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ハイ・スパンキー

 


ハイ・スパンキーとは、1970年11月に結成、翌1971年3月にレコードデビューした男性アイドルグループ。 メンバー全員がスクールメイツの出身者で、所属は渡辺プロダクションだった。 1972年解散。 略称:H・S。  後に1名がジャニーズ事務所にスタッフとして入社している。




メンバー



  • 山崎淳一 (リーダー)
      1952年10月23日生まれ。大阪府出身。愛称:ジュン。 1969年6月に東京音楽学院・大阪校のスクールメイツに入った。 沢田研二のファン。

  • 橋本タイジ 
      レコードデビュー直後までは本名の「橋本泰治」名義で活動していた。(「高橋泰治」と誤植されている資料あり)
      広島県出身。 3人兄弟の末っ子(姉が2人)。 日本学園高校(私立男子校)出身。 1970年春に東京音楽学院・広島校のスクールメイツに入った。
      ハイ・スパンキー解散後は、元「ハイ・ソサエティー」の横内健亨が在籍したバンド「ウォッカ・コリンズ」のツアーマネージャーとなった。 ウォッカ・コリンズの1998年の再結成アルバム「ボーイズ・ライフ」の中では、コーラスとしても参加している。 また、ウォッカ・コリンズのメンバー・大口広司の1周忌追悼コンサート(2010年1月25日、渋谷「DUO」)では、橋本も横内と共に登場し、ローリング・ストーンズのナンバーを熱唱した。

  • 五島薫 
      結成当初は本名の「五島純一」名義で活動していたが、山崎淳一と名前が被るために芸名を付けた。
      東京都出身。 東京音楽学院・東京校のスクールメイツ出身。 同じ東京校の先輩でもあるフォーリーブスの青山孝を尊敬していた。 3人兄弟の長男(妹が2人)。

  • 遠藤いさお 
      結成当初は本名の「遠藤五佐緒」名義で活動していたが、名前の漢字が難しいために平仮名の芸名にした。(「遠藤イサオ」と誤植されている資料あり)
      埼玉県さいたま市岩槻区宮町出身。 愛称:チャオ。 1969年7月に東京音楽学院・東京校のスクールメイツに入った。 一人っ子。 ビートルズのファン。 後にジャニーズ事務所にスタッフとして入社し、THE GOOD-BYEのマネ―ジャーなどをするようになった。



脱退メンバー

  • 谷出正幸 
        
      1955年2月12日生まれ。福井県福井市出身。愛称:マー坊。私立北陸高等学校中退。兄弟は兄が一人。尊敬する歌手は沢田研二、ダニー・オズモンド。
      1971年8月に渡辺プロダクションの国立寮に入寮。 発声やダンスのレッスンを受けた後、同年10月にハイ・スパンキーに加入してジャズ喫茶に出演するも、同年12月に早くもソロ歌手デビューが決まってCBSソニーと契約。 翌1972年4月21日、「伊丹幸雄」の芸名(愛称はサッチン)でソロ歌手としてデビューした。

候補メンバー

  • 星克己 
      大阪でバンド活動をしていた1970年8月に、『プラチナゴールデンショー』の新グループオーディションの情報を知って受けた所、合格。 しかし星は他のメンバーよりも可能性を見込まれ、グループではなく特別にソロアーティストとして売り出されることとなった。


概要

  • 1970年、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』にレギュラー出演していたフォーリーブスが番組を降りることになったので、後釜となる新たなグループを作るためのオーディションが、主にスクールメイツの生徒を対象として、業界内で数ヶ月に渡って行われていた。
    そして同年11月、スクールメイツ出身者4名での結成が決まる。 グループ名は一般から公募され、同年12月13日放送の『プラチナゴールデンショー』にて発表された。

  • 全員、東京都国分寺市内藤にあった「渡辺プロダクション 国立 (くにたち) 研修寮」に住み、東京音楽学院(スクールメイツの本部)で週4日、2時間ずつダンスレッスン。 更に作詞家・片桐和子宅で週3回の歌唱レッスンを経て、1971年3月10日、両A面シングル『ともだち c/w 思い出は薔薇のように』でレコードデビュー。 なお、国立研修寮には当時、小柳ルミ子も一緒に住んでいた。

  • 1971年10月、谷出正幸 (後の伊丹幸雄) が追加メンバーとして加入。 しかし翌年すぐに脱退。

  • 1972年、ハイ・スパンキーの4人は、国立研修寮で一緒に住んでいた歌手の卵・小野智(おの さとし。後の「ザ・ヴィーナス」の初代ボーカリスト)と共に渡辺プロダクションの事務所に呼び出され、5人とも解雇を言い渡される。これにより、ハイ・スパンキーは解散となった。


主な出演作品

バラエティ番組

  • プラチナゴールデンショー (第1期) (1970年10月 - 1971年4月28日、日本テレビ) サブ司会
  • 全国テキに歌ァ! (1971年4月7日 - 6月30日、日本テレビ)
      前番組『スターへばく進 ! !』でデビューした「ザ・シュークリーム」と共にアシスタントとして出演。
  • グランドスペシャル 紅白大運動会 (1971年10月28日、フジテレビ)
      フォーリーブスと共演。 同年9月5日に東京都体育館にて収録。

ステージ

  • 第45回 日劇ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日、日本劇場)
  • 第47回 日劇ウエスタン・カーニバル “アイドル誕生” (1972年5月6日 - 12日、日本劇場)


ディスコグラフィ

シングル

  • ともだち c/w 思い出は薔薇のように (1971年3月10日。両A面シングル)
      両曲とも作曲は元「ザ・タイガース」の森本太郎。

  • リンゴの樹の下で c/w 何かいいこと起こるから (1971年8月)
      両曲とも作曲はすぎやまこういち。


外部リンク








出典:フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』より改訂
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