穂口雄右
穂口 雄右(ほぐち ゆうすけ、本名:同じ、1948年1月24日 - )は、日本の作曲家。東京都杉並区出身。
東京都立烏山工業高等学校電気科卒業。 日本大学芸術学部文芸学科中退。 身長:165p。 愛称:ベートーベン。
妻はアメリカで活動する歌手・神田広美。
- 日本作詞作曲家協会 理事 および 事務局長
-
通称:J-scat。 1997年9月創立。 日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事たちによる公金不正流用事件を機に、永六輔、小林亜星、野坂昭如を中心に結束。
JASRACの不正、暴挙を監視是正し、音楽文化の普及と発展に寄与することを目的とするオンブズマン的団体。
- 株式会社 アムバックス・エデュケイト 代表取締役会長
- 株式会社 アムバックス音楽出版 代表取締役社長
- 株式会社 ミュージックゲート 代表取締役社長
- 特定非営利活動法人 ミュージックプランツ 名誉会長
- 元 ・ 一般社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC) 正会員 および 評議員
ジャニーズ時代の参加バンド
その他の参加バンド
- アウト・キャスト
- 津々美洋とオールスターズ・ワゴン
- 猪俣猛とサウンドリミテッド
- ピープル (幼馴染み&ジャニーズ時代の盟友・田中清司も参加)
-
バンドと言っても、スタジオ・ミュージシャンたちが集ってシングルを一枚レコーディングしただけの活動。
- 稲垣次郎とソウル・メディア (同じく田中清司も参加)
来歴
- 杉並区西荻窪3丁目生まれ。杉並区立桃井第三小学校に入学し、5年生の時に同区荻窪に転居して同区立西田小学校に転校し、卒業。
同区立松溪中学校に入学すると、水泳部に所属。平泳ぎの速さは、学校内でトップ、杉並区内で三位だったが、都大会で予選落ちした。
なお、せんだみつお(本名:中野光男)とは同じ中学の同級生で、当時よく一緒に遊んでいた。
- 14歳でウクレレを始め、15歳でギターとピアノも同時に始める。
- 高校は東京都立烏山工業高等学校電気科に入学。 同級生には、後に「ペドロ&カプリシャス」のギタリスト・古城マサミとなる郡正巳が居た。
そして高校1年の時に、ダンスパーティーで知り合ったメンバーらと共に、アマチュアバンド「テディー・ボーイズ」を結成。
寺尾聰(後の「ザ・サベージ」、俳優)、渡辺純一(後の「ザ・サベージ」のドラム)、大野良治(後の「アウト・キャスト」)などがおり、穂口はリードギターを担当。 環八道路沿いの蕎麦屋の2階に集まってバンドの練習をしていた。
- 一方、中学時代の友人・中野光男(後のせんだみつお)は、法政大学第一高等学校(後の法政大学高等学校)に進学していたが、その同級生に、ジャニーズのバックバンド「ジャニーズ・ジュニア」でドラムをしている田中清司がおり、中野を通じて、穂口も田中と知り合う。
そして1963年、高校1年の15歳の時に、穂口も「ジャニーズ・ジュニア」にオルガンで一時参加した。
このジャニーズ入りの経緯について、穂口は2012年5月15日のTwitterで次のように述べている。
「16才の時 (← 正確には15歳の間違い。正しいプロフィールはこちらを参照)、田中清司が出ている日劇(「ウエスタンカーニバル」にジャニーズのバックバンドとして出演)に遊びに行った。 休憩中に袖のピアノで覚えたての『モーニン』(Art Blakey & The Jazz Messengersの曲『Moanin'』)を一人で弾いた。夢中になった時、後ろから突然、
“You、オルガン弾いてくれる?”
翌日からジャニーズのバックで弾いた。48年前はジャニーさんも30代。 今やジャニー喜多川大社長。流石に目利きが鋭い」
- 同じく1964年、16歳の時に父・穂口重雄の会社が倒産。 一家は埼玉県の北越谷(越谷市大沢)に転居。
- 1966年8月、水谷淳(後の水谷公生)に誘われ、轟健二(後の松崎澄夫、アミューズ副会長)らと共に、伝説のGSバンド「アウト・キャスト」を結成。 渡辺プロダクションに所属。
オルガニスト、キーボーディストとして活動した。 当時のマスターテープがほとんど紛失している中、アナログ盤から音源が起こされてCDで再販売されるなど、マニアに根強い人気を持つ。
- 1967年秋に「アウト・キャスト」を脱退し、江藤勲(ベース)に誘われて「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」に途中から加入した。
- 日本大学芸術学部在学中に編曲家の森岡賢一郎に抜擢され、19才で当時最年少のスタジオ・ミュージシャンとなり、多くのレコーディングセッションに参加。 水谷公生、武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)、戸叶京助(後の大文字京介、2006年1月24日没)による洋楽コピーバンド「オールド・グランド・ダッド」を始め、数え切れないほど多くのスタジオワーク、およびアレンジャーサポート活動を行った。
- 23才からは編曲家に転向。更に25歳からは、作曲家としての活動も開始した。
- 1982年の34歳の時に、原宿に音楽学校『プロフェッショナルミュージックスクール AMVOX(アムバックス)』を設立 (その後、世田谷区用賀駅下車すぐの地に移転)。 自身も講師を務めていた。
代表作『春一番』について
- 作詞、作曲、編曲を担当した代表作『春一番』(1976年、キャンディーズ)はテレビCMなどで繰り返し放送され国民的歌謡曲となっている。
元々はアルバムに収録された一楽曲にすぎなかったがファンクラブからの意見で後にシングルカットされたという逸話がある。
- 1996年12月に発生した「ペルー日本大使公邸占拠事件」では、「ラジオアメリカ」が『春一番』(他に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」、「コンドルは飛んでいく(ペルー民謡)」、「ラジオ体操」)を日本語放送して当時人質となっていた方たちを励ました。
- 2017年3月29日、ポピュラー音楽の作曲学習を支援する団体「特定非営利活動法人 ミュージックプランツ」の名誉会長に就任。
音楽著作権問題の活動
- 旧態依然とする音楽業界に対してインターネット時代の音楽や著作権のあり方について具体的な提言を行える数少ない日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員として十数年間活躍した。
- 「テレビ朝日ミュージック」の著作権管理の問題点をホームページ上で指摘をした所、記事の削除と金1000万円の損害賠償の支払いを求めて提訴されたことがある。
しかしこれは、自作品の出版管理をめぐって行った至極当然な主張であったため、裁判長の勧告によって和解となり、テレビ朝日ミュージックに関する記述も削除された。
なお、ホームページ上で指摘したという問題点の詳細については、和解条項により現在では公表出来ないことになっている。
- 2012年3月31日、約40年間在籍していた日本音楽著作権協会(JASRAC)を退会。 退会について、「このことは大きなリスクを伴いますが、重いコートは脱ぐことにしました」と、自身のTwitterで発言した。
穂口が作詞・作曲した『春一番』と『夏が来た!』は、JASRACの管理下から離れ、穂口自身の管理楽曲となった。穂口は、代表取締役を務める法人のウェブサイトにて『春一番』と『夏が来た!』について、引き続き同一条件にての使用許諾を表明したが、一部の音楽配信事業者は両曲の音楽配信を停止した。 日本放送協会(NHK)は穂口との年間契約に合意したが、通信カラオケ事業者の大手二社は、両曲のカラオケ配信を停止した。
穂口が『春一番』と『夏が来た!』という極めて知名度の高い往年の大ヒット曲の著作権をJASRACの信託から引き上げ、自己管理下に置いた事には理由があった。 穂口は、放送局および広告代理店系列の音楽出版社が著作権および著作隣接権(原盤権)を掌握しているという現状の構図に対して、疑義を呈する意思があったからであると述べた。
そもそも、穂口と音楽業界との関係がこじれたのは、これが発端ではない。 穂口は、自身が経営するミュージックゲート社が提供していた、ファイル変換サービス「TUBEFIRE」(YouTubeからの動画ダウンロード支援サイト)の違法性を問われ、『春一番』と『夏が来た!』の著作隣接権(原盤権)を保有するソニー・ミュージックエンタテインメントと始めとする日本レコード協会の31社から、約2億3000万円もの賠償金を求められ提訴された。 この民事事件を各レコード会社から受任したのは、司法官僚の天下り先であるTMI総合法律事務所に所属する弁護士を中心とした弁護団である。
音楽業界は、この半世紀に至るまで、放送局と一蓮托生の関係にあった。 しかし、CD不況のみならず、音楽配信の売り上げもまた低迷する中、音楽業界にとって命綱ともいうべき存在であった放送局の大衆への影響力が低下した事が、音楽業界を更に窮地へと追いやった。 音楽業界にとって絶頂期であった1998年のレコード生産金額は4924億円。 しかし2010年には、それが1874億円にまで減少した。減少率は62%にまで達してしまった。
それでもなお、音楽業界は自らを省みる行動に出ないばかりか、キャンディーズの一員であった田中好子の没後、彼女を偲ぶコメントが多く寄せられていたYouTubeの動画を、ソニー・ミュージックエンタテインメントの代理人である日本レコード協会は、ソニー・ミュージックエンタテインメントが保有する著作隣接権(原盤権)を根拠に削除した。 穂口はこれらの行為を、YouTubeが提供する「収益化」という機能を利用すれば「著作隣接権者として収益を得ながら、ファンの皆様のために動画を掲載し続ける選択肢もあった」にもかかわらず、「ファンの皆様のコメントもろとも削除するという血も涙もない行動を、たかだか自分達の金銭的利益のために行った」として、「レコード協会の行動は著作権法の立法の精神を踏みにじる暴挙」と批判した。
2012年9月3日のTwitterでは、次のような思いを綴っている。
「メディアの問題です。メディアには、幼年期、少年期、青年期の国民が良質な音楽に触るチャンスを積極的に提供する責任があります。金銭的利益目的の選曲姿勢は早急に止めるべきです。 メディアが著作権収入を目的にすると、結果として国民の感性が劣化します」
人物
- 趣味 - エレクトーン、音響研究
- 特技 - 水泳
- 好きな色 - 黒、赤、ダークブルー
- 好きな食べ物 - 水炊き
- 好きな歌手 - サミー・デイビスJr.
- 好きなプレイヤー - セロニアス・モンク
- 好きな作曲家 - セロニアス・モンク
主な出演
テレビドラマ
- ザ・ガードマン (1967年1月20日、TBS)
-
第94話「美しいスパイたち」に、バンド「アウト・キャスト」として木の実ナナと共にゲスト出演。 仮装パーティーのシーンで『気ままなシェリー』を演奏。
ラジオ
- 電撃わいどウルトラ放送局 (1978年3月7日、ラジオ関東)
-
キャンディーズがパーソナリティの回にゲスト出演。
主な提供作品
※ 編曲作品も含める。
- RCサクセション
- ぼくの好きな先生 (編曲)
- 国立市中区3-1(返事をおくれよ) (編曲)
- あいざき進也
- 気になる17才 (作曲/編曲)
- シンデレラは6月生まれ (作曲/編曲)
- 君におくる愛のメロディー (作曲/編曲)
- PEAK (作曲/編曲)
- アグネス・チャン 「ポケットいっぱいの秘密」 (作曲)
- 天地真理 「木枯らしの舗道」 (編曲)
- アン・ルイス 「ラスト・シーン」 (作曲/編曲)
- 石川ひとみ 「人の気も知らないで・・・」 (作曲/編曲)
- 石野真子 「失恋記念日」 (作曲/編曲)
- 和泉友子 「青い水平線」 (作曲)
- 伊丹サチオ
- 涙 (作曲/編曲)
- 僕の手を離さないで (作詞/作曲/編曲)
- 岩崎宏美 「二十才前」 (作曲/編曲)
- 神田広美 (穂口の妻)
- 人見知り (作曲/編曲)
- 霙景色 (作曲/編曲)
- 哀しみ予報 (作曲/編曲)
- 真珠橋 (作曲/編曲)
- 赤い羽 (作曲/編曲)
- 待ち呆気 (作曲/編曲)
- ジャスミンアフタヌーン (作曲/編曲)
- メリーゴーランドの街 (作曲/編曲)
- 約束 (作曲) ※神田が「野原理香」名義でリリース
- ふれあい (作曲) ※神田が「野原理香」名義でリリース
- 帰る日 (作詞/作曲/編曲) ※神田が「岸田采子」名義でリリース
- I wanna be in love forever (作曲/編曲) ※神田が「岸田采子」名義でリリース
- S.C.B. (作曲/編曲) ※神田が「岸田采子」名義でリリース
- くれないの薔薇 (作曲/編曲)
- Days of Yesterday (作曲)
- キャンディーズ
- そよ風のくちづけ (編曲)
- なみだの季節 (作曲/編曲)
- 年下の男の子 (作曲/編曲)
- 内気なあいつ (作曲/編曲)
- その気にさせないで (作曲/編曲)
- 春一番 (作詞/作曲/編曲)
- 夏が来た! (作詞/作曲/編曲)
- わな (作曲/編曲)
- 微笑がえし (作曲/編曲)
- その他アルバムのみの収録曲多数
- 小泉今日子
- 素敵なラブリーボーイ (作曲。原曲アーティストは林寛子)
- 白い
秋桜 (作曲/編曲) - 林檎のきもち (作曲/編曲)
- テレフォン・デート (作曲/編曲)
- 香坂みゆき 「愛の芽ばえ」 (作曲/編曲)
- 郷ひろみ
- 林檎殺人事件 (作曲/編曲。1978年。TBS『ムー一族』挿入歌)
- 西城秀樹 「熱いまなざし」 (作曲/編曲)
- 桜田淳子 「もう一度だけふり向いて」 (作曲)
- 太川陽介 「陽だまりの中で」(作曲/編曲)、「南風」(作曲)
- 浜田省吾 「悲しみは雪のように」 (編曲)
- 林寛子
- 素敵なラブリーボーイ (作曲。後に小泉今日子がカバー)
- カモン・ベイビー (作曲)
- フレンズ 「ふたりの朝」 (作曲/編曲)
- 持田真樹
- そのままでいいわ 〜フィールドの砂〜 (作詞/作曲/編曲)
- 恋人みたいじゃなくても (作詞/作曲/編曲)
- 山口百恵
- まぶしい視線 (作曲/編曲)
- 恋は・・・ING(進行形) (作曲/編曲)
- 少年の海 -出逢い- (編曲。映画『潮騒』主題歌)
- 乾いた唇 (編曲)
- 炎の前で (作曲/編曲)
- 噂の少女 (作曲/編曲)
- 涙のことづて -手紙- (編曲)
- 美え貝 (みえがい) (編曲)
- 夏ひらく青春 (編曲)
- 感じる季節 (編曲)
- 他多数・・・
映画音楽
- 潮騒 (1975年、東宝)
CMソング
- 伊藤園 -『春一番』
- 日本通運 - 『微笑がえし』
- 佐川急便 - 『年下の男の子』
- 沖縄セルラー電話 - 『春一番』
- トヨタ自動車 - 『春一番』
- サントリー - 『微笑がえし』、『春一番』
- ハウスメイト -『春一番』
- JR東日本 -『春一番』
アウト・キャスト
第1期メンバー
1966年8月 〜
- 穂口雄右 (オルガン)
- 轟健二 (本名:松崎澄夫。ボーカル)
- 水谷淳 (本名:水谷公生。リードギター)
- 片桐周一 (リズムギター)
- 大野良二 (本名:大野良治。ベース)
- 中沢啓光 (後の西川啓光。ドラム)
1966年 〜 1967年夏
- 穂口雄右 (オルガン)
- 轟健二 (ボーカル)
- 水谷淳 (リードギター)
- 藤田浩一 (リズムギター)
- 大野良二 (ベース)
- 中沢啓光 (ドラム)
1967年夏 〜 1967年秋
- 穂口雄右 (オルガン)
- 轟健二 (ボーカル)
- 水谷淳 (リードギター)
- 大野良二 (ベース)
- 中沢啓光 (ドラム)
1967年秋 〜 1968年3月の解散まで
- 轟健二 (ボーカル)
- 水谷淳 (リードギター)
- 大野良二 (ベース)
- 中沢啓光 (ドラム)
第2期メンバー
※ 渡辺プロから独立した後のメンバー。
1968年4月 〜 1969年初頭
- 大野良治 (ベース)
- 岡本修 (ボーカル)
- 谷かつみ (本名:大谷克己。リードギター。トニー谷の次男。後にジャニーズ事務所へ移籍し、ハイ・ソサエティーに加入)
- 管野吉信 (「菅野」や「吉治」などの表記は誤り。エレクトーン、ボーカル)
- 朝倉幸夫 (ドラム。『ライオンは起きている』をヒットさせたバンド「ザ・ギャング」の朝倉紀幸の兄)
※ 第1期メンバーだった轟、水谷はバンド「アダムス」へ。
主な出演
バラエティ番組
- ヤング720 (1967年2月17日 - 、TBS) 準レギュラー
映画
- 喜劇・大風呂敷 (1967年9月14日、日活)
- クレージーの怪盗ジバコ (1967年10月28日、東宝)
-
シングル『一日だけの恋』をインストゥルメンタルで演奏した。
ディスコグラフィ
シングル
- 友達になろう c/w 気ままなシェリー (1967年1月25日)
- 愛することは誰でもできる c/w 電話でいいから (1967年4月10日)
- レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ c/w エンピツが一本 (1967年7月10日)
- 一日だけの恋 c/w 僕のそばから (1967年10月15日)
- 愛なき夜明け c/w ふたりの秘密 (1968年1月10日)
- 空に書いたラブレター c/w 君を慕いて (1968年6月5日) ※ 第2期メンバー
-
A面曲の原曲はThe Rooftop Singersの『Kites』。しかしタイトルはアメリカのポピュラーソング『砂に書いたラブレター』からの引用。
B面曲の原曲はLos Pekenikesの『Hilo De Seda (英題:In The Sunshine Days)』。
アルバム
- 君も僕も友達になろう (1967年11月10日)
外部リンク
- オフィシャルサイト (英語サイト)
- X (旧Twitter)
- 穂口雄右ゼミナール・オフィシャルブログ (略称:穂ブロ) (2012年12月15日 - )
- 日本の音楽に自由を!:「元JASRAC」作曲家・穂口雄右が語る、著作権問題とその元凶 - WIRED.jp
- アウト・キャスト - マルベル堂
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