当時8歳。フォーリーブスと共演。 同商品のCMは後に事務所の後輩のリトル・ギャングが引き継いだ)

雑誌

  • 週刊プレイボーイ (1980年7月15日号、集英社)
      「ガールフレンドにしたいTVアシスタントギャル Best7」(モノクロページ)


ディスコグラフィ

  • 見上げてごらん夜の星を (1973年7月21日)
      フォーリーブスのアルバム。 南沙織、スーパーエイジスも共演。
      ジュリーは「フジシマ ジュリー」名義で、『どうしてなの』(おりも政夫とのデュエット)、『恋しなさい息子達よ』(フォーリーブス、宇治かほるとの共演)の2曲で参加。


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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