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イーグルス

        


イーグルスは、かつてジャニーズ事務所に所属していた男性アイドルグループ。 レコードデビューはしているものの、扱いはジャニーズJr.内のユニットだった。
1982年夏結成。 1985年春に自然消滅。




グループ名変遷

  1. ジャニーズ幼年隊 
  2. ジャニーズ少年隊ジュニア 
  3. 少年隊ジュニア 
  4. イーグルス 


メンバー

  • 中村成幸 (後の中村繁之
      (なかむら しげゆき。1967年9月1日生まれ。愛称:シゲ) リーダー

  • 宇治正高 (うじ まさたか。1967年11月21日生まれ。愛称:マーチン)

  • 内海光司 (うちうみ こうじ。1968年1月11日生まれ。愛称:キノッピー、コッコ)

  • 大沢樹生 (おおさわ みきお。1969年4月20日生まれ。愛称:ミッキー、ケロヨン)

脱退メンバー

  • 石川博文 (いしかわ ひろふみ。1969年1月20日生まれ。愛称:イシ)
         
      レコードデビュー直後に脱退。
      神奈川県川崎市出身 (但し生まれたのは東京都大田区大森西の東邦大学大森病院)。 東京都世田谷区育ち。 裕福な家庭に育ったおぼっちゃま&優等生だった。 血液型:B型 RH-。 特技:剣道 (小学1年から習い始めた)。 趣味:昼寝。 「どうも」が口癖。
      1979年~1980年の小学5年生の時、デパートの屋上で行われた川﨑麻世のショーをたまたま観ていた際、弟(石川光輝。当時小学2年生)と2人でステージに飛び入り参加し、ピンク・レディーの歌を披露。 これがきっかけでスカウトされ、兄弟揃ってジャニーズ事務所に入所した。(なお、兄弟構成は姉・博文・光輝の3人姉弟であり、「博文の下に2人の弟が居た」という説は誤報。 そして姉はスクールメイツのメンバーだった)
      石川はイーグルスに加入する前に、日本テレビ開局30周年記念ミュージカル・ドラマ『夏の王様』(1982年10月16日・土曜日放送)に、内海、大沢と共にウィズの子どもたち役で出演している。

  • 五十嵐 
      グループ名が「イーグルス」となる以前の結成初期に、短期間だけ参加していたジャニーズJr.。

サポートメンバー

以下の4名は、イーグルスが1983年春~夏にかけて、ジャニーズ少年隊の曲『君の瞳に恋してる』と『急げ!若者』のバックに付く際に、同じくイーグルス名義で参加していたメンバー。(『夜のヒットスタジオ』、『カックラキン大放送 ! !』、『ザ・ヒットステージ』など)
  • 鈴木則行 
      鈴木は、イーグルスがレコードデビューする前の「少年隊ジュニア」時代にも、バラエティ番組『レッツGOアイドル』で中村成幸が高校受験のために数週間欠席した際に代役としてサポート参加している。
  • 柳沢超 
      柳沢は、1983年6月4日に甲子園球場で開催された「第8回 ABCヤングアイドル野球大会」でも、直前にイーグルスを脱退した石川博文の代役としてサポート参加し、イーグルスのデビュー曲『走れ!ゴーインBOY』を一緒に歌い踊っている。
  • 吉田一寿 
  • 前田直樹 


概要

  • 1982年夏、「ジャPAニーズ・ジュニア」の中から、中村、宇治、内海、大沢、五十嵐の5名で「ジャニーズ幼年隊」として結成し、テレビ東京『ザ・ヤングベストテン』に出演 (途中から「ジャニーズ少年隊ジュニア」に改名)。 間もなくして五十嵐が脱退。

  • 同年10月16日にスタートしたバラエティ番組『レッツGOアイドル』(通称:レッツアイ。テレビ東京)に「少年隊ジュニア」として登場。シブがき隊のバックダンサーとして活動した。
    続いて、『月刊平凡』(1983年2月号、166ページ目)の「スターQ&A」のコーナーにて、「少年隊ジュニア」名義で4人が小さく紹介される。
    その後、石川が加わって5人組となり、同誌の翌3月号にも「少年隊ジュニア」名義で登場。

  • 1982年12月、デビューシングルのレコーディングを行う。

  • 1983年3月25日、新たなグループ名「イーグルス」として、ロサンゼルスオリンピックの宣伝アニメ『イーグルサム』のエンディングテーマ『走れ!ゴーインBOY』にてレコードデビュー。 この時の平均年齢は14.4歳で、キャッチフレーズは「ジャニーズ事務所の秘蔵っ子」だった。
        
    同年4月24日(日曜)には、東京・池袋の東武デパートの屋上にてデビュー発表会を開催。 しかし、デビュー直後の同年5月に石川が脱退。 石川は後から遅れて参加したこともあり、グループに馴染めなかったのが脱退の原因で、メンバーからは「ネクラ」と呼ばれていた。

  • レコードデビュー後も、シブがき隊や少年隊のバックダンサーを務め続けた。 雑誌『月刊明星』へは1983年6月号、『週刊セブンティーン』へは同年4月5日号、『近代映画』、『ザ・ベスト・ワン』へは同年5月号で初登場。 『マイアイドル』にも1983年5月号が初登場で、同年7月号からレギュラー掲載。1984年4月号では同誌の表紙も飾った。(イーグルスが雑誌の表紙を飾ったのはこの一冊のみ)

  • マーチングマーチ隊」など、いくつかの親衛隊も存在した。 ファンによるステージ用の応援コールとして、「~~~~イーグルス、好き好き大好きだから好き、あなたのハートをいただきよ!」というコールも作られた。

  • グループの中で最も人気が高く、ダンスも一番上手かった中心メンバーの中村が、1984年4月からNHK『レッツゴーヤング』にソロでレギュラー出演を開始すると、中村を除いた3名だけで活動する場面などもあり、翌1985年春の少年隊のコンサートツアーへの出演を最後に、グループは自然消滅した。

  • 1985年末に発売されたアイドル雑誌『ザ・ベスト・ワン』(1986年1月号、学研)にてメンバーが一度だけ再集結し、「お久しぶり対談」のタイトルで「イーグルス」名義で掲載された。

グループ消滅後

  • 中村繁之は1985年7月24日にソロレコードデビュー。

  • 内海光司と大沢樹生は「光GENJI」として1987年8月19日にレコードデビュー。

  • 宇治正高はしばらく俳優として活動していたが、1988年にジャニーズ事務所を退所。 その後は𠮷野家の店長をしながら、芸能事務所にも所属して、1990年代初頭まで俳優活動を続けた。

  • ファンたちの強い要望により、過去の2枚のシングル曲が1991年5月10日にCD化された。

  • 2023年10月、ジャニー喜多川の性的児童虐待問題を受け、内海がまだジャニーズ事務所に所属し続けていることを問題視した浅草の「マルベル堂」が、自主規制によりイーグルスの生写真のネット上での販売をすべて禁止にする。[1]


主な出演作品

バラエティ番組

  • ザ・ヤングベストテン (1982年夏、テレビ東京)
  • 24時間テレビ 「愛は地球を救う」 (1982年8月22日、日本テレビ) - 内海、大沢、石川、鈴木、柳沢、吉田
  • レッツGOアイドル (1982年10月16日 - 1984年、テレビ東京)
  • パリンコ学園No.1 (1982年 - 1983年、TBS) ジャニーズ少年隊の代役として時々出演
  • アップルシティ500 (ファイブオーオー) (1983年4月7日、TBS)
      新宿NSビル1F広場にて5人で『走れ!ゴーインBOY』を披露。
  • ザ・ヒットステージ (TBS)
  • ぶったま!ピープー (テレビ朝日)
  • 第8回 ABCヤングアイドル野球大会 (1983年7月、ABCテレビ)
      収録日は同年6月4日。当初は石川も背番号15番で出場予定だったが、脱退したため柳沢超が代役で出場した。
  • 第34回 NHK紅白歌合戦 (1983年12月31日、NHK総合)
      近藤真彦の『ためいきロ・カ・ビ・リー』のバックダンサー。
  • レッツゴーヤング (1984年4月 - 、NHK総合) 中村のソロレギュラー
  • 第15回 オールスター紅白水泳大会 (1984年8月10日、フジテレビ)
      『虹色I LOVE YOU』を披露。 収録日は同年7月3日。
  • 第9回 ABCヤングアイドル野球大会 (1984年7月、ABCテレビ)
  • シャボン玉プレゼント (1984年、テレビ朝日)
  • 第35回 NHK紅白歌合戦 (1984年12月31日、NHK総合)
      近藤真彦の『ケジメなさい』のバックダンサーとして、「イーグルス」ではなく「ジャニーズ・ジュニア」名義で出演。
  • 第7回 新春オールスター水上大運動会 (1985年1月3日、TBS。収録地:池袋スケートセンター 温水プール)
  • 他・・・

テレビドラマ

単発ドラマ
  • 日本テレビ開局30周年記念ミュージカル・ドラマ 『夏の王様』 
      (1982年10月16日、日本テレビ) - 内海、大沢、石川、鈴木、柳沢、吉田
  • 月曜ドラマランドどっきり双子先生 乙女学園男子部
      (シリーズ全8話、1983年11月14日 - 1984年3月19日、フジテレビ)
  • 月曜ドラマランド 「乙女学園すみれ寮
      (シリーズ全4話、1984年4月23日 - 9月10日、フジテレビ)
      放送前の仮タイトルは「それゆけ天馬! 乙女学園すみれ寮」。

      上記2つの月曜ドラマランドシリーズには、イーグルスと共に当時ジャニーズJr.だった江端郁己(テロップでは「江端郁巳」と誤植)、江端郁世阿部順一小沢通可の4名も出演していた。 更に「どっきり双子先生」の第5話にはJr.の正垣吉朗(テロップでは「正垣教」と誤植)、第8話にもJr.の木暮毅(テロップでは「木暮敦」と誤植)が出演している。
      また、シリーズの舞台となった乙女学園は、神奈川県伊勢原市の産業能率大学・湘南キャンパスや、厚木市の東京工芸大学・厚木キャンパスがロケ地として使用され、セット撮影は渋谷ビデオスタジオで行われた。
      両シリーズの主題歌は、簔谷雅彦(後の「みのや雅彦」)の『笑えないピエロ』。

テレビアニメ

  • イーグルサム (1983年4月7日 - 11月10日、TBS)
      毎週木曜日に放送。 アニメ自体は1984年3月27日まで、全51話放送された。
      前期エンディングテーマ(第1話 ~ 第32話)の際、番組クレジットと共に、石川博文も含めた5人時代のイーグルスが『走れ!ゴーインBOY』を歌い踊る貴重な映像が毎回流されていた。 (1983年11月17日放送の第33話より始まった後期エンディングテーマ『虹色I LOVE YOU』には、イーグルスの出演映像は無し)
      このため、ジャニーズファンからは当作品のソフト化が切望されているが、ジャニーズ事務所特有の厳格な肖像権問題もあり、再放送やソフト化は一切できない状態となっており、当作品自体を愛するアニメファンからも不満の声が多い。

映画

  • TOSHI in TAKARAZUKA Love Forever (1983年8月4日、東宝)
  • あいつとララバイ (1983年12月24日、東宝)

CM

  • ハウス食品 「ハウスカレー 大盛りククレ1.5」 (1983年、近藤真彦との共演)

イベント

  • デビュー発表会 (1983年4月24日〔日曜〕12時~14時、池袋の東武百貨店屋上)
      この時の模様は『weekly oricon』(1983年5月13日号)などに掲載。
  • 歌とサインと握手会
      (1983年7月10日〔日曜〕、静岡・伊勢丹屋上。静岡すみや本店主催)
  • 他・・・


ディスコグラフィ

シングルレコード

  • 走れ!ゴーインBOY c/w イーグルサムのマーチ (1983年3月25日、ステッカーシート封入)

      A面曲はTBSアニメ『イーグルサム』の前期エンディングテーマ。B面曲は前期オープニングテーマ。
      A面曲のリードボーカルは中村。 また、メンバーの中で唯一変声期前だった大沢の声のみ、収録するレベルに達していないとしてA・B面とも全カットされてしまった。
      オリコンでは、通常の週間シングルチャートでは一度も100位以内に入らず、データ圏外。 しかし、「TVマンガ・童謡部門」にて、1983年度の年間44位となった。
      (※ 大沢の著書『硬派』に書かれている「オリコン初登場73位」は誤り。ミュージック・リサーチ、ミュージック・ラボなど、他社のチャートの記録と思われる)
  • 虹色I LOVE YOU c/w 情熱forever (1983年11月28日)
       
      石川は既に脱退しており不参加。 オリコン最高99位 (同年12月26日集計分にて)。 売上数:約4千枚。
      A面曲はTBSアニメ『イーグルサム』の後期エンディングテーマ。B面曲は後期オープニングテーマ。
      (※ 大沢の著書『硬派』に書かれている「オリコン初登場34位」は誤りで、やはり他社チャートの記録と思われる)

ミニアルバムCD

  • イーグルス・メモリアル・ベスト (1991年5月10日)
      上記2枚のシングルレコードのA・B面、計4曲を収録したもの。

レコード化されなかった楽曲

  • カリフォルニア・フィーバー
      月曜ドラマランド『どっきり双子先生 乙女学園男子部』内でも披露された。
  • (A+B)×C = LOVE
      読み方は「ABCがエル・オー・ブイ・イー」。 作詞:伊達歩、作曲:滝沢洋一郎。
      元々は、中村成幸が1984年にNHK『レッツゴーヤング』にてソロで歌っていた番組オリジナルソング。
  • 瞳・Something
      作詞:三浦徳子、作曲:新田一郎。
      元々は、中村成幸が1984年10月からNHK『レッツゴーヤング』にてソロで歌っていた番組オリジナルソング。 後に中村繁之のデビューシングルのB面曲としてはレコード化された。


外部リンク



    (右上から時計回りに、宇治、内海、大沢、中村)






出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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